番外編 大英雄の想い (あるいは、大親友の決意)
クライマックスなのにわき道にそれてしまい、申し訳ありません。
ですが、伏線の回収に必要と判断して書きました。
ちょっと長いですが、よければ読んでやってください。
人里離れた山の入口にて。
外套に身を包んだ少年が、一人嘆息していた。
顔を隠すように頭巾を被っているため、その表情はよく見えない。だが、上機嫌ではないようだった。
「“人払い”に“幻惑”に“退魔”に“警報”に“電撃”に・・・・・・・。どんだけ結界張ってんだよ、あの馬鹿は?」
などと盛大に呆れつつ、すたすた山頂へと向かう獣道に足を踏み入れる。その先に見えるのは、魔物か、あるいは危険な大型生物が出現しても不思議ではない鬱蒼とした木々の群れだ。
だというのに、後ろ頭に両手をあて、欠伸をかましながら歩く少年には、警戒心など微塵もない。ふらふらと左右に揺れながら進んでいるので、実に危なっかしい。
だがこれでも彼は、無数に張り巡らされた危険な結界を、的確に躱しながら歩いているのだ。
「ったく。依頼を全部俺に任せて、引きこもりやがって・・・」
術者がこの山中に“隠しているモノ”にどれだけ執着していたかが窺い知れるほどに、神経質な造り。
部外者には絶対に立ち入らせない。
同時に、中にいるモノを絶対に逃さない。
そんな強い意志を浴びせられるような気がして、少年は辟易していた。
小一時間程かけて山頂にたどり着いた少年は、少し開けた空間に大きく頑丈そうな造りの一軒家を見つけた。そして、その玄関先の切り株に座り込み、ひっくり返した斧の柄の上に両手を置いて、ぼんやりと空を見上げる大男の姿も。
薪割りでもしていたのか、男の傍らには大量の木切れが積み上げられていた。
少年の優れた聴覚には作業の音が聞こえなかったことから、少なくとも少年がこの山を登り始めた頃から、こうしてボケェっとしていたのだろう。あるいは、もっと長時間に亘ってだろうか。
まあ、“彼女”から詳しい経緯を聞いていたので、男がこんな体たらくなのも納得できるというものだが。
「よぉ、ディン」
少年がそう声をかけると、男はぎょっとしたように立ち上がった。
ここに来るまで、少年は別段気配を殺してはいなかった。
だのに接近を悟られなかったのは、この男がだいぶ緩んでいるからだろう。
『こりゃぁ、相当だな』
少年は胸中に渦巻く感情を押し殺しながら、ゆっくりと頭巾を取った。
すると、眼の前で警戒態勢に入りつつあった大男の様子が豹変する。
「レオン!?久しぶりじゃないか!」
そう叫ぶと、構えかけていた斧を放り出し、両腕を広げて突撃をしてきた。港町で共に過ごした短い間だったが、何度も何度もやられた鬱陶しい行為である。
レオンは舌打ちをすると、それをするりと躱してディンの背後に立った。
「ぬおっ!?」
久方ぶりの再開で、我を忘れていたのだろうか。英雄と称された男は無様にも安定を崩し、鼻っ柱、顔面、背中、尻、両足の順に、ごろごろと危なっかしく転がりながら横になった。
だが、その数秒後。
「レオォォォン!」
相変わらずの暑苦しい大馬鹿剣士は、何事もなかったように立ち上がると、再び大親友を抱擁しようと腕を広げた。
レオンは盛大に溜息をつくと、それを一瞥すらせずに身をかがめた。そして、軽く足を突き出す。
すると、それにけつまずいたディンが、またもや盛大にすっころんだ。
「オメーはやっぱり馬鹿だな」
再び大地にあお向けになったかつての仲間を見つめ、彼が昔のままであることを理解し、レオンは安堵しかけた。
しかし、即座に思いとどまる。
違う、変わらなすぎる。
結婚し、救済の女神の信徒を名乗り始めてから、女房に逃げられ、山の中で隠遁生活を送り出すまでの十年間。無能人は、ハーフリンクとは違って齢を経るごとに顔立ちが変化するものだ。
だが、この眼の前の男は違う。変わらなすぎる。
『あいつの言った通りか・・・』
身体を起こし、三度抱き着こうとするディンを眺め、レオンは確信した。
やはり事実だったのか、と。
「イリーナに会ったぜ」
「っ!?・・・・・そうか」
