平和主義者の矛盾
三宅洋平が平和を訴えていた。
戦争はいやだし、全員が望んでいないのも分かるが。
平和すぎる日々とは何も起きない退屈な毎日のことだろう。
映画を見ていても
戦争とか、そうじゃなくても悲劇ばかりをテーマにしていて、
打ち砕かれそうになり、生きているのもいやになるほど追い込まれるが
それに打ち勝って成長するところに感動がある。
感動は悲劇が無いと存在しない。
平和な世界では感動も輝きもない。
相対的になる悲劇が無いから、感動もない。
平和とは退屈なもので
その退屈に人間は耐えられるのか?
本当の平和が実現した暁には、
「こんな退屈な毎日には耐えられない!」と言って戦争が始まるだろう。
人間は戦争まで行かないが常に問題に直面し続けて日々を過ごす。
常に何かの問題に対処して退屈から開放されている。
スポーツもライバルがいて張り合いがあって頑張ることができる。
競争があるからこそ潤いがある。
平和主義者は究極に言えば暴力的だ。
平和の対極にあるものの存在を許さない。
戦争は抹消しないといけない。
いじめは存在してはならない。
ドンドン排除されていく。
もっと突き進めば、自動車も無くさないといけない。
毎年1万人も人を殺す。
最近は5千人だったかな?
お酒だって暴れたり他人に迷惑かけることも多いから無くした方がいい。
そういってドンドン排除しよう。
そうやってドンドン排除した先には何もない世界がまっている。
そんな退屈な日々には耐えられないだろう。
副交感神経は緊張と緩和がストレスとリラックスの波があって初めて正しく機能する。
線引きをすればいいというものではないのだ。
どっちも無くてはならないのであった。
濃淡で誤魔化しは利くだろうが、戦争があるかもしれないという緊張感が人生に張りを出すのだろう。
だからといって戦争したらいいとは思ってないんだけど。
三宅洋平も戦争反対という戦いがあるから生き生きとしていられるのだ。
現政権にNOを突きつけてやるという戦いがあるからハツラツなんでしょ。
そういうことを考えているのだろうかと疑問に思う。