海が見えるペンションで。
今日はこれだけ多くの出来事があって、いろんな体験をして、様々な出会いもあった。慈と出会い、桐と出会い、黒羽と出会い、そして迷い込んだ廃ホテル。その全てがこの旅の良くも悪くも思い出であり、多分俺は一生忘れないだろう。だからこそ、本日の締めくくりが車中泊というのは勘弁してほしかった。だが、須口は車中泊する気満々である。
俺は慌ててスマートフォンを取り出すと、ネットでこの近辺の宿を探し出した。調べて出てきた所に片っ端から電話を掛ける。
「国木田君、そんなに僕の車に泊まるのは嫌かい。」
嫌だ。俺は柔らかい布団の上で寝たい。そう思いながらもう何件電話しただろうか、時刻は午後7時半を過ぎようとした頃にやっと一件見つかった。
「今からですか、大丈夫ですよ。」
電話越しのその声が、本当に救いだった。
「何名様でしょうか。」
何人、はて、俺達は何人だろう。2人、いや5人か。だが宿の人には慈達は見えないはず、ということは2人、でももし見えるなら5人。ひたすら必死に考えたが、どう伝えれば良いのかわからない。とりあえず人間は、ということで2人と告げた。
「では、お待ちしております。国木田様。」
電話が切れると、俺は内心ガッツポーズをした。やった、布団で眠れるんだ。
「どうやら宿を見つけたようだね。僕は車中泊と言うものを体験してみたかったんだけどね。」
それならお前一人でしてくれ。車中泊は夜行バスで懲り懲りだ。4列シートで寝てみろ、寝られないから。俺は須口と運転を変わり、ネットで調べた宿へと向かった。
途中コンビニに寄り、夕飯を買っていく。あと、桐がどうしてもやりたいというのでぬいぐるみが当たるくじを1回だけ引いた。結果は3等の中くらいのぬいぐるみだ。1等は当たらなかったが、桐が満足そうにしているので良しとしよう。ぬいぐるみを大事そうに抱える桐を見て、慈は少し残念そうな、羨ましいのであろう顔をしている。あとで何か買ってあげよう。
コンビニを出て宿に到着すると、そこは真っ暗で見えなかったが、ちょうど海の真ん前らしい。波の音が響いている。一軒だけ明かりが灯った家がある、そこが今晩の宿であるペンションだろう。車を駐車場に停め、チェックインを済ませる。料金は2人で5,000円。素泊まりとは言え、格安な値段である。金欠である俺達には嬉しいかぎりだ。201号室の鍵を渡され、案内を受ける。どうやら風呂も入れるらしい。
二階に上がると、そこはちょうどラウンジのようになっており、喫煙はそのスペースでできるらしい、灰皿が置いてあった。5人でぞろぞろと201号室に入ると、やっと一息、ソファに腰掛けた。ああ、ここが取れてよかった。でなければ今頃あの駐車場で辛い思いをしていたことだろう。
風呂が湧いているというので頂戴することにする。先に須口が入り、俺は須口が出て来るのを待った。今日一日の慌ただしさを忘れたかのようにのんびりとした時間が過ぎ、黒羽は散歩といってこの場に居ないが、残った3人で雑談に花を咲かせる。慈や桐は知らない、今までの俺の話、須口とは長い付き合いになるということ、過去にあった面白い話。その話をするたびに慈は三つ編みを揺らして笑い、桐はぬいぐるみを抱きかかえながら笑みをこぼした。この旅が始まる時には、こんな事になるとは想像もできなかった。少しおかしな形ではあるが、仲間ができ、冒険もした。とても大変だったはずだが、それでも楽しく、明日からはどんな冒険が待っているのかと、少し楽しみにしてしまうほどだ。
須口が風呂から戻ってくると、俺に使ってないタオルを差し出した。俺も荷物のなかから着替えを取り出すと、風呂に行くと皆に告げ、部屋を出た。
部屋の外は静寂であり、暖房が効いていない少し寒いラウンジには誰もおらず、波の音もここまでは届いてきていなかった。風呂は一階にあると須口に聞かされていたので、一階へと向かう。コツコツと俺の足音だけが響いていた。
風呂場は割りと広めで、洗い場も3つほどあり、数人までなら一緒に入れそうなほど大きかった。服を脱ぎ、シャワーを出して体を水で浸す。備え付けのボディソープとシャンプーで体と髪の毛を洗い流し、今日一日の汚れを拭い去った。そして湯船に浸かる。熱めのお湯が体の芯まで温め、まるで一日の出来事ではなかったかのような今日の疲れをすべて落としてくれる。南房総の、こんな安くて良い宿で、風呂に浸かってゆっくりと過ごす。贅沢な時間だ。思わず唸り声が出そうなくらい気持ちがよく、もう何も考えられないほどリラックスする。ああ、生きていてよかった。人間とは、こういう事を体感するために生きているんだな、としみじみと実感していると。
