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2.ロード・オブ・ザ・トロージャン(1)

 ねえ、聞いたことがあるよ。

 夢っていうのは……。





 昨日の夢の続きを見ているのだろうか。お姫様のように恭しく自分を抱き上げてくれているのは、見たこともないような美しい男性だった。野性的な褐色の肌と、彫りの深い端正な顔だちは、どんなスターだって敵わない。 藍色の瞳は、ただ一心に見詰めるのだ。

 ――私だけを。

 「愛し、てる、游、絵。 私に、は、お前しか、い、ない」

 夢の中で囁かれたのと同じ愛の言葉を、彼は口にした。いやまあ、なんか発音が変だけど、でも。

 やっぱりこの人が、私の運命の人だったのだ――。





 頬に当たる風が冷たくて、遊笑は甘いまどろみから引きずり出された。

 「ん~……。 んん?」

 寒い。でも、毛布に包まれているかのように、暖かくもある。

 ――いつの間に寝ちゃってたんだろう?

 瞼を開くと、目の前には墨で塗られたような、真っ黒な夜空が広がっていた。そこで瞬く星の位置が、いつもよりだいぶ近い気がする。

 「ん……? あれ?」

 省エネモードだった家電が眠りから目覚めるように、遊笑の脳みそもゆっくり動き始めた。

 どうも自分は屋外にいるらしい。今は十月だから、夜は寒くて当たり前だ。恐る恐る体を起こし、周囲に目を凝らすと、地面が――ない。自分を抱えてくれている誰かの足の下には、がらんとした暗闇が広がっているだけだった。

 「! きゃあああああ!」

 地上まで何mあるのだろうか。「即席救世主」久保谷 遊笑は、目覚めた瞬間、またもや意識を失いそうになった。

 「起きたか」

 低い声がしたほうへ顔を向けると、夢に出てきた男性と同じ、インディゴ・ブルーの瞳が見下ろしていた。

 褐色の肌に、襟足だけ長い黒髪。切れ長の目に、まっすぐ高い鼻。美しいこの男は、確か「プルート」と名乗ったはずだ。女なら誰でも心を奪われるだろう魅惑的な外見をした彼は、実は大変な危険人物、いや危険宇宙人である。なにしろ、人類を滅ぼしにやってきたのだから。

 そんな恐ろしい存在なのに、プルートは腕の中で目覚めた遊笑に、まるで手塩にかけて孵した雛に接するかのように、優しく微笑みかけた。

 「遊笑」

 ――みんな殺しちゃおうなんて考えてる野蛮な侵略者が、なんでこんなに綺麗な目をしているんだろう。

 遊笑は眩しい男の笑顔を正視できず、視線を逸らした。――やめればいいのに、つい下に。

 眼下には電気コードのような細い線が引かれていたが、実はそれは上下併せて四車線ある、立派な国道だった。そこを走る車なんて、ゴマ粒ほどの大きさである。

 「ひっ、ひいいいい……!」

 遊笑の息は止まった。遊笑は高いところと犬が死ぬほど嫌いなのだ。ガチガチと歯の根が合わぬほど震えているその額に、プルートは安心させるように口づけた。

 「辛抱しろ。もうじき着くから」

 「……あれ?」

 発音が随分滑らかになったような?そう思った途端、がくんと体が揺れた。

 ――落ちていく。胃の辺りがふわっと持ち上がるような嫌な感覚がして、鳥肌が立った。耳元でごうごうと風が唸っている。

 「ぎゃああああああ!」

 ジェットコースターも、飛行機も、エレベーターだって、降りるときが一番怖い。

 「もう、やだーーーーーーー!」

 「堪えろ」

 空気のつぶてが容赦なく腕や頬を打ち、体ごと持っていかれそうになる。遊笑は夢中でプルートの首にしがみ付き、大きくてたくましい彼の胸に、自身を沿わした。風の抵抗が弱くなって、ほっと息をつく。