レオンに告げられ、ディンは急速に意気消沈した。広げていた腕を下げ、がっくりと肩を落とし、大きな身体を縮こまらせる。
イリーナが消えてからというもの、ずっと一人で娘たちの世話してきたのだ。彼女に対して思うところは山ほどあるのだろうが、それ以上にその原因に心当たりがあるため、後ろめたいのだろう。
しかしそれも束の間。思い出したかのように、レオンに向き直った。
「それで!イリーナは何て言ってたんだ!?いや、ぜひ娘にも話してやってくれよ。今は昼寝中なんだが、きっと喜んで・・・」
ディンはそう言って、レオンを家に招き入れようとした。
可哀そうに、満足に母親の愛情を受けることができていない娘たちに、せめて彼女が無事であることだけでも知らせたいのだろう。
なんとも身勝手極まることである。
「悪ぃけどな。今日は、別の用があって来たんだ」
レオンは努めて冷たく言い放つと、片手でディンを制した。
かつての親友を見つめる眼に、ほの暗いものが満ちる。
あれ程にこの男のことを想っていた女魔法士が、突然去った理由。それを数日前に本人の口から聞いてからというもの、レオンは気が気では無かった。
まさか、あり得ない。
いくら稀代の大馬鹿とは言え、そんな度し難い選択をする筈がない。
故に彼は、確かめに来たのだ。わざわざ高価な“蘇生用の秘薬”まで用立てて・・・
「おい、こっち向けや」
「うん?あ、ああ・・・」
妙な剣幕で命じられ、戸惑いつつもディンはレオンの正面に立った。
これからレオンがやろうとしていることは、とても子どもに見せられるようなものではない。だが、どうしても確かめなければならないのだ。
昼寝の最中とは、なんとも僥倖であった。
レオンは、数度深呼吸をした。
そして、覚悟を決めたように言い放つ。
「動くなよ」
「え・・・?」
ディンが、首を傾げたその瞬間。
どすり。
瞬きよりも速く、眩い光が走った。
それはまさに、大英雄という称号にふさわしい、眼にもとまらぬ早業だった。
ディンは、心臓を貫かれていた。
状況が理解できないのか、自分の胸とレオンを交互に見つめる。
レオンは、そんな“旧友”の様子に顔をしかめることもなく、刺突剣を引き抜いた。
するとそこから、鮮血が噴水の様な勢いで溢れ出す。
「・・・なにっ・・・をっ・・・」
何が何だか分からないといった表情で胸を抑え、膝をついたディンを眺めながら、レオンは眼を見開いていた。まるで、見定めようとするかのように。
そのうちに、なんたることか。
紅い水は数秒で勢いを弱め、やがて完全に止まってしまった。
それを見て取ったハーフリンクは、口の端を大きく釣り上げた。
眼の中の暗い炎が、一層勢いを増す。
「へえぇ、こいつぁ面白れぇや」
そう言いつつ、どすり、どすりと、何度もディンを突き刺していく。
喉。
肺。
動脈。
眼。
脳幹。
ありとあらゆる人体の急所を、余すところなく狙い穿つ。
だがディンは、苦痛に蠢くばかりで一向に絶命する気配がない。
それどころか、刺し貫いた端から傷がふさがっていく。奇跡を使っている様子もないのに、自動的に癒えていくのだ。
異常な光景だ。
あらかじめ代謝能力を高める魔法薬を飲んでいたわけでもなかろうし、無能人がこれ程の再生力を持つなどあり得ない。
『まさかとは思ったが・・・』
気が済んだのだろうか。
あるいは、埒が明かないと悟ったのだろうか。
やがてレオンは、ディンを串刺しにする行為をやめた。
剣にこびり付いた血糊をディンの衣服に擦り付けて、外套の下に隠してしまう。
そして一言も告げずに踵を返そうとした。
「ま、まって・・・」
かつての仲間、大英雄にして大親友からの仕打ちに傷つき、驚愕しつつも、ディンはどうにか手を伸ばした。
だが・・・
「気安くすんじゃねぇーよ、化け物野郎!」
そう吐き捨てると、レオンは伸びてきた手を乱暴に払いのけた。
するとディンは、信じられないと言った表情になる。
当然であろう。殺意の込められた必殺の突きを何度も見舞われ、挙句に化け物呼ばわりだ。
だがそんな非道を為したレオンは、これでもまだ不足といった様子であった。
「馬鹿野郎が・・・!」
レオンはディンから顔を背け、今度は絞り出すように言った。
