2.ロード・オブ・ザ・トロージャン(2)
「こっ、来ないでよ!」
――可愛いとか、言わないで。
錯覚するから。
ねえ、聞いたことがあるよ。
――夢っていうのは、願望の現われだって。
背が高くて、スタイルが良くて、イケメンで。そしてここが肝心なのだが、「自分だけを愛してくれる」。そんな男と、ある日偶然出会えないかなどと、漫画のようなそんな都合のいいことを、遊笑だって望まなかったわけではない。だから昨晩、あんな夢を見たのだろう。
そしてそれは、今こうして現実になった。
乗っかってしまいたい。いや、こんなのは何かの罠だ。――二つの感情が、せめぎ合う。
プルートに押されるようにして後退していく遊笑の踵に、柔らかい布団が当たった。これ以上は、逃げられない。
内心どうしようか焦りながらも、遊笑はなんとか言い返した。
「愛してるなんて簡単に言うけど、私なんかのどこがいいわけ!?」
学歴だってたいしたことない。容姿も並。実家はどちらかというと貧乏だし、自分自身稼げるわけでもない。
落ち込むくらい、不良物件な女なのに。
だがプルートは遊笑を見据えたまま、きっぱりと言い切った。
「理由なんてない」
「は?」
「自らに刻まれた運命に従うだけだ。 私はお前しか愛せない」
「何それ?そんな理由、納得できない!」
運命?刻まれた?なんだ、それは。
プルートが主張する理由なんて、開き直りにしか聞こえない。遊笑の胸の内に、ますます疑惑と怒りが満ちていく。だがプルートは、彼女のそんな反応こそおかしいとばかりに、眉をひそめた。
「むしろ私はお前に問いたい。 ――なぜ、分からない?」
「何がよ!」
「お前にとって私が、ただ一人の相手だと」
「……!」
トマトは赤く、キュウリは緑。
そんなごく当たり前のことのように言われて、遊笑は呆然とプルートを見詰めた。
プルート。
宇宙の彼方からはるばるやってきた、凶暴凶悪な侵略者。
軽く念じるだけで、生物に死を――と言っても、今のところ彼は芝生を枯らしただけだけど、それでも生命を奪ったことには変わりがない。
そんな男が、運命の人?
「ダメダメダメダメ! 絶対ダメ!」
「何が駄目だと?」
「あなたは、普通じゃないもの!」
普通の自分には、普通の恋人でなければ。
頑なに首を振る遊笑を見て、プルートはますます不可解そうに首を傾げた。
「お前の言う、普通とは何だ?」
「それは……。 普通は、普通よ!」
その答えは、答えになっていない。だがだからって、説明なんてできるわけもなかった。そう、「普通は普通」だからだ。
「よく分からんが……。 まあ時間の問題だな。 誰も運命には逆らえない」
プルートは余裕たっぷりに笑い、その不敵な笑顔に、遊笑は釘付けになった。そんな自分が悔しくて、遊笑は小型犬のようにやかましく吠えかかった。
「あんたなんか、絶対! 好きになんかならないから!」
「好きになるさ、絶対。 ――ヒムロとかいうつまらん男なんか、気にもならなくなるほど」
「な……っ!」
氷室部長。遊笑が淡い恋心を抱いていた、上司の名だ。プルートは彼女の記憶から、その男の存在を知ったのか。
「あんたって人は~~~~!」
遊笑の怒りは頂点に達した。人の気持ちや記憶を勝手に覗くなんて、ひど過ぎる。
吸血鬼には十字架。
お化けにはお札。
宇宙人には――。
遊笑はカーディガンのポケットを漁った。
彼女をこのややこしい状況に引っ張りこんだ、ちきゅうぼうえいぐん。そのメンバーの一人、美しいあの人がくれた切り札を、指で手繰る。
「あんたなんか、大っ嫌いよ!」
そう叫んでから、遊笑はプルートの高い鼻先に、ピンクの布袋を突き出した。
「………………………」
――しかし、何も起こらない。
プルートが呆れたように尋ねてくる。
「なんだ、それは」
「なんだと言われても……。 そう言えば、何だろう……?」
――きっとあなたを守ってくれるから。
ミチルにそう言われて、この小さな袋を手渡されたとき、遊笑はなんの根拠もなく、これは何かすごい最終兵器なのだろうと思い込んでしまった。だがその正体は、知らないのだ。
手の平に収まるほど小さな袋の、口を絞めている紐を摘んで観察してみると、どうやら手作りらしい。丁寧に縫われた袋のピンクのハート柄の布地には、金色の糸で「プロジェクト『ML』成就祈願」と刺繍がしてあった。
――プロジェクト「ML」?
