第12話 流行について
私の師匠は、致命的なほどに流行に疎い。
「断じてそんなことはないぞ、君」
師匠は雑誌から目を離さずに言った。相変わらず老眼鏡をかけている残念っぷりであった。
しかしこれは、揺らがぬ事実である。
「そうは言うがな、君。これを見てみたまえ」
師匠は読んでいた雑誌を、私の眼前に突き出した。
『街で人気の料理店 ―大特集号―』だのと可愛らしい文字で書かれた表紙が目に入った。
こんなものをしたり顔で提示されても、師匠の野暮ったさを否定する材料にはなりえない。
「なぜだい。料理の流行をしっかり追っているだろう」
そもそもそれは、女性向け雑誌だ。
「・・・」
心なしかしょぼくれた師匠は、黙ってまた雑誌を読み始めた。
都合が悪くなると、こうしてだんまりを決め込む。
師匠の嫌なところだ。
とにかく、師匠は若者の流行というものに無頓着すぎる。
着ている服はいつもおんなじ様なものばかりだし、若者に人気の場所なんかにも連れて行ってくれないし、小遣いは少ないし!
「半分以上、君の願望が入っているよ」
というわけで、今日は一日、私にお付き合いしてもらうことになった。
「いつ、そんなことが決まったんだ」
今、決まった。
すべては師匠のためなのだ。
「・・・まあ、ちょうど買い物に行く予定ではあったから。そのついでならば、構わないよ」
師匠は少し考えるそぶりを見せてから、雑誌を卓上に置き、その上に老眼鏡を置いた。
やった!
では早速着替えてこなくては!
「なぜだい。そのままの服で問題ないだろう」
師匠の抗議を右から左へと受け流し、私は自室へと急いだ。
急いで着て行く服を選ばなければならない。
まず手始めに、師匠の服を探さなければならない。
師匠ときたら、隣で歩いている私の方が恥ずかしいような格好だと、自覚が出来ていないのだから。
「分かった。君に任せるよ」
お気に入りの古着屋に着くと、私はいつも通りの道順で店内をめぐることにした。
何度か私の買い物に付き合っている――決して、付き合わせているではない――師匠は分かったもので、入り口付近の壁にもたれ掛かって持久戦の構えを取った。
「ごゆっくり」
師匠の諦め半分、投げやり半分な言葉を聞き流して、私はまず女物の並んでいる棚の区画へと走った。今日は師匠の服を見に来たのだが、この店は特に女性用の古着や装飾を重点的に扱っている。
また、その人気の高さから商品の入れ替わりが激しく、まれに新古品が入荷することだってある。
だから自分の感覚にしっくりくる服や装飾品を逃さないためにも、三日に一度は必ず確認しなくてはならないのだ。
すでに私と同じような考えの様々な年代の女性達は、獲物を狙う猛禽のごとく、棚から棚へと飛ぶように渡り歩いていた。
私もその勢いに負けないように、女性服の棚の列へと飛び込んだ。
この柄物の上着、値段はそこそこだが可愛くない。
ほう、この店にもついに、チキュウ産の衣服が並ぶようになったか。でも今日はいいや。
あ、この刺繍入りの襯衣、いいなあ。でも高いなあ・・・。
時を忘れ、積み上げられた商品に次から次に手を伸ばすが、なかなか琴線に触れるものは見当たらなかった。
私は、本日は衣服の収穫はなしと断定し、装飾品の区画へと移動した。
ここでも女達の厳しい目利きと争奪戦が行われていた。
そこには安価なひも織物から始まり、高価な宝石のついた指輪まで、幅広い商品が置かれていた。ちなみに後者は、硝子箱に厳重に保管されていた。
当然のことだが盗難を警戒して、その筋の警備員達が何人も目を光らせているが、女達にはそんな屈強な男達の視線など気にはならない。
私だってそうだ。
私は女性のみで出来た人垣に飛び込み、彼女らと同じように物色を開始した。
さすがに私の小遣いでは、指輪だの首飾りだの腕時計だのには、おいそれと手が届かない。
狙いは、貴金属や宝石のついていない物だ。
私は比較的若い世代の女性が多い、安価な商品の区画へと突撃した。
靴に耳飾り、鞄なんかもあったが、どれもしっくりこなかった。
かなり時間を欠けているのに、収穫なしなんて御免だ!
