【七月八日】
【七月八日】
朝。寝起きドッキリを仕掛けられた。かなりの強烈なアラーム音をヘッドホンで流されかなり心臓にダメージを与えてしまった。勿論、起きた瞬間目の前にいたのは昨日会ったばかりの早生宮憂だった。
彼女は荒い呼吸を繰り返す僕を見て「ばーか。」と小学生のような捨て台詞を吐いて僕の部屋から出て行った。その姿を僕はただ呆然と見ていた。早生宮の表情は昨日と変わらずニコニコと笑っていて、特に恐怖などは感じなかった。耳からはまだキーンと耳鳴りが五月蠅く鳴っていた。
そして現在、瀝征南の病室前。尚未の病室と何ら変わらない真っ白な扉には深緑色の線が一本真っ直ぐに引いてあった。
「ところで、ヒロミン。」
「はい?」
彼女は僕の顔を見ずにただ瀝のいる病室をジッと眺めながら質問をしてきた。特に拒むものも返事をする。
とりあえずそのヒロミンを止めてほしいとは思っているが。
「君は、尚未吼のことはよく知っているかい?」
「・・・いえ?」
「そうかい。じゃあ瀝征南のことは?」
「いいえ。」
「うんうん。かなり君は無知なんだね~。ふむふむ。別に良いんだよ。知らない方がいいものもいいこともあるって言うしね。大丈夫。ボクは別に君に知っておいてほしいことなんてないから。だからといって知ってほしくないこともないといえば嘘となるんだけどね。とりあえず、ヒロミンはだまぁ~って欲しいわけだよ。てっきり新城あたりが全部教えちゃってるんじゃないかと思ったけど違うのか。ま、いいや。君の仕事は廃人の観察なんだから。それに集中してね、ということをボクは言いたかったわけだよ。分かってくれたら良いんだよ。うんうん。特に他にはないけど、今の発言でボクに言いたいことはある?質問はどんなにくだらなくても価値はあるよ。人が死ぬよりかは、ね。」
「じゃあ、どうして僕に嘘をつくんですか?」
「そんなの決まってるじゃないか!後ろめたいことがあるからだよ。それ以外になにがあると思ったんだいヒロミンは。うーん、そうだねぇ。他にあるとしたらボクもボクで君に質問したいことがいっぱいあるからだよ。要するにボクもヒロミンのことにしては無知に近いから、こちらも言わないということだよ。」
「別に聞いても大丈夫ですよ。そんなに詳しくとかは言えないと思いますけど。」
「ではでは早速。・・・いや、今は瀝征南のところに行かないと。いやー悪いクセが出ちゃったね。すまないすまない。それじゃあ行こうか。」
どうやら本来の目的を思い出したらしく早生宮は躊躇なく病室の扉を開けた。病室の中は尚未のような部屋ではなく、普通に一般人が想像する病室だった。真っ白なベッドには同じく真っ白な髪をした女児がうっすらと目を開けていた。青い瞳が僕を写す。尚未と目が合った時とは違う衝撃が襲った。
「瀝征南。お客様だよ~」
「・・・・あなたは。」
高い声が聞こえた。ぼんやりと僕を見ているようだがきっと心の中では僕が何者なのかを知っていることだろう。
「埠です。埠拓樹。」
「ハトバ・・・貴方が吼の保護者ですね。初めまして、瀝征南と申します。」
ニコリ、と優しくふんわりと微笑む彼女を見て、こちらもニコと笑い返す。いや、笑い返してしまう。
近くの椅子に腰かけると早生宮さんは「仕事があるから~」と去って行った。
「ハトバさん。吼から話は聞いていました。」
「どんな人だと?」
「ネガティブな人だと。それと不思議な人だとも言っていました。吼が思うくらい不思議な人と聞いたので、どんな方だと思ったら意外に普通でしたね。」
「ガッカリしましたか?」
「いいえ、普通という人も異常だという人も、私は平等に愛し、平等に大切にする主義なので。それでハトバさん、私のことは知っていましたか?」
「はい、レンに聞いていました。明るくて笑顔が絶えない人だと。」
「レン・・・恋霞さんのことですね。あの人は私の大切なお友達ですが、時には私の嫌いな種類の人間になることもあります。良い人なんですが、脆い人なので・・・」
「よく知っていますね。」
