第18話
『で、あいつは鬼だからオレにさわれたってわけだ?』
帰り道、義将が急につぶやいた。それまで無言だったのに、まるでずっと会話していたかのように。
あたしは放心していたので、何て言ったのかよくわからなかったけど適当に答えた。
「うん。そう」
『けっ、どうりで嫌なやつだと思ったら化けもんか』
義将はぺっと唾でも吐き捨てるように言った。
「化けもんって…そんなんじゃないでしょ、あの人」
『だってそうだろ。鬼っつったら妖怪だぞ?近付きたくもねーな』
そう言ってブルッと身震いした。
あたしには彼がそんな恐ろしいものには見えないけど。見た目はまるっきり人間だし。
それに、一応幽霊は信じてるけど(だって見えるし)妖怪は対象外。しかも鬼なんてものとなると、もはや未知の生命体だ。
『鬼とエイリアンならどちらを信じますか』と聞かれたら、間違いなくエイリアンを取る。
『ったく、おかしなこと言いやがる、あのスカした野郎…』
義将は一人でぶつぶつ言っている。
あたしは聞いてるフリをしながら自分の考え事を続けた。
とりあえず、彼が鬼だったとしてもそれは特に問題じゃない。
あたしの実生活において、鬼のクラスメートの存在によって損なわれることなんて一つもないから。
依頼だって、彼が幽霊が見えるなら簡単に行きそうだし。
問題は、あたしの記憶が消えるってこと。こんな意味不明なことってある?消えるようになってるって、どんなシステムになってるわけ。
そりゃあ、彼が軽々と嘘をつくような人だとは思わないけど、それにしてもばかげてるでしょ。
彼と今日話した内容を全て信じたわけじゃないけど、忘れたいとは思わない。
ったく、信じられない。勝手に人の記憶を消去するなんて。
とりあえず、そんな事態から、何とかして回避しなきゃ。メモに書いて残しておくっていう方法がある。
誰かに話しておくっていうのは?
だめ。たぶんその人の記憶も消えちゃうんだろうから。
「あっ、そうだ!あんたが覚えとけばいいんじゃない。一応『人間』ではないんだし」
『はあー?』
義将のぶつくさがやっと止まった。
「明日になったらあんたが鬼のことをあたしに教えるの。そうすれば…」
『お前なあ…忘れてるだけならともかく、記憶がすっかり消えてなくなってるやつに説明したって無駄だろ』
義将が珍しく正論を言った。意外と頭が回るやつなのかも。
「やっぱだめか…」
あたしはがっくりと肩を落とした。
じゃあ、メモに書き残すっていう手もボツね。
朝になって、自分が書いた意味不明なメモに悩まされるだけだろうから。
『まっ、あいつが言ったことなんか本当か怪しいし。明日になってみないとわからねーな』
「うん…」
本当にわけわかんない。今までの自分の常識を百としたら、軽く一万は超えてる。
なるべくこのことは考えないようにした方がいいかも。あたしの頭が爆発する前に。
何か手頃な話題はないかな。あっ、あった。
「そういえば義将って、いつぬいぐるみから抜け出してたの?」
義将は思い出しているのだろう、しばらく考えこんでいた。するとだんだん妙な顔色になり、おかしな行動をとり始めた。
話すだけなのにそんなに距離はいらないはずでしょ。
『えーと、まああれだ。お前の上から鉄が落ちてくるのが見えたんで、反射的に出ちゃった、みたいな?』
義将は雰囲気を和ませるように、ははは…と苦笑いした。
残念ながら効果はなかったみたいだけど。
「へえ〜…それであたしを見捨てて逃げたってわけ…」
義将の笑顔が引きつっていく。
『あーいや、やっぱさ、ああいうことになるとよけたくなるだろ?幽霊だって』
「あんたは鉄骨が当たったって痛くもかゆくもないでしょ!!」
あたしの形相を見た途端、義将は逃げるように慌てて姿を消した。
「ったく…」
そうつぶやいたあと、気が付いた。
夜道に独りぼっちになってしまったことに。
そのあと、唯一の話し相手を無くしたあたしは一人で家まで歩いて帰った。いつも自転車に乗って行き帰りしてるから、歩くとなるとものすごくノロい感じ。
こんな帰り道、自転車でひとっ走りすればすぐ着いちゃうのにな…
あたしの代わりに犠牲になった自転車のことを思うと何とも言えない気分になってくる。
あたしの学生生活に欠かせないお供だったのに。
中学生になって買ってもらった、かわいい赤色の自転車。
ちょっぴりパワフルな女の子のもとに買われたせいで、五年のうちにおんぼろ自転車に変わっちゃったけど。
おかげで、自転車屋さんは修理の技術が大きく身に着いたことだろう。
10回目くらいから、客があたしだとわかったとたん修理器具を持ち出してくるようになったから。
別に壊そうと思って乗ってるわけじゃない。こいでいたらたまたま岩や土手があっただけ。
家に帰った頃にはとっぷり日が暮れていた。
あたしは玄関の戸をガラガラと開けた。
「ただいまー…」
「――おいっ!おじいちゃん、万夜が帰ってきた!」
「なにっ!?」
そんな声が聞こえたかと思うと、二人が奥から弾丸のようにすっ飛んできた。
圭太はあたしが立っているのを見るなり、おじいちゃんの肩をバシッと叩いた。
「ほら見ろおじいちゃん!だから言ったろ?こいつが死ぬわけないって!」
「わ、わしは死ぬとは言っとらんぞ!」
おじいちゃんは叩かれた肩をさすりながら言った。
「…あのー、状況を聞きたいんだけど」
圭太が、聞いてくれよと言わんばかりにあたしの方を向いた。
「さっき学校から電話がかかってきて、おじいちゃんが取ったんだよ。何か工事現場で起こった事故に万夜が巻き込まれた、みたいなことらしくてさ。俺はありえないだろって言ったんだけど、おじいちゃんがよく聞かずに電話切ったりするから…」
圭太はそう言いながら横目でおじいちゃんを見た。おじいちゃんはなにも聞こえていないような顔をしている。
何だかおかしなことになってるみたい。
心配してくれるのはいいとして、できれば勝手に殺さないでもらいたいんだけど。
「あのねー、確かに事故に遭いそうにはなったけど、見ての通りピンピンしてるから」
あたしは立ち上がって、かすり傷一つないことを二人に確認させた。
するとおじいちゃんは、溜まったものを吐き出すように盛大なため息をついた。
「まったく、紛らわしいこと言いおって…騒いで損したじゃないか」「そーそ。こんな悪運強そうなやつがそう簡単に死なないって」
二人はそんなことを言いながらさっさとキッチンに引き返して行った。
あたしはぽつーんと玄関に取り残された。
もう少し心配させとけばよかったかも。
夕ご飯を食べてお風呂に入って、ベッドに倒れこんだ。
今日はいろいろありすぎて、まだ頭がくらくらしている。
いろいろ考えようとする前に、眠りに引き込まれていった。