第31話 職業選択について
私の師匠は、狂信者である。
「どうして君はそうも、悪し様に言うんだい」
師匠はいつも通りの無表情で非難した。
その手には、分厚い書物がいくつも抱えられていた。
いずれも聖職者や奇跡、そして神話に関する本である。
朝食の後、良く分からないうちに一冊読まされて、なんだか嫌な予感がしていたのだ。
ふざけないで欲しいものだ。
勝手に私の将来について決めようとして、さらにそれが聖職者だなどとは。
「私の職だって、一応聖職者に分類されているんだよ」
そのように胸を張って無表情で言う師匠を、私はしげしげと眺めた。
大食らいで、大酒飲みで、乱暴者で、無神経で、甲斐性なしで。
こんな生臭坊主が、私のような乙女を同じ道に引きずり込もうというのだ。
これが狂信者でなくて、なんなのか。
「いや、私の主神は食べることや飲むことを否定しないんだ。それに私は、君の将来のことを考えて言っているんだぞ。どこが無神経で甲斐性なしなものか」
何というか、最近の師匠は自己弁護をする機会が多い気がする。
嫌な師匠だな。
「まあ、そういう訳で。君にはこれから奇跡の勉強もしてもらう」
えっ!?魔法の勉強を!?
「いや、奇跡の勉強だ」
魔法の勉強だなんて、私にできようはずがない!
「いや、だから奇跡を」
全体、私の魔法士としての素質は並み程度だと、師匠がそう言ったではないか!
「奇跡・・・」
書物を抱えたまま、だんだんとしおれていくような師匠を見て、私は嘆息した。
魔法とは、使用者が自らの精神力で世界に干渉する技術である。
素質は当然必要だが、血の滲むような努力と研鑽を重ねなければ、高位の魔法は使えない。
そのために、学院という魔法士を育成する陰気な施設があるのだ。
ちなみに、あまりにその道を究めすぎると、不死人になってしまうらしい。
奇跡とは、使用者が神々から力を借り受ける業である。
努力というよりも、どれだけ敬虔に生きるか、善い行いをするかで高位の奇跡を使えるようになる。
そのために、聖職者たちは日々を謙虚に生き、煩わしい祈りを捧げるのだ。
ちなみに、あまりにその道を究めすぎると、新たな神の一柱になってしまうらしい。
前者は先天的な才能が必須だが、神などという信用できない連中の力を借りなくて済む分には、奇跡よりもましに思える。
まあ、私にとってはどちらも同じ。怪しげな力だ。
不自然な力なんて、使わなくていいならその方がよいのだ。
「いやいや。魔法のおかげで、生活は便利だろう」
確かにその通りである。
この居間を照らす光や、師匠の愛用の調理器具の数々。
各家庭にある冷蔵魔法庫や受像機、それに私の愛用の写真機。
先日購入してもらった新型の携帯型通話装置だって、最先端の魔法技術の結晶だ。
さらに言えば、熟練した戦士たちが使用する武器防具の類には、漏れなく様々な魔法が添加されている。
ふむ。
だったらやはり、魔法士になる勉強をする方がよいのだろうか?
「いやいやいや。君が怪我をしたときには、私が傷を治してあげているだろう。あれだって奇跡なんだ」
確かにその通りである。
私が鍛錬や依頼の最中に負った傷は、師匠が立ちどころに癒してしまう。
他にも、お金がなくてお医者や教会に行けない貧乏人には、治療をしてあげることがあった。
無論、タダで。
そんなことをするくらいなら、いっそこの街すべての病人・怪我人を奇跡で癒してあげればよいのに。
「そんなことをしたら、経済が破綻してしまうよ。私が救うのは、あくまでも自らにその力がない者だけだ」
やっぱり聖職者なんてのは偽善者だ。
奇跡の勉強も、聖職者になるのも御免だ。
「しかし君は、本当に神々や聖職を嫌うな」
当たり前のことである。
私が故郷で悲惨な目にあったのは、村の無思慮な神父が扇動したためだった。
原因は私の父のおぞましい行為だったのは確かだが、だからと言って聖職者を名乗る人間に吊るし上げられたのは、未だに私の心の傷になっている。
そもそも、私がそんな境遇になってしまったのも、神々が救ってくださらなかったからではないか。
そんな神だの聖職者だのを信用することなどできないし、あまつさえそれと近しい職に就きたいなどとは思えないのだ。
「それはまあ、当然か」
右手で書物の塔を支えながら左手で首筋をなでる師匠のその姿は、何かの抽象画を思わせた。
・・・まあ、救ってくれた師匠には感謝している。
だから、師匠のようにまともな聖職者がいることも、まあ認めても良い。
「ありがとう」
師匠はなぜだか礼を言いながら卓の上に書物を置き、私の対面の椅子に座った。
「ああ、それと。聖職者と一口に言っても、様々な職種が含まれているんだ」
師匠は、湿っぽい空気をとりなすように言った。
あるいは、照れているのだろうか。
だとしたら、少しうれしいのだが。
「この際、少しは違いについて知ってもらいたいのだが」
