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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
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第182話 神話の一節 (あるいは、語りたくない昔ばなし その3)


 侍衆は、林の中をひた走っていた。

 

 狂暴な獣たちの生息域だというのに、騒々しくも足を踏み鳴らし、息を荒げている。強靭なハーフオーガの中でもさらに精鋭である彼らであっても、疲弊し、それに加えて心を乱した状態であっては、全滅の危険性をはらんだ愚かな行為だった。


 だが、彼らは命じられたのだ。


 誇り高き一族でも最強の女侍から。


 『逃げろ』、と。


 「あっ!」


 息も絶え絶えに走り続けるハーフオーガの一人。侍衆に入ってまだ日が浅い、少女と言って良い年齢の女侍が、足をもつれさせて転倒した。

 それを見た先達が、慌てて駆け寄る。 


 「おい、大丈夫か!?」

 「は、はい・・・」


 如何なハーフオーガと言えど、もう限界のようであった。

 あの悍ましい闇の様な男に背を向けてから、ほぼ一時間。まったく休むことなく、走り続けてきたのだ。


 少女が転げたことをきっかけにして、十数人の侍衆は足を止めた。

 手を膝につき、あるいはいっそ地に身体を投げ出し、思い思いに体力の回復を図る。

 

 まだ、信じられない。


 自分たちの故郷が、跡形もなく消え去ったことが。

 そして偉大なる侍大将と爺やが、それを為した恐ろしい存在を相手に決死の戦いを挑んだことが。


 「ルイン様は、ご無事だろうか・・・」


 ふと、誰かが呟いた。


 その言葉に、全員が来た道を振り返る。


 一同は、彼女の尋常ならざる様子から、その考えを察することができていた。


 “時を稼ぐ”

 

 そのためだけに、あの二人は闘っているのだろう。


 集落で一番の使い手だったルインが、あそこまで必死になるのだ。

 恐らく彼女の剣をもってしても、あの闇を払うことはできまい。


 それならば・・・

 

 「皆、行こう・・・」


 また誰かが、呼びかけるように言った。

 

 ここ数日に及ぶ狩猟活動と、そしてつい今までの全力疾走による疲労は、とても数分程度の休息でとれるものではない。だがそれでも、少しでも前に進まなければならないのだ。


 やがて侍衆は、のろのろと身体を起こし、立ち上がる。


 歩いてでもいい。

 這ってでもいい。

 とにかく、ルイン様が命を賭けて捻出してくれた貴重な時を、浪費するわけにはいかない。

 

 わずかに生き残ったハーフオーガたちが、そんな悲壮な覚悟を抱いて、再び歩を進めようとした。


 その時。 




 「くははははっ」






 頭上から響いてきたその笑い声に、侍衆は凍り付いた。

 

 まさか。

 そんな筈はない。

 “そいつ”がここにいるということは。

 つまりは・・・


 侍衆が、その声の方を見上げると。


 「そうとも!あの女は、偉大なる常闇が再臨するための、贄となった!」


 宙に浮かんだ“そいつ”が。

 闇の様な男が、まるでハーフオーガたちの心を読むように、げらげらと笑いながら言った。


 切り落とされたであろう左腕からはぼたぼたと血が落ち、どす黒く染まった胸元、心臓の位置には、刀剣が突き刺さっている。その花を模った鍔は、間違いない。一同が敬愛する、侍大将のものだった。


 「中々に奮闘したが、無意味だったなぁ!」


 明らかに致命的と分かる傷を負っていながら、その男は実に快活であった。

 顔に張りつけた歪んだ笑みが、悦楽故か一層深まっている。


 その嘲るような言葉に、しかしハーフオーガたちの心には一片の怒りすら浮いてこなかった。

 

 もう駄目だ。

 何をしようと、意味がないのだ。


 そんな諦めが、彼らの身体を真綿の様に締め付ける。

 逃げる気力が湧いてこない。

 

 心が、折れたのだ。


 それをまたしても“読み取った”ように、宙にある男は笑う。


 「そうとも!無意味なのだ!貴様らの抵抗も!存在自体も!」


 言いながらかざした右手に、どす黒い炎が出現した。

 魔法士ではない彼らの知識にはないものだったが、恐らく火球の一種なのだろう。しかし光を発するどころか吸い取ろうとする闇の色は、ただの炎ではないことがはっきりと見て取れる。