何の略だろうか。
Miracle、Magic、Mystery。
思い付く限りの単語を思い浮かべながら、遊笑は布袋を開けてみた。
「何か入ってる……」
逆さにして振ると、中から何かがぽとりと落ちる。手の平で受け取ったそれは、五cm四方の小さな袋だった。
「!!!!!!!!!」
いくら経験がなくても、これが何かは分かる。――何に使うかも。
つまり地球防衛軍から託された、秘密兵器とは――。
避妊具。
ドラッグストアやコンビニでひっそりと、三箱千円程度で売られている、あれである。
「なにが秘密兵器なのよーーー!」
処女の潔癖さからか、何か汚らわしいものを持たされた気がして、遊笑は思わず布袋の中身を、後先考えず投げ付けた。小さなそれは、目の前にいたプルートの端正な顔に当たり、床に落ちた。
「…………」
死んだ虫のように哀れに落ちたそれを、プルートは大きな手で拾い上げると、まじまじと眺めた。
「さすが、遊笑。 ちゃんと用意していたのか」
「用意してない! してないから! 人を、やる気満々みたいに言わないで!」
遊笑は顔を真っ赤にしながら力いっぱい否定したが、プルートはふんと鼻を鳴らした。
「こんなものを男に渡しておいて、今更何を?」
「ちがーう!誤解なんだってば!」
図らずも煽ってしまったせいか、プルートの瞳の色が一層濃くなった気がする。遊笑の足はすくんだ。
「やめて、やめて、やめて! 変だよ、こんなの!」
声を限りに訴える。
今日初めて会った――宇宙人。別に大切に取っておいたわけじゃないが、初めての相手がそんな人なんて、無茶苦茶過ぎる。そう思うのに。
プルートがまた距離を詰めてくるが、遊笑はもう逃げなかった。
――逃げられない。
「来ない、で……」
「遊笑」
そうやって、何か大切なもののように名前を呼ばれると、どうでも良くなってくる。
麗しい彼と、平凡な自分の、見た目の格差だとか。
彼が恐ろしい侵略者で、自分はそれを止める救世主だとか。
出会ったばかりの彼に、処女を捧げようとしているだとか。
――いけないことだって、分かってる。怖くて、でもどこかで期待もしていた。自分の知らない何かを、教えてくれるんじゃないかと。
そんな自分が嫌で、遊笑は瞼を閉じた。目の前の空気がふわりと動いて、次の瞬間、温かい何かに唇を塞がれる。
「ん……っ」
薄目を開けて覗くと、自分と唇を合わせたまま、じっと見詰めているプルートの美しい顔が、間近にあった。
力が抜ける。何かに縋りたくて、広い胸に手を置くと、プルートは包み込むように遊笑を抱き締めてくれた。
「遊笑……」
重ね合った唇がずれるたび、プルートは小さく遊笑の名を呼んだ。
大きな舌に口の中を犯され、長い指に耳の後ろを撫でられる。くすぐったくて、でもそれだけではない不思議な感覚が、全身を駆け巡る。耐え切れず、遊笑はがくんと畳に膝を着いた。プルートも遊笑を支えながら、追いかけるように中腰になると、飽きることなく唇を繋げたまま、彼女の上着を脱がし始めた。
「や……脱がしちゃダメ……」
遊笑は制止どころか、誘うような甘い声を漏らした。もちろんプルートはやめず、一つボタンのロングカーディガンをあっさりと脱がすと、その下のカットソーに手を潜り込ませた。膨らみをいやらしく揉みしだきながら、ますます口づけを深めていく。
「あ、そんな……!」
「気持ちいいだろう、遊笑」
やがてプルートの手は遊笑の体の輪郭をなぞるように、ゆっくりと下へ降りていった。
「ん……っ」
彼の指が触れた場所には、何とも言えない感覚が残る。
もどかしい。もっと――。
自分は何を考えているのか。そのはしたなさに我に帰り、遊笑はただただ赤面する。
「こ、これ以上はダメ……だよ!」
「――ほう」
抗議すると、プルートはにやりと意地悪く笑った。何か含んだようなその笑みを見て、遊笑は思い出した。
彼はさっき言っていたではないか。「触れるだけで、何もかも読み取れる」と。つまり自分の気持ちは、筒抜けということだ。――もっとして、と。
「~~~~~ずるいよ!」
遊笑は唇を噛みながら、プルートの厚い胸板を、ぽかぽかと叩いた。
「よしよし、いい子だ」
プルートはパンツの上から遊笑の股間を探り、空いた片腕で彼女の手を掴むと、自らのズボンの盛り上がった箇所を触らせた。
「あ……う……」
大きく硬く育った性器が、そこにあった。初めて触れるそれに遊笑はどうしていいか分からず、とりあえず撫でてやると、プルートは心地良さそうにため息をついた。
「だ、ダメだってば……」
パンツを脱がせようとする手を、遊笑は思わず押さえた。自分でも説得力がないと思う。
本当は彼が与えてくれる甘い刺激を、もっと欲しいと望んでいるのに。もっと先へ、堕ちてしまいたいと思っているのに。
案の定、プルートに笑われた。
「面白いな、お前は」
「な、何が?」
「本心とは逆のことばかり言っている」
「だって、恥ずかしい……よ」
「そう、その羞恥の感情。 それが、お前の欲求の周りにまとわりついて、実にいい。 じわじわと、私の興奮を煽る」
「変態!」
プルートは笑いながら遊笑の文句を聞き流し、再び口づけた。舌を絡め、互いの唾液を啜り合っていると、頭の中に靄がかかる。
――ああもう、ここまでしちゃったんだし。
崖っぷちに、彼女は立っている。ほんの少し背中を押されれば、あっさり落ちるだろう。
許されない、だけどきっと味わったこともないような快感が待ち受ける、桃源郷へ。
そしてその魅惑の土地の主は、唐突に囁いた。
「遊笑。 二本と三本、お前はどちらがいい?」
「……え? 何が?」
朦朧としながら、遊笑は聞き返した。
「ペニスの話だ」
「……………は?」
ロマンチックなムードにたゆたっていたのに、いきなり生々しい単語が出てきて、現実に引き戻されてしまった。
――ペニスとは、ペニスとは。
「あの……アレのこと、だよね?」
プルートは頷くと、更に説明を加えた。
「クリトリスと、ヴァギナ。更に、アナル用と増やせるが」
「…………………………………………………………………」
「まさか、四本か?お前も意外と通だな」
「宇宙に帰れーーーーーーーーーー!!!!!」
プルートの背後に回った遊笑は怒声を張り上げ、見事なコブラツイストで、侵略者を締め上げたのだった。
つづく
話ごとの文字数がまちまちですみません…