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愛しの師匠  作者: 正太郎&シン・ゴジラ
11/222

第10話 私について 中


 師匠、お話があります。


 「なんだい」


 お腹が痛いので、帰っても良いですか。


 「駄目だ」


 決意というものは、時間と共に萎びていくものである。


 師匠の前であれ程に啖呵を切っておきながら、故郷への道程で気持ちは冷めていき、今胸中はやっぱりあんな村のために働くのは御免だという思いでいっぱいだった。

 

 故郷。

 この表現には、強い拒絶感を覚える。

 村人どころか、私の実の父ですら・・・。


 全体、距離が長すぎるのがいけない。


 途中で休憩を挟んでも、馬を限界まで走らせて一両日掛かってしまうのだから、身体が揺れているうちに気持ちだって揺らいでいくものだ。


 とかく乙女の心は変わりやすいものでもあるのだから。


 「今回は、時間が無いんだ」


 師匠が茶化す私に対して、いつも通りの無表情ながら、真剣に言った。







 『大鬼が出た!助けてくれ!』


 いつもの無茶な依頼の中でも、これは格別だった。


 大鬼と言えば、知性と肉体と精神力の全てにおいて、私達人間では比肩すること敵わぬ紛うことなき化け物である。


 彼らは人間と同等以上の文化を育て、身体能力に頼らぬ高度な戦略・戦術を運用し、他種族への一切の情を有さない冷徹さで辛抱強くやり遂げる。

 まさに恐るべき魔物なのだ。


 私達人間が勝っている点など、繁殖力ぐらいだ。

 もっとも、その一点のために恐ろしい大鬼は駆逐されつつあり、半ばおとぎ話の中にのみ出没する程度の存在に成り果てていた。


 人間やら森人やら鉱人やらで構成された英雄の旅団が強大な悪の大鬼軍を打ち倒すという話は、子ども達の間では人気が高い。


 そんな伝説とさえ言われるような魔物が現れたら、脆弱な人間としてはただただ自分に火の粉が掛からないことを祈るしかない。


 組合でも上位の戦士達であっても、大鬼が相手となれば命を捨てる覚悟をしなければならない。


 だというのに、まともに払えるのが金貨十枚程度では、組合でなくとも『ふざけるな』と突っぱねるしかない。

 命がけで慈善事業をやっているような狂人は、私の師匠くらいのものなのだ。







 あれ程に憎んでいた故郷に足を踏み入れても、何の感情も浮かんではこなかった。


 大鬼が出没したためか、村人は家の扉を締め切っており、私達を恐る恐る窓から眺めていた。

 こんな連中が昔私を虐げてきたのだと思うと、なんだか物悲しくなってくる。

 

 最早昔の記憶がおぼろげで、今自分が立っているのが、あの呪わしい村なのか確信が持てない始末だった。


 「七年経ったものな」


 そう彫像のような顔で呟く師匠の方が、よほど感慨深げな様に見えるほどだ。

 しばらく歩いてみても、自分の生家の場所すら覚束ない。

 てんで拍子抜けだった。


 「むしろ、良い傾向だよ」


 確かに、師匠の言う通りだった。

 今朝方夢に見たというのに、実際には人生の最もつらい部分の記憶が薄れていたというのは、精神衛生を保つ上では好ましい結果だ。


 まったく。

 嫌がっていたのが馬鹿馬鹿しい。

 うじうじせずに、とっとと済ませてしまおう。


 「・・・」


 師匠が黙って私を見ていた。





 依頼主であり村の長でもある男は、師匠の到来を歓呼して迎えた。


 昔師匠から聞いた話では、あの時も師匠は依頼を受けてこの村へと訪れており、その際に私を庇って村人から酷い扱いを受けたらしい。


 この男だって七年前にこの村にいたのだから、師匠と面識がある筈なのに。

 大した面の皮だ。

 

 ちなみに私は師匠の付き人として同席してはいたが、白い髪や顔が見えないように頭巾を目深に被っていた。

 最早隠す必要は無いのかもしれないが、あえて見せることもない。

 大鬼だけでもやっかいなのに、これ以上のごたごたは御免だ。


 「本当に、ありがとうごぜえますだ」

 「気にしないでくれ。それより、早く本題に入ろう」


 涙を浮かべながら何度も礼を言う村長に対して、師匠はぞんざいに言い放った。

 

 昔の軋轢を気にして、というようには思えない。

 心なしか、急いているように見えた。



 


 話によれば、複数の村人が裏山の山道で、山と見紛う程の巨大な大鬼と出くわしたらしい。

 ただ狩をしているだけだった村人たちは一目散に逃げ出したが、五つの立派な角を生やしたその大鬼は容赦なく村人を踏み潰し、射殺し、切り殺した。


 逃げ帰ることができた村人はたった一人だった。

 

