第42話 不死人について 中
師匠、お話があります。
「なんだい」
頭が痛いので、帰っても良いですか。
「駄目だ」
決意というものは、たった一つのきっかけで萎えるものである。
師匠の前であれ程に格好の良い台詞を吐いておきながら、教会へ向かうということが分かった途端に気持ちはキレイさっぱり消え去り、逃げ出したいという思いでいっぱいだった。
教会。
この場所には、強い拒絶感を覚える。
神父どころか、神様なんて連中は・・・
「それぐらいにしておきなさい。今回も、時間が無いんだ」
師匠は騎士団や組合ではない、第三の勢力へと協力を願い出ることにした。
それが、教会である。
街どころか小さな村にすら必ず存在する神の庭は、魔法による通信網が発達した現代においては大きな勢力になる。そもそも聖職者でなくとも、信徒の力を借りることができれば物探しなど簡単である。
なにせこの街の住人は、大概何かしらの神を信奉しているのだから。
・・・まあ、私のような例外もいるにはいるが。
「私は自分の教会を持ってはいないが、一応司祭に相当する地位を持っている。聖戦士として活躍しているおかげで、教会における横のつながりは持っているんだ」
成程。
見かけによらず、師匠は結構偉い人なのか。
「そうだとも。これを機に、もっと私を敬ってくれてもいいんだよ」
伊達メガネをずり上げながら、師匠が無表情にそう言った。
いよっ!
この甲斐性なし!生臭坊主!
「・・・」
師匠に連れてこられたのは、救いの女神を信奉する教会の一つだった。
師匠が主神としてあがめる、アリシア様とやらである。
その教会を預かる壮年の司祭は、師匠を笑顔で出迎え抱擁した。
「いやあ、お久しい!飲み会の誘いですかな?」
「い、いや。今日は違う」
師匠は私の疑いの眼差しに対して取り繕うように、大げさに手を振って否定した。無表情のままだったが。
横のつながりというのは、実際はただの酒飲み仲間の集まりだったりするのではないのだろうか。
「今日は、ぜひとも君達の力を借りたいんだ」
「おお、光栄ですな」
師匠よりも年上の人間からのへりくだった言葉遣いにも、だんだんと慣れてきていた。
要するに、師匠の聖戦士としての活躍から、様々な人から尊敬を受けているのだろう。
・・・普段の生活を見ていると、とてもそんな大層な人間には見えないのだが。
師匠は愛用の古い古い通話装置を取り出し、画像を浮かび上がらせた。
私が十回ほど同じ説明をしたおかげで、どうにかグレンからの伝文を確認することができるようになっていたのだ。
この他にもいくつか機能がある筈なのだが、いかんせん型が古すぎて私にも手が出しにくい。
まあ師匠の如き超古代人には、通話と伝文の二つが使えるだけでも奇跡なのだ。
「・・・これはなんとも、禍々しいですな」
「その通りだ。これを街中くまなく探して見つけ出し、全て消して欲しい。そして、これを描いた張本人の情報も」
画像を見て険しい顔をしていた壮年の司教は、その大きな腹を叩いて頷いた。
見事な中年太りだが、聖職者がその体たらくでよいのだろうか。
いや、確か師匠の主神でありこの教会の信奉する神様は、食べたり飲んだりすることを否定しないんだったか。
ならば司教のこんな恰幅の良さも、その地位を示すのに一役買っているのかも知れない。
「承知いたしました。仲間に声をかけて、すぐにでも動きましょう。では、その画像を私の通話装置に送って頂けますかな?」
「あー・・・。君、ちょっと助けてくれるかい?」
無表情ながら救いを求めるような師匠の瞳に、私は盛大にため息をついた。
「これで騎士団や組合に先んじて、手掛かりを手に入れられるだろう」
教会の外で、師匠は私にそう言った。
教会は、信奉する神によってはすさまじく仲が悪いことがある。
例えば戦女神ルインと、学究の神ミッケルの教会だ。
前者は武術によって心身を極限まで鍛えることを信奉し、後者は魔法技術の発展をその教義としている。
ともすれば頭でっかち、脳内筋肉と罵り合う信徒達は、およそ協力という二文字からは程遠い関係である。
『当のお二方は、別に仲が悪いわけではないのだがね』
そのように言うのは、師匠だけである。
しかし救済の女神アリシアは、その包容力のある教義からいずれの神々の教会とも折り合いがいい。
街中の様々な教会やその信徒たちと協力することができれば、騎士団や組合を凌駕する第三勢力になりうるだろう。
しかし。
たしかに先んじることはできるかもしれないが、なぜそこまで急ぐのだろうか?