「圭一!私も入りたくなったから入るわよ!」
「ちょ、ダメですよ!流石にお風呂まで一緒に入るなんて!」
脱衣所から聞こえる声に、嵐が来るのを感じた。
脱衣所のドアとは反対方向を向いて湯船に浸かっていると、バン、と開け放たれるドアの音と、二人の騒がしい声と、足音が聞こえてくる。ああ、やはり入ってきたのか。
「圭ちゃん、絶対振り向かないでくださいね!」
そんな慈の嘆願を聞き入れ、俺は動かないでおく。
「別に見たっていいじゃない。私と圭一は主従なんだから。」
「あなたは良くても私はダメなんです!」
そんなやり取りをする二人に、一応言っておく。
「湯船に浸かる前にちゃんと体を洗うんだぞ。」
いくら幽霊とはいえ、そのまま湯船に入るのはダメだ。それにこちらに来る時間も稼げるだろう。その間にこの状況をどうにかしたいところだが。
先に体を洗わせたのは失敗だったかもしれない。俺の真後ろから聞こえるシャワー音に、二人の女性が体を洗っているのだと考えてしまうと、もうどうしようもなく緊張してしまう。
「圭一!頭あらって。」
「駄目です!頭なら私が洗ってあげますから!」
「えー、圭一がいいのに。」
後ろから聞こえてくる声に耳を傾けつつ、俺は黙っていた。はてさて、どうしたものか。
何も考えが浮かばないまましばらくまっていると、二人は湯船に入ってきた。さすがに体にタオルは巻いているようである。少女体型の桐と、少し大きめな胸を持つ慈。見てはいけないと思いつつも目線は自然と体の方に行ってしまう。慌てて目をつむり、何も見ないようにする。
「圭一、別に目をつむらなくてもいいわよ。私は見られても何も思わないんだから。まあ、でもそうやって目をつむって見えないなら。」
桐はふふふ、という笑い声とともに俺の左腕に抱きついてきた。ちょっと待て、この状態でその体勢はまずい。
「な、何やってるんですか。圭ちゃんのお風呂に侵入した上に、あまつさえそんなにくっついて!」
慈も怒りながらも、何故か俺の右腕にくっついてくる。タオル越しに柔らかい感触を感じ、思考が停止しそうになる。
「慈はなんで一緒に入ってるのよ。嫌なら出れば良いじゃない。」
「私は桐さんが変なことを圭ちゃんにしないように見張ってるんです。」
「だったらくっつく必要ないじゃない。」
「それはあなたがくっついてるからでしょう!」
そんな問答が繰り広げられる中、俺は湯の熱さと二人の行動に頭のなかがぐるぐると周り、もう限界を感じ、このままここにはいられないと直感したので、勢い良く立ち上がり、目を開いた。
急に立ち上がった俺の行動に対応できず、二人は体勢を崩す。その時俺が目を開けてしまったので、タオルがはだけた二人の姿が眼前に映ってしまった。ああ、大きな山となだらかな丘が、目の前にある。
「す、すまん!」
俺はもう何も考えずにあわてて風呂場を後にした。二人の呼ぶ声がしたが、無視して大雑把に体を拭き、着替えて風呂場を後にする。早足で部屋へと戻り、バタンとドアを閉めた。
「随分と慌てていたようだが、どうかしたのかい。」
どこに持っていたのであろうか、須口はノートパソコンをいじりながら俺に話しかけてくる。
「いや、なんでもないんだ。大丈夫。」
俺は深呼吸をし、落ち着く。そして煙草を手に取り、ラウンジに吸いに行った。
あまり体をしっかり拭かなかったせいだろうか、若干寒い。まあでもしょうがないと思いつつ、ぷかぷかと煙草をふかす。そのうちに二人も上がってきたが、恥ずかしいのか、怒っているのか、何も言わずに部屋へと戻っていった。俺はその後姿を見届けた後で、もう一本煙草に火をつけた。
その後、ラウンジでのんびりと時間を過ごしていると、須口が寝ると伝えに来た。おやすみ、と適当に返事をし、ノートパソコンを借りた。カタカタと調べごとをし始める。どれくらい時間がたっただろうか、もう何本目かの煙草を灰皿にもみ消したあたりで、声をかけられた。
「あの、圭ちゃん。」
