四月一日
ネタです。
一応この話の中では、四月はとっくに過ぎています。
美しい鐘の音と共に、一斉に教室の扉が開く。
するとそこから、子どもたちが我先にと飛び出してきた。
子どもと言っても、その肉体はすでに成熟しかかっている。しかしその内面は、まさしく子どものそれであった。
「早く食堂に行こうぜ!」
「今日は“らぁめん”、食べられるかな?」
「急げよ!限定百人なんだから!」
どうやら彼らは、何かの強い目的意識があるらしい。
校舎に併設されている学生用の食堂へと、一目散に駆けていく。壁面に張られたミュリエール先生御手製の『廊下歩行徹底』のポスターが、なんとも空しい。
昼食時。
学生にとっては待ち望んだ、素晴らしい憩いの時間。
友人らと、先の授業の振り返りをしたり。
あるいは、近況を報告し合ったり。
そして、放課後の予定を語り合ったりする、貴重な時間だ。
そんな若人で賑々しい廊下を、コソコソと、まるで隠れるように動く者がいた。
ここ、交流学園に地球の大日本帝國の代表として籍を置いている、光太郎という名の少年である。
彼は怯える様な表情で、日本人特有の歩行と走行の中間的移動をしていた。
逃げているのだ。
彼の限られた安らぎの時間を、どうにかして守るために・・・
「コータロー!何処行くの?」
「えっ!い、いや、別に・・・」
突如、友人の女学生から声をかけられ、光太郎は跳び上がった。入学したての頃の彼の様子を良く知るものなら、ここ最近の光太郎の様子を訝って当然である。
昼食の時間になると、決まって姿を消してしまう。前もって誘おうとしても、『今日はちょっと・・・』と口を濁してしまうのだ。
あれ程に快活だった少年が、何故猫に負われる鼠の如く振舞うのだろうか。
「大丈夫?顔色はいいみたいだけど」
「そりゃあまあ・・・、早寝早起きしてるからね。ご飯と運動は、過度だけど・・・」
「・・・?」
意味不明な光太郎の返しに、女学生は首を傾げた。実際、光太郎の健康状態ははた目からもはっきりと分かる程に良好なのだ。
それなのにこの少年は、背筋を曲げ、顔を俯かせ、老人の様に身体を縮こまらせている。身体的でなければ、精神的に問題を抱えているとも考えられた。
「ミュリエール先生に相談してみたら?探してたよ」
女学生の心からの忠告に、しかし少年は血相を変えた。
「・・・あ!後で行くよ!」
そう言うと、光太郎はとうとう走り出した。まさに、脱兎のごとく。
取り残される形となった女学生は、呆気にとられたように口を開けて立ち尽くした。
やがて光太郎少年は、お気に入りの校舎裏へとたどり着いた。
学生用の食堂とは、ちょうど反対側。従ってここには、彼の安寧を脅かす一切は存在しない。
そこで光太郎は、ようやく安堵したように抱えた腕を解いた。すると、腕の中には大きな包みがあった。今朝がた彼が用意した昼食。弁当だ。
つまり彼は、このうら寂しい場所で、たった一人で昼食を取ろうというのである。
「はぁ・・・」
その惨めな自分の境遇にうんざりしたように、光太郎少年は盛大に嘆息した。
おかしい。
何かが、大きく間違っている。
自分はこの交流学園への入学に、確かな希望を持っていた筈なのだ。
異界の友人らと意思を疎通し、相互の文化や歴史、思想について理解を深める。
そんな、帝國の誰もが羨むような素晴らしい“交流”の毎日が続く筈だったのに。
一体、何処で何を間違えたのか・・・?