街の安全を考えれば、全ての勢力が協力してことにあたるべきだと思うのだが。
「君の言うことは全面的に正しい。しかし、私も使命を果たさなければならない。だから、他人に任せてふんぞり返っているわけにはいかないんだ」
無表情のまま鼻息も荒く言った師匠に、私は続けて疑問をぶつけることにした。
とても根本的な、しかしあまり聞きたくはないことだ。
師匠の使命とは、何だろうか。
「弱き人々を救うこと。そして、悪を為す不死人を滅ぼすということだ」
師匠は私の顔を正面から見据えて、そう言った。
不死人
それは、魔法の神髄を究めんがため、地上のありとあらゆる知識を貪りつくした者。
ほとんどの、いわゆる常人はその過程で正気を失い、壮絶な死に至る
だが、何万人に一人か、あるいは何億人に一人が狂気に飲まれずに魔法の深淵を覗き込むことができたのならば。
その者は、すでに人ではない。
この世の理を捻じ曲げる魔の法を知り尽くし、同化してしまった者。
それは、死という定命の存在の義務を拒絶した、生き物のとしての道理を外れた化け物である。
「この魔法陣を作ったのは、私の知る恐るべき不死人だ。恐らく騎士でも組合の幹部でも、奴らには対抗できない」
だから私がやらねばならないんだ、と師匠はそう言った。
その決意に満ちた瞳に、ほんのかすかに浮かぶ感情に、私は少しだけ嫌な気持ちになった。
そんなに自分で解決したいのならば、グレンに通報させたのはまずかったのではないのだろうか。
「グレンは、あれでなかなか分かっている男だ。私の意図を汲んで、私が騎士団や組合に先んじられるように計らってくれていることだろう」
そんなことを言いながら歩いていると。
突然大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
「ここはもう、我々組合が作業中なのだ!下がって頂こう!」
「ふざけるな!たかが雇われの雑兵が!」
教会から、お屋敷へと戻る道の途中。
往来のど真ん中で、立派な鎧に身を包んだ騎士たちと、巨大な寸胴鍋のような鎧を着込んだ男たちが向かい合っていた。
寸胴鍋の方は、その声に聞き覚えがあったが・・・。
「ゲド?一体何をやっているんだ」
「あ、これはお見苦しいところを!」
寸胴鍋の一体が、こちらを向いて背筋を伸ばした。
同時に、その周囲の五体の寸胴鍋たちが背筋を伸ばし、『コンチャーッス!』と挨拶をしてきた。
ああ、以前あったゲドの弟子たちか。
こんなところで何をやっているのだろうか。
「いやあ。危険な魔法陣が街中に設置されていると通報を受けまして。組合員が総出で、捜索と除去作業に当たっているのです」
そう言いながら、ゲドは身に纏う寸胴鍋をコンコンと叩いた。
そういえばこの装備、受像機でみたことがある。
たしか、強力な魔法の罠を解除する際に、作業員の身を守ってくれる特別な装備だ。
「それは我々騎士団も同じこと。善良な市民からの訴えにより、我ら騎士団や衛兵たちが全力で、街中くまなく探し回っているのだ」
ゲド達とは対照的に、とても美しい鎧に身を包んだ騎士たちが一斉に頷いた。
そして再び、騎士団と組合のにらみ合いが始まった。
師匠。
どうやらグレンは、とっくに組合と騎士団の両方に駆け込んでしまっていたのでは?
