第145話 脆い友情について
友情。
なんという素晴らしい言葉なのだろうか。
時に人はそれのために命を救われ、同時に命を懸けることだってある。
つい先日の私が、そうであった。
友情。
しかし、なんという儚い言葉なのだろうか。
時に人は僅かな利益のためにそれを捨て去り、場合によっては真逆の敵意へと反転させることだってある。
私は今日ほど、それを痛感した日はなかった。
「こればっかりは!」
「譲れませんね!」
通行人の行きかう歩道のど真ん中。
衆目など一切気にしない私たち二人は、お互いにそう宣言し合うと、同時にぷいっと顔をそらした。
後になって考えると、まったくもって度し難い行為である。
私たちは相容れない主張をぶつけ合い、お互いを許容できなくなってしまったのだ。
誰にだって、譲れない一線と言うものがある。
奇しくも今回は。
私たちにとってのそれが、まったく同じ分野についての話題だったのだ。
「ごうじょうだね!」
「リィルさんこそ!」
腕組みをして背を向け合う私たちは、何て気の合う友人同士なのだろうか。
でも、だからこそ。
気心の知れた親友であるからこそ。
私たちは、こうして対立するのだ。
お互いに、引けなくなってしまったのだ。
「私の!」
「僕の!」
どちらともなく背中をドスンとぶつけ合うと、私たちは怒鳴った。
「師匠の方が!」
「お師様の方が!」
息を吸い込み、一拍の間をおいて。
私たちは、あらん限りの声で叫んだのだ。
『つよい!』
私たち二人は、ある共通の目的を持って歩いていた。
ある人物への面会。
不可能かと思われていたその望みが、なんともあっけなく叶えられたからだ。
「わたしの師匠のおかげなんだよ!」
自分のことではないというのに、私は親友に対して自慢げに言ったのだ。
獅子の皮を被った驢馬の様な行為に少しだけ胸が痛んだが、しかしクリス君はいたく感心してくれた。
「へぇぇ、凄いんですね!」
そう言って眼を輝かせる少年は、心から私の師匠のことを尊敬してくれているらしい。
その事実に、ますます私はいい気になってしまった。
今回の、この街における重要人物への接触は、当然のことながら選ばれた者にしか許されない。
そこに私とクリス君が選ばれたのは、ひとえに師匠の人脈によるものであった。
「師匠がね!りょうしゅさまに、おねがいしてくれたの!」
道を歩きながらふんぞり返る私に、親友は何度もうなずいてくれた。
自分の功績ではないというのに、私は実に誇らしかった。
大切な人から認めてもらえるというのは、本当に心地の良いものなのである。
「いやぁ、凄いですよ!」
親友の惜しみない賞賛に、何故だか私が“首筋を撫でる”のであった。
“彼女”に会うことは、私たち二人の心からの願いであった。
あの一件以来、私たちは毎日の様にその手段を相談したものである。
しかし、何をどうやったって、ただの子どもである私たちが易々と対面できる相手ではない。
この街の暗部にして最高機密である“彼女”は、一応のところ苦境を脱したらしいのだが、それでも軟禁状態が続いている。
外部の人間との接触などもっての外で、新しい家から出ることも、誰かを招くこともできないのだそうな。
でも。
それでも私は、誓ったのだ。
必ず“彼女”に、この街を。
この地上の素晴らしさを、教えてあげることを。
私のその決意を知った師匠は、とんでもない計らいをしてくれた。
またも領主に直々に頼み込んで、私たち二人と“彼女”の接触を許可してもらったのだ。
つい先日に私のせいでただ働きをさせられることになったというのに、なんとも弟子思いな師匠である。
それがあんまり嬉しかったものだから、私は調子に乗ってしまった。
私たちのために骨を折ってくれている師匠のことを、もっと友人に知ってもらいたくなってしまったのである。
「それに、わたしの師匠はねぇ。りょうりがとくいだよ!」