うなだれる光太郎が、弁当の包みを解いていると。
「コウちゃん!」
「うへぇぇぇぇっ!?」
突如声をかけられ、少年は仰天して跳び上がった。
幸いなことに、唯一の慰みである手弁当がひっくり返ることはなかったが、光太郎は当然の権利の行使とばかりに、その馴れ馴れしい態度の声の主を非難する。
「お、お、脅かさないでよ!レイちゃん!」
「ごめんね!あんまり酷い顔してたから、つい・・・」
そう言いつつ、声の主は光太郎のすぐ隣に腰掛けた。
光太郎と同じく学園指定のブレザーに似た制服に身を包み、長く艶のある黒髪をたなびかせるのは、レイちゃんこと礼子だ。その手には、やはり弁当箱が収まっている。光太郎のそれよりも、大分小さくはあるが。
同じ帝國代表の生徒の一人である彼女は、人懐こい眼で光太郎を見つめながら問うてきた。
「それで。どうしてこんなところで、コソコソ寂しくご飯食べてるの?」
「うぐっ!いや、それは・・・」
自身の状況を的確に表現され、顔に似合わず繊細な少年は少しだけたじろいだ。しかし、自分を見つめ返してくる無垢な瞳に、ささくれ立ちそうだった心が落ち着いていく。
彼女は、十六年に亘る気の置けない付き合いの幼馴染なのだ。相談したところで解決策を提示できるとは思えないが、それでも現状の不満を吐露することで、気が晴れるかも知れない。
そう思った光太郎は、この際とばかりに胸中を明かすことにした。
「いやさぁ・・・。本当に、困ってるんだよ。鍛錬が辛くて辛くて・・・」
「鍛錬?何の?」
「・・・騎士になるための」
そう。
光太郎は、交流学園が行っている『騎士育成課程』に“無理やりに”参加させられているのだ。しかも、筋力、体力といった様々なハンディキャップを背負っているにも関わらず、である。
こちらの世界の有望な若者ですら血反吐を吐く程にドぎつい訓練だというのに、指導員たるミュリエールは、さらなる課題を吹っ掛けて来ていた。
「ミューちゃ・・・。ミュリエール先生が、無茶苦茶言ってくるんだ。『早くこの剣を振るえるようになれ』って。こーんなのを」
言いながら光太郎は、自分の両腕を一杯に広げて見せる。正確に測ったことはないが、優に二メートルは超える長さの、分厚い金属の塊だ。こちらの世界の鍛えた戦士ならば片手で扱えるのかもしれないが、地球人の、それも高校生程度の膂力しかない光太郎の手には余る代物だった。
「大分大きいわね。すごく重そうだけど、なんでそんなことを?」
「よく分からないよ。ただ、今の僕じゃあ両手で持ち上げるのが精一杯なんだ。だから今、絶賛筋トレ中なの」
そう言って光太郎は、塔の如く重ねられた三つの弁当箱の蓋を、順番に開けていった。
そこに広がる光景に、礼子は息を呑む。
「これ、コウちゃんが自分で作ったの?」
「うん・・・、まあ、一応ね」
「毎朝?」
「はい・・・、そうです」
光太郎は照れくさそうに、そして少しだけ誇らしげに笑った。
大きなお握りが二つ。
ゆで卵と、鶏の生姜焼き。
豆腐と海藻のサラダ。
カリフラワーに、ミニトマトに、刻んだキャベツ。
それに、一口サイズに切った果物だ。
学生寮には台所が備え付けられているが、毎日これだけのメニューを自炊しているのは、光太郎の密かな自慢なのだ。
「凄いわねぇ、コウちゃん」
「ありがとう。これは友だちに教わった、筋力トレーニングに適した献立なんだよ。五大栄養素が不足なく摂れるようにも、意識してるんだ」
「へぇ、よく考えてるんだ」
「うん!まず何にしても蛋白質が無いと駄目だから、消化しやすい鶏肉に、お豆腐。勿論それだと足りないから、野菜も食べるよ。繊維を取らないと、お腹の調子も悪くなるから。果物は甘酸っぱくて口当たりが良いし、ビタミンの摂取に良いんだよ。エネルギーにもなるしね」
「そ、そうなんだぁ・・・」
やがて少年は、幼馴染が相槌を打ってくれているのをいいことに、ぐだぐだと解説を始めた。
そうなると現金なもので、先程の沈んだ表情が生き生きとしてくる。自らの知識を披露することに愉悦を覚えるその様は、いわゆるオタクのそれであった。
「場合によってはサプリメントも使うけど、まあ最終手段かな。薬みたいで良い気分しないし。でも、プロテインは飲むよ。牛乳と混ぜるやつね。食後にはカゼイン。トレーニングの後にはホエイ。食費がかさんで仕方ないけど、これも・・・」