慈である。どうした、と顔を向け、俺の隣の椅子を少し引き、慈に座らせる。
「桐さんはもう寝ちゃいました。まだ子供なんでしょうね、夜更かしはできないみたいです。」
「桐はもう寝たか。須口も寝ると言っていたし、二人きりだな。」
俺は冗談めかして言ったが、慈は照れるような、恥ずかしがる顔をする。
「あの、圭ちゃん。見ましたよね、さっき。」
何を見たか、ということを恵みは言わなかったが、それが何を意味しているのかはわかる。
「ああ、悪気はなかったんだが、すまん。」
俺は謝ることしかできない。いくらそちらから入ってきたとはいえ、見てしまった事には変わりない。
「いいんです、私が悪いですから。やっぱり、見られちゃったんですね。」
はい。見ました。大きな山がふたつ、しっかりと見てしまいました。
「それで、圭ちゃんは、結局、私のことをどう想って、ううん、今聞いたってダメですよね。昼間も聞こうと思いましたが、やっぱり圭ちゃんは、まだ今日あったばかりの人をどうと聞かれても困りますよね。」
慈はそう言うと、押し黙ってしまった。
「慈、俺は。」
「無理に答えを出さなくていいんですよ。そうですね、この旅が終わるまでにでも、答えを出してくれたらうれしいですね。圭ちゃんは優柔不断っぽいところがあるけど、それでも私、圭ちゃんに憑いてきてよかったと思ってます。一目惚れ、っていうんでしょうか。私はあなたのことが大好きです。あなたを愛しています。あなたがもし振り向いてくれなくても、私はずっとあなたを想い続けます。」
慈が俺を見つめ、俺が見つめ返す。二人の手が重なり合い、ぎゅっと握りしめる。
「ふふ、それに私のあんな姿まで見られちゃいましたからね。責任とってもらわないと。」
いたずらっ子のように笑う慈。その笑顔は、とても愛おしくて。
「クシャン!」
急にくしゃみが出た。
「圭ちゃん、さっきちゃんと拭いて出なかったでしょう。風邪ひいちゃいますよ。」
慈はそう言って俺の手を引いて歩きはじめた。どこに行くんだ。
「もう一回お風呂入りましょ。温まって今度はちゃんと体を拭けば、大丈夫。」
それもそうか、と思いつつ俺は慈について風呂場へ向かった。
「で、なんでこうなってるんだ。」
湯船には俺と慈が入っていた。なんでさっき入った慈まで一緒に入っているのだろう。
「いいじゃないですか。もう見られちゃったんだし、私は構いません。圭ちゃんは一緒に入るの嫌ですか。」
そう聞かれると、嫌とは答えられない。むしろ本心は嬉しいくらいだ。
「桐さんが出てきてから圭ちゃんと二人きりになれなくて、ちょっと寂しかったんですよ。ああ、でもこうして一緒にお風呂に入れるなんて、嬉しい。」
俺の肩に頭をのせてくる。サラサラの黒髪が、白く透き通った肌が、とても美しかった。
「こうやって、ずっと一緒に居られたらいいのに。」
ボソリと呟いた慈は、どこか悲しげに見える。それに耐えきれず、俺は口を開いた。
「ずっと一緒にいられるさ。現状、慈は成仏しそうな気配はまったくないだろう。だから多分、何の根拠もないけど、一緒にいられるような気がするよ。」
俺の精一杯の言葉を聞いて、慈は破顔した。そして、はい、と呟くと俺の体に抱きついた。
二人で風呂を終え、部屋に戻る。そこには部屋の隅の床で丸くなり眠る黒羽と、須口のベッドを占領し、一人で寝ている桐と、ベッドを取られ、行く場所を無くしソファで寝づらそうに寝ている須口の姿があった。須口よ、不憫なやつだ。
「みんな熟睡してますね。そろそろ私達も寝ましょうか。」
時刻は午前12時を過ぎた頃、もう寝るのにはちょうどいい時間だ。寝る前に少し水分を取り、ベッドに横になる。そう言えば慈はどこで寝るんだろう。
「失礼しますね。よいしょっと。」
慈は俺のベッドに侵入してきた。何のためらいもなく。
「明日の朝、桐さんに怒られるかもしれませんね。でも構いません。今晩は、圭ちゃんと離れたくないです。」
狭いベッドのなか、体を寄せ、抱きしめるような形を取る慈の体のぬくもりが、とても心地よくて、俺は何を考える暇もなく、その暖かさに包まれ、眠りに落ちた。
「おやすみなさい、圭ちゃん。大好きです。」
頬に何かが触れる感触とその言葉が、遠のいていく意識のなかで確かに感じ取れた。こうして、俺達の旅の1日目は幕を閉じたのであった。