ホントのキモチ
振り返ると橋の上に男が立っていた。年齢は30代前半くらいだろうか、割りとがっしりとした体をしており、何かスポーツか武術に心得でもあるのだろうか、筋肉質な体と太い首が目につく。オールバックにした黒髪がその体格とあいまって妙にカタギの人間ではないように見えてしまう。
「何か御用ですか。」
この場には俺達しか他に居ないので、多分俺らに話しかけたのであろう、なので返事をしてみた。
男は俺の質問を無視し、つかつかとこちらに向かって歩いてきた。よく見ると手には細長い木の棒のような物を持っているのが見える。男が目の前に来た時、その男の大きさに驚く。180は超えているであろうその長身はじっと俺のことを見下ろすように立ち、そして次の瞬間に
「お前じゃなくてその隣だ。」
手に持っていた棒を引き抜いた。それは棒などではなく白鞘に収められた刀であった。
その刃を、冬の寒空の下の日射しの中で輝く刀身を目にした俺は硬直した。それは俺や須口が持っているようなサバイバルナイフのような小さなものではなく、まさに日本刀、というべき物であったからだ。こんなものはテレビの中の時代劇で画面の中で小さく所狭しとチャンバラをしている所しか見たことがない。男はスラリと鞘から抜いた刀の鋒を上に向けた。ああ、昔の武人達はこんなものを前に自らの命を賭して戦っていたのか。只々輝く鉄の塊なのに、とても恐ろしく感じる。これが俺の体に触れた時、俺は死んでしまうのだと思った。
男がこちらを向き、近づこうとするかのように態勢を整えようとしたその時、俺の背後からとても素早いモノが横切っていった。横を向いてみても何もなく、見間違いかと思い男の方に視線を戻すと、俺の視線は遮られており、男も、刃も見えなかった。
「アンタ、それで何しようっていうの。返答次第では、私も容赦しないわよ。」
桐だ。橋の向こうで待機していたはずの桐は、その精霊的な力かなにかなのか、瞬間的に俺を守るように立ち塞がった。今までの、歳相応の女の子のような雰囲気は鳴りを潜め、低く鋭い声で男に問いかける。
「ワシらとて、伊達に守り刀をしているのでは無いのでな。主に危害を加えようものなら、黙ってはおれぬ。」
こちらもいつの間にか須口の傍に移動していた黒羽が、目を細め男を睨みつけていた。
男はそんな二人の態度等気にもとめず、少し身体を横にずらし、こちらに視線が通る位置に移動し、刀を斬りかかる構えすらせず片手に持ち、鋒を上に向けたまま、大きく息を吸い込み、慈をじっと見据えた。
「臨!」
山に響き渡るような大声と共に、男は足を一歩踏み出した。
「兵!」
そしてまたしても掛け声と同時に歩を進める。
「闘!」
さらに歩を進めた所で、須口が何かに気づき、叫んだ。
「国木田君、あれは反閇だ。祝詞こそ九字のものだが、どう見てもこれは祓いの儀式だ!」
「者!」
反閇、とは、九字、とは何であるかはわからないが、俺は耳に飛び込んできた祓いの儀式という言葉だけは何を意味するか理解することができた。男は何かを祓おうとしている、そしてそいつは慈を見ていた。
「慈!」
慌てて慈に目をやると、なんだか心なしか気持ちよさそうに、目を細めてスーッと消えようとしている姿が見えた。
「やばい、慈が消える。その男を止めろ!」
誰に頼むでもなくありったけの声をだして叫んだ。その声に、男の妙な動きに圧倒されていた桐と黒羽が男に飛びかかり、羽交い締めにする。
「何をするのだ、あの男に取り憑いている輩を取り払おうとしてやっておるのだ!」
男は祓いを邪魔され、いきなり飛びついてきた二人に憤慨しつつ説明する。