 強力な呪いが込められているのだ。

 

 そんなものに焼かれたのなら、想像を絶する苦しみを味わうことになるだろう。


 それが分かっていながら、やはり侍たちはピクリとも動けなかった。


 「さあ、貴様らも贄となれ!常闇をお迎えする糧となれ!」 


 闇の男は、絶望に飲まれた侍衆に向かって右手を振りかぶった。

 侍衆は、頭を抱えて座り込み、あるいは抱き合う。


 最早、これまでだ。


 終わる。


 自分の、命が。


 ハーフオーガの一族が。


 彼らはそろって、眼を閉じた。

 

 そして。







 ずどっ!



 鈍い音が響いた。

 次いで。


 「ぐぁっ・・・はぁっ!?」


 呻くような、悶える様な声が聞こえてくる。

 侍衆のものではない。


 では誰のものか。

 決まっている。


 あの、闇の様な男である。


 侍たちが、恐る恐る眼を開くと。

 なんたることか、宙で悍ましい男が、仰け反っていた。


 いや、それどころか。


 腹に、鉄塊が、突き刺さっていた。


 「ごっ、ぐぉぉっ!」


 背中まで貫通しているそれは、よくよく観察するに大剣のようであった。

 しかしなぜそんなものが、突然現れたのか?


 優美さに欠けるそれは、侍衆のいずれの持ち物でもない。


 で、あるとするならば・・・


 「うおおおぉあぁぁああぁぁっ!!」


 数秒の沈黙を引き裂く様にして、周囲にすさまじい怒声が響き渡った。


 ついで襲い来る、怖気。

 まるで身体どころか、魂や、存在自体が焼き尽くされてしまう様な恐怖。

 闇の男とはまったく異なるその威圧感に、侍衆は身を激しく震わせる。


 この期に及んで、何がやってくるのか。

 

 それは、ハーフオーガのみの思いでは無かった。


 「な、何者っ!?」

 

 悍ましい男が発した、その疑問に答える様に。



 ずだんっ!

 

 衝撃音と共に、侍衆の頭上に一筋の影がさした。

 それを目の当たりにした一同は、そろって息を呑む。

 

 人に良く似た姿かたちをしている。


 だが、違う。


 人が。


 理性を持つ人が、こんな形相をするはずがない!


 それは、まさに・・・!


 「があぁぁぁっ!!」


 獣が。


 いや、魔物が。


 否、赤い魔人が!


 宙に浮かぶ闇に向かって、襲い掛かった!











 アイザック少年は、農奴という卑しい生まれである。

 本人がそれと望んだわけではないが、幼少の頃から痩せた土地を開墾し、害獣や魔物に苦慮し、搾り取られるようにして領主に農作物を献上してきた。


 『どうも俺たちの祖先は、とんでもない罪を犯したらしい』


 自らが置かれた境遇に憤る少年に、父親はいつもそう言っていた。


 とても自身が納得してはいないのに、その子どもには理解するように強要する。

 それは少年の父親がまだ少年であった頃から、いやそれよりも以前から、繰り返されてきたことなのだろう。

 

 つまり少年の人生は、決定付けられている訳だ。


 ある時それを悟ってしまった少年は、自らの身体に流れる血を嫌悪し、その未来に絶望した。

 

 『だれも助けてはくれない』


 『だれもこの地獄から、救ってくれない』


 学も教養も思考力もない少年にも、それくらいは分かったのだ。


 だから、逃げ出した。


 ある日の夜明け。

 皆が仕事を始める頃。


 白み始めた東の空を見て、ふと少年は思ったのだ。


 『ひょっとしたらあの先には、何かいいことがあるのかな?』


 それは幼稚で、しかし一縷の望み。

 

