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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第63話 私と弟子の過去に対する言及

もうちょっとだけ続きます。


 「林檎だ」


 ディンは言いながら、食卓の上に皿を置いた。

 その言葉通りに、さらには画一的に切り分けられた林檎が盛られていた。 

 

 対面に座る少女は、ごくりと唾を飲み込むと、ディンの言葉を繰り返した。


 「り、りぃいん、ごぉぉ・・・」

 

 しかし少女の発音は、その幼さを考えてもあまりにも不正確だった。

 分かっていたこととはいえ、聞きかねたディンは再度少女に語りかけた。


 「林檎だよ。り・ん・ご」

 「りぃ、んん、ごぉ」

 

 少女の言葉に、ディンは眼をつぶり、頭を振った。

 それを見ていた少女は、悔し気に顔を歪ませた。


 「・・・肉叉だ」


 ディンはそう言って、皿の横に並べられていた肉叉を一本取ると、林檎に手を伸ばした少女の眼前に手を差し出した。

 少女はそれを見つめて、もう一度ディンの言葉を繰り返した。


 「にぃい、くぅさあぁ・・・」


 少女は呟きながらそれに手を伸ばしたが、ディンはそれを許さなかった。 


 「肉叉だよ。に・く・さ」

 「・・・あぁっ!」


 少女の手は空を切った。

 ディンが、肉叉を持っていた手を引っ込めたのだ。


 「さあ、もう一度・・・」

 「・・・っ!」

  

 突如少女は、椅子を蹴る様にしてディンに飛び掛かった。

 食卓を飛び越え、仰け反るディンの腕にしがみつくと、肉叉をむしり取った。


 どうやら、怒らせてしまったらしい。 


 ディンは咄嗟に、肉叉を振り回して暴れる少女の身体を押さえた。

 

 癇癪を起したように振り回される手を掴むと、そのまま食卓から離れて、少女が落っこちないように小さな身体を抱えた。


 「いや、申し訳ない。私が悪かったから、どうか許してほしい」


 ディンがそう言ってしばらく待っていると、少女の肉叉を握る手から徐々に力が抜けていった。


 ディンは少女が落ち着くのを待って、彼女を床へと下した。

 すると少女は、はっとした顔になった。


 「性急だった。すまないね、君」


 ぽかんとする少女に謝罪しながら、ディンは右手で首筋を撫でた。


 「・・・ぁあ!」

 「うん?」 


 少女の眼が、ディンの左手に向いていた。

 少女が振り回した肉叉を受け止めていた左手から、少しだけ血が滴っていたのだ。


 「気にしないでくれたまえ。こんなもの、傷の内には入らない」


 ディンは少女の震える手から、血で汚れた肉叉を取り上げると、左手を開いて見せた。

 すでに、傷はふさがっていた。


 「そうとも。君のに比べれば」


 ディンはぎこちなく微笑みながら、少女に林檎が乗った皿を差し出した。


 「・・・そうだな。急ぐ必要はない。ゆっくりで、いいんだ」


 少女はディンと林檎の切れ端を交互に見ていたが、やがておずおずとそれに手を伸ばした。

 

 「さあ、好きなだけ食べてくれたまえ」







 私は壁を背もたれにして座りながら、昔を思い出していた。


 すぐ横にある、弟子の部屋の扉の前には、しろすけが行儀よく座っていた。


 彼は、回復してからずっとこの調子だった。

 つい先刻に夕食を用意してやったのだが、見向きもしなかった。


 ただただ、じっとご主人様の部屋の扉を見つめているばかりなのだ。


 私はそんなしろすけの頭を撫でながら、自分もちらりと扉の方を見た。


 あれから何度呼び掛けても、扉の向こうからの返答は一切なかった。


 “おそらく”弟子は、自室で酷く打ちひしがれているのだろう。

 何とか元気づけてやりたいが、彼女が今どんな気持ちでいるのかが“分からない”ので、どう切り込んだものか皆目見当がつかなかった。


 少女は、重度の吃音症だった。


 私はそれなりに長く生きてきたし、それなりに多くの弟子の面倒を見てきた。

 それでも、知らないことは山のようにある。


 少女の心の傷を癒す方法と、その原因を取り除く手段についてもその内に含まれる。


 まったくもって、長生きなど何の自慢にもならない。

 聖戦士であることなど、あの少女を本当の意味で救うための力にはならない。


 私は今までの弟子たちにしたように、今回も専門書を手あたり次第に読み漁り、ほぼ独学で彼女の発達を支援してきた。


 その甲斐があったのか。

 

 いや、あるいは。

 

 むしろ、彼女自身の心の強さによるものであろう。

 

 リィルの対話の力は、めきめきと上達していった。

 挫けず、あきらめず、辛抱強く、毎日少しずつ、会話の練習をしてきたからだ。


 少女の性格からすれば、どれ程の苦痛だったのだろうか。

 だが、彼女は見事にやり遂げたのだ。


 最近では、気になる人間にはそうかもしれないが、少なくとも私は違和感を覚えない程度の会話をできるようになっていた。

 

