第177話 大首領という男 中
明日も出勤イェーイ!
「さて、諸君。儂等は、今後どのような道を選択するべきであろうか?」
研究室の中心。
円卓の上座についた教授は、笑顔で弟子達に問いかけた。
教授の言う道とは、つまりこの進退窮まった状況で、身の振り方をどうするかという問いだ。
そんな難題だというのに、問いかける初老の男は何処か飄々としている。
この場が大学の研究室であることからも、それはまるで講義の一種であるようにも見えた。
「従属!」
「抵抗!」
口火を切ったのは、ウルファとマラックであった。
その瞬間に、元々冷え切っていた研究室の空気が凍り付く。
教授の両脇にそれぞれ陣取っていた双子は、お互いがお互いをぎろりとにらみつけた。
「抵抗だと?こうして貧窮を極める状態だというのに、何を考えているんだ?」
「そっちこそ従属だなんて、自尊心というものが無いのか?そういう理不尽な圧力には抵抗しなければ駄目だろう?」
「お前は現実が見えていないな、マラック。抵抗なんてできないから、この現状があるんだろう?」
「志が低いんだよ、ウルファ。教授や僕たちの力を合わせれば、この程度は苦境の内にも入らない!」
彼らを眺める師と同輩たちは、『また始まった・・・』と思いつつ顔をしかめた。
双子の諍いは、これに始まったことではない。
研究活動においては驚くべき連携を見せる二人だが、反面衝突することも多い。
朝食の麺麭の焼き加減から始まり、シュリエックの世話する野良犬と野良猫のどちらが可愛いかで舌戦を繰り広げ、果ては『閉じた宇宙』か『開いた宇宙』かで殴り合うのだ。
同じ顔、同じ背格好だというのに考え方はまるで異なり、それ故に時折このような低次元な紛争を起こすのだ。
その間に座っている教授としては、たまったものではない。
「お前という奴は、教授の深いお考えをまったく理解していないな。あんな国粋主義者どもにに迎合してみろ。教授の偉大なる頭脳が、戦争のために利用されることになるんだぞ!?考え無しが!」
「今は国家総動員令がかかってるんだぞ!それに逆らい続けたら、今度は檻の中に入れられるかもしれないじゃないか!低能!」
「教授の発明が大勢人を殺すことになってもいいってのか!?無責任なこと言うな!このドチビめ!」
「むしろ大戦を早期に終結させれば、それだけ犠牲者だって減るだろうが!このでくの坊!」
だんだんと口汚い罵り合いへと発展・・・、もとい衰退していく論戦は、じきに取っ組み合いへと昇華・・・、もとい墜落していくことが明らかであった。
流石に見かねたのか、ガルやシュリエックがそれぞれに隣の兄弟子の肩に手を置く。
「いい加減にしろよ、マラック。教授が迷惑しているぞ」
「ほらぁ~、鼠ちゃんが怖がってるだろ?もう止めなよ」
弟子達の中では教授に師事したのが遅い方だったが、それでも年齢的には双子よりも少しだけ上である。そんな心の余裕をもって、ともすれば人生の先輩として、彼らを諭そうとした。しかし。
「喧しいわ!剣術●●●●!」
「すっこんでろ!動物オタク!」
年下の先輩からの言葉に、ガルとシュリエックは固まった。
年齢的には確かに双子よりも上だが、それでも所詮は十歳の子どもだ。
面罵されれば激高するのは、当然と言える。
「ほほぅ・・・」
「へぇ~・・・」
顔をゆがめた二人がガタガタと席を立つと、応じるかのように双子も立ち上がる。
一触即発。
教授の下で魔法、剣術の指導を受ける彼らは、子どもながらに軍人に匹敵する戦闘能力を持つ。そんな彼らが、こんなぼろっちい研究室で全力でぶつかったらどうなるか。
『ああまったく。次元が低いのう・・・』
今や唯一の安息の地となった研究室。この廃屋同然の住処まで失う未来を幻視し、教授は盛大にため息をついた。
ウルファとマラックがそれぞれ子どもなりに頭をひねっているのは分かるが、どうしてこうも喧嘩腰なのか。おかげで止めに入ったガルとシュリエックまで巻き込んで、しょうもないド付き合いが始まりそうになっている。
彼らに授けた力や技術は、こんな低次元なことに使うべきではないというのに。
『やはり人のままでは、争う運命からは逃れられぬのか・・・』
思えば、今次の大戦についても同じである。