師匠は頭を抱えて大声を上げた。
「あの馬鹿蜥蜴め!今度会ったら、鱗を全部引っぺがしてやる!」
・・・?
何を言っているのだ、師匠は?
「いや、失礼。少し取り乱した」
師匠はいつもの無表情だった。
しかし少しだけ、肩が上下していた。
それで、師匠。
結局一歩先んじるというのは、できそうなのだろうか。
「・・・なんの。何事もやってみなければ分からないさ」
とりあえずお屋敷に戻ると、それを見計らったように師匠の懐にある通話装置が震え出した。
また、グレンからの伝文であろう。
私は師匠の通話装置を持った方の腕に飛びつき、無理やりに見えるように引き下ろした。
師匠が私にまとわりつかれながらも、ぎこちなく突起を押して操作をすると、伝文と共に一つの画像が浮かび上がった。
「ええと、なになに。『魔法陣が発見された位置情報ですよ』・・・?」
その伝文に添付されていた画像は、街の地図であった。その地図上には、赤い点がいくつも浮かんでいた。
「成程。騎士団と組合をたきつけて魔法陣を探し出させて、その位置情報を集めていたのか」
おお、すごいぞグレン。
なんだか間諜みたいじゃないか。
いったいどうやっているんだか。
それにしても、グレンを放り出してから精々二時間程度しか経っていないというのに、すさまじい捜索能力だ。
騎士団も組合も、魔法に精通した職業人を何人も抱えている。
彼らを総動員しているにしても、その組織力には舌を巻く他ない。
「ふむ。この情報どおりなら、街のほぼ全域に魔法陣が分布しているね」
地図を見ながら思案する師匠に、私も追随した。
しかし、ぽっかりとあいた地区がある。
「ここだけが、まだ未捜索なのか?」
でも、師匠。
それ以外では、街のほぼ隅の部分でも魔法陣が見つかっている。
これは、意図的にここだけが仕掛けられていないのでは?
「・・・いったいなぜ?」
分からない。
でも、ほかに手掛かりになるような要素は見当たらない。
「君の言うことは正しい。ならば・・・」
ここに、行ってみるべきだ。
私と師匠は、件の魔法陣が一切仕掛けられていない地区へとやってきていた。
ちなみに私は愛用の剣を背負い、師匠はお屋敷で着替えを済ませ、いつもの冴えない服に剣を携えていた。
なんだか見覚えがある場所だった。
はっきりとは思い出せないが。
周囲に高い建物がない、開けた場所。
特に、目を引くようなものはない。
温かい日差しを受けながら、のんびりと散歩をする人々。
仕事中なのか、忙しそうに歩く男。
球を蹴ったり投げたりして遊ぶ子供たち。
ここは、平和だ。
「一体、ここに何があるんだ?」
師匠は無表情のまま、せわしなく視線を周囲に向けていた。
必死になって、“何か”を探している。
その、不死人につながる何かを。
師匠。
少し落ち着いてほしい。
「大丈夫だ。私は落ち着いているさ」
師匠は言いながらも、私とは目線を合わせようともせずに歩き出した。
とはいえ、何か当てがあるような歩き方ではない。
落ち着きなく歩き回るその姿は、いつもの冷静な師匠とはかけ離れていた。
ゲドと騎士たちのいざこざを目にしてから、明らかに様子が変わっていた。
自分が最初に、その不死人とやらに到達しなければならないと焦っているのだろう。
師匠!
ちょっと待ってほしい!
