第161話 屈しない心
「そんな、なぜ・・・」
デーモンに掴み上げられた弟子を呆然と見つめながら、ディンは魂が抜けたかのような声で呟いた。
戦場のど真ん中で棒立ちするという、彼らしからぬ不甲斐ない行為であったが、幸いなことに上空のデーモンたちが襲ってくる様子はなかった。ディンと“もう一人”の闘いぶりを目の当たりにすれば、いかに邪神の眷属と言えども無為無策な突撃を躊躇するというものである。
しかし。
「っ!?不味いっ!」
ディンが見つめる中で、地上に降り立っていたデーモンたちが動いた。
どうやら彼らは、弟子を即座に殺さず、弄ぶことに決めたようだ。
少女の小さな身体を掴んだデーモンが、翼をはためかせて跳び上がったのだ。
そして少女を取り囲んでいた他の連中も、それに追随していく。
外道の集団は見る見るうちに上昇していくと、滞空するデーモンの軍勢の少し下あたりで止まった。これからすることを、仲間たちに見せびらかそうというのだろう。
それが分かっていながらも、ディンにできるのはせいぜい歯噛みをしながら唸ることくらいであった。
不味い。
あれ程高くに飛ばれてしまっては、迂闊に手が出せない。
跳躍して、弟子を捉えている腕を切り落としたとしても、落下する弟子を受け止めることができるだろうか。いや、そんな隙をさらす様なことをすれば、上空で待機している他のデーモンたちが見過ごさないだろう。
腰に吊った聖水や短刀を投げつけたところで、多少怯ませることができるかどうかだ。
つまり、ああ、何といえばよいのか。打つ手がない。
どうすれば。
一体、どうすれば。
ああ、アリシアさん・・・
俺は・・・
聖戦士ディンの手は、激しく震えていた。
彼の心を支配するのは、あまりに大きな二つの感情。
大切なものを失うことに対する恐怖。
そして、それを防げないことに対する絶望。
永き時を過ごしていながらも、彼の心は未だに脆弱で。
そして彼は、無力だった。
「リィル・・・」
ディンが、いよいよ膝を屈しようとした。
その時。
がんっ!
金属同士がぶつかるような大きな音と共に、大剣を握るディンの腕に衝撃が走った。
「む?」
ディンが振り返ると、すぐ背後には機械人形が立っていた。
いや、正確には、ディンの大剣の腹を脚で踏みつけていたのだ。
一体何のつもりなのか。
機械人形は、訝るディンの大剣を踏みつけた脚をそのままに、今度は静かに左手で彼を指さした。
そして次に、踏みつけている大剣を。最後に、デーモン共に取り囲まれている弟子を。
そうして順繰りに指さしていった後に、ようやくその金属製の脚をどけた。
この糞忙しい時に、何を訳の分からないことを。
そう叫ぼうとしたディンは、口を開けたまま固まった。
はたから見れば意味不明なその一連の行為に、しかしディンは稲妻に打たれたような気分になった。その脳裏に、確かにひらめくものがあったのだ。
「・・・あ!う、承った!」
即座に意図を理解したディンは、大剣を両手で背負うようにして構えた。
しかしその刃は、相変わらず横になっている。
まるで、腹の部分に何かを乗せるためであるかのように。
本来デーモン種は。
もしくは、邪神の眷属たる悪鬼たちは、強靭な身体能力を有している。
膂力、耐久力は勿論のこと、生半可な剣戟など容易に跳ねのける固い皮、空中を自由自在に飛行する翼。そして、弱者の心に恐怖を植え付ける邪眼に、肉どころか骨まで切り裂く爪。
これらはいずれも、脆弱な人間種との比較に用いられる点ではあるが、実はもう一つ優れた能力がある。
それは、発達した知性。
その生来の残虐性ばかりが注目される彼らではあるが、実際はそこいらの人間種などより余程賢いのだ。
瞬間的な状況分析能力と、判断力。
今この時に、何をどのように為すべきなのか。その最適な道筋を素早く考え、実行することができるのだ。
そして。
雪の様に白い髪の少女を捉えた悪鬼は、即座に考えたのだ。
“この、己の実力すら理解できない愚か者は”
“その行為の無為さと、自らの無力さを噛み締めさせながら”
“絶望の中に叩き込んでから、殺すべきだ!”
