三題噺 [面][兎][声]
夏祭り――神社前の通りを脇にそれた、細くて薄暗い路地。
そこにぽつんと、たった一軒だけ、お面屋が出ていた。
なにもこんな場所に屋台を出すことなんてないだろう。この地域にしては大きめの神社で、その通りも長くて広い。屋台を出す場所なんていくらでもある。
ちょうど表の灯りも入ってこないような場所だ。なんだか不気味だと、目を逸らして足早に立ち去るのが普通の人の反応だろう。
だけど何故だか――僕はその路地に足を踏み入れた。踏み入れてしまった。
その現実から隔てられたような雰囲気に惹かれ、近づいてゆく。なんだか、表の喧騒も急に小さくなった気がする。
お面屋の前まで着いたころには――といってもたかだか十歩程度。表通りの方へ目を向ければ、人が右へ左へと通り過ぎているのが見える。その程度の距離。
それなのに――静かだった。まるで海の中にいるかのような感覚。そう、水面で上がる波の音が聞こえなくなるような――
「……一つ、買っていくかい?」
お世辞にもうまい客引きとは言えないその言葉によって、我に返る。
離れていた時にはよく見えなかったが、そこでは子供を対象にしたアニメのキャラクターや戦隊もののヒーローのお面ではなく、動物の顔を模したお面が数多く並べられていた。
……どう考えても、子供向けの物ではない。なんだろうか、能だとかそんな芝居衣装に使われるような、そんな雰囲気のものに近い気がする。見に行ったことがないから、断言はできないけど。
「じゃあ――、その兎のお面を」
ちょうど真ん前にあった、兎の面を手に取る。赤や緑などの模様が入ってはいるが、それだけ。子供受け以前に一般受けするようなファンシーさすら、かなぐり捨てているところに粋を感じる。
「……二千円」
……高い。祭りに出てくるお面なんて、せいぜい五百円かそこらだと思っていた。……いや、一種のコスプレグッズだと思えばこんなものなのか? そんな自問自答をしてしまうほどの魅力が、その面にはあった。
しかたない――
「……まいどありー」
終始、まともな接客をする気のない主人だった。
早速、お面を着けて大通りへと向かう。もうお面なんて着ける歳ではないけど、これなら粋で通るはずだ。なんせ夏祭りなのだから。
そして、一歩路地から出た瞬間に、祭り特有の喧噪に包まれる。さっきまでの静けさが信じられない。耳が痛いぐらいだった。兎の面を付けているからそんな気がするだけだろうか?
それにも、時間が経つにつれだんだんと慣れてゆく。やっぱり急に変わったから大げさに感じただけ。そんなに取り乱すようなことでもない。落ち着いてから、友達との待ち合わせ場所である、神社前の鳥居へ向かった。
「どこに行ってたんだよ、おせぇぞ」
ちょっと気が強そうな学生の集団。友人たちだった。いや、友人と呼べるのだろうか。あまりに自分とは毛色が違い過ぎるのに。自分としては苦手な部類の人間なのに。
「……ちょっとお面屋に」
「お面屋? まだあるんだな、そんなの」
「つまらないことで待たせてんじゃねぇよ」
本気ではないだろうが、小突かれた。
「で、なにか買ったん?」
「……?」
なにか買ったも何も、こうして着けているじゃないか。もしかして……からかっているのだろうか?
よく見せようとお面を外して差し出す。
「……いま、どっから出したんだ?」
まわりが唖然とした。
「いや普通に、着けてたのを外しただけで……」
「お面屋で手品グッズ買ったのかよ。相変わらず変な奴だな」
「まぁいいや、ファミレスで適当に時間潰そうぜ」
と、まともに取り合ってくれなかった。
その後に行ったファミレスでも、誰一人としてこの兎のお面に気がつく人はいない。
「いったいなんのためのお面なんだか……」
人に見せるための面だというのに、着けている間は人から見えなくなるだなんて本末転倒である。それは不思議なことなんだろうけど、まったく意味のないことだ。
雨が降った時に上を向いてたら、顔が濡れずに済むぐらいか。などと、どうでもいいことを考えながら眠りについた。
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次の日の朝――制服を着て外へと出る。今日は登校日だった。
なんで夏休みと銘打っておいて、学校に来させるのか。たいして勉強することもないだろうに……。非常に憂鬱な一日である。
…………
ちょっとした思いつきで、学校へ例のお面を着けて登校してみた。――が、ファミレスと同じだ。先生ともなれば、からかったりせずに普通に注意するだろうと思っていたのだが、それも全くない。本当に誰にも見えていない様だった。
……流石に、目の前で外して没収されるような愚行は犯さなかったけど。
そして今日の夏期講習が終わり――
「――――」
なにやら声が聞こえた気がした。
耳を澄ませる。そうでもしないと聞こえないぐらい小さい声。
「――――」
……これは飼育小屋の方からだろうか。高校でも飼育小屋があるだなんて珍しい方だと思う。もう生き物を飼うことの大切さなんて、学習する必要もないだろうし。そんなもの、忘れている人間が大半だろう。
近くまで寄るも誰もいない。飼育小屋の中を見ると、そこには申し訳程度に兎が数匹飼われていたぐらいだ。
「……確かに、声が聞こえたような気がしたのに」
幻聴だろうか、はたまた何かの呪いだろうか。だんだん怖くなってきたところで、また声が聞こえてくる。
「い……いたい……いたい……」
聞こえた――飼育小屋の中から。
人が倒れているのを見逃したのかと、金網にへばりつくようにして中を見るが、そんな人影は一切ない。そのかわり――、隅で丸まっている一匹の兎が目に付いた。その近くには下痢を起こしたような様子。
「馬鹿だよね。人間がくれた野菜ばかり食べてるから」
「さすがにレタスばかりだとお腹壊しちゃうよね」
「ペレットが至高だと何度言えば……」
反対側で集まっている数匹の兎からも声が聞こえてきた。どの兎も無表情で口元をモソモソさせている。
「…………?」
まさかとは思うが、ためしに面を外してみた。
…………
さっきまであった声が消えた。耳を澄ましても入ってくるのは、グラウンドで部活動をしている生徒の掛け声ぐらいだ。さっきのヒソヒソ声どころか、断続的に続いていた『痛い』という声まで、面を外した瞬間に消えたのだ。
そして、再び面をつけると――声は聞こえてくる。
「このお面――」
人に見えないだけじゃなかった。恐らく――着けている間は動物の声が聞こえる。
いや、動物の声が聞こえているのならば、こんなものでは済まないはずだ。家では犬を飼っているし、街中には猫もいた。……兎の声だけ聞こえるのか? ……兎の面を着けているから?