その小さな身体から溢れ出してくる闘気に、大男が身震いをする。
「テメーが馬鹿なのは知ってたがな!ここまで救いようがねぇ大馬鹿野郎だとは思わなかったぜ!」
大英雄の胸中に渦巻くのは、激しい怒りと哀しみと、そして失望だった。
レオンは、この赤毛の聖戦士がまだ少年だった頃から、なんだかんだ言いつつも眼をかけてきた。
卑しい農奴上がりの、学も教養も思考力もない大馬鹿野郎。
だがひたむきで、お人好しで、憎めない善人。
初めて出会った時には囮にも使えない屑と断じていたが、世話をしているうちに情が移り、いつしかその将来を案じるようになってしまった。
いや、レオンだけではない。
自らを犠牲にして少年を救ったアリシアも、その傷心を癒そうとしたイリーナも、“同じこと”を願っていた筈だ。
だがこの大馬鹿剣士は、三人の仲間たちの想いを踏みにじった。
自らが演じた失態に固執するあまり、人の道を踏み外した。
「テメーとは今日限りだ!いいや、テメーの様な大馬鹿野郎は、俺がこの手でぶっ殺してやらぁ!」
一方的に絶縁を告げると、レオンは肩を怒らせながら元来た道を引き返した。
背中にかかる弱々しい声を振り切り、眼に浮かんだ涙を隠しながら。
全体、ディンは心の弱い男だ。
僅か三十年の間に立て続けに喪失を味わい、最後に残った仲間からこんな扱いを受ければ、もう二度と立ち上がることはできないかもしれない。
だがそれでも、“父親を気取っていた”彼には、ディンの選択が許せなかったのだ。
「何で奇跡の化け物になんかなっちまったんだよ、馬鹿野郎・・・」
山頂から充分に離れ、ディンの耳には絶対に届かないと確信できる距離まで歩いたところで。
レオンはくずおれる様にして地面に膝をつき、静かにむせび泣いた。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のすべて機能がカットされ、俺の意識は完全なる闇に包まれた。
だが、恐怖はない。
これは奴らの常套手段。
あからさまに上下関係を誇示することで要求を飲ませようとする、下種な行為だ。
『主任、聞こえているかな?』
声にならない声が、頭の中に響いた。
“脳殻”に直接入力された電気信号が正確に翻訳され、意味のある言語を無理やりに認識させてくる。
『最近の君の独断専行には、目に余るものがある。試作機を無許可で持ち出し、使用した。それも、人の眼がある場所で、だ』
『お言葉ですがねぇ。あの時は、あれが最善だったと思うんですが』
俺もまた、脳殻を通して電気信号を出力した。つまりは、呼びかけに反応したのだ。
『研究施設をデーモンに破壊されてたら、それこそ計画がおじゃんだったでしょーが。それに、性能を示せたおかげで軍の評価はうなぎのぼりだ。むしろ実戦でデータ取ったんだから、ボーナスくださいよ』
そう“憎まれ口”を叩いていやると、“全身”に激痛が走った。
両腕、両足、腸。とてもリアルに感じ取れるが、しかし本当の痛みではない。
これもまた外部からの入力によって、幻肢痛が無理やりに再現されているのだ。
すでに生身の部分なんて中枢神経しか残っていないのに、然るべき部位に刺激を与えてやれば、脳みそってやつは簡単に勘違いを起こしちまう。
いやはや全く、堪ったもんじゃあねぇぜ。
『口を慎みたまえ、主任。君は最高機密を外部にさらしたのだ。本来は、それなりのペナルティはあってしかるべきなのだぞ』
降りかかる激痛の雨の中、あくまでも高圧的な声が響く。
運動神経をカットされているから、悶えることもできやしない。
ただ、苦痛のあまりに口答えできなかったのは逆に幸いだったようだ。
しばらく暗黒の世界で沈黙していると、幻肢痛が嘘のように治まった。
無反応でいることを従順の意思表示と判断したのか、声の主がペナルティを終了してくださったのだ。
まったく痛み入るねぇ。
『よろしい。では、これを見てくれ』
お偉いさんの言葉と同時に、“眼前”に一枚の映像が浮かび上がる。
それは、この世界の常識ではすでに大昔の戦場に捨て置かれた兵器の一つ。槍、弓、そして銃という進化の過程で駆逐された、考古学的あるいは美術的価値しか持たない品だった。