私は指をついついっと振ると、またもや保護者の良い点を主張した。
普段の私は、自分の大嫌いな師匠の欠点ばかりあげつらう小娘だが、今回ばかりは大好きな師匠を誇る弟子だったのだ。
すると。
それを聞いていたクリス君は、何故か腕を組んで考え込み始めた。
「料理かぁ、う~ん・・・」
眼をつぶり、眉尻を下げるその表情は、あまり良い感情を抱いているようには見えない。
一体何を考えているのだろうか。
気になったが、相変わらず興奮の覚めない私は続けて言った。
「それにそれに、そうじがとくいなの!きれいずきだよ!」
するとクリス君は、眉間に皺を寄せてますます深く考え込み始めた。
「そうじかぁ、う~ん・・・」
うんうん唸るその顔は、少し悔し気でもある。
ひょっとして彼は、私の主張する師匠の良い点についてを、自分のお師様のそれと比較しているのだろうか。
ぼんやりと頭の余剰部分でそんなことを予想しつつも、私は師匠の最も良い点についてを述べることにした。
そう。
私の師匠といったら、これ以上に良い点などあり得ない。
「あと、それとね。すっごくつよいんだよ!」
言い放ってから私は、ふんすと鼻から息を吐いた。
これは間違いようのない、絶対の真実だ。
例え天地がひっくり返ったって、無敵の漢である師匠が誰かに負けることなんてあり得ない。
私は絶対の自信をもって、親友の反応を待った。
すると。
クリス君は、途端に眼を見開いた。
今までの渋い顔は満面の笑みへと変わり、きらきらと輝いている。
「それなら!僕のお師様だって、すっごく強いんですよ!」
その勢いの強さに、私はややたじろいだ。
どうやら私の予想通りに、脳内で私の師匠と自分のお師様について比較をしていたらしい。
だが私が挙げたいずれの点についても、敵わないという結論に至ってしまったのだろう。
そうなると、今まで一方的に私の師匠についての自慢を聞いていたものだから、少しばかり鬱憤がたまっていたに違いない。
ようやく張り合える分野について話が及んだために、こうして口を挟んできたわけだ。
私はやや気押されつつも、めげることなく続けていった。
「わ、わたしの師匠は、すっごくすっごくつよいよ?」
だが、これだけは譲れない。
クリス君のお師様が優秀な魔法士であるということを疑う気は毛頭ないが、如何せん比較対象が間違っている。
なにせ私の師匠は大鬼だって一人で打倒すし、押し寄せる魔獣の群れだって機械人形の軍団だって一ひねりだ。
そんな凄まじい漢に比肩しうる人間など、この地上に存在しよう筈がない。
戦天城でその闘いぶりを目の当たりにした彼になら、それはよく理解できている筈なのに。
しかし、そんな私の思いとは裏腹に、親友は実に強情であった。
「ぼ、僕のお師様だって、すっごくすっごく強いんです!」
両手を握りしめ、鼻息も荒く言い切る少年は、断固として譲らない構えだった。
こうなると私も、頭に来てしまう。
「わたしの師匠のほうが、つよい!」
「いいえ!僕のお師様の方が強いです!」
いつしか私たちは睨み合うようにして顔を近づけながら、怒鳴り合っていた。
往来のど真ん中で二人してそんな大声を上げるものだから、周囲の人々は眼を丸くして私たちを見つめていた。
だが冷静さを欠いていた私たちは、そんなことにはお構いなしに口論を続けるのだった。
「こればっかりは!」
「譲れませんね!」
「ごうじょうだね!」
「リィルさんこそ!」
やがて私たちは腕を組んでそっぽを向くと、背中を向け合った。
最早、対立は決定的であった。
私たちはそれぞれに師を持ち、そしてその人物を尊敬している。
同時に、自らの師こそが最高であるとの自負心も抱いている。
まったくもって、私たちは似た者同士である。
そんな同じような考え方だからこそ気が合い、友人という関係になったのだろう。
