第21話 恒例行事について
私の師匠は、中毒者である。
「君、いくらなんでもそれは酷いだろう」
買い物客でごった返す食料量販店の一画で、師匠は買い物籠一杯に瓶を詰め込みながら無表情に非難した。
しかし師匠が今手に持っているものこそが、それを事実と証明してしまっているのだ。
「しかし、これはただの・・・」
酒である。
大量の酒である。
つまり師匠は、酒精中毒者と言うわけだ。
「いや、依存するほど飲むわけではないよ」
その通りである。
師匠は、その辺の飲んだくれのように毎日毎日浴びるほど酒を飲んだりしない。
普段はせいぜい食後に一杯、嗜む程度だ。
「分かっているじゃないか」
しかし、今日と言う日だけは違う。
一年に一度、月が最も美しい日。
この日だけは、師匠は浴びるほどに酒を飲む。
「別にいいではないか、一日くらい」
いいはずが無い。酒など、行政が公認した麻薬に過ぎないのだから。
「酒は百薬の長なんだぞ」
まったくその通りだ。薬というのは、毒を薄めて作るもの。つまり酒は、全ての毒の頂点になりうるということでもあるのだ。
「暴論だ。別に誰かの迷惑にはなっていないだろう」
路上喫煙者のような言い訳をする師匠は、私から庇うように酒瓶の入った籠を背中の方へと隠した。
大体、迷惑にならないというのは大間違いだ。
酔った師匠の介抱をさせられる私は、確実に迷惑をこうむっているというのに。
「なんと言われようと、買うと言ったら買うのだ」
師匠はそそくさと金銭登録区画へと向かった。当然、大量の酒瓶を抱えたままだった。
師匠。
「なんだい」
気持ちが悪いので、その下手糞な歌を止めて貰いたい。
「おっと、失礼」
師匠は無表情に答えて、何十年か昔に流行した歌を下手糞に歌うのをやめた。
そして代わりに、鼻歌を歌いだした。
無表情のまま鼻歌交じりに包丁を手入れするその姿は、さながら恐怖映画の一場面であった。
「すまない、すまない」
師匠は私の皮肉を軽く流して、夕食の後片付けを続けた。
食料量販店から帰ってきてから、ずっとこの調子である。
いつもよりも簡単な夕食の最中も、あまり味わいもせずにさっさと口の中に放り込んでいる感じだった。
無表情だというのに、他人が見たって分かるくらいに上機嫌なのだ。
それも当然である。今日は、師匠にとっては一年に一度の大切な行事のある日なのだ。
今日は、一年の中で月が最も美しく輝く夜の日。
街でも夜空に浮かぶ月を肴にした宴会や逢引が、恒例行事として定着していた。
だが、師匠の場合はちょっと違う。
毎年この日は、一人酒を楽しむのだ。
しかも、飲む量が尋常ではない。酒に相当強いらしく、平気で数十本の酒瓶を空にするほど飲み続ける。
そして必ず、次の日の朝には綺麗さっぱり前日の醜態を忘れてしまうのだ。
酔いつぶれた師匠の世話をするのも、私にとっての恒例行事になってしまっていた。
「さあさあ、ここからは大人の時間だ。子どもはもう寝なさい」
後片付けを終えた師匠は私を邪魔そうにあしらうと、縁側の戸を開けて、いそいそと宴会の準備に入った。
大量の酒瓶を縁側に並べ、鼻歌交じりに夕食と一緒に準備していたつまみの数々を器に盛る。
美しい月夜を背景にしてそれら一切を無表情にやるものだから、その絵面の不一致さは凄まじい。
これも毎年恒例の場面だった。
こうなると師匠は、私が何を言っても上の空になってしまう。
まあ、受像機の競争相手がいなくなる分には構いはしない。
私は師匠の指示を無視して寝椅子へと身体を投げ出し、受像機を起動した。
どうせ明日は休みだし、師匠のお世話もあるのだ。
とことん夜更かししてやろう。
三時間程たっただろうか。
お気に入りの番組を見終わって受像機を停止させると、私は大きく伸びをした。
そして後ろを振り向くと、相変わらず師匠が一人の大宴会を続けていた。
師匠は美しい月を眺めながら、ぐいっと硝子の器をあおった。
琥珀色の液体で満たされていたそれが空になり、師匠はぶはっと親父臭く息を吐いた。
すでにしこたま飲んだようで、空になった瓶が数本ほど雑に並べられていた。
「レーオーンー。ちょっと貰うぞぉー」
師匠はそのように虚空に向かって呟いて、綺麗に並べられた四つの器の一つに手を伸ばした。
何が『もらうぞぉー』だ。
すでに相当酔っているらしい。
普段は私に、「ものを食べる時には行儀よくしろ」と言うくせに、自分は手づかみでつまみを食べていた。
しかも、先程食した晩御飯のおかずよりも明らかに手が込んだ品だった。
弟子との夕食よりも、自分ひとりだけの楽しみのために注力するなんて、まったく嫌な師匠だ。
大体、何でわざわざ同じつまみを複数の器に分けて盛ったり、手をつけない硝子の器に酒を注いでいるのか。
酔っ払ってごっこ遊びでもしているらしい。
私は正体をなくしつつある師匠を見ていられなくなり、二階に上がって自室へと引っ込んだ。