『なんとも武骨な造りだね。こんな“大きな剣”で化け物どもと闘うとは、君たち異界人とはナンセンス極まる連中だな』
『・・・』
偉いさんの言う通りに、脳内に映し出されたのは見覚えのある一振りの大剣の画像だった。
向こうじゃ未だに現役らしいが、その評価については俺も同意したいところだ。
こんなどでかい剣を振り回して闘う奴なんざ、“大馬鹿”極まる人間に決まっている。
『君があの赤毛の人物とどのような因縁を持っているのかはどうでもいい。我々の興味の向くところは・・・』
『要するに、この大剣を解析しろってんですか。こんな“大きいだけの剣”を?』
『輸出用に魔法技術をオミットした型とは言え、10式の複合装甲を容易く切り裂いたのだぞ!これが只の剣でないことは分かっている!』
話の成り行きにうんざりして、俺は舌打ちをした。いや、まあ、感覚がカットされてるから気分だけなんだがな。
まあとにかく、まったくもってナンセンスな話だ。
あの大馬鹿野郎を完全に殺す手段を求めてこっちの世界に来たっていうのに、あいつの置き土産を調べさせられることになろうとは。
こっちの世界には、救済の神サマはいないのかね?
『まだ帝都の復興は全然進んでないんですよ。こんなことしてる場合じゃないでしょう』
『今この時、限られた期間にしかできないから君を頼るのだ。いや、むしろ極限状態にあってこそイノベーションは活発になるのではないかね?少なくとも地球の歴史においては常にそうだよ』
成程。
それが本音か、豚野郎。
と、馬鹿正直に外部出力しかけて、俺は慌ててそれを中断した。
帝國と“街”とで交わされた協定によれば、“環”を通り抜ける物品は砂粒に至るまで、徹底した管理を受けなければならない。
当然“事故”によって流入した異界の大剣は、即時返還されなければならないが、復興中につき未発見とでも言っているのだろう。
まったくあの大馬鹿野郎奴。
力任せにぶん投げやがって。
テメーの尻拭いをするのはいつも俺じゃねぇーか。
脳内で独り言ちる俺をよそに、偉いさんからの提案は続く。
『主任。我々は、君の能力を高く評価している。君が金の卵を産み続けてくれるのならば、これからも相応の待遇を約束しよう』
『・・・期限は?』
『限界まで稼いで、あと半年といったところだ。向こうの領主はやり手でね、散々譲歩させられたよ。まあ、それだけこの剣の希少価値が高いということなのかな?』
予想外の痛手だとばかりに鼻を鳴らしつつも、どこか自慢げなその口調。どうやら言外に、自らが勝ち取った成果をアピールしているようだ。
だが、そんな筈はない。
どうも向こうとこちらとで時間の流れに差異があるようだが、それでもその程度の剣は、10式戦車よりも余程容易く魔法の添加及び鋳造が可能な品だ。
話に聞く女領主とやらが、何を思ってこんな“ありふれた大剣”に固執するのかは知らないが、おかげでいい迷惑だ。
しかし、やるしかあるまい。
卵が産めないとなれば、後は肉にされるだけの運命が待っている。
なにせこの“全身義体”は、俺が伝えた魔法技術が流用されているとはいえ、全て本社が管理しているのだ。偉いさんのご機嫌を損ねれば、文字通りスイッチ一つで生命維持機能を止められてしまう。
それでは駄目だ。
目的が遂げられない・・・!
『分かりました、やりましょう。ま、せいぜい期待しといてくださいや』
『そう言ってくれると思っていたよ、主任』
満足げに響いてくる声に、顔をしかめることすらできないのが実に口惜しい。
何が金の卵だ。外見は美しくとも、その中には何が入っているかは分かったものではないというのに。
俺の伝えた魔法技術を究めた結果、どんなものが出来上がるのか。その本質を理解しないで、イノベーションなどともっともらしいことを言いやがって。
だが、まあいい。久しぶりにあの大馬鹿野郎と顔を合わせて、モチベーションが上がった。
ディンを殺せるのならば。
天上で二人の女に土下座をさせられるのならば、何だってやってやるさ。
戻ってきた五感に安堵しつつ、俺は決意を新たにした。