しかしそれ故に、譲れない領分を同じくし、こうして引くに引けなくなってしまっているのだ。
「私の!」
「僕の!」
どちらともなく背中をドスンとぶつけ合うと、私たちは怒鳴った。
「師匠の方が!」
「お師様の方が!」
息を吸い込み、一拍の間をおいて。
私たちは、あらん限りの声で叫んだのだ。
『つよい!』
脇をすり抜けていく通行人に対して若干の申し訳ない気持ちを抱きつつも、私たちはたっぷり十分以上はそのまま背中を預け合うようにして立っていた。
刺すような寒さの中、私の背中からはほのかな温かみが伝わってきていた。
言うまでもなく、クリス君の体温である。
厚着をしている筈なのに衣服越しに体温を感じ取れるということは、彼は自身の主張に相当気合を入れているのだろう。
それだけ自分のお師様を信頼し、ともすれば愛情を持っているということなのだ。
「・・・ねえ、くりすくん」
「・・・なんですか」
お互いに顔を見向きもしなかったが、恐らくどちらもこの無益な口論の着地点を模索していたのであろう。
やがてどちらともなく身体を離すと、私たちはようやくお互いに向かい合った。
あくまでも視線は合わせなかったが。
「・・・どっちがつよいかは、もうやめよう」
「・・・そうですね、無益にも程があります。」
親友の言う通りに、強さ談義は実に無益だ。
こうして主張し合っているお互いの師の実力は、本当のところは半分も把握していないかもしれないのだ。
結果が知りたいから、ぜひお二方で決闘してくださいなんて言える筈もなし。全体、まだ会ってもいない親友のお師様に対して、無礼なことは絶対に言えない。
そこまで考えた私は、別の手段で決着をつけることにした。
「くりすくんのおしさまって、どんないいところがあるの?」
「え?それは・・・」
強さ以外に良い点があるのならば、主張してみて欲しい。
それで勝敗を決めようではないか。
聡明なクリス君は、私のその言外の意図を汲んでくれた。
彼は少しだけ間をおいてから頷くと、私の眼を正面から見据えて言った。
「僕のお師様は、とっても美人ですよ!」
美人。
成程、私の師匠には無縁の良い点である。
なにせ顔は十人並みでぱっとしないし、それ以上に服飾の感覚が壊滅的に悪い。最近は遊び人のグレンからの教示によって改善してきたが、気を抜くと途端に田舎者丸出しな出で立ちになってしまうのだ。
誠実なクリス君が嘘をつくはずもなし。容姿については間違いなく私の師匠では敵わないだろう。
「びじんかぁ、う~ん・・・」
私はその言葉に、腕組みをしたまま瞑目した。
どうあがいても勝てない部分を引き合いに出されると、反論のしようがなくなって黙るしかなくなってしまう。
そんな私に対して、親友は畳みかける様に次の良い点を挙げた。
「それに、とってもいい匂いです!うっとりしちゃうくらいに、甘い匂い!」
良い匂い。
成程、私の師匠には無縁の良い点である。
なにせあの生臭坊主は、肉も酒もたらふく食べたり飲んだりするもんだから、体臭が野獣のそれなのだ。最近は、汗をしっかり処理して香水をつけることが習慣になったので、大分マシにはなっている。
だがそれは間違いなく、クリス君のお師様とは比肩しうる段階には至っていないだろう。
「いいにおいかぁ、・・・うん?」
そこまで考えて、ふと私は違和感を覚えた。
匂い。
クリス君のお師様の匂い。
クリス君のお師様って、女の人だよな。
つまりあれだ。女の人の匂い。
うっとりしちゃう?
甘い匂い?
あれ?
なんだか・・・?
眉間にしわを寄せて考える私が、悔しがっているものと勘違いしたのだろうか。
喜色を浮かべる魔法士の弟子は、こぶしを振り上げながら続けて言った。
「それにそれに、お肌がとっても綺麗なんです!着替えるところを何度も見ていたから、間違いありません!」
私は真っ赤な顔で熱弁をふるう親友に向かって、静かに手を振り上げた。
ばっちーん!