「ここは自殺の名所、お主ら、先程自分で申してたように守り刀であれば、このような不浄な輩を主に取り憑かせたままで良いわけが無かろう!」
なるほど、こいつは、この男は慈がこの場所で俺に取り憑いた自殺した者だと思ったのだ。そして神職の人なのかは知らないが、俺から慈を祓おうとしたというわけだ。
「悪いが、アンタの勘違いだ。この俺の隣にいるヤツはここの自殺した人じゃあない。きちんと認識し、俺が望んでここに居てもらっている人だ!」
勘違いであることを主張すると、男は心底驚いたようにキョトンと目を丸くし、身体の力を抜いて俺をまじまじと見つめた。
「そやつは、貴様が望んで取り憑かれているとでも言うのか。」
そうだ、と言わんばかりに俺は慈に目をやる。慈は半ば消えかかっていたが、男の動きが止まったせいだろうか、ふぅ、と気持ちよさそうに息を吐き、次第に元に戻っていった。そして、頬を若干赤らめながら俺の方を向き、言う。
「私は、大丈夫です。恥ずかしいですけど、なんだか今とっても気持ちよく昇天しそうになりました。あ、危なかったです…」
少し俯き複雑な表情を見せる慈を見て、俺は安堵した。
「なるほど、大体の事情は把握させてもらった。」
一旦落ち着き、鞘に刀を納めた男は俺たちの事情説明を聞き、頷く。
「ええ、ですから慈は、今は俺たちと一緒に旅をしている仲、というわけで。名前も記憶も何も覚えていない彼女を、俺たちはある意味、一緒に彼女の足跡を探している、といった感じになるのでしょうか。」
慈の足跡を探すのがメインではないが、間違ってはいないだろう。少なくともこうして千葉を一周しつつ、彼女に関する何かを得られれば、と思っている。
「それで、成仏させるにも無理やりではなく納得の行く形で、というわけか。」
男は案外物分りがよく、俺たちの旅の目的も慈を無理に消す事も望んでいないということを理解してくれた。
「だが、名前をつけるとはな。いや、それは良いだろう。」
名前、がどうかしたのだろうか。男のつぶやきが気になったが平常心が戻るとやはり大男を目の前に多少萎縮してしまい、聞き返せなかった。
「私も勘違いをしてしまい済まなかった。なに、こんな場所であろう、観光客にくっついて行こうとしている輩に見えてしまってな。そして、この刀も驚かせてしまいすまない。これは私の守り刀だ。まあ、白鞘は刃を保存しておくための物だからな。これで斬りかかったりはしないが、いきなり抜かれては恐ろしくも見えるだろう。」
この男も、俺達と同じように守り刀を持っていた、ということか。マジで斬られるかと思って焦った。そうでなくてもその後の鬼のような顔で叫び、足を動かす姿は正直ものすごく恐かった。
「申し遅れてすまない。私は越前清十郎というものだ。代々神事を執り行う一族の者、といったところか。」
越前と名乗るこの男、普通の人間ではないことは明白であったが、そんな大層な人間なのか。慈も気持ちよく成仏しそうであったし、腕は良いのかもしれない。案外、ここで成仏したほうが良かったのか…いやいや、俺は慈に満足して貰いたいんだ。そして自分の意志で成仏してほしいと思っている。…自分の、意志で、…成仏。俺は、本当に慈に成仏してほしいと思っているのだろうか、いや、思っていない。俺のエゴだが、俺は正直、この旅が、この仲間が楽しくて、ずっと一緒に居たい、確実にそう思ってしまっている。俺は、慈に惹かれている。これが淡い恋心なのかはわからないが、先程慈が俺の前から薄っすらと姿を消しそうになったとき、俺はとても恐かった。このまま慈を失うのではないかという恐怖が、心底俺を覆い尽くしていた。そうだ、もし慈が消える時が来ても、俺はそれを見届けることができるのであろうか。引き止めてしまう、そんな気がしてならない。俺はもう、慈に対して独占欲のようなものを抱いているのだ。