 思い立った瞬間に、少年は粗末な小屋を飛び出していた。

 手にした農具を放り投げ、背中に掛かる家族の声を振り切って。

 少年は体力の続く限りに走り、走って、走ったのだ。


 明確な目的地がある訳でもない。

 あの先に、何があるのかも分からない。 


 ただ、逃げたいという一心で。


 助けてほしい、救ってほしいという一心で。


 少年は走り続けた。


 気が付くと少年は、見知らぬ林の中をさまよっていた。

 外界には命を狙ってくる危険な者どもが数多存在することを、畑を耕すことしかできなかった少年が知る由もなく。


 たちまちのうちに、少年は魔物に囲まれた。


 四つ足で歩き、毛むくじゃらで、なんだか尖った顔をしていて・・・

 

 とにかく、家畜や代官の乗っていた馬とは違う生物であることしか分からないその連中は、唸り、牙をむき出しにしながら、愚かな少年に襲い掛かってきたのだ。


 

 最早、これまでだ。


 終わる。


 自分の、命が。


 アイザックと言う一人の農奴の、人生が。


 彼は震えながら、眼を閉じた。



 だが。


 救いは、あった。


 助けてくれる人は、確かにこの地上に存在していた。



 「大丈夫か、小坊主」


 その女性は、艶やかな黒髪をなびかせながら問うてきた。

 そこから覗く二本の角は、やはり彼の知識にはないものだ。

 

 だが、美しい。

  

 一目見た時から、少年は心奪われていた。


 「男子たるもの、軽々に涙を見せるでない」


 そう言ってその女性は、腰の鞘に刀剣を収めた。

 周囲に転がる獣たちの死骸を見るに、彼女が助けてくれたのだろう。

 

 女性はゆっくりと、汗と涙と、ついでに小便に塗れてぐちゃぐちゃのアイザックに、手を差し伸べた。


 手を、差し伸べてくれたのだ。


 









 



 「あああああっ!!うおおおぁああぁあぁぁぁぁっ!!」


 少年の心は今、怒りの劫火で燃え盛っていた。

 生まれて初めて覚えた強い感情を制御しきれず、しかしそれに伴う強大な力に酔いしれていく。


 お前か。


 お前が、奪ったのか。


 俺の、俺の大切なものを・・・!


 少年は、“愛しい女性の匂いが残る剣”が刺さった老人に向かって、そう吠えた。


 そして宙に浮いていたその老人に跳びかかると、自らが投擲していた大剣を引っ掴み、力任せに引き抜く。


 「ごっぶふぅっ!」


 老人の口と腹から大量の血が吹き出し、その痩躯が大地へと墜落する。

 少年はしがみ付いたまま、そいつに向かって無理やりに剣を振るおうとした。


 「・・・ええぃっ離れろっ!」

  

 笑みを消し去った老人の、魔力を帯びた拳が、少年の顎を撃ち抜いた。

 脳を揺らされ、しがみ付くその手が一瞬緩む。


 老人はそれを逃さず、少年の身体を蹴り飛ばした。


 「死ぃねぇぇぇえいっ!」

 

 僅かばかりに距離が空いた瞬間、老人は右手を少年に向けた。

 途端に、強力な魔法が次々と放たれる。


 肉体を腐敗させる炎が。

 心を乱す捻じれた色の紋様が。

 吸えば即死する毒の霧が。

 心臓をねじ切る呪いの光線が。

 精神を支配する言霊が。

 

 老人の強大な魔力によって強化されたそれらが、一切の予備動作を挟むことなく、少年に向かって降り注いだ。 

 

 「がぁあっ!」


 それを見た少年は鋭く吠えると、横っ飛びに跳ね回った。

 大地を蹴って木に跳びつき、今度はそれをへし折る勢いで反対方向に跳ぶ。


 雨あられの如き魔法の間を縫うようにして、再び老人へと接近していった。


 少年の身体能力の限界を超えて引き出された驚異的な動きであったが、とても全てを躱し切れるものではない。

 

 見る間に少年の身体は燃え上がり、右腕が腐り落ち、顔半分が凍り付く。


 だが少年は、怯まない。

 

 尋常ならざる速度で老人に追いすがり、投射される魔法に構わずに突撃をした。

 瞬き数度の間に肉薄した少年は、残った左腕でのみで、軽々と大剣を持ち上げる。 


 「ぬぅぁあーーー!!」

 「うぬっ!」

 

 頭上からの一撃を、老人はとっさに右腕を掲げることで防ごうとした。

 しかし少年は、その上から老人を打ち据える!


 どっがぁんっ!