「恋霞さんとは、よくトランプをして遊びました。色々しましたが全部が全部楽しかったです。けれど今はこんな体なので、もう出来なくなってしまいましたが。」
「もう、動けないんですよね。」
「はい。けれど特に支障はありません。迷惑はかけていますが、それ以外には何も。後悔もしていませんし、もういなくなってもいいと思っています。」
「征南さん・・・。」
「大丈夫です。私はまだ生きています。今はただ、いつ死んでも良いように悔いのない人生を歩んでいこうと思っていますので。そんなことより、私ハトバさんにお願いしたいことがあるんです。」
彼女の笑顔は話す前とは何も変わっていなかった。雲一つない広く青い空のように、瀝征南の表情は一つも崩れはしなかった。
「良いですよ。言ってみてください。」
「では、ハトバヒロキさん。尚未の症状を世間には公表しないでください。」
「・・・どうしてですか?」
「廃人は、廃人という病気はきっと世界では絶対に発症だれないことでしょう。少なくとも、数年間の間では。」
「それは、貴方が廃人の全てをご存じだから、ですか。」
「・・・・そうです。」
真剣な顔で彼女は言ってきた。その表情はきっと本当に信頼する人にしか見せない表情だろう。
「私は、これから廃人の全てを話します。誰かが聞いていたとしても、私は話します・・・聞いてくれますか?」
「・・・はい。」
悩んだが僕自身、個人的な理由で尚未のことを知りたいと思っている。
だから知りたい。純粋な気持ちに僕は素直に頷いた。
「では、話します。廃人という病気は、実は違う病気と病気が重なり合って出来たものなのです。そして吼はそれを全て持っていた。病気は聞いたことのあるものが多いと思いますが、それの一つは妄想癖なんです。」
「・・・妄想癖?」
「元々、吼は妄想する癖があったみたいなんです。とは言っても、アニメの登場人物などに成りきってなどという妄想ですが、被害妄想などはありませんので、そこは大丈夫なんですけど・・・実は、吼が暴走してしまうのはコレのせいなんです。」
「どういうことですか?」
「吼は引きが強いんです。流血表現のあるものなど子供が出来る限り避けたい小説を、自然に引いてしまう人なんです。」
「詳しく、教えてください。」
「・・・例えば、古本屋で吼に気になった本を三冊持ってきなさいと言ったら、彼女はタイトルや表紙。裏表紙にあるあらすじなどを読んで、気になったのを持ってきます。そうすると三冊中二冊は確実に残酷な描写などが書かれた小説なんです。それに加えて妄想癖がついてますから、本に入り込むと主人公などに成りきったりして、暴走し始めたりするのです。」
「え、じゃあ、僕を襲ったのは・・・」
「はい、きっとアニメでも見ていていたんでしょう。」
その事実に目を見開いた。確かにそう思えば暴走したことは分かるが、まさか妄想癖が表に出てしまう人がいたなんて。精神病は特殊なケースが何度も起こる。しかも一つずつ違うのだから難しく、治すことも大変だ。
しかし尚未は特殊ななかでも異常で難解なケースらしい。
「それで、他にも病気を尚未は持っているんでしょう?」
「はい、それでもう一つは・・・」
征南が言おうとした瞬間、発砲音が聞こえた。目の前には瞳孔を開いたままの彼女が居た。いや、正確には居ない。居るかどうかすら分からない。
ゆっくりと後ろを向いた。エラーした機械のようにゆっくり、ゆっくりと後ろを、向いた。
後ろには、拳銃を持っている、僕の、よく知った、人が、そこに。
「すんません埠さん。もう無理ですわ。これ以上情報ダダ漏れってのは。だからいなくなったんです。大丈夫です、埠さんは殺さないから。だから、少し眠っててください。尚未のときみたいに、無理をしないで。」
銃口は、いつのまにか僕に向いていて。
「・・・埠、さん。」
「・・・・・・・・・・。」
声が出ない。呼吸が止まっているみたいだ。
そしてもう一度、発砲音が聞こえた。
目蓋が静かに閉じた。
新城恋霞。