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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第206話 崩壊


 深い深い洞窟の中。


 過去に野生動物の住居か何かだった筈のそこには、今や空気が揺らめくほどの熱気と、異様な腐臭が溢れていた。

 

 洞窟を満たすそれらの源は、壁や床のいたるところに空いた無数の穴の中でたかれている火であろう。ただの火ではない。近年、さるアークデヴィルによって発明された、“地獄の業火”という新しい熱力量である。

 

 文字通りに地獄という次元界から直に引き出した力であるそれは、本来は罪人の魂を焼くために使われているものだ。しかしこの地上においては、地獄に連なる存在を呼び出すための儀式にうってつけの触媒となる。


 特に、この火を開発した者を召喚するには・・・


 「地獄の業火の主よ、九圏を治めるアークデヴィルの一柱よ。我が呼び掛けに応えよ。“悪意者の地獄”より出で、その炎の力を我に与えよ!」

 

 突如、洞窟の中に声が響いた。酷くしゃがれているが、力強い女性の声だ。

 するとそれに反応して、無数の穴から一斉に炎が噴き出した。ほの暗かった洞窟内部が真昼の様に明るくなり、声の主の姿が露になる。


 黒い一枚立ちの衣服に、てっぺんがとんがっている特徴的な帽子。そして、手の中にあるのは杖だ。


 魔法士の様な装いであったが、一概にそうとは断言できない。


 何せその女性は身体を丸め、杖を支えにして、まるで老婆のように立っていたからだ。


 「顕現せよ、メフィストフェレス!」


 整然とした文字列で描かれた、ともすれば几帳面な造りと評せる魔法陣のど真ん中で、その女性は震える身体を抑えながら懸命に叫んだ。


 地面がぐらぐらと揺れ、穴から吹き出す炎が一層強くなる。やがて洞窟の中が“地獄の業火”で完全に満たされ、女性がそれに包まれた時。


 『・・・・・・承った』


 ごうごうと燃え盛る火炎の中から、穏やかな声が響いた。

 

 と、同時に。


 業火の勢いが弱まり、洞窟の中がにわかに静けさを取り戻す。


 やがて魔法陣の上に現れたのは、炎に舐められたというのに全くの無傷である女性と、その眼前に立つ怪物であった。


 「呼び掛けに従い、このメフィストフェレス、参上いたした」


 そう宣言したのは、正にデヴィル。異形であった。 


 真っ赤な身体に、蝙蝠の様な翼。頭部には二本の角が生え、眼は爛々と輝いている。まるで混沌の宇宙より飛来したデーモンの様な、およそ見るに堪えない醜悪な外見だ。しかし何故か、口元の豊かな髭だけは丁寧に刈り揃えられている。


 その異形は、召喚者である女性を見つめると、口髭を撫でながら微笑んだ。

 

 「こうして顔を合わせるのは久しぶりだが、君は相変わらず美しいね。いや、子どもを産んで益々磨きがかかったかな?」


 あり得ないことである。


 全体、アークデヴィルの如き高次の存在にとっては、例え自らを地上に呼び出す程の実力者であっても、所詮は取るに足らない定命の一つである。

  

 それなのにこのメフィストフェレスという地獄の君主は、只の人間であるこの女性に対して、実に気安い態度だ。


 だがそんなアークデヴィルに対して、召喚者である女性はつっけんどんである。

 

 「・・・下らないお世辞はいらないわよ」

 「これはこれは!なんともつれないな、君」

 「こっちには、アンタと旧交を温める気なんざこれっぽっちもねーのよ」


 取り付く島もないその態度に、メフィストフェレスは苦笑した。だが、不快そうではない。

 自身よりも強大な者に対しても、一切臆することのない物言い。それは、旧友たる彼女の心の強さが、いささかも鈍っていないことを証明していたからだ。


 例え、“こんな状態”にあっても。


 「ふむ。では、一体何用かね?“彼とのよりを戻す”助力ならば、喜んで請け負うが」


 飽くまでも茶化す様なその言葉に、しかし女性はもう苛立つ素振りすら見せなかった。

 両手で杖を握りしめ、震える身体をどうにかして支えながら、数度深呼吸をする。


 明らかに弱っていると分かるその身体から強い気配が立ち上り、アークデヴィルはその顔から笑みを消した。

 別に、気圧された訳ではない。女性が次に発するであろう言葉が、何か良くないことであるような。そんな前触れを感じたのである。


 果たして、数十秒の後。

 女性は、ようやく覚悟を決めたように口を開いた。


 「・・・・・アタシの心臓を、預かって欲しいの」


 その瞬間、メフィストフェレスは眼を見開いた。

 




