 「ぐ・・・は・・・」


 片腕のみの斬撃だというのに、恐ろしい威力だ。


 押し込まれた右腕が肩にめり込み、骨を砕き、またもや老人を大地に叩き落とした。

 だが魔法の添加された業物の大剣だというのに、手を切るということができていない。


 それもその筈。

 少年が振るう剣は、もう術も何もあったものではなかったのだ。

 とにかく力任せに、難い仇に向かってやたらめったらに振り下ろす。


 その扱いは剣ではなく、鈍器としてのそれだった。


 大好きなお師様に、ぶん殴られながら覚えた基本。

 気の置けない大親友に、突かれながら身に着けた応用。


 身体に染みついていたはずのその剣術は、もうそこにはない。


 彼は自らの身体に流れる血に支配され、理性を捨てていたのだ。 


 「あぁあぁぁあっ!!うおおああぁぁぁぁっ!」


 奇怪な叫び声が木霊し、木々が薙ぎ払われる。


 大地が抉れ、激しく揺れ、獣も魔物も、そしてハーフオーガたちも、怯えて逃げていく。


 魔人だ。

 

 赤い髪の、魔人だ!




 しかし。 


 怒りに飲まれながらも、その魔人の眼からは。


 大粒の涙が、とめどなく溢れていた。







 「お・・・、おのれぇっ!小僧ぉっ!」


 右腕があらぬ方向に捻じくれ、両足を切り落とされ、頭蓋を叩き割られ、片方の眼球を跳び出させてもなお、その男は。“大首領”は、生きていた。


 いや、そもそも高次の存在たる“不死人”へと昇華した彼が、物理的な攻撃によって滅ぶことなどあり得ない。

 そうであっても、眼の前の野獣の如き子どもの煩わしさは、筆舌に尽くしがたいものであった。


 会敵したからというもの、大首領は自身の扱う最高の魔法を幾つも放ってきた。

 いずれも命中すれば、ただでは済まないどころか死を免れない威力だ。


 しかし眼の前の魔人は、それらをどれ程身にうけても、一向に止まらない。止まる気配すらない。

 

 それに加えて・・・


 「こやつ、思考をしておらんのか!?」


 大首領の金色に輝く瞳が、僅かに揺れる。


 不死人になった時に体得した能力である、“読心”。弟子達に再現させたそれは、強固な意志を持つ者には抵抗されてしまうが、大首領の用いる限りにおいてはそのような制限はない。


 最も、先刻の“女戦士”の様に、読めてもその意図を正確に理解できないことや、この“獣”の様に、そもそも読んでも意味がないこともあるのだが。


 『まさに、本能のままに戦う野蛮人。無意味な存在よ!』


 大首領は半壊した肉の身の中で、眼の前の少年をそう評した。

 人を人たらしめる理性を捨て、ただただ獣の様に怒り狂い、暴れ狂う。


 まったく品性下劣な、取るに足らない存在だ。


 だというのに、これ程の強壮さを持つとは・・・


 「いい加減にしろっ!この蛮族奴っ!」


 どうにかして宙に浮く大首領は叫び、身体を振り回す。

 すると、ぶら下がるばかりだった右腕の残骸が、今まさに大剣を振りかぶっていた少年の左腕に向けられた。


 呪文を詠唱することもない。動作も必要ない。


 大首領程の超魔法士ともなれば、そんなものは省略できて当然だ。


 裏返っていた右手の人差し指から、光が放たれる。


 “熱線”。


 初歩的ながらも大首領の能力で威力が最大まで高められたそれは、少年の左腕を正確に射貫き、即座に灰にしてしまう。

 握っていた大剣が大地を転がり、少年はたたらを踏むようにして膝を曲げた。


 「どうだっ・・・!?」


 勝利を確信しかけた大首領は、次の瞬間驚愕した。


 なんたることか。


 両腕を失った少年は。


 縮こまらせたその身体を、今度は爆発させるかのように急激に引き延ばした。


 大口を開けて、跳躍してきたのだ!


 そしてそのまま、大首領の喉元に喰らいついた!


