第5話 料理について
私の師匠は、お金に意地汚い。
「心外だな、君」
師匠は円卓の上の金・銀・銅貨の小山を前に、ぱちりぱちりと手元の計算機(そろばん、と言う名前らしい)を弾きながら、特に気にもしていないような口調でそう言った。
だがこれは、紛れも無い事実である。
「しかしな、これは生活のためには必要なことなんだ」
師匠は老眼鏡をとって目をつぶり、目と目の間をもみながら言った。
見た目は二十歳そこそこだというのに、時にかような爺臭い仕草をする。
師匠の嫌いなところだ。
私はそんな格好の悪い師匠を見かねて、寝台の上で読んでいた学術書に顔をうずめた。
師匠は今、毎月恒例の家計簿作成をしていた。
普段の私への指導は大雑把なことが多い気がするが、こうしたちまちましたことも欠かさない。
「君こそ、そろそろ本格的に算術に打ち込んでくれないか」
師匠が老眼鏡をかけなおしながら言った。
断固、お断りである。
私はそっぽを向いて鼻を鳴らした。
日課の鍛錬に、無茶な依頼の数々。それに森人語と天上語の勉強までしているのである。
日常生活に困らない程度の算術はすでに身に着けてもいる。
会計士を目指すわけでもないのだから、せせこましく金勘定の勉強までする気は無かった。
「家計簿をつけられる女は、もてると思うぞ?」
別にもてたいとは思わない。
大体、危険な依頼を数多くこなしているのだから、その報酬だって馬鹿にならない筈なのだ。
いちいち毎月の収支について計算などしなくとも、生活には困るわけが無い。
むしろ貧民街の、こんな安っぽい掘っ立て小屋ではなく、一等地の大きい家に住むことだって出来る筈なのに。
「そんなところに住んでどうする」
広いお部屋に箪笥とか大きな姿見とかを備え、壁には絵画をかけて、玄関には花瓶に大きな花を生ける。
そして猫とか犬とかを飼って、つがわせてたくさんの家族として暮らすのだ。
なんというすばらしい生活!
「人間、起きて半畳寝て一畳だ。そも、そんな暮らしを維持しようと思ったら、今以上に依頼をこなさねばならない。ここで十分だ」
なんという夢も希望もない生活!
私はがっくりとうなだれた。
そして本を放り投げると、寝台の上にひっくり返った。
そんなせこい男は、絶対に異性にもてたりしない!
「別にもてたいとは思わないよ」
師匠のけちんぼ!
守銭奴!
甲斐性なし!
「好きに言っていなさい」
これ以上の議論は無駄だとばかりに、師匠はせこせことそろばんいじりへと戻った。
そんな師匠を横目で見ながら、私は足をばたばたさせた。
たしかに山の手のお屋敷で愛玩動物と戯れる生活など、分不相応であるとは理解している。
しかしながら、来る日も来る日も依頼に鍛錬に勉学にと詰め込まれていては、身体も心も壊れてしまう。
だからこそ、このつらい毎日にうるおいが欲しい。
別に豪勢な生活をしたいわけではないのだ。
ちょっとした気分転換。
慰みになるようなことが、私には必要なのだ。
「ふむ」
そろばんを弾く、師匠の手が止まった。
「まあ、今日は月末だから。たまにはいつもよりも、さらに旨いものを食べさせてあげよう」
寝台の上を跳ね回る、私の足が止まった。
やった!
さすが私の師匠!
大好きです!
「現金な娘だね、君は」
飛び起き、寝台の上で跳ね始めた私を見て、師匠は無表情のままあきれたように言った。
好きに言っていればいい。
言質はとったのだ!
「やれやれ。では今夜は・・・」
白鳥亭でご馳走だ!
「私が腕を振るって・・・んん?」
白鳥亭は、半年程前になって繁華街に出来た料理店だ。
料理長は、かの有名なマルコ氏の愛弟子の一人であり、数々の大会で賞を総なめにするという実力者。
多少高額にはなるが、品数は豊富であり、なかんずく正餐は常連客の女性からの評価が高い。
また、内装は過剰にならない程度に飾られ、お抱えの音楽家が常に演奏を行っており、その雰囲気が料理の味を何倍にも押し上げているのである。
「解説ありがとう。しかしそういう店には、正装しなければ入店すら出来ないだろう。私が作れば済む事だ」
口だけは渋っているが、師匠の目が怪しく光っているのを見逃すわけはない。
私は、内心ほくそ笑んだ。
そう、きっとその店ならば、師匠の料理よりもずっとおいしいものが食べられるはずなのだ。
「聞き捨てならんな。というか、マルコは私の料理に心酔して弟子入りしてきた男だぞ。その男の弟子が、私よりも優れた料理を出せるものか」
ちなみに、マルコ氏は七十五歳で大往生している。もう六年も前の話だ。
彼は著名な美食家であったが、料理の探求者を自称してもいた。
他人の料理では飽き足らず、私財を投げ打ち、数十年の修行を経て、自身の腕で最高の料理を作ろうとしていたらしい。
その長い研鑽で培った技術は数人の弟子たちへと余さずに伝授され、現代でも多くの人々を感動させているのだ。
そんな人間が、わざわざ師匠などに料理の弟子入りにくるのだろうか。
「解説ありがとう。だが、奴が料理人を志したのも、私の料理に感銘を受けたからなんだぞ」
私は首をかしげた。
なんとなく、年齢の計算が合わないような気がしたのだ。
あまり算術には真剣に取り組んでこなかったので、確信には至らなかったが。
ともあれ、師匠はよい感じに私の挑発に乗ってきている。
あと、もう一押しだ。
およそ他人との競い合いに無頓着な体の師匠ではあるが、こと料理に関しては異常な執着を見せる。
当然のこと、自分の料理よりもどこそこの店のそれの方が旨いなどと面罵されて、黙っていられる男ではないのだ。
なんにせよ、食べてもいないうちから自分の料理の方が優れているなどと言うのは、傲慢にすぎる。普段から謙虚であれと私に説いておきながら、これでは二重規範もはなはだしいのでは。
「よかろう。そこまで言うなら」
師匠は老眼鏡を外して円卓の上に置き、勇ましく立ち上がった。
釣れた!