 その後何をとち狂ったのか、村の力自慢の男達が十人程集まり、村長や年寄り達の制止を振り切って山狩りに出て行ってしまった。


 手遅れとは思うが、もしも無事なら大鬼を倒した後に連れ帰って欲しいというのが、今回の依頼だった。


 

 

 詰まり、あの村の人間達は今も昔も阿呆ばかりだと言うことだ。


 「そう言ってやるなよ、君」


 裏山の中腹辺り。

 まさに大鬼が目撃された山道を登りながら、師匠は言った。


 「友人、知人を殺されて、頭に血が上ったのさ」


 そう師匠が、村の連中を庇い立てするようなことを言うので、私はあまり言い気がしなかった。


 だとしても、大した経験も碌な装備も持たない村人が、大鬼相手にたった十人ちょっとで戦いを挑むなど、おとぎ話の読みすぎもいいところだ。

 自分の出来ることと出来ないことが理解できないのは、愚か者の証明でしかない。


 「その辺りは、君も似たようなものだと思うがね」


 師匠の皮肉たっぷりの言葉に、私は歯軋りした。

 そんな私に構いもせずに師匠はどんどん前へ進んで言った。

 まったく嫌な師匠だ!


 私が師匠へと走り寄って、蹴りの一つでもお見舞いしてやろうとすると、突然師匠は手で私を制した。

 背中に釣った大剣に、手を伸ばしていた。 


 「隠れなさい。すぐに」


 師匠の有無を言わさぬ口調に、私は急いで来た道を戻り、都合よく転がっていた大きな岩の陰に隠れた。


 程なくして。

 ずしんずしんと、大きな大きな音が山道に響いてきた。


 まるで足音のような律動で響くそれは、だんだんと私達の方に近づいてきていた。

 

 音が一際大きく響いた瞬間、野太いだみ声が周囲に響いた。

 

 「懲りずに来たか、無能人」


 私は、息を殺して岩陰から顔を覗かせた。


 額から突き出た一本の立派な角に、口からむき出された大きな牙!


 師匠を赤子の如く見下ろすその巨躯!


 大鬼だ!


 「逃がしはせぬ。無為に命を散らすことを後悔せよ」


 大鬼は、その恐ろしげな顔に似合わぬ落ち着いた声で、宣言した。


 師匠は答えずに背負っていた大きな鞘を左手に持つと、そこから大剣を抜き放った。

 刃が微かな魔法の力によって、鈍い光を散らした。


 久しぶりに見たその大剣は、私の知る限りにおいて、師匠が所有する物品の内でも最も高価な代物だった。ちなみに僅差で、大型の冷蔵魔法庫が次点に落ち着いている。


 師匠は自らの身長とほぼ変わらぬ長さを持つ大剣を悠々と構え、大鬼を見据えた。


 大鬼はそれを鼻で笑うと、背負っていた剣を片手で構えた。


 そう。

 大鬼の、片手剣である。


 その余りの巨大さは、人間にとっての大剣という範疇を逸脱していた。


 「脆弱なる無能人よ。潰れよ」


 大鬼は、師匠に向かって剣を無造作に振るった。


 なんの芸もない、力任せの一太刀。

 しかし大鬼の膂力では、それだけで人間など容易く両断できてしまう。


 ぎいぃん。

 という甲高くも全身が震えるような音が周囲に響き、私は溜まらず耳を塞いだ。

 

 「ほう」


 大鬼が、大仰に驚いて見せた。


 師匠が大剣を半ば盾のように頭上に構えて、大鬼の一撃を防いでいた。


 「よく防いだ」


 大鬼は最初の冷徹そのものだった仮面を脱ぎ捨て、笑みを浮かべた。

 そして二度、三度と剣を師匠に打ち付けた。

 対する師匠は、大鬼の恐るべき剣戟を防いではいるが、打ち付けられた釘のようにその場から動かなかった。

 

 「は、は、は。いつまで持つかな」


 四度、五度、六度と、徐々に大鬼は力を込めるようにして師匠を殴りつけていった。

 十度目の打ち込みを受け止めた瞬間に、ついに師匠が膝を折った。


 「終わりだ」


 大鬼が、止めとばかりに、頭上高く目いっぱいに、剣を持ち上げた。


 師匠!