 ――暖かい。

 目覚める直前に感じたのは、この男の体温だったのか。そう思うと、不思議なことに、遊笑の恐怖はだいぶ和らいだ。





 降下する速度は徐々に落ち着いていき、最後はトンと小さく突き上げるような反動を受けて、プルートたちは無事着地した。

 「着いた」

 大切に抱いていた遊笑の体を、プルートは地面にそっと下ろした。

 「え?どこ、ここ……?」

 高所恐怖症と戦うあまりすぽーんと失念していたが、そもそも自分たちはどこへ向かっていたのだろう。

 怪しげな地球防衛軍とかいう団体の一員、富永 ミチルに渡された地図に従い、プルートは飛んでいたようだけれど。

 ふらふら前後する体を何とか立て直し、遊笑は辺りを見回した。虫の音がやかましいほど響く中、外灯が、ある一件の建物を照らしていた。塀も門もなく、林を切り開いて作った土地に建っていたそこは、民家にしてはやけに大きかった。入り口近くにかかっていた木製の看板には、「乳父温泉旅館ちちぶおんせんりょかん、つるや」とある。ちなみに「素泊まり三,八○○円~」だそうだ。

 「旅館……?」

 「あの女から渡された地図によると、ここに間違いない」

 プルートはこともなげにそう言うが、謎は深まるばかりだ。

 侵略者と温泉旅館へ行って、一体何をしろというのか。

 ここが決戦の地なのか?だとしたら、まさか、温泉卓球で勝負をつけろとでも?遊笑は首を傾げた。

 ――まさかこの宇宙人と、ここに泊まれと言うんじゃ……。

 侵略者と親睦を深めるために?

 遊笑からするとともかく、温泉や旅館といったキーワードが、「侵略者との戦い」という壮絶な出来事と結び付かず、困惑するしかない。

 地球防衛軍とやらの真意が掴めず悩んでいるうちに、しかしプルートは建物のほうへとさっさと歩き出した。

 「ちょっと!」

 遊笑も侵略者を追おうと足を踏み出しかけたが、ふと動きを止めた。

 ――逃げてしまおうか。

 彼女がそう思っても、誰も責めることはできないだろう。

 ごく普通の女性が、日々の労働に励んでいたところを、突如拉致された。ろくな説明もなく、人類の存亡を賭けた戦いに駆り出されたかと思えば、実は侵略者のイケニエだったというオチだ。一般人では到底賄い切れないほどの責任と犠牲が、遊笑の身にはのしかかっている。

「………………」

 ほんのわずかな時間だったが熟考し、だが遊笑は結局、旅館に向かって走り出した。

 「靴はちゃんと脱がないとダメだよーーーー!」

 一度引き受けたことを、途中で投げ出すのは良くない。それに彼女の頭からは、OMIYAスタジアムで見た光景が焼き付いて、離れなかった。

 一瞬で枯れてしまった芝生。プルートの正体はもちろん、彼がどんな力を持っているのは分からなかったが、だからこそそんな不安定で危険な存在を放置して消えるのは、良心が咎めた。

 お人好しで、与えられた任務を放棄できない、生真面目な性格。

 これも資質なのだろう。

 ――救世主としての。





 入ってすぐ脇がフロントになっており、プルートはそこで待機していた。フロントには頭頂部が少し寂しくなった初老の男性が詰めており、遊笑が駆けつけると、笑顔で迎えてくれた。

 「いらっしゃいませ」

 「あっ、こ、こんばんは。 遅い時間にすみません」

 ぼうっと立っているプルートの横で、遊笑はぺこぺこと頭を下げた。カウンターに置かれた時計は、十時を指していた。

 「遅いお着きになることは伺っておりましたから、気になされず。 お疲れさまでございました。

 ご予約は二名一室。 ご一泊で承っております」

 「あ、そうですか……」

 やはり地球防衛軍が手回しをしていたようだ。驚きはしなかったが、やはりここに宿泊しなければならないのか。しかも二名一室……。嫁入り前の自分と、侵略者だか宇宙人だかわけが分からないが、一応は男であるプルートが一室に同宿するなんて、これはまずいのではないだろうか。

 いやしかし、人類が滅亡してしまうことを考えたら、倫理的な問題などに構っている場合ではないだろう。

 いやいや、そもそも人類を助けるために自分は行動しているはずなのだが、なんで旅館に泊まらなければならないのか?