そう思って探し続けていると、私の身体に、電流が走った。
あった。
黒い帯つきの麦藁帽子。
こいつはきっと、私にぴったりだ。
私の手に取られるために、今まで待っていてくれたんだね。
運命を感じつつ、私はその麦藁帽子に手を伸ばし、そして固まった。
私と同じようにその帽子に手を伸ばした、私とほぼ同い年の娘がいたからだ。
しばし二人は動きをとめ、お互いの顔を見やった。
そしてすぐに、手を引っ込めたり、伸ばしたり、という微妙な駆け引きめいた寸劇が始まった。
その娘は、いかにも垢抜けた街娘といった風情であった。
女性らしい身体つきをほんのりと強調するような、今街の娘達の間で人気の一枚裁ちの服には、確かにこの帽子が似合いそうだ。
戦場が女達でごった返す中、束の間、私達は無言で語り合った。
三十秒ほどたった頃、すっと街娘が手を引き、半歩程後ろに下がった。
『いいの?』
『どうぞ』
口を一切開かないままに、そんな意思疎通が図られた。・・・ような気がした。
私は胸中を感謝でいっぱいにしながら、帽子を手に取った。
そして街娘に微笑みかけた。
街娘も、私に笑い返してくれた。
ありがとう、戦友よ!支援に感謝する!
しかし街娘の微笑みの中には、ちょっとした優越感が表れていた。その視線の先には、私の胸があった。
びきっ。
この女っ!
周囲の警備員達が、私の気配に気づいて一斉にこちらを睨み付けた。
私はそれには構わず、帽子をそっと元の場所に戻すと、女性客が戦い続けるその売り場を後にした。
施しも哀れみも、真っ平だ。
装飾の区画を出ようとすると、警備員の男の一人と目が合った。筋骨隆々とした男の、油断のないその鋭い眼光の中に、何か言い知れぬ切ない感情が読み取れるような気がした。
結局私は、ニホンから輸入され着古された“じーんず”という物を二着購入することにした。
一着は、もちろん師匠のものだ。
一応師匠の身体つきに合うものを選んだつもりだが、ちょっと大きいかもしれない。まあ、後で手直しすればよいことだ。
支払いを済ませて入り口に戻ると、そこには来店した時よりも人が増えていた。
全員、男性だった。
「私の服を見繕うと言いながら、もう二時間以上待たされているよ」
「うわぁ・・・、お互い大変ッスね」
「お前さんは逢引なんだからいいだろう。ワシなんか、娘達の荷物持ちだ」
「お母さん、まだかなぁ・・・」
「坊や、強く生きろよ。爺ちゃんが飴をあげよう」
彼らは知り合いと言った様には見えないが、それなのに妙に親しげに会話をしていた。
見回すと師匠と同じように、男達が何人も壁にもたれ掛かったり、あるいはいっそ床に座り込んだりしていた。
恐らく連れの女性を待っているのだろうが、何ゆえ彼らは皆一様に、生気の失せた顔をしているのだろうか。
「まったく、女というやつは・・・」
次に私達が訪れたのは、巨像群だった。
小高い街の中心地に、人の五倍はありそうな巨体がにょきにょきと屹立している様は、街の中からならどれ程遠くからでも分かるという名所の一つだ。
この機械仕掛けの巨人達は、その昔、まだ都市間での“戦争”というものがあった時代に使われた兵器らしいが、暴動すら久しく起こらなくなった現代では無用の長物と化しており、こうして銅像のように並べられるだけとなっていた。
優秀な殺戮のための道具ではあったが、起動するだけでも馬鹿馬鹿しいほどの費用が掛かるらしく、潤沢な資金をもつ組合ですら引き取ろうとはしなかった。
こうして長い年月にわたって野ざらしにされていても、錆び一つ浮かんでいないのは、その性能の高さを窺わせるだけに哀れでもある。
この街で暮らす人間には大して珍しいものでは無く、以前は単なる公園だった。
しかしなぜか、異界からの来訪客の気を引くらしく、時たま使節団や外交官達が視察をしにやってくるため、それを狙って様々な企業が先を争うように出店し始めた。
多様な店が林立するようになり、最近では若者にも人気の場所となっていたのだ。
到着して早々に、私は鞄の中から取って置きの品を取り出した。
師匠、ほらこれ!
