鏡の向こう側の君に向かって
僕の思い出。
荷物がトラックに積まれ、引っ越し先に向かう。
千春と知り合ったのは、もう桜の散る頃。
大学の友人が持ってきた合コンで知り合った。
よく意外だと言われた。
居酒屋の長テーブル。
僕たちの始まりは席が対角線で一番遠い席から。
周りが盛り上がって行く中、お互い席を移動できず、距離はずっと保たれたまま。
少し遠慮がちに、千春が誰かと笑っている君の横顔を僕は時折見ていただけで、その日は終わった。
後日、気持ちのいい風の吹く日に、同じメンバーで遊園地に行く事になった。
友人が一回会うだけじゃつまらない、といって企画していたのに、当日気づいた僕。
千春が女性達の少し後ろに立っていたのを見て、嬉しかったのを覚えている。
アトラクションの席、ランチのテーブル、パレードの立ち見。
僕は少しずつ、千春に近づいていった。
お互いの心の距離も確かめるように。
帰りの電車は向かい側正面に座った。
でも間には僕達の友達がいる。
電車に揺られるみんなの体の隙間から、千春と目が合う時にはもう、僕は好きになっていた。
電車を降りた時に僕は連絡先を交換した。
少しびっくりしている千春の顔に、僕は照れた。
それからは2人の距離を縮めていった。
映画。
千春は横で号泣していて、僕は慌てながらも笑った。
七夕祭り。
風に揺られる色とりどりの短冊を見つめて、千春は何度もつまづいた。
僕はそんな横顔を見つめて、人にぶつかった。
雨の花火大会。
急遽中止になった僕達は、2人の最寄り駅が交差する駅までの二駅分を歩いて話し合った。
僕のこと、君のこと。
そして僕は君への気持ちを伝えた。
千春は少し戸惑いながら、僕の気持ちを受け入れてくれた。
秋になり、僕の部屋に遊びに来てくれるようになった頃、僕の部屋が殺風景すぎると言って、千春は鏡を買って持って来た。
玄関と部屋に一枚ずつ。
玄関の姿見は貴方の身だしなみの為に。
部屋の手鏡は私の為に、と照れながら僕に言った。
僕は毎日鏡に向かって結んだネクタイを確認した。
千春の笑顔を思い出して、行ってきます、と言って扉を開き、ただいまと言って扉を閉めた。
雨が冷たいクリスマスの日。
僕達は、駅前で待ち合わせをした。
簡単に食事をした後、僕達は雑貨店でお揃いの写真立てを買った。2人の並んだ写真を入れて、お互いの部屋に飾る為に。
そしていつものように二駅分歩いた。
この時間は僕達が始まった時間と距離。
年末年始の予定を合わせて、到着した駅で別れた。
それが千春との最後だった。
千春の顔はまるで寝ているかのように穏やかだった。
遺品の中に、ガラスが痛々しく割れている僕達の写真立て。
僕は千春の棺に入れて、空に贈る。
もう一度桜が散る季節が過ぎる頃、僕は千春がお気に入りだった玄関の鏡を部屋に飾った。
少しでも千春を側に感じていたいという理由で。
映り込む鏡の向こうに千春が座っていた。
鏡は僕を映しているが、映し出している場所は千春の部屋。
千春は、ずっと僕達の写真立ての前で座っていた。
声をかけるが、鏡を叩くが振り向いてはくれない。
背中が寂しそうだった。
その鏡は千春の生活を映し続けた。
まるで窓ガラス1枚で隔てられた世界のように。
それからは千春と生活を共にする日が続いた。
僕は同じテレビ番組を観て、同じ食事を選び、同じ日に出かけた。
そして時々寂しそうに見続ける僕達の写真。
僕も一緒に写真を見ながら、思い出に耽った。
気持ちのいい風の吹く日、千春が手鏡を持ち出した。
僕の部屋に今ある同じ物。
千春が鏡を覗く時を見計らって僕も手にした。
僕と千春は半年ぶりに見つめ合う事になる。
鏡の向こうで手を振る僕に、千春はそのまま倒れて気を失った。
しばらく姿見から心配そうに僕は覗いた。
ほどなくして千春は気が付き、もう一度手鏡を覗く。
僕はもう一度、手を振った。
この不思議な出来事を千春は受け入れた。
鏡の向こうでは、僕がいなくなったらしい。
泣き笑いの千春を見つめて、僕も泣いた。
それから千春は、自分の部屋の姿見を僕の部屋にあった姿見に交換した。
僕がいなくなった後に貰ったらしい。
ガラス1枚向こう側の世界。
近づけは触れられそうで、この世界のどこよりも遠い距離だった。
新しい千春との生活が始まる。
朝、一緒に起きて朝食を取り、夜は一緒に同じテレビを観て、ビールを飲んだ。
『映画に行こう』
この時の為に用意したスケッチブックと逆さ文字。
片手に挟んでスマホに写る専用サイト。
笑顔で頷く千春。
手鏡も指差す。
そうだね、一緒に持って行こう。
2人で同じ映画館に向かう。
僕は14のEで千春は14のF。
手鏡で映せば、僕の隣に千春がいた。
僕達はもう一度、2人の思い出を重ねた。
七夕祭り。
花火大会。
この日は晴れだった。
花火も見ずに、お互い手鏡ばかり見ていた。
冬になり、2度目のクリスマスが近づく頃。
千春は真剣に姿見の前で座って欲しいと促した。
お互いスケッチブックを持つ。
『どうしたの』
僕は鏡越しに伝える。
『このままではいけないとおもう』
千春は泣いていた。
『ぼくはこのままいたい』
大きく書いて訴える。
『はなせない、ふれあえない』
千春の目は真剣だ。
『おたがいべつのせかいでくらしている』
スケッチブックをめくる。
『でも、いきててよかった。べつのせかいでも』
またページをめくり、書く。
『わたしたちは、ふつうにおわかれするの』
そう書いた後、急いで書き足した。
まるでぼくの元から走り去るように。
それは逆さ文字ではなかった。
『さようなら』
千春は泣き顔を隠さず、僕を見つめながら姿見を裏返した。
それから僕は毎日、毎晩覗き込んだけど、別れたあの日から、姿見も手鏡も僕の世界だけを映しているだけだった。
そして。
3年前に知り合った女性と一緒に住む為に、引っ越しの準備をしていた。
片付いて行く部屋に、長く気持ちを残していた。
その場所から、僕は"おわかれ"する。
部屋にかけてある姿見。
そこには今でも僕とこの部屋だけが映る。
僕はスケッチブックを1枚切り、逆さ文字で手紙を書いて貼る。その後、手鏡と一緒に梱包した。
『しんぱいかけました』
『ぼくも、やっとしあわせになれそうです』
鏡の向こう側の君に向かって。
いかがでしたでしょうか。
誰も喋らないものを書いてみました。
内容も表現も、うーん、色々似てね?ちょっと間開けようか、とも思ったんですが、出しました。
最後まで読んでみて頂けた方、よろしければご意見下さい。