だが、まだ眠るつもりは無かった。
まだ読み終わっていない雑誌があるのだ。
師匠もまだまだ飲み続けそうだし、もうちょっとばかり時間を置いてから様子を見に行くとしよう。
私はしおりを挟んでいた雑誌を手に取り、机上の時計を確認した。
日付が変わるまで、後一時間とちょっとという時刻だった。
すでにしろすけは、私の寝台の上で寝息を立てていた。
私は軽く欠伸をしてから、雑誌を開いた。
そんな時に。
かちゃん。
何かが割れるような音が聞こえた。階下からだった。
眠気を感じていた私は一気に覚醒し、寝台をそっと跳び下りた。
同じく異常に気づいて目を覚ましていたしろすけを伴い、私は愛剣を引っ掴んで静かに自室の扉に耳を当てた。
もう、音は聞こえない。
下では師匠がまだ飲んでいる筈だが、動いているような気配がなかった。
つまり、何かを壊してそれを始末している、ということはない。
しろすけは落ち着いているので、何者かが侵入してきたとは考えづらいが・・・
私は念のために音を立てないように、注意を払って扉を開けた。
扉から顔を出して周囲を窺うが、妙な気配は一切なかった。
思い切って部屋をでると、私は足音を殺して階段を下りて行った。
当然居間には明かりがついていた。やはり師匠は、まだそこにいる筈だ。
そっと居間を覗き込むと、縁側が見えた。
そして、そこに横たわる師匠の姿も。
私は血の気が引く思いで、師匠へと駆け寄った。
そして、すでに空になった器やひっくり返った酒瓶を下敷きにしている師匠に取り付くと、必死に身体を揺すった。
「う・・・ん」
師匠がごろりと仰向けになた。
うわ、酒臭い。
しろすけが顔を背けて、二階へと退散した。
私は呆れ果てて、師匠の頬を引っぱたいた。
言わんこっちゃ無い!
去年もこうして飲んだくれて酔いつぶれて、結局朝まで外で眠りこけていたではないか!
「大丈夫だぁ・・・酔ってないぃ・・・」
顔を真っ赤にしながら、師匠は世界一信用の置けない台詞を吐いた。
この酔っ払い親父め!
この若さでこの体たらくでは、将来が実に楽しみだ!
師匠がこのような状態になるのも毎年恒例のことだった。
いい加減にうんざりしていた私は、また今年も放っておいてやろうかと考えた。
しかし、ここは以前の貧民住宅街ではない。
庭先で、酒瓶を抱きかかえて倒れている師匠をご近所さんに見られたら、もうこのお屋敷で生きていけそうにない。
私は嘆息して、師匠の重たい身体を背負った。
「うぅ・・・ごめんよぉ」
師匠の弱々しい声が、耳元から発せられた。
普段なら、弟子の私にこのような情けない姿を見せることなど絶対しないのに、一年の内一日だけは必ずこうなるのだ。
毎年毎年ぐでんぐでんになるまで酔っ払って、一体どういうつもりなのか。
そのまま私は、身長差のせいで師匠の足を引きずりながら、師匠の部屋を目指した。
師匠の部屋は一階なので、さほど苦労せずにたどり着いた。もしも二階だったならば、階段あたりで放置することを選択しただろう。
師匠の部屋に入ると、私は即座に寝台の方へと向かった。そして寝台の前でくるりと反転すると、背負っている師匠を寝台の方へ向けて、そのまま私ごと師匠の身体を寝台に投げ出した。
ぼすんという音と共に、寝台は深く沈みこんで師匠の重たい身体を受け止めた。同時に、ちょっと汗臭い師匠の臭いが散らばったように感じた。
酒臭いし汗臭い。
まったくろくでもない男だ。
私はさっさと部屋に戻ろうと、掴んでいた師匠の腕を払いのけようとした。
しかし。
「行かないでくれ・・・」
一瞬私は、何がなんだか分からなくなった。
師匠が私を、突然抱擁したのだ。
力強く暖かい師匠の身体が、私の細い身体に密着してくるのを感じた。
顔から火を噴きそうな思いで、私は師匠の腕を振りほどこうともがいた。
しかし太くたくましい二本の腕は、私を捉えて離さない。
うわわわわ。
どうしよう。
心の準備が。
私が師匠の腕の中でその瞬間を待っていると、師匠が私の耳元でそっと呟いた。
「アリシアさん・・・」
だ れ だ そ れ は ! ?
私は後頭部を思い切り振るって、師匠の鼻っ柱にぶつけた。
「はぐっ」
間抜けな声とともに、私を拘束する師匠の腕の力が弱まった。
即座に私は、師匠の身体を蹴飛ばすようにして汗臭い寝台から飛び出し、鼻息も荒く部屋の出口へと歩き出した。
まったく、冗談ではない。
どこぞの馬の骨と勘違いされて、抱き枕にされるなど御免だ。
とっとと自室に戻ろうとすると、背後から微かな声が聞こえた。
「すまない、アリシアさん・・・」
師匠の部屋の扉を閉める瞬間。
私は師匠の顔を一瞬だけ目にした。
涙が、こぼれていた。
「ししょう」
「なんだい」
「ありしあさんってだれですか」
「それは勿論、神様の名前だ。有名だよ」
「・・・」