よくよく昨日の事を思い出してみれば、他にもたくさんの動物の面が置いてあったような気がする。……他の動物の面を着ければ、その動物の声が聞こえるようになるのだろうか。
「いたい……いたい……」
とりあえず、現状の把握はできた。『痛い』と声を発しているのは、この兎に違いないだろう。
兎にも角にも、まずはこの状況をなんとかしないと……。
いそいで担当の先生に連絡し、獣医へと見せてもらうように頼んだ。そして、家から持ってきた野菜を勝手に兎に与えないように貼り紙をしてもらった。
別に兎の一匹や二匹、病気で死んだ程度で困ることもないけど。それでも声が聞こえてしまった以上、助けないと居心地が悪かったのだ。先生からは、真剣に見てないと気づかないだろう、と動物好きの称号(?)と無駄に高い評価を与えられてしまった。
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その夜――、再び夏祭りへと足を運んでいた。目的はあのお面屋。
もしかしたら、店を出しているのは昨日だけだったのではないかと考えると、自然と早足になってしまう。
多少、大通りの店の並びは変わっていたものの、毎年参加している祭りだ。昨日と同じ路地を見つけるのもそう難しくはなかった。
「――いた!」
急いで店へと駆けよる。店主が『買っていくかい?』と言う前に、既に千円札を懐から出している。さぁ――今度はなんのお面を買おうか。いや、並んでいるお面全部を買ってしまうのもいいかもしれない。
そんなとき――、店長からポツリと声をかけられた。
「このお面は――、その生き物の世界でうまくやっていくためのお面さ」
『うまくやっていく』という表現は、あまりにぼんやりとしたものだと感じた。声が聞こえる、というのは違うのだろうか。仲良く? 上手に付き合う?
確かに、飼育小屋の兎たちには感謝されたのだろう。しかし、自分は人だ。兎の世界でうまくやっていく必要なんて全くないだろう。どうせなら――
「ちょっと値段は張るけど――良いものがあるよ」
そうして、台の下でゴソゴソと何かを取り出し始める。――差し出されたのは、人の顔をした面だった。『値段はニ万円』と、確かに値を張っていた。明らかに祭りで出すものの値段ではない。
しかし――、それこそ自分が欲しかったもの。人の世界で、社会で、うまくやっていく力。今現在、学校に通っている段階で薄々と感じていたことだ。自分の頭を悩ませていたことだ。
このお面さえあれば、あの不愉快な連中ともうまく付き合えるようになるのだろうか。この先にきっと起こるであろう、その他諸々も回避できるようになるのだろうか。
「これは他のお面と違って使用期限が――」
そんな言葉は既に耳に届いていない。
一度不思議な力があることを知った自分に――その魅力に抗う術なんてなかった。
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いつからか、面は顔から外れなくなっていた。
しかし、不思議と生活に支障はない。
視界が制限されることもなければ、食事の邪魔にもならない。
うっかりしていると、面を被っていることさえ忘れそうになるほど。
いや、もうそんな些細なことなどどうでもいいんだ。
なぜなら、自分の周りの世界はすこぶる快調に回っている。
昔の不器用だった自分が、それこそ幻だったかのように。
あぁ――
面を被って生きることが、こんなに心地よいことだったなんて――
数か月先、数年先、いつだか分からないけど確実に訪れる未来。
急に剥げ――二度と着けることのできなくなった面を前に、手痛い代償を支払わされることを――
僕はまだ知らない。
リハビリ三題噺第十四弾
[面] [兎] [声]
なんだか久しぶりに三題噺で書いた気がする。
前回が200字小説と短いものだったからでしょうかね。
最初は童話童話しているようなものを書くつもりだったのに、
なんでこんなオチになってるんでしょうかねぇ。不思議ですねぇ。
上がっている人は落とさないと気が済まない病気に罹っている気がしてならない。
ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか曖昧にして終わらせるのも、面白かったかもしれないですな。