ウェディングベル
ロウソクのような明かりは、電気で灯るロウソク型のランプだった。この辺は多少近代化している感じがする。火事になったら大変だしな。薄暗い廊下の先を照らしてみるが、通常の懐中電灯より何倍も明るいフラッシュライトを持ってしても奥が照らし出せなかった。もちろん、この建物がそんなに直線で広いとは思えず、やはりこれは、何か心霊現象的な、空間が歪んで、もしくは別の場所に移動している、と見たほうがいいだろう。後ろを振り返るとそこは出てきたエレベーターではなく、ただの壁になっていた。つまり、帰り道は無いということだ。
「圭ちゃん、おかしすぎませんか。どうするんですか、出るどころか余計迷い込んでますよね。」
その通りだ。出られるかもしれないという浅はかな考えは無残にも打ち砕かれたと言えよう。
「まあ。」
少し、意地悪をしてみたくなった。
「いざとなれば桐が守ってくれるさ。なあ。」
ここで桐に振ってみる。
「うぇ、ええ。何で急に私なのよ。えええ。」
かなり狼狽し取り乱す桐。その慌てふためく姿は見ていて可愛かった。
「だって、俺の守り刀の精霊だろう。守ってくれるんじゃないのか。」
「そりゃ、そうだけど。でもこんな状況で、お、女の子に守ってもらおうとしないでよ。逆に守ってよ。」
今にも泣き出しそうな桐の頭に手を置き、撫でる。
「ごめんごめん。ちょっと意地悪したくなってな。大丈夫。ここまで来たのは俺が原因だしな。ちゃんと俺が守るから。」
「圭ちゃん、私も守ってくださいね。」
慈が恨めしそうな目でこちらを見ていた。もちろん、君のことも守るとも。
両腕にしがみつかれたような格好になりながら、廊下を進んでいく。フラッシュライトが照らしづらくて困る。だが、片方だけ離すわけにもいかず、こうした格好に甘んじているのであった。廊下はしんと静まり返り、俺たちの足音だけがコツコツと響き渡っている。足元を照らしてみると、白い大理石のような床だった。廃墟にしてはよく磨かれており、若干ではあるが俺たちの姿が反射して見える。壁は赤色のモダンな壁紙になっており、等間隔にロウソク型をしたランプが灯っている。天井はよく見えず、どうやら木でできている、ということくらいしかわからなかった。
しばらく歩いていると、奥の方がごくわずかだが明るく見えるような気がする。ようやく出口までたどり着いたのだろうか、それともまた別の所への入り口なのだろうか。その奥の明かりは歩みを進めるごとにだんだんと間近になってきており、それが気のせいではないことがわかった。あと何百メートルか先に、部屋のようなものがあり、その半開きになったドアから光が漏れているのだ。
ドアにたどり着き、ゆっくりと開ける。まるでホラーゲームのワンシーンのように軋む音を立てながら開く扉の先には、宴会場並の広めの空間と、やはり廊下と同じように灯ったランプと、その奥には和風の祭壇のようなものが見えた。明らかにこの部屋の作りとは趣向がずれている、純和風の祭壇だった。
「もしかして、これが。」
神前式ができると書いてあった式場だろうか。よく見ると床は畳敷きになっており、ますます壁との協調性が取れていない、違和感のある空間だった。足を踏み入れると、後ろでドアが勝手に閉まる音がする。ホラーゲームのお約束のような展開だ。それと同時に祭壇の戸が開き、フラッシュライトで照らすのも不躾だろうから、若干ライトの位置をずらしながら見てみようとするも、祭壇の中は暗く、何かを祀ってあるようにも見えたが、それが何なのかは判別ができなかった。
「何か、います。とても祭壇のところに。」
慈がそちらの方をキッと見つめる。俺も見てみたが、これと言って誰もいないようにみえる。
「お主達だな。我が神域に入り込んだ輩は。」
声がした。部屋全体に響き渡るほどの大きな、深い声である。
「我はこの場所が廃れる前からここで夫婦となるものをずっと見届けてきた神だ。この地は我が収めておる地だ。勝手に入ってよいものではないのだぞ。」
その声は、太く、荘厳で、神と名乗るには申し分ない。
「勝手に入ってしまい申し訳ない。神よ。我が名は国木田圭一。知らずとは言え、神域へ土足で踏み込んだ事をお詫び申し上げる。誠に勝手な願いではあるが、我々をここから出してはいただけないだろうか。」
俺も大きな声を響かせ、返答する。神に対して失礼のないように、言葉遣いには気をつけなければいけない。
「ならん、と言いたい所だが、お主の連れは人ではないな。どのようなものだ。」
「道中で連れてきた幽霊と、私の守り刀の精霊である。」
俺の答えに満足したのか、神と名乗る声の主は笑った。
「面白い。お主は神事を大事にする人間のようだ。よろしい、脱出する機会を与えよう。」