と。
彼らは。
悪鬼はいつだって、その優れた頭脳で考えているのだ。
できるだけ楽しく。
できるだけ可笑しく。
できるだけ面白く。
“殺す”方法を。
「あっ・・・ぐぅっ・・・」
悪鬼が片手で掴み上げた少女は、苦悶の表情を浮かべながらもじたばたと抵抗をした。
それを見た悪鬼は、即座に手の力を緩める。
別に慮ってのことではない。
無論、逃がそうなどという意思もない。
“ここで殺してしまっては、駄目だ。”
“もっともっと、恐怖を。”
“絶望を、その小さな心に・・・!”
悪鬼は絶対的優位な立場を自覚し、この少女をいたぶろうとしていた。
空高くから吊り下げ、振り回し、放り投げる。きっとこの人間の子どもならば、盛大に愉しませてくれるに違いない、と。
もしも彼らが、この少女と“忌々しい奇跡の戦士”との関係性に気が付いていたのならば、その対応は変化したのだろうか。
いや、きっと大して変わらなかっただろう。
彼らにとっては、同胞の滅びなどさしたる問題ではないのだ。
よって、この少女を盾にするという手段はとらない。
精々その奇跡の戦士に見せつけるようにして、殺すのだ。
彼らの頭脳には、その優秀さに反してさしたる理性は宿っておらず、衝動性に振り回されるしかない。こうやって手間暇をかけて殺すことが、彼らにとっては創意工夫に富んだ芸術なのだ。
やがて悪鬼は、空高くへと昇ると、少女を握る手をゆすった。
「あぅっ!?」
少女は顔を青ざめさせると、今度は逆に悪鬼の手にしがみついてきた。
その表情と行動から読み取れる感情に、悪鬼は無上の喜びを得た。
肉体も、そこに宿る心さえも弱い存在。
そいつらが、死の間際に魅せるひと時の暗い光。
絶叫。
狂乱。
命乞い。
それらすべては、悪鬼にとっては素晴らしい成果だ。
“なあ、お前。”
“これから自分がどうなるのか、よく分かっているんだろう?”
“どんな気分だ?”
“どんな気分だ!?”
“なあ!どんな気分なんだ!?”
悪鬼は震える少女に顔を近づけながら、笑いかけた。
それは、絶大な力量差を確信している者の、邪悪極まる奢りの笑顔だった。
何せこの悪鬼と少女の間には、覆せない力関係がある。
すなわち、掌握する側とされる側。
弄ぶ側と弄ばれる側。
殺す側と殺される側。
常に上位にあるべき悪鬼は、自らを滅ぼしうる奇跡の戦士の到来に少しばかり怯えてしまっていた。
だが、本来自分たち“常闇の子どもたち”とそれ以外との関係とは、かくあるべきなのだ。
それを噛み締め、同時に同輩たちに見せつけるために、悪鬼は少女に歪んだ笑みを向けたのだ。
しかし。
それを向けられた少女は。
「・・・っ!」
少女は口をぎゅっと結ぶと、自らを拘束する悪鬼の方に顔を向けた。
その表情を見た悪鬼は、驚愕した。
なんということだろうか。
自らを放り捨てようとしている悪鬼を、睨みつけているではないか!
それは、屈服しないという意思表示。
この弱い存在は、直面した死に。
自らの滅びの未来に対して、絶望することを拒絶している。
その心に点るのは、ほの暗い絶望ではない。
むしろ、眩いばかりの光ではないか!
弱者からの強い眼差しを受けた悪鬼は、圧倒的強者の立場にありながら、僅かに怯んだ。
そして、その結果。
対応が、遅れてしまった。
彼の視界の端では、忌々しい二つの定命の戦士たちが、何か奇妙な動きを見せていたのだ。
それは、創造主たる“常闇”から与えられた知識にはないものであった。
忌々しい奇跡の戦士の見せた、大剣を背負うような構え。しかしその刃は、横を向いている。
いや、そもそも、剣の腹の上に“動く鎧”を乗せているではないか。
それでは剣を投げつけるにしても、そいつが邪魔になってしまって・・・?
ほんの数秒だが、忌々しい戦士たちの奇怪な行動に、悪鬼たちは動きを止めてしまった。
奴らはこれから一体、何をするつもりなのか。
何かの儀式の一種なのか。
「行くぞぉ!」
静止した時間を動かす合図の様に、大きな掛け声が上がった。
理解しかねている悪鬼に答えを見せつけるかのように、奇跡の戦士は。
背負った大剣を、“動く鎧”を乗せたまま、強引に振りぬいた。
すると、金属製の魔物のように見えるそいつは。
まるで放たれた矢の様に。
あるいは、砲弾の様に。
想像を絶する速度で、地上から放たれた。




