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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第2話 日課について



 私の師匠は、横着者である。


 「ご挨拶だな、君」


 師匠はいつもの無表情のまま、口調だけはいかにも不満といった様子で言った。

 だが、これは純然たる事実である。


 「そうは言うがね。これは、君と私の日課なんだ」


 そう言いつつ師匠は、私に鍛錬用の木剣を手渡した。

 私はしぶしぶとそれを受け取った。


 「君こそ、横着せずにしっかり鍛錬しなさい」


 そう言って師匠は、せまっ苦しい小屋の扉から外に出た。

 私も木剣を担いで、のろのろとそれに従った。


 外はしんと静まり返っていた。日中は人通りが多く喧騒に包まれ、時にはど突き合いなどでお祭り騒ぎになることもあるが、今は静寂の支配する世界だ。


 歩きなれた道のりを進むと、広場に出た。そこには、まだ準備もされていない露天がいくつか並び、中心部には井戸があった。

 当然ここにも人影は無い。

 

 そろそろ空がうっすらと白み始める中。私達の日課が始まった。


 私と師匠の、二人っきりだ。


 街の人々は今しばらく眠りを楽しみ、労働に備える。

 家々の屋根にとまっている鳩たちも身を寄せあい、時折こちらに目を向けるばかりだ。


 こんな静かな時間に、私達は毎日欠かさずに二人だけで行う日課があるのだ。

 

 しかしながら、私と師匠のやることは違う。

 私は剣の素振りで、師匠はお祈りだ。


 唸る私を尻目に、師匠はその場に跪いた。

 そしていつものように、ぶつぶつと何事かを呟いた。


 私にばかりつらいことをやらせて、自分は楽なことをする。これが横着者でなくてなんなのか。

 師匠の嫌いなところだ。


 しかも神へのお祈りというのが一層気に入らない。


 神の慈悲があまねく無辜の人々にかけられるというのならば、私はまだ暖かい寝床にいるはずだというのに。


 「早くやりなさい」


 私に背を向け跪いたまま、師匠が言った。


 私は舌打ちをしながら、素振りを始めた。


 一回、二回、三回。


 唐竹、袈裟切り、逆袈裟。


 上段、中段、下段。


 構えを変え、握りを変え、足の位置を変え、時には姿勢を変えて。

 師匠に教えられた手順の通りに、私は木剣を振った。


 最初の方はあまり力を込めない。軽く身体をほぐすためだ。

 いきなり力いっぱいに身体を動かすと、筋やら間接やらを痛めてしまう。


 ゆっくりと時間をかけて入念に準備運動をすると、本格的な素振りに入った。


 目の前に敵がいるつもりで、木剣を振るう。


 それはかつて戦った強盗だったり、あるいは野犬だったり、小鬼だったりした。

 そいつらがふるって来る剣を、牙を、槍を防ぎ、あるいはかわしながら、自分の剣をたたきつけた。


 体中にじんわりと汗をかき、呼吸が激しくなってきた頃に、私はふと手の中の木剣を見た。


 今私が握っている木剣には、いくつかの重りが付いている。

 実戦で使っている片手剣と、ほとんど同じ重さにするためだ。


 『軽い道具ばかりを使って練習を続けていると、本番で手ひどい失敗をするんだ』

 

 命に関わることもあるんだぞと、師匠は私の木剣に瓶を六つほど、いやに丁寧にくくりつけながら言ったのだ。

 