「・・・」
暴走しかけていた光太郎は、幼馴染が呆然としつつあることに気が付き、いったん口を閉じた。
そして、咳ばらいを一つ。
「あー、つまりね。ハードな筋トレした後には、吸収が早いホエイっていうプロテインを飲むのが効果的なんだ。それで、普通の食後には吸収の遅いカゼインを飲むの。用途で使い分けるんだよ」
初めて耳にする情報に、知識のない幼馴染が困っているのだと判断したのだろう。自らの足りない言葉を補おうとしたのだが、ぶっちゃけた話、彼女は呆れていただけである。
それに気が付けないあたり、この少年は鈍感であった。
「ま、まあとにかく、たくさん食べるのは元気な証拠よね!」
妙な空気になりかけた場をどうにかしようと、礼子は取り繕うように笑顔を浮かべた。若干引きつっていたが、やはりそれに気付けるような少年ではない。
「うん、まあ、そうなんだけど・・・」
「まだ何かあるの?」
「鍛錬のメニューがハードすぎるから、すぐにお腹が空いちゃうんだ。だから放課後、これと同じのをもう一回食べるんだ・・・」
「えぇーー!」
驚愕する礼子をよそに、光太郎は箸を取った。
昼休憩の後には件の騎士育成課程が入っている。あまりゆっくりはしていられない。
手を合わせて『頂きます!』と元気よく挨拶をすると、礼子も慌ててそれに追随した。なかなか育ちのよい二人であった。
「でもさぁ」
幼馴染がウインナーを摘まみながら、未だ承服しかねるといった様子で少年に声をかけた。大量のキャベツを頬張っていた少年は口をもごもごさせたまま、ん?と顔を向ける。
「たかが筋トレでしょ?なんでそんなに面倒なことするの?」
「んぐっ・・・。たかがって言うけど、筋トレって色々なことをしなけりゃならないんだよ。スポーツ科学ってのがあって・・・」
「コウちゃんってば、本当に理屈っぽいわね。たくさん食べて運動してれば、自然と筋肉なんてつくでしょ?」
その言葉に、光太郎は少しだけ気分を害した。
『とにかくいっぱい食べて、たくさん鍛錬するのだ!』
耳に胼胝ができる程に聞かされる文句だからである。
「ミューちゃんみたいな無茶なこと、言わないでよね。強い筋肉は、合理的に科学で作るんだよ」
「・・・なんか、凄く矛盾した話に聞こえるわね」
自信たっぷりな物言いに、幼馴染はそれ以上の追及を諦めたようだった。
しばし二人の若者は沈黙し、弁当を突いた。
折角手の込んだ料理を作っても、それをゆっくり味わったり、あるいは幼馴染と交換したりといったことをしている時間的余裕がない。
大量の食物を、内臓に負担をかけないようにしっかりと咀嚼した上で平らげ、さらには軽い仮眠をしなければならない。素早い消化を行い、この後のキツイ鍛錬に耐えるには、少しでも体力を回復し、温存しなければならないのだ。
今日はこの後、馬上戦闘だ。その後は共通数学の抗議を受けて、放課後にはミューちゃんとマンツーマンで、実戦組手。
一日の中で自由になる時間は、本当に少ない。この昼休憩もまた、貴重なそれなのだ。
いや。
強い肉体を作ることが鍛錬であるならば、食事もまた鍛錬である。言ってしまえば、寝るのもそうだろう。大好きな料理をするのだって、同じことだ。
つまり光太郎の生活は、そのほぼすべてが鍛錬になっている訳だ。
ああ、哀しき青春よ。
放課後や休日に、“街”の商店街に繰り出す友人らが羨ましい。
君らが遊んでいる間に、僕は立派な戦闘マシーンに作り替えられるんだよ。
涙を浮かべて“鍛錬”をこなしつつ、ふと少年は顔を上げた。
「そう言えば、話は変わるんだけど」
「・・・なぁに?」
礼子は口の中の物をしっかりと飲み下し、口が完全に空になってから光太郎に応じた。
良家の出身にふさわしい振舞を感じ取りつつ、一応口元を手で隠しながら、光太郎は続けた。
「・・・変な話だけど、笑わないで聞いてくれる?」
「う、うん」
ごくり。
今度はしっかりと嚥下した上で、光太郎は息をひそめる様に、幼馴染に顔を近づけた。
その尋常ならざる態度に、礼子は少しだけ身構える。
光太郎は十秒ほど間をおいてから、ゆっくりと口を開いた。
「・・・毎晩ね。幽霊が出るの」
「・・・幽霊?」
途端に疑わしい表情を作りかけて、礼子は慌ててそれを正した。