「写真機か。いつの間にそんな高い物を買ったんだ」
お小遣いをこつこつ貯めて購入したのだ!
今日はこれを使って、観光しよう!
さあさあ、撮ろう!
撮ってもらおう!
「・・・まあ、元気なのは良いことだ」
私は師匠の手を引き、巨像の方へと歩き出した。
まず手始めに巨像を数枚撮ると、次に師匠を巨像の前に立たせて、また数枚撮った。
表情が硬い。
「こうか?」
暑苦しい。
「では、こうか?」
気持ち悪い。
「・・・」
次に私は、近くにいた親切な女性に写真機を預けた。
私と師匠を、同時に撮って貰うためだ。
さあ、師匠。
笑顔。
「はい」
最早諦めきったのか、弟子に従順な師匠であった。
一通り写真を撮り終え、小腹が空いてきた私は、並び立つ喫茶店や軽食店を一瞥していった。
夕刻に差し掛かかろうという時間帯で、あまり重いものは食べたくはなかった。
「では、氷菓子ではどうだ」
そう言って師匠は、氷菓子の露店を見た。
恰幅の良い中年の女性が、今まさに逢引中と思しき男女に、氷菓子が入った器を手渡していた。
なるほど妙案だった。
それならば口寂しさを紛らわせるし、大して腹にも溜まらないので夕食にも響かない。
早速私は写真機を鞄にしまうと、師匠の背中を押して、氷菓子の露店の前に行った。
露店に陳列されている魔法で冷やされた硝子容器の中には、色とりどりの氷菓子が詰まっていた。
「いらっしゃい」と笑顔で応対する店主である女性は、すでに木製の容器と匙を用意していた。
私は、苺と蜜柑と葡萄がいい。
よろしく師匠。
「君、食べすぎだぞ。というか、私が支払うのか」
師匠が首筋を撫でながら代金を払うと、女店主は笑顔のままで、三色の氷菓子で山盛りになった器を手渡してくれた。
「可愛いねぇ。妹さんかい」
びきっ。
この女!
私の気配を察知した師匠は、氷菓子の入った器と私の襟首を左右の手に持って、そそくさと露店から離れて行った。
「まったく、今時の若者というやつは・・・」
ああ、大満足だ!
家に帰り、席寝椅子へと身体を投げ出すと、私は大きく身体を伸ばした。
いろいろ歩き回って疲れたが、大満足だった。
たまにはこんな日があってもいいものだ。
後はおいしい晩御飯を食べて、熱いお風呂に入って、しろすけと寝る。
ああ、完璧だ!
「満足できて、良かったね」
良かったですとも。
それより師匠、お腹が空きました。
「只今作りますよ。作りますとも」
今日は、たくさん歩いて疲れたので、私の好物の卵料理を希望します。
私は横になったまま、指をついついっと振るって師匠に命じた。
「まったく、君というやつは・・・」
「あー、たのしかった」
「良い気分のところ、悪いがね」
「なんですか」
「結局わたしの買い物ができなかった。明日は私の買い物に付き合ってもらう。逃がさんよ」
「・・・」