 「偉大なる我が主神よ、救済の女神アリシアよ。我に勇気を与えたまえ・・・」


 砂地にどっしりと片膝をつき、大弓に矢を継がえたディンは、祈りの言葉を述べながら弦を引き絞っていた。


 狙うは真なる不死人。かつての素晴らしい仲間にして、愛しい妻。


 「お師様、どうか俺に覚悟を下さい。あいつを滅ぼす覚悟を、俺に・・・」


 聖戦士の震える指先がぴたりと止まり、空中高くを高速飛行するイリーナを捉えた。

 出鱈目に飛ぶことで未来位置を予測させないつもりのようだが、その動きには明確な規則性がある。

 

 左よりも右。下よりも上。常に利き手や利き目を意識した体捌き。

 お気に入りのとんがり帽子が落ちないように風向きを考慮し、進行方向を変える瞬間にはこちらを攻撃する機会を窺っている。


 十万年に亘る人生の中で、細かいものまで数えれば億は下らない闘争を経験してきたディンにとっては、闘いの最中に相手の癖を分析するなど造作もないことだった。


 「俺なんぞを師と認めてくれた、素晴らしい弟子達。どうかこの情けない俺を、支えておくれ・・・」


 次第に祈りから懇願へと変わりつつある言葉を呟きながら、ディンは矢に“対魔”の奇跡を込めた。

 

 残りの矢は、これを含めて後二本。だが、十分だ。

 九十八本を費やしたことで、彼女の動きの傾向はほぼ完全に理解している。


 イリーナは回避をする際に、魔法を使うにしろ飛行するにしろ、大きく動く癖があるのだ。そしてその直後に、ほぼ必ず大技で反撃しようとする。それは間違いなく、彼女の持ち前の負けん気からくる行動なのだろう。

 出会った頃からそうだったが、彼女はやられっぱなし、言われっぱなしというのが我慢ならない女性なのだ。十万年を経てもその気概を失っていないとは、途方もない精神力だ。

 

 「俺を憎んでくれていい。だからイリーナ、どうか安らかに・・・・・」


 囮の一本目を放つ折りを見定めようと、ディンは眼を見開いた。

 

 この矢を放った後、即座に二本目に“切り札”の力を込める。そして囮を回避し、攻撃に転じようとして隙の出来た彼女に、本命を叩き込む。そうすればイリーナは、不死人たる力を失い、只人へと戻るだろう。

 

 それで、化け物同士の闘いは終わりだ。


 不死性を失った彼女に止めを刺し、自分も滅ぶ。


 十万年にわたる因縁に決着をつけ、全ての罪を清算する。


 『ああ、ようやく終わる』


 その時ディンは、ほんの数秒だけ奇妙な感情の高ぶりを覚えた。

 

 それは、苦痛からの解放を目前にして、歓喜したのか。

 あるいは、道を外れた妻に永遠の眠りを与えることに、救いを感じたのか。


 しかしその高揚も、即座に鎮静化することとなる。


 彼の予測に反して、空中を逃げ回っていたイリーナが、突如真正面からの突撃を敢行したのだ。

 

 「アイザァァァァック!!」


 天頂付近から急降下を開始したイリーナは、絶叫しつつ杖の先をこちらに向けた。

 そして、ぶつぶつと呪文を唱え始める。


 頭からこちらに向かってきているので全面投影面積は小さくなり、よって遠隔攻撃による照準はしにくくなった。だがディン程の達人になれば、この程度はほんの誤差だ。むしろ近づいてくる分、当てやすくなる。


 聡明な彼女にならば、そんなことは分かっている筈だが。


 「血迷ったか!?いや、彼女がそんな愚か者である訳がない!何かの策だな!」


 ほんの少しだけ驚きつつ、ディンは冷静に彼女の口の動きを読んだ。 


 ディンには魔法の才能が無いが、それに関する知識はある。呪文や動作を見れば、そいつがどんな魔法を放とうとしているのかを看破できるし、そうなれば次に自分がどう動くのが最適かを考えることができるのだ。

 

 だが、今イリーナが発動しようとしている魔法は、ディンの知識には無いものだった。


 「まだ切り札を隠していたのか!?だがっ!」


 ディンは構わず、囮に使うつもりだった矢を放った。

 

 ぎゅうぅん!