 「な、なんと・・・」


 そう呟いた直後に、大首領の首から鮮血がほとばしった。










 「これは・・・!?」


 跳び出して行った少年剣士を追いかけてきたアリシアは、その異様な光景に驚愕していた。

 木々がなぎ倒され、地面が焼けこげ、腐り、凍り付き、抉れている。

 強力な魔法の痕跡と思しき残り香も合わせて、大規模な戦闘の結果の様に見えた。


 ずどんっ!


 地揺れの様な振動が、アリシアの全身を震わせる。

 ここに走ってくる最中にも聞こえた、激しい音。今度は、すぐ近くだった。


 ずどんっ!ずどんっ!


 アリシアは、その音源に眼を向けた。

 先ほどの荒野程ではないが、木立の間にぽっかりと円形に開けた空間。

 その中に、いた。


 「あ、アイザックさん・・・!」


 震源地と思しき窪地。

 明らかに自然にできたとは思えないその中心地に、見知った少年の背中があった。


 彼は、地団太を踏んでいた。


 いや、違う。


 少年の足の、そのすぐ下。

 何かうごめくものがある。


 少年は、それに向かって。


 ずどんっ!ずどんっ!ずどんっ!


 またも、力いっぱいに足を踏み下ろした。


 何度も、何度も。しつこくしつこく。


 そしてその度に血と肉片が飛び散り、“それ”が苦痛のうめき声をあげた。


 その酷い有様からはとても信じられない。

 だが、纏う悍ましい気配で分かる。


 “大首領”。


 不死人軍団の、頂点だ。


 「ごはぁぁぁぁぁっ・・・・」


 少年は大きく深呼吸をすると、最早戦闘不能とはっきりわかるその男を、またもや踏みつけた。

 

 ずどんっ!


 砂埃と、弱々しい悲鳴が上がる。


 「アイザックさん!お止めなさい!」


 アリシアは、明らかに異常な少年剣士に声をかけた。

 彼の身体から溢れ出してくる、まるで周囲の一切を焼き尽くしてしまうかのような、怒りの渦。 


 あり得ない。


 あの心優しく、ひたむきな少年が、こんな感情を抱くだなんて。


 「アイザックさん!もう止めてっ!」


 アリシアの必死な叫びに、しかし少年剣士は全く無反応だった。

 

 聞いていないのか、あるいは無視しているのか。

 

 顔が見えないこともあり、はっきりとは分からなかった。

 だが、今少年の顔を見るべきではない。見たくない。

 

 少年らしからぬ振舞に、アリシアは身をすくませた。

 すると。 


 「止めろっ・・・て、言ってんでしょ!」


 親友であるイリーナが、荒い息をつきながら言った。どうやら今になってようやく、ここに到着したらしい。

 大急ぎで走ってきたため、置いてきてしまったのだ。


 「この・・・っ!大馬鹿っ!」


 憤る親友の魔法士が呪文を唱え、杖を振るう。するとその先から光の筋が伸び、縄の様にして少年の身体に絡みついた。

 恐らく、対象を戒める類の魔法なのだろう。少年の傷ついた身体は、みるみる光に包まれ・・・


 「がぁっ!」


 雄たけびと共に、光がはじけ飛んだ。

 驚くべきことに、すでに限界を通り過ぎているように思える少年が、自力で戒めを解いたのだ。


 「そんな・・・」


 その呟きは、二人の娘のどちらかの。あるいは、両方の口からこぼれたものだった。


 あの、太陽の様に笑う少年が。

 どうしてここまで、狂ったように暴れるのか。

 大切なものを奪われたという怒りは、それ程に大きいのか。

 

 いや、むしろ・・・? 


 「馬鹿野郎が・・・」


 いつの間にか小さな影が、少年の背後に立っていた。

 そして、腕をほんのひと振りする。


 それだけで、終わりだった。


 「テメーは本当に、大馬鹿野郎だよ」


 レオンはそう呟き、少年の背中。脊柱に突き立てていた刺突剣を引き抜いた。

 運動神経を絶たれた少年は、これ以上の狂態を晒すこともなく、静かに倒れる。


 「ちょっと!レオン!」

 「しゃーねぇだろ。こうでもしなけりゃ、止まんねーよ」


 抗議するイリーナに、年長者は顔をしかめながら答えた。可愛がっていた少年剣士の変貌ぶりと、そんな彼を止める術がこれ以外になかったことが、悔しくてならないのだろう。

 