 それでも時折、何かのきっかけでぶり返すことがあった。

 感情が高ぶった際には、特にそうだ。

 

 そして彼女は、自分でそれに気が付いていなかった。

 まあ、感情が揺らいでいる状態では、自身を客観視することなどそうそうできはしないものだが。


 そして、良かれと思って指摘しないで置いた結果がこれだ。


 まったくもって、私の弟子育成能力は、いや子育ての能力は低いと言わざるを得ない。



 帰宅後、弟子の様子がおかしかったため、ひっくり返っていたしろすけに事情を“聞いて”みた。 

 すると、彼のご主人様は『まともに話せない』ことを“侵入者”に指摘されて、かなりの衝撃を受けてしまったという、とんでもない話が飛び出てきたのだ。


 その“侵入者”とやらは、信じられない程の無礼者だ。

 彼女がどれ程の思いで練習をしてきたか。その度に、どれだけ惨めな気持ちになっていたか。

 

 そいつには、きつい仕置きが必要だ。


 そう思って、さらに詳しく“聞いて”みると。

 今度は尻尾を振り回しながら、『口にすることすらおぞましい化け物が来訪し、自分とご主人様を魔法によって精神的に凌辱した』などと、彼は語ったのだ。


 この主人に忠実な火吹き蜥蜴の、怒りに任せた破壊活動を甘受しつつも、私は思慮していた。


 侵入者を警戒して、私はこの屋敷の敷地内のいたるところに強力な結界を施している。

 奇跡の力によるそれらは、邪な存在や考えを持った者を撥ね退ける聖なる障壁だ。


 そうでなくても、家族以外の誰かが入ってきたのならば、それを知らせてくれる役割を持ってもいる。まして人に害をなす類の魔法を使用したのならば、なおさらである。

 つまり、一切の痕跡を残さずに好き勝手をできるほどに、容易い代物ではないのだ。


 だというのにその侵入者は、結界どころか私の直観力と、あまつさえ偉大なる主神の眼から逃れ、私たちの屋敷で傍若無人に振舞ったのだ。 


 許されざる大罪人であると同時に、まことに恐るべき実力者である。


 そんな芸当ができるであろう者と言えば、同じ奇跡を使う天上の御使い。

 でなければ、地獄の九大君主くらいであろう。

 

 だがそれならば、矮小な私たち相手にこそこそと隠れるような真似をする筈がない。

 全体、私たちに対してそのような行為をする理由がない。


 つまり賊は、私たちに敵意を持ち、私たちの素性に詳しく、なおかつ私たちにちょっかいを出しておきながらも自身の正体を隠し通せる程の化け物ということになる。


 この条件に該当する者は、歴史書どころか神話の文献をすべてひっくり返したところで、たった二人しかいない。


 一人は、不死人軍団の大首領だ。


 この地上を混沌にして悪なる存在への供物にすることを画策した、その名前を呼ぶことすら許されない、最強にして最悪の魔法士。


 だが、こいつは遥か昔に滅んだ。

 大きすぎる犠牲を払ったが、私がこの手で確かに滅ぼしたのだ。

 

 その穢れ切った魂は、永い年月を経た今でも地獄で焼かれ続けているらしい。


 残るは一人のみ。


 私に対して、強い怒りを持ち。

 

 その、素晴らしい魔法士としての才能を存分に開花させた、我が主神と同じくらいに心の強い女性。


 「君なのか、イリーナ・・・?」


 そう呟く私の横で、急にしろすけが鳴き声を上げた。

 そしてリィルの部屋の扉に激しく爪を立て始めたのだ。


 その慌てるような姿を見た私の背に、電流が走った。


 「・・・まさか!」


 私は鍵のかかった扉を、力任せにこじ開けた。

 そして蝶番から外れた扉を投げ捨てると、真っ暗な部屋の中へと足を踏み入れた。


 弟子の部屋は、相変わらず本だの菓子の空き袋だので散らかっていたが、肝心の主の姿がなかった。

 そして部屋の縁側へと続く窓は、開け放たれていた。


 「しまった!」


 私は足元に散らかる様々な物品を蹴とばしながら、縁側へと飛び出た。

 すでに街灯が点り始めた通りには、弟子の姿は見当たらなかった。


 血の気が引く思いで、手すりに足をかけようとすると。

 

 私の肩に、小さく白く冷たいものが飛びついた。


 「君も、来るのか?」


 私の問いに、しろすけは元気よく鳴き声を上げた。


 成程。

 君も、ご主人様のことが心配なのだね。


 「では、行こうか」


 私は夜の街へと跳び出した。






 「頼むから、早まったことだけはしてくれるな。私の大切な弟子よ」

立ち上がれたのならば、きっと倒れる前よりも、少しだけ強くなっていると思います。

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