資源豊かな山岳地帯の帰属をめぐっての二国間の小競り合いが、今や十を超える国家間の様々な思惑が交錯する大戦へと発展してしまった。
強大な力を持つ戦士同士の一騎打ちで勝敗を決する小規模な決闘から、一度に数万人が師匠する凄惨な殺戮兵器が跳梁する大規模な戦闘に。
市民にとっては支配者が変わるだけだった筈の行事が、家族と財産と未来を毎日の様に案じなければならない災厄に。
・・・これは、発展ではない。
衰退だ。
どんどん低次元に推移していく。
劣化していくのだ。
「おい、オースティン。兄弟子なんだから、あいつらを止めろ」
「無理ですよ。あいつら一度火が付くと、僕どころか誰の言うことだって聞きやしないんですから」
「ではシューモ、お前が止めろ。お前の実力なら、簡単だろう?」
「いやいや、教授から教わった技術は、こんなことのために使うべきではないでしょう」
「ええぃ!どいつもこいつも!」
憤る教授の眼の前で、ガルが魔法の力を込めた剣を抜き放ち、シュリエックが召喚によって鼠たちを呼び出そうとする。
対する双子も応じるようにして、攻撃魔法の準備に入った。
殺気立つ弟子達の中にあって、オースティンとシューモは観戦を決め込むという有様だ。
まったくこの餓鬼どもときたら!
自らの持つ能力の本質、その可能性をまったく理解していない!
「貴様ら止めろ!いい加減にせんと、破門するぞ!」
怒声と共に教授が円卓を殴りつけると、魔力の渦が巻き起こった。
抑えきれないその強大な波動は、弟子達の小さな身体を揺さぶり、集まりかけていた鼠の群れを追い散らしていく。
教授の殺気めいた圧力をもろに浴び、ようやく愚かな弟子達は冷静さを取り戻したようだった。
各々がきまりの悪そうな顔をしつつ、席についていく。
「・・・うむ」
子ども相手に本気になりかけたことに、教授は多少の後ろめたさを覚えた。
全体彼らは、身寄りがない。
いや、あるにしても、受け入れてもらえない。
そのような、才能があっても不遇に過ぎる者たちを望んで拾ってきたのは、教授自身だったのだ。そんな彼らを破門すると脅しつけるなど、彼らを放逐する無能共と同じではないか。
『ふむ。まあ、しかし・・・』
静かになった弟子達を見渡しながら、教授は眼を細めた。
やはり子どもをしつけるのは、大人の役目だ。
ならば低次元な輩を御するのは、高次元の存在の務めであるとは言えないか。
この子どもの喧嘩も、世界大戦も同じだ。
強大な力を持つ者が現れない限り、蒙昧共はその全力を振るって“殴り合い”、やがて全員が力尽きるだろう。
あるいはその役目を負う者は、神などと呼ばれる存在なのかもしれない。
だが、“この地上に神はいない”。
いや。
いる筈なのだが、“未だに顕現していない”。
それならば・・・
「諸君の有様を見て、儂は確信したよ。選ぶべき道は一つしかないとな」
全員が落ち着きを取り戻したことを確認すると、教授は最初の様に笑顔になった。
自らの師の機嫌が納まったと判断したのだろう。
ウルファとマラックは、またもや我先にと口を開いた。
「恭順ですか?」
「抵抗ですか?」
「いいや、そのどちらでもない」
教授はぴしゃりと言い放つ。
もうこれ以上、低俗な争いごとは許さないという意思表示だ。
「儂等が選ぶべきは、第三の道。下らん国家や社会からの解脱じゃ」
解脱。
それは先刻シューモが提言したような、亡命とも違う。
国家からも、社会からも。
およそ人との関りを捨てて、完全に俗世から抜け出すということだ。
しかし、そんな観念的な言葉を述べられたところで、優秀ではあってもまだ幼い子どもたちには理解ができない。
魔法と世間一般の常識くらいしか知らないオースティンは、訝る様に言った。
「教授、それはつまり・・・?」
教授は一番弟子の顔を見つめ、頷いた。
そしてシューモ、ウルファ、マラック、シュリエック、ガルと、順に兄弟弟子たちに視線を移していく。
その強い意思の光が浮かぶ眼には、彼らならば賛同してくれるという確信がこもっていた。
「儂等は、より高次元の存在へと、“進化”するのじゃ」
我が子同然である弟子達を前に、稀代の賢者と称される教授が述べた言葉。
それは彼の願いであり、夢であった。