 “対魔”の奇跡が込められた矢が、今まさに魔法を発動せんとするイリーナへと真っすぐに突き進む。


 それを見届けるよりも前に、ディンは最後の矢をつがえていた。 


 イリーナの切り札が何なのかは知らないが、それはこの一本目によって相殺されるだろう。そしてその直後に、続く二本目の“本命”が彼女の身体を貫く。 


 ディンの“切り札”によって彼女が滅ぶ運命は、もう変わらない・・・・!

 


































 「甘いってのよ、この大馬鹿剣士!」



 


 詠唱を終えたイリーナの杖の先に、不気味な球体が出現した。


 黒い。

 それなのに、光っている。

 まるで“輝く闇”という矛盾を表現したようなその球体は、まさに不気味な存在であった。


 その球体はイリーナの杖から放たれると、一直線にディンへと向かってきた。

 

 すると当然、反対方向から迫ってきた“対魔”の矢と正面衝突を引き起こし、奇跡の力と魔法の力が対消滅を・・・・



 じゅわっ



 起こすことはなかった。

 球体に触れた瞬間、矢の方だけが崩れ去ったのだ。


 「何っ!?」


 今度こそ驚愕したディンの眼の前で、“本命”の矢までが球体によって粉砕される。

 いよいよ進路を阻むものがなくなり、不気味で危険な球体が飛来してくる中。


 ディンの頭脳が、超高速で回転し始めた。



 まずい、これで矢がなくなった。残念だが、もう“空穿ち”は使えない。


 それにしても、奇跡の込められた矢を一方的に打ち消すとはどういうことだ?



 大首領が発明したという、“分解”の魔法か?




 いや、それならば一本目の矢で相殺できている筈だ。





 ぶつかった物が粉微塵になる点では同じだが、あれは根本的に違う道理で動いている様に思えて・・・・・・


 


 次第に彼と彼の周囲の一切の動きが、酷く緩慢になっていく。

 それに反して彼の思考はより高速化していくが、現状を打破するにたる明確な答えを導き出すことはできなかった。


 奇跡と魔法は、相反する力だ。

 デーモン・プリンスの一柱たる“常闇”由来の魔法は、この地上の理を歪め、侵蝕する力。

 反対に、創造主たる“名も無き神”由来の奇跡は、この地上に蔓延る不条理を払い、修正する力だ。

 

 その根源同士と同じように真逆の性質を持つそれらの力は、本来ならば接触した瞬間に膨大な衝撃を発生させ、対消滅をしてしまう。

 しかし今ディンの眼前で起こったのは、一方的に奇跡の力が打ち負かされるという異常事態だった。


 『どんな魔法にしろ、危険であることだけは間違いあるまい』


 判断材料の乏しい状態では、分かるのはその程度であった。

 しかし“熟考”している間にも、あの妙な魔法の球体はじりじりと距離を詰めてくる。


 だがこの球体のすぐ後ろには、同じくこちらに突撃してくるイリーナがいる。

 かなりの大技であるらしいこの魔法を使用した直後では、満足に回避運動を取れるとは思えない。


 全てが重たい水の中にあるような世界で、ディンは球体に向かってゆるゆると左腕をかざした。


 『こいつで受け止め、即座に反撃に移る!』

 

 ジーグより借り受けた“不屈の鎧”。

 着用者を害するあらゆる不条理に対し、抗う力を授けてくれる聖遺物。

 これがあれば、例え地上最強の魔法士たるイリーナの魔法であっても、易々と傷を負うことはなくなるだろう。


 そう思っての結論だった。

 

 やがて、世界はあるべき速度を取り戻していき。

 球体と、その背後に控えたイリーナがディンに迫り。


 じゅわっ


 「うっぐぉっ!?」


 球体に触れた左腕に、痛みとも苦しみともつかない感覚を覚えて。


 ディンは、咄嗟に跳び退った。

 

 「ぃよしっ!」


 壮絶な笑みを浮かべたイリーナが、一陣の風の如く脇を通り過ぎていく。

  

 ディンは怯むようにして、左腕を見た。


 「これは・・・」


 “不屈の鎧”が。


 反逆の神の精神たる、折れない心の象徴が。


 球体に触れた部分が、ディンの腕ごとごっそりと削り取られていた。


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