 

 大鬼の剣が師匠の頭を捉えようとした瞬間、私は思わず大声で叫ぼうとした。

 

 同時に、師匠が動いた。


 姿勢を低くしたまま、大きく一歩だけ踏み込み、まさに頭上に到達しかかっていた大鬼の手首を、大剣で薙いだ。


 「何?」


 大鬼が、目を見開いて自分の手首を眺めた。

 本来そこにあるべきだった右手は、剣を握ったまま師匠の背後に転がっていた。

 

 大鬼の手首から血が律動的に噴出す様に私は、師匠が衣服のしわ伸ばしの際に鏝と共に使う、霧吹きを思い出していた。

  

 「お、お、お?」


 状況が理解できていないのか、手首を必死に押さえて後じさる大鬼に向かって、師匠は跳びかかった。

 最早戦意を喪失していた大鬼には、反応すらできず、あっけなく師匠に首を落とされた。


 



 いつものように跪き、自らが切り伏せた大鬼に祈っている師匠へと駆け寄り、私はその背中を安堵とともに見ていた。


 師匠は、それなり以上に腕の立つ人物だ。


 しかし相手があの大鬼とくれば、さすがに無事ではすまないだろうと心配していたのだが、杞憂だったようだ。


 「ちと早計だね」


 祈りを終えた師匠が、立ち上がりながら言った。


 「こんな若輩では、本物の大鬼とは言えない」


 いったいどういうことなのか。

 こんなに大きくて、毛むくじゃらの髭もじゃらだというのに、若輩とは。


 「言葉通りだ。君と同じ、経験の浅い子どもだよ」 


 師匠は、目が見開かれたままの大鬼の生首に近寄ると、その目を優しく閉じてやった。

 そして、ついと額を指差した。


 「大鬼は、年を経るごとに角が増えていくんだ」


 なる程、だから一本角のこいつは、大鬼の中では子どもなのか。

 ・・・そういえば、確か村人の目撃情報では、大鬼は五本角ではなかっただろうか?


 「そうとも。力任せの戦い方しかできない子どもなど、脅威たりえない」 


 そんな。

 では、こいつよりもずっと強い大鬼が、まだ隠れているということになってしまう。


 「その通りだ。経験を積んだ大鬼は、それなりに厄介な魔物なんだ。だから・・・」


 その時。


 突如生じた衝撃によって、私は吹き飛ばされた。

 私は咄嗟に頭を庇い、ごろごろと身体を転がらせて勢いを殺した。

 そして身体が止まると、恐る恐る師匠の方を見た。


 そこには、ちょうど心臓の辺りを、巨大な槍で貫かれた師匠が立っていた。

 いや正確には、背中を貫通した槍と、二本の足との三点でかろうじて身体を支えられる師匠がいた。

 

 慌てて私が駆け寄ろうとすると、またも師匠の目の前に衝撃が生じ、巨大な影が現れた。


 大鬼だ。


 先程戦ったものよりも、さらに大きく、額には角が五本生えていた。

 背中には多種多様な武具を背負い、右手には槍を、左手には弓を構えていた。

 いや、右手に構えたその槍は、ひょっとすると矢なのか。


 「無能人の分際が」


 大鬼は手にしていた大きな大きな弓と矢を投げ捨てると、背中に吊るしていたこれまた大きな大きな棍棒を構え、師匠を殴りつけた。

 抵抗のできない師匠を、何度も何度も、まるで師匠がひき肉を作るときのように、しつこくしつこく打ちつけた。


 ぐしゃっ。

 だとか。


 べちゃっ。

 だとか。

 

 そんな音が微かに聞こえたような気がするが、それ以上に大きな、もはや地鳴りの様な打撃音と振動によって、私はまたしても地面をごろごろとのた打ち回ることとなった。


 時間にすれば、ほんの十秒程だっただろうか。


 大鬼は、その棍棒で師匠だったものを滅多打ちにし終えると、今度は私の方へと向き直った。


 「無能人の娘よ。お前を殺す」


 そう言って大鬼は、師匠の血肉に塗れた棍棒を私に突きつけた。


 「我が息子の苦痛を味わえ」


 大鬼が涙とともに振り上げた棍棒を、私は見てはいなかった。

 

 寧ろ大鬼の、その背後。

 

 師匠だったものの成れの果て。


 命の失せた、ちぎれた無数の肉の塊。


 だが、悲しみを感じない。


 ただ、驚愕はあふれ出てくる。


 






 なぜ、師匠は立ち上がるのだ!?


 




 私の視線に気が付いたのか、大鬼もまた振り返ると、目を見開いた。


 先程まで人の形すら失っていたはずなのに、すでにぼろきれとなった上着を脱ぎ捨てて半裸になった師匠が立ち上がっていた。

 そして師匠は、折れた大剣を放り捨て、代わりに打ち倒した大鬼が持っていた剣に手を伸ばした。


 「貴様は、何者だ」

 

 再び師匠に向き直った大鬼は、静かに問うた。


 「ただの、戦士だ」 


 大鬼の問いに、師匠はいつものように無表情に答えた。

 その手には、大鬼の剣が。人の身にあっては、特大剣が握られていた。


 「よかろう。名も無き無能人の戦士よ」


 大鬼が、棍棒を構えて宣言した。


 「今度こそ、殺す」


 

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