ふむ。生臭坊主にもいくつか種類があるのか。
師匠、説明。
「はい。まずは、君の大嫌いな神父だ。これは教会の祭事や村で子ども達の教育なんかを引き受ける、司祭のことだね。加護を受ける神々によっては、牧師とか神主とか住職なんて呼ばれる」
興味ない。
次。
「はい。次は、修行僧だ。新たな神の一柱にならんがために、日夜様々な修行を行い、善行を積んでいる。自分の主神への信仰心を広めるために、伝道する者もここに含まれるかな」
めんどくさそう。
次。
「はい。後はまあ、私と同じく聖戦士だ。世のため人のために、悪と戦う人間だね」
そう言って師匠は、きりっと老眼鏡をかけた。
なんでちょっと誇らしげなのか。
「それはもう、弱き人々のために戦うという尊い職に就いていることが、誇らしくない筈がないだろう」
そんな誇らしい聖戦士様が、対価として弱き人々から金を貰うというのはいかがなものなのだろうか。
「それは君。お金がなければ生きてはいけないからだよ」
師匠はちょっと目をそらした。
少しばかり、後ろめたさを感じてはいるらしい。
では、せこせこと金勘定したり自炊したり、連続戯曲を欠かさず視聴したり泥酔したりするというのは、偉大なる聖戦士様としてはいかかがものなのろうか
「いや、それはまあ、私の個人的な趣味趣向なので・・・」
師匠はちょっとうつむいた。
少しばかり、外聞を気にする感情があるらしい。
「まあ、聖戦士にもいくつか種類があるんだ。大別すると、私のように個人としての戦士と、公務員としての騎士がある」
騎士。
それは、街に認められた警察力兼軍事力の象徴である。
平民のみからなる衛兵たちとは違い、騎士はその出身者のほとんどが貴族だ。
その中でも聖騎士ともなれば、騎士の中でも頂点に位置する、街の子どもや女たちの憧れの的である。自らがなりたいというものと、近親者になりたいというものの二つの意味でである。
私としては、前者の立場であった。
「おお、聖騎士に興味があるのかい」
無表情ながら少しばかり嬉しそうな口調になった師匠から、私はちょっと顔をそらした。
ええ、まあ、一応。
これでも夢見る女の子なので。
なってみたいとは思います。
「うん?まあ、聖騎士を目指すのなら喜んで手助けするよ」
師匠はいそいそと、卓の上から書物を選び始めた。
急にいきいきとしてきたなー、などと思っていると、師匠は分厚い書物をずんずんと私の前に並べていきながら言った。
「そうだな、まずは神話聖書の暗唱と礼儀作法の体得。それと、法典で神の法と街の法のどちらも覚えなくてはならない。それと・・・」
やっぱりやめた。
冗談じゃない。
「他にも免許を・・・って待ちなさい、君」
席を立った私を、師匠は慌てて呼び止めた。
いや、本当に冗談ではないのだ。
私はただでさえたくさんのことを勉強している。多種族の言語や文字などだ。
最近ではニホン語の読み書きの練習も始めて、とても苦労している。なにせ三種類の文字を同時に使用しているので、それらの書き方と読み方と意味をいちいち覚えるのが本当に大変なのだ。
中でも面倒なのが、カンジという文字だ。
何やら同じ読み方なのに意味が違ったり、線の引き方ひとつとってもややこしい。
かと思えば、習ったものとは全く違う書き方の字体がいくつもあって、訳が分からないのだ。
必死に異界の少年たちとの文通のために練習しているのに、それに加えて法律だの神話だのの勉強なんて、やっていられる訳がない!
「まあ、待ちなさい。何も今すぐ、すべてを覚える必要はない。そもそも、騎士になるための訓練施設に入れるのは十六歳になってからだ」
なんだ、そうなのか。
私はちょっと安心して席に戻った。
でも結局、その訓練施設に入ったらたくさんの勉強をしなければならないのだ。
そんなに頑張ってもいいことなさそうだなあ。
「それに、聖騎士ともなれば街の公務員のなかでも選良職だ。当然、すさまじい額の給金が支払われるぞ」
どうだい、と私の顔色を窺う師匠を無視して、私は天井を見上げてうなった。
なるほど、お金をいっぱい貰えるのか。
そしたら、欲しいものを我慢せずに買えるかな。
私は、現在欲しいものを頭の中に思い浮かべた。
受像機に接続する録画装置。
化粧品。
一流企業の装飾服。
しろすけの伴侶。
甘乳の生菓子。
お金がいっぱい貰えれば、欲しいものがいっぱい買えるな。
・・・じゃ、やっぱり目指そうかな、聖騎士。
「・・・。やはり君に聖職者は・・・」
聖職者は?
「いや、別に」
「ところで、めんきょってなんですか」
「騎乗免許だよ。馬と違って、さらに強力な生物に乗ることになるからね」
「どんなせいぶつなんですか」
「しろすけのような亜龍や、鷲獅子などだ。いずれも戦闘力で軍馬を凌駕する」
「おお、それならせいきしをめざして、わしじしをかってもらう!」
「ああ、うん。やはり聖騎士はやめておこうか」
「・・・」