妙に真剣な様子の少年に気圧されたというのもあったのだろうが、全体、“神が実在する”この異界にあっては、幽霊の存在を否定する方が愚かな行為なのだ。
「そう。寝てると、ふと目が覚めるんだ。それで顔を上げると、知らない人が見降ろしてるの!」
「ど、どんな人なの!?」
「ええとね。綺麗な鎧着てる戦士だったり、すっごい美人のエルフみたいな人だったり、筋肉モリモリのオジサンだったり。あ!それから鬼みたいな人もいたなぁ。毎回違う人なんだ」
「・・・何なの、それ?」
話を聞くにつれ、結局礼子は眼を細めつつ、小首を傾げた。
日替わりで夢枕に立つ幽霊たちなんて、聞いたことのない話だろう。光太郎だって、自分の身に起こったことでなければ、笑い飛ばしてしまうに違いない。
「僕にも分かんないよ。・・・いや、本当に」
光太郎は箸をおいて、顔を伏せた。
彼にとっては、この異界というのは全く分からないことだらけなのだ。
「幽霊じゃなくても、いろんな人にちょっかい出されるしなぁ・・・」
何故だか分からないが、この交流学園に来てからと言うもの、様々な“女性”と出会う機会が増えたのだ。しかも、まるで面識のないその人たちのほとんどが、気安い態度で接してくる。
嬉しくないと言えば嘘になるのだろうが、理由が理解できない以上、納得はできるものではなかった。
すると幼馴染が、血相を変えた。
「一体、誰にちょっかいを出されるの!?」
そう言いながら、物凄い剣幕で詰め寄ってきたのだ。どうやら光太郎が、“苛め”を受けていると誤解してしまったらしい。
光太郎は、そんな優しい礼子を落ち着かせようと、両手を広げた。
「大丈夫だよ。馬鹿にされたり、物を隠されたりしてはいないから」
『暴力を振るわれるのはしょっちゅうなんだけどね』、という言葉を、光太郎はどうにか飲み込んだ。ミュリエール先生のは指導であって、別に光太郎に苦痛を与えて悦に入っいる訳ではないのだから。
「・・・じゃあ、何をされてるの?」
「色々だけど・・・」
未だに眼を釣り上げたままの幼馴染から顔をそらし、光太郎はそのちょっかいの内容を説明することにした。
「ミューちゃんは勿論だし、半月前から魔法使いの女の子に、部屋の掃除を頼まれるようになったんだ。それからシスターさんには、毎朝礼拝に来なさいって・・・」
「・・・何それ、自慢のつもり?」
「い、いや、違うよ。違うけどさ・・・」
幼馴染の押し殺したような、しかし少年にもはっきりと分かるほどの怒気をはらんだその声に、光太郎が思わず仰け反った。
その時。
「見つけましたよ!コータローさん!」
校舎の裏から、件のシスターが現れた!
そして、同時に。
「ちょっと!掃除の手伝いするって約束でしょうが!」
光太郎と礼子を挟んで反対側に、件の魔法使いの女の子が現れる!
まずい!
逃げ道を塞がれた!
慌てて光太郎が、腰を上げると。
「とうっ!」
威勢のいい掛け声と共に、頭上から何者かが降ってきた!
その人物は、しなやかな動きで着地の衝撃を和らげると、ばっ、とこちらを振り返る。
「ここにいたか!君!」
腰に手を当て、ふんぞり返るその女性は、ミューちゃんであった。
「あーあーあー・・・」
ものの数秒で安寧から窮地へと立たされた少年は、頭を抱えて座り込んだ。
この三人は、昼食時になるといつも光太郎のところにやってきては、口喧嘩を繰り広げる。他の生徒の眼もあるし、全体、姦しくてしかたがなかったのだ。
だからこうして静かな校舎裏に隠れていたというのに、遂にここにまで魔の手が!
「レイちゃん、助けて・・・」
少年は救いを求める様に、唯一の理解者である幼馴染に縋り付いた。
この異界の女性陣らは、光太郎の気持ちなどまったく汲んでくれないのだ。ならば、同じ女性であるという分、彼女の言葉なら届くかもしれない。
そんな一縷の望みをかけて、光太郎は涙を浮かべながら訴える。
しかし。
救済者たる礼子は、黙って弁当箱を包みなおすと、静かに立ち上がった。
「知らない。別の人に頼んで」
それだけを言い残して、さっさと立ち去っていく。
後に残された少年は、狼に囲まれた羊の様に縮こまり、悲鳴を上げた。
「こら君たち!コータローは、鍛錬があるのだぞ!?無茶をさせるな!」
「何をおっしゃいますか!貴女の鍛錬の方が無茶でしょう!」
「そーよ!それより部屋の掃除してもらうんだから!」
「・・・」
なんか不味かったら、消します。