私は師匠の腕を両手でつかみ、無理やりに自分に体を向けさせた。
この地区が怪しいのは確かだが、だからと言って明確な根拠など何もない。
ここは落ち着いて、ゆっくりじっくり探すしかないのだ。
私のそんな提言に対して、師匠はなぜか、呆れるようなため息をついた。
「君は分かっていない。奴らはとても危険な存在なんだ。早急に、一人残らず、地獄に叩き落とさねばならない」
そう言って私の顔を見つめる師匠は、いつもの無表情だった。
だが、違う。
その瞳からは、怒りのような、狂気のような、妄執のような、あるいはそれらすべてを内包したような異常な気配を読み取れた。
その恐ろしい気配に押され、私は思わず後じさった。
違う。
こんなの、いつもの師匠ではない。
あの大悪魔だかなんだかの客人のときもそうだったが。
こんな師匠は、嫌いだ。
大嫌いだ。
「・・・そうか」
一瞬だけ、その瞳に失望と後悔の念を浮かばせた師匠は、それだけを言って私に背を向けて歩き出した。
何処へ行こうというのだろうか。
「君はそこで休んでいなさい。私は、手掛かりを探す」
師匠を拒絶し、同時に師匠から拒絶されてしまった私は、ひどく落ち込んだ気分で周囲を探索していた。
いや、探索などではない。
ただ、いじけていたのだ。
師匠は謎の多い人だ。
時折意味の分からないこと言っては、私を混乱させる。
私は、師匠がこれ程に執着する過去のいきさつについて、何もしらない。
だが、私はそれでもいいのだ。
ただ師匠には、今を見て生きてほしい。
過去のことに拘るのではなく、現在の、私としろすけとの生活を大切にして欲しいのだ。
昔のことではなく、これからの楽しい出来事について考えてくれれば、それでいいのに。
ごちゃごちゃと考えながらぶらぶらと歩いていると、なんだか見覚えのある場所に出た。
古くなった、石造りの教会。
窓硝子は割れ、庭は荒れ放題になっており、入口には『立ち入り禁止』の看板と縄が張られていた。
以前、師匠を追跡してたどり着いた、地下施設へとつながる秘密の場所だ。
そう言えばここでも、師匠はなにやら意味の分からないことを言っていた。
ただ一つ、感じ取れたのは、昔の出来事をひどく懐かしんでいるということ。
私のことなど、目にも入らないくらいに。
私はそれが、我慢ならない。
私も師匠も今を生き、未来へと向かって歩いているというのに・・・
「やあ、お嬢さん」
穏やかな声が、悶々としている私の背後からかけられた。
振り向くと私の目の前に、老人と、少年がいた。
「なんだか今日は、えらく騒がしいね」
その老人は、とても優しい笑顔で話しかけてきた。
とてもやさしい、私を見つめるその瞳。
私の師匠とは大違いだ。
とても、こころが休まる・・・
おじいちゃんと、その孫だろうか。
少年の方は、私よりも年下のように見えた。
「来る・・・」
その少年は、小さい声で何かをぶつぶつと呟いていた。
「奴らが、来る・・・」
どこを見ているのか、良く分からない。
ただただ、ぼうっとしながら意味の分からないことを呟いている。
やつら?
いったいなんだろうか?
「ああ、気にしないでやっておくれ。なにやら疲れているようなんだ」
老人のほうは、そんな少年の頭を撫でながら、優しく私に語り掛けてきた。
そうか、疲れているのか。
ならば、仕方がない。
私は静かに頷いた。
「お嬢ちゃんは、一人で来たのかい?」
いいや。
師匠と一緒だ。
私は静かに首を振った。
「そうかい。では、お嬢ちゃんのお師匠様は近くにいるのかい?」
そうだ。
私の師匠は、私をほったらかして、そこいらをうろついているのだ。
私は静かに頷いた。
「そうかい。では、行こうか」
分かった。
行こう。
私は静かに頷いた。
そして、老人に手を差し出した。
老人は、私と少年の手を取り、ゆっくりと歩き出した。
老人は優しく微笑みながら、呟いた。
「おお、我が偉大なる“常闇の腹心”。その大首領に、栄光あれ」
私も、それに倣って呟いた。
とこやみのふくしん。
そのだいしゅりょうに、えいこうあれ。