 私は一息つきながら、まじまじとくくりつけられた六つの瓶を見た。

 それらは暗褐色の硝子で出来ているため中身を看破することはできないが、どうやら何かの液体であることは窺い知ることができた。


 これらを一つも割らずに素振りを終わらせる。

 それが、師匠の出した本日の課題である。


 ちら、と師匠を盗み見ると、昨日の早朝と変わらぬ背中がそこにあった。


 私は沸いて出た好奇心にあっけなく負けてしまい、こっそりと素振りを中止して瓶に触れた。


 すると。


 ぞわぞわっ。


 突如、全身の毛が逆立った。

 体中の筋肉が強張った。

 私の倍はありそうな巨大な魔狼に跳び付かれた、あの時と同じだった。


 思わず私は、師匠の方へと振り返った。

 そこには、変わらずお祈りを続ける背中があった。


 いつの間にか恐怖感が嘘のように消えてしまっており、私は首をかしげた。


 不思議に思いつつも、再び瓶に触れようとした。


 すると。


 ぞわぞわぞわっ。


 またも、全身の毛が逆立った。

 しばし呼吸が止まり、冷や汗がどっと噴出した。

 私の倍以上はありそうな毒蠍の尾針を、かろうじて剣で受け止めることが出来た、あの時と同じだった。


 私は恐る恐る、師匠の方へと振り返った。

 やはりそこには、変わらぬ背中があった。


 そうだ。

 この感覚については、師匠から学んだことがあった。


 師匠が言うには、魔物や動物ほど鋭敏ではないにしても、人間には五つ程の『感覚』というものがあるらしい。

 それらを上手く使えば、自身の脅威となる存在を感じ取ることができるのだそうだ。

 師匠はそれを、『相手の殺気を感じるとでも覚えておけばいい』とも言っていた。


 恐らくこれが、その『殺気を感じている』状態なのだろう。

 誰あろう師匠からの殺気をだ。


 だとすると、ひょっとして師匠は私を監視しているのだろうか。

 いや、そうに違いない。

 日課だなんだと言いつつ、結局本気でお祈りなどしていないのだろう。


 そして、私が鍛錬を怠けようとする様子が見えたら、こうして声ではなく強烈な殺気をぶつけてきているのだ。

 

 得体の知れない神などではなく、自分を気にしてくれていた事実に、なぜだか怒るよりも少しだけ喜びが湧き上がった。

 そして私は、ちょっとしたいたずらを思いついた。


 こっそりと師匠に忍び寄ることにしたのだ。


 私の鍛錬を監視しているのならば、そのうちに振りむいた師匠と目がばっちり合うはずだ。

 そうしたら、盛大にからかってやろう。


 そんな思いを抱いて、静かに静かに歩み寄った。


 一歩、二歩、三歩。


 抜き足、差し足、忍び足。


 足音を殺し、息を殺し、気配を殺して、私は師匠へと近づいていった。

 

 しかし、一向に師匠が私を盗み見る様子はなかった。

 

 あれだけ殺気をぶつけたのだから、もう真面目に鍛錬を続けるだろうと考えているのだろうか。


 

 そのまま二人の目と目が合うこともなく、とうとう師匠は私の木剣の間合いに入ってしまった。


 まさか、まったく私の方を見ていなかったのだろうか?

 そんな疑問が頭をよぎった。


 そこで私は、さらなるいたずらを仕掛けることにした。

 

 そもそも鍛錬とは、実戦に向けて行うものである。

 ならば一切気づかれずに接敵し、止めの一撃を放つための鍛錬だって必要だ。


 私は音も無く、木剣を大上段に振りかぶった。

 狙いは師匠の後頭部だ。


 普段から実力者として振舞って、偉そうにうんちくを垂れているのだ。

 ならば、この程度の攻撃は簡単にかわせる筈!



 若干緊張しつつ、私は唾を飲み込み、唇をぺろりとなめた。

 そして私は体重をかけ、剣の重さと膂力を使って渾身の一撃を見舞った。





 木剣は。

 



 私の狙い通りに。

 



 師匠の。

 



 その無防備な後頭部に。

 










 命中した。









 ごんっ

 

 という大きな音が、広場に響きわたった。


 屋根にとまっていた鳩たちが驚き、一斉に飛び立った。


 私は数秒の間を置いてから。


 木剣を担いで、全力でその場から逃げ出した。





 街の人々が起きだしてくる頃に、恐る恐る井戸端へと戻ると。

 師匠はその場をまったく動かずに、まだお祈りを続けていた。






 「よし。一つも割らずにできたね」

 「も、もうすっぽぬけたりなんかしませんっ」

 「よしよし、いい子だ」

 「ふんだ。ところで、このびんのなかはなんですか」

 「牛酪のもと」

 「・・・」

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