「圭ちゃん…?」
先程からうつむきがちに顔を伏せる俺を心配したのか、慈が俺の顔を不安げに覗き込んだ。俺はこの女性を手放したくないとそう思ってしまっている。だが、これが恋とか愛とかなのかはわからない。自分の感情の整理の下手さには驚きだ。もし俺が慈に恋をしているなら、俺を慕ってくれている桐はどうなる。俺が自らの手で生み出し、俺を愛し守ると言ってくれている彼女を。現に先程男が慈を祓おうとした時、その刃が抜かれた時に俺を守るために越前に立ち塞がった桐は、彼女の気持ちはどうなる。俺は桐が好きだ。その好き、は慈を思うのと同じように、手放したくない、自分には必要な存在だと思っている。出会ってから間もない間柄だが、俺はそう思うくらい彼女達との時間を育んだ。なら俺は、慈も桐も、自分の手元から離したくない、優柔不断な男なのだ。どちらが好きとも言えず、でもどちらも手放したくないと言う、醜く、汚いヤツなんだ。
そんな時、自己嫌悪に陥っていた俺を、俺の心をそっと掬い上げるように持ち上げたのは、慈と桐だった。二人は俺の心中を察してなのか、はたまたうつむく俺を心配してくれたのか、両側から俺に寄り添い、手を握り腕を絡めた。
「圭一、大丈夫よ。私がいるから。」
「そうですよ、圭ちゃん。私も居ます。ここに居ますから。」
親しい人が落ち込んでいる時に掛ける定番の言葉なのだが、俺には二人が俺の心を読み取り、全てわかった上で声をかけてくれているような、そんな気がした。俺の甘えなのだろうが、この二人の言葉が、自己嫌悪のループに陥りかけていた俺を救ってくれた。
「ほお、好かれておるのだな。君のような人も珍しい。自分とは違う存在も、自分と同じように考えられるのだな。」
越前はニヤリと笑い、俺たちを見た。
「そうですよ。圭ちゃんは、私達を普通の女の子として見てくれてるんですよ。私が記憶も何も覚えていなくて、すごく辛かった時、私に名前をくれて、そして一緒に私の記憶を探してくれている。こんなに優しい人はいません。」
慈は、こんな俺をそんな風に思っていてくれるのか。そうだ、俺は慈の望みを叶えてあげたいんだ。そして、桐の想いも叶えてあげたい。もう、俺のわがままでもエゴでもいい。二人のために俺は、頑張るって決めたんだ。それでどんな結末が待っていても、二人が幸せになってくれることが、何より大事なんだ。だから、恋とか愛とか、慈と桐をどちらか選べないとか、今はそんなことで悩んでいる時ではない。もういっそ、開き直ろう。
「俺は、優しい人間なんかじゃないけどな。慈も、桐も俺のことを好いてくれているが、俺は未だに答えを出せないでいる。二人の優しさに甘えているんだ。だがあえて言わせてもらおう。バカでただの傲慢だと罵られてもいい。俺は二人とも好きだ。どっちかなんて今は選べない。どちらも失いたくない。だからどんな形になるかわからないが、俺はこの二人の願いを、叶えてやりたいんだ。」
ああ、言ってしまった。優柔不断でバカな答えを。これで嫌われてもしょうがないな。
「そんなの、わかってたわよ、私は。」
桐がにんまりと笑みを浮かべて俺を見つめる。
「ですね。圭ちゃんがちゃんと答えをすぐに出せる人なら、私達はこんなに苦労してませんし。そしてそれに、ここまで優しい人だからこそ、私達は圭ちゃんを愛したのですから。」
慈もにっこり微笑む。そして更に腕を絡ませるように、二人は俺に抱きついた。
「だから、私達のことを。」
「ちゃんと幸せにしてよね!」
そんな彼女達に挟まれた俺は、顔を紅潮させながら無言で頷くしかなかった。