どうやら良い方向に話が進んでいるみたいだ。このままうまく行けば外に出られそうだ。
「その二人の女子は、お主を好いているようだな。我は暫くの間、夫婦になる若い男女を見届けておらん。どちらか一人、我の前で愛の契を交わせば、ここから全員だしてやろうぞ。」
前言撤回。うまくいきそうにない。
「通常は三三九度で契を交わすが、生憎ここには無いのでな。西洋式に、誓いの接吻をすれば、出してやろう。」
まずい、非常にまずい。ここから出るには、俺は慈か桐かどちらかと接吻をしなければ出られないらしい。
「神よ、他の。」
「他の方法はない。」
俺の悲痛な問いは、言っている途中でピシャリと遮られてしまった。
「そういうことなら、仕方ないですよね。圭ちゃん。」
今まで黙っていた慈は、急にそんなことを言い出すと悪い笑みを浮かべた。
「圭一、ここを出るためだもの。さあ、してもいいわよ。」
桐はこちらに顔を向け、目を瞑る。それはもう、さあキスをしなさいと言わんばかりであった。
「ちょっと待ってください。ここは圭ちゃんに選んでもらいましょう。二人で並んで、どっちがキスされるか、ってことです。」
慈の提案に桐は頷いて、俺から離れた。そして少し俺から離れた所で、二人共目を閉じ、こちらを向いた。
「え、どうすれば、えっと、その。」
なんとも情けないが、どうして良いのかわからず狼狽する。
「圭ちゃん、選んでくれるのを待ってますよ。」
「圭一、やっぱり私よね。さあ、早くしてよ。」
まずいな。これは選ばなければ、どうしようもない。だが、俺はまだ二人のどちらかと愛の契を交わすなどとは考えられず、でも、いずれは避けて通れない事なのかとも思い、本当にただ、どうして良いのかわからず漠然と立ち尽くすだけだった。
「優柔不断な男だな、お主は。はよせんと女子が可哀想だろう。」
神にまで呆れられる俺。情けなさ過ぎて涙が出そうだ。もう、ここは男を見せるしか無いのか。どちらかを選ぶしかないのか。
俺は、二人を見つめた。緊張し、多少の不安を抱いているのか、少し震えている慈と、自信に満ち、さあ来いと言わんばかりの桐。そんな二人を前にし、俺は。
「まったく、女性の事となると、ここまで情けないんだね。国木田君。」
その時である。そんな声とともに後ろのドアが開き、人影が二人現れた。
「女子一人選べないのであれば、この先が思いやられるなぁ、主人よ。」
それは、ああ、俺達が散々探し回った、須口達の姿であった。今まで、一体どこに行っていたのだ。
「僕達も神隠しにあってね。やっとここまでたどり着いたところさ。君たちのやり取りは廊下の方まで聞こえていた。事情はわかってるよ。」
俺達と同じ様な状況だったのか。
「そんなことより、圭ちゃん、私達待ってるんですけど。」
須口の事ばかり話していたら、慈に釘を差される。そうでした。俺は待たせている立場でした。
「もう、そのような男を待っておったら何年経とうとここから出られまい。どれ。」
黒羽はそう言い放つと、そのまま、無理やり須口の顔を自らの顔に寄せ、口づけをした。
「どうじゃ、これで愛は示せたかの、神よ。」
黒羽は、微動だにしない、というか固まっているというか、とにかく全く動きを見せない須口から顔を離し、神に問うた。
「ああ、満足だ。お主達をここから出してやろう。久々に良いものを見せてもらったぞ。」
神は、そう答えると、祭壇から眩いばかりの光が発しられ、辺りを包み込んだ。そして、気がついたら俺たちは最初に入ってきたホテルの一階ロビーに立っていた。
「戻れた、のか。」
全員居ることを確認し、そう呟く。黒羽のおかげで、俺たちは戻れたようだ。須口は相も変わらず全く動かない。
「圭ちゃん。ちょっと。」
「圭一、顔貸しなさい。」
そしてかなり怒りに満ちた二人に俺は死を覚悟しながら呼ばれるのであった。ああ、俺の旅もこの辺で終わりか。
「ワハハハハ、お主達も、その男には苦労しそうだな。いつの日かどちらかが選ばれる時があれば、我が見届けてやろうぞ。」
神の声が響き、そしてすっと消えていった。慈と桐は、全くです。困ったものよ。とそれぞれ文句を言っていた。
「やれやれ、こんな所で油を売っていてよいのかの。もう帰ったほうがよいのじゃないのか。」
黒羽が溜息をつき、須口の肩をぽんと叩いた。微動だにしなかった須口は、硬直したままバタリと倒れた。
「須口、どうした!大丈夫か。」
あまりの衝撃だったのだろうか、須口は目を開けたまま、直立姿勢のまま気絶していたのだった。俺はそんな須口を抱え、真っ暗になった外へとなんとか脱出した。これで、ここの廃ホテル探索は終わりである。もう夕方は過ぎ、夜になっていたが、時間は不思議と30分程度しか経っていなかった。