私は、心の中で歓声を上げた。
この話の流れならば、件の白鳥亭へと討ち入りの如く訪問することになるだろう。そうなれば、愛弟子である私も当然、ご相伴にあずかれるはずだ。
しめしめと、私も寝台から降りて立ち上がろうとすると。
「ちょっと白鳥亭とやらを見てやってくる。後片付けをしておいてくれ」
そういい残して、私の返事を聞くこともなく、師匠は出て行った。
凄まじく陰鬱な気分で、私は円卓の上の硬貨の山を片付けていた。
口からは師匠を冒涜する言葉が絶えることなく垂れ流され、目にはうっすらと心の汗が滲んでいた。
師匠の大馬鹿者。
あんぽんたん。
朴念仁。
無神経。
唐変木。
おたんちん。
師匠なんて、大嫌いだ。
師匠は、自分ひとりだけで白鳥亭の正餐を食しに行ったのだ。
なんて酷い。
昔から、食事の時にはずっと二人一緒だったのに。
料理が関わると、本当に周囲に対する配慮が欠ける人間だと思っていたが、ここまでとは思わなかった。
私は鼻をすすり、目尻を拭った。
そして乱暴に硬貨を引っ掴むと、金貨も銀貨も銅貨も、一緒くたにして大きな皮袋の中に詰め込んでいった。
悲しさと、悔しさと、怒りに溢れてどうしようもない。
別に私は、白鳥亭の料理を心の底から食べたかった訳ではない。
生活にうるおいが欲しかったのは本当だが、それは別に、食事ではなく・・・。
「ではなく?」
突如背後から声を掛けられて、私は跳び上がった。
振り返ると、そこには大変珍しいことに眉間にしわを寄せた師匠がいた。
なぜか師匠は、小屋を出る際にはなかった、大量の荷物を抱えていた。
いったいいつの間に帰ってきたのか。
「つい今しがただ。酷い顔だな。それにしても、まだ片付いていなかったのか」
師匠は私の涙について追求せずに、大荷物を持って、台所へと消えた。
ちなみに私たちの住まう小屋の半分は、台所で占有されていた。
もともとは最低限の設備しかなかったらしいが、師匠が無理やり増設を重ねたらしい。
間をおかずに、その台所からは熱気と騒音が溢れてきた。
「円卓の上を片付けたら、手を洗って待っていなさい」
若干威圧的な口調が、騒がしい台所から聞こえた。
沈んでいた気分がいつの間にか元に戻っていた。
私は、師匠のいつもとは異なる様子に気おされつつ、大急ぎで円卓の上を片付け、手を清めて椅子の上に背筋を伸ばして座った。
気が付くと私の目の前には、生まれてはじめて見るような光景が広がっていた。
色鮮やかな赤茄子に、ひき肉を詰めて炒めたもの。
玉ねぎ、人参、豆などの野菜と鶏肉をじっくり煮込んだ汁。
白くやわらかく、香り豊かな麺麭。
そして、複数の香辛料で入念に下ごしらえをした子羊の肉の蒸し焼き。
果物の表面を、まるで花のような模様に細工した品。
それらのいずれもが、美しく、あるいは神々しく、私の目の前で行儀よくならんでいた。
「白鳥亭の正餐を再現した。一応言っておくが、今回は本気を出したぞ。味は絶対に私の方が上だ」
すべての皿を並べ終えた師匠はしたり顔でそう言うと、私の対面に座った。
見ると、師匠の手元にも食器が並んでいた。
と言うことは、師匠もこれらを食べるということだ。
おかしな話だ。
師匠は白鳥亭の正餐を一通りに食した上で、こうして再現したはずだ。それは確かに優れた技術のなせることであるが、その直後にもう一度同じ献立を平らげようとは、いくら師匠でも些か無謀ではないのだろうか。
「別に食事なんてしてきていない」
ええ!?
さっき出て行ったのは、白鳥亭の献立を味わって、味を盗んできたのでは!?
「何を言っているんだ。ただ件の名料理長どのに頼み込んで、献立と調理法を丁寧に聞き出しただけだ」
私はてっきり、自分だけ豪勢な料理を食べるつもりなんだとばかり。
「食事をするときは、いつも二人一緒だろう」
師匠はさも当然とばかりに言い放つと、神への祈りの言葉を述べ始めた。
何のことは無い。
私が勝手に師匠を炊きつけて、勘違いをして落ち込んで、愚かなことに師匠を見損なっていたのだ。
なんて馬鹿馬鹿しい話だ!
私は苦笑して、師匠の料理を頂くことにした。
おいしい。
どの皿も、いままで作ってもらったどの料理よりもおいしい。
だがそれは、師匠が本気を出したからではないのだろう。
師匠と一緒に、依頼や鍛錬などとは関係なしに、一緒に楽しいことをしたかっただけだなどと、口が裂けても言えはしない。
「え?何だって?」
何でもありません。
「たしかに、いつもよりおいしいです」
「当然だ」
「さすがはししょうです。わたしがまちがってました」
「うん。ところで、懐に隠した銀貨三枚。食べ終わったら返しなさい」
「・・・」