 そんなレオンの足元で、ようやく大人しくなった少年が眼を閉じた。

 まるで眠るような、安らかな表情。

 彼は今まで、この顔で凶行に及んでいたのだろうか。

 

 いや、そんなことはないだろう。


 「・・・おい、アリシア!」

 「あっ!は、はいっ!」


 大英雄にどやされ、アリシアは慌てて少年に駆け寄った。

 大首領との死闘で負った致命傷。そして、今しがたのレオンによる一撃を、癒してやらねばならない。


 『なんてこと・・・』


 横たわる少年の身体に触れ、アリシアは悲痛に顔を歪めた。


 大首領程ではないにしても、少年も酷い有様だった。

 両腕は完全に欠損しており、ほぼ全身に亘って火傷、凍傷、筋繊維の断裂。さらには、重度の呪いの影響と思しき壊死もみられた。


 「名も無き神よ。どうかこの少年に、救いを・・・」

 

 少年の心の痛みを察した娘は、自らの主神に強く祈った。


 怒りに飲まれていたとはいえ、こんな状態でよくも戦えたものだ。

 彼の狂乱の原因は、あのハーフオーガの女性にあるのだろう。

 彼の腕の中で塵になっていった、憐れな女性。あの荒野で起こったであろう惨劇の、犠牲者の一人。


 『この人は、また・・・』


 大切なものを、失ってしまった。

 救うことができずに。


 『そうか、アイザックさんは・・・』


 

 多くの人々を救ってきたのに、肝心の近しい人を救えないという虚しさ。

 その無力感は“自分への怒り”に転化したのだ。

 

 「アイザック・・・」


 イリーナが涙を流しながら、アリシアの隣に座り込んだ。

 そしてゆっくりと手を伸ばし、少年の傷だらけの顔を優しく撫でる。


 今朝、この少年に想いを告げようとしていた、心の強い女性。

 私では、この少年の傷ついた心を救ってやれそうにない。

 でも彼女ならば、あるいは。


 
















 「よお、“大首領”サンよ」


 その嘲るような調子の、しかし明確な怒りがこもった言葉に、“大首領”はどうにか繋がっている首を動かした。するとそこにはいたのは、一人の子どもだった。

 

 「あんな大馬鹿剣士に負けるたぁ、不死人の王ってのも大したことなかったな」


 言いつつその子どもは、刺突剣を突きつけてくる。ぼやけていて顔ははっきりと分からないが、その気配は何度か感じた覚えがあった。


 そうだ。

 こやつは、子どもではない。


 今までに何度も何度も邪魔をしてきた、憎きハーフリンクの盗賊。たしか、レオンとか言ったか。


 「残念だったなぁ。これでテメーらの悪逆三昧もお仕舞いだ」


 ひゅかっ


 風切り音と共に、ぼやけていた視界が完全に闇に包まれた。

 盗賊が、残っていた眼に刺突剣を突き立てたのだ。途端に帯びていた奇跡の力が流れ込み、痛みを伴わない苦痛が脳髄を駆け巡る。


 それでも、自分はまだ、滅びてはいない。

 元よりこの地上に、“本物”の不死人を滅ぼす方法などありはしない。

 少なくとも、現在は。


 だが高次の存在となった自分が、明らかに下等な者に痛めつけられ、身動き一つとれない体たらく。

 時間をかければ再生できるにしても、この盗賊がそれを見逃すことはないだろう。

 四肢が生えれば切り落とされ、五感が戻れば潰される。


 なんと情けないことか。

 つまりは・・・


 「無意味じゃ」

 「あん?」


 ハーフリンクの訝るような声が聞こえる。どうやら、理解できていないようだ。

 ならば、最後に教授してやらねばならない。


 すなわち。

 

 「儂の人生も、存在も・・・。すべては、むいみ・・・」


 その言葉と共に、大首領の原形をとどめぬ身体から、一切の力が抜けていった。

 自らを不死人という高次の存在たらしめていた、大いなる力。

 

 それを、主神と仰ぐ超高次の存在に献上したのだ。




 そして。



 それを呼び水にして。




 世界に。



 

 闇が満ちた。


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