 考えれば考えるほど、分からなくなってくる。混乱している遊笑の前に、フロントの男性は鍵を差し出した。

 「今日ご宿泊のお客様は、あなた方だけなんですよ。 どうぞ気兼ねすることなく、ごゆるりとお過ごしくださいね」

 「あ、ど、どうも」

 何と答えていいか分からず、遊笑はとりあえず鍵を受け取ってから、しげしげとそれを観察した。角型のキーホルダーに、ありふれたシリンダー錠の鍵が付いているそれは、本当にただのルームキーのようだ。

 ここは、わざわざ地球防衛軍が指定した宿である。もしかしたら何か特別な場所なのかと思ったが、そこはかと昭和の匂いがする地味な佇まいからいっても、何の秘密もなさそうな気がする……。

 遊笑はがっくりと頭を垂れた。

 宇宙からの侵略者だとか、救世主だとか、ぶっ飛んだファンタジーに引き摺り込まれたかと思えば、ふつーの温泉旅館へ連れ込まれて。

 あの地球防衛軍とやらに、自分はまるっきり騙されているんじゃないか。遊笑はゆっくり考えたかったが、そうこうしている時間もない。靴を脱いだプルートが、ずんずん奥へと入ってしまったのだ。片時も目が離せない。

「こらー! じっとしてなさい!」

 玄関を上がると、応接用の机やソファがニ、三脚ほど並ぶ、小さなロビーがあった。その先の廊下へと続く敷居の前に、プルートは立っていた。彼は物凄く背が高いから、鴨居が目の前にくる。そのすぐ上の壁には、木製のお面がいくつか飾りとして括りつけられていた。そのうちの一つを、プルートがいじっている。

 「あっ! 勝手にいじっちゃダメ!」

 思わず遊笑は、母親が小さな子供を叱るときのように、尖った声を出した。それを聞き付けたのか、先ほど応対してくれた宿の男性が、のんびりとフロントから出てきた。

 「はは、お気に召したのなら、お持ちください」

 大きなフレームのメガネを押し上げながら、男は微笑んだ。

 「えっ」

 「安物ですし、何の価値もありませんが。 見たところ、お連れは外国の方のようだ。 そういう人から見れば、そんなお面も珍しいでしょうから」

 肌の色や顔だちからして、確かにプルートは日本人には見えない。強いて言えば、中東諸国の人たちによく似た外見をしている。

 ――てか、地球人ですらないんだけどね。

 遊笑が苦笑しているうちに、プルートは飾り物を外してしまった。

 「あっ、もう! ……そんなに気に入ったの?」

 呆れながら尋ねると、宇宙人はこくりと頷いた。プルートが執心しているのは能面の、恐らくレプリカだろうが、「般若」だ。ツノの生えた、恐ろしい顔をした女の面で、遊笑からすればどこがいいのかさっぱり分からない。怖いだけだと思うのだが。

 「あの、ではありがたく頂戴します。 すみません……」

 遊笑は男性に礼を言うと、プルートに向き直った。

 「ほら! あなたもちゃんとお礼言いなさいよ!」

 「――ありがとう」

 言われるまま、プルートは高い背を下げた。

 「いえいえ。 日本語、お上手ですね」

 「はは……」

 笑うと、緊張しっぱなしだった気持ちが、少しほぐれてきた。

 宿の男性は、少しくたびれているが、とても親切で物腰が柔らかかった。この旅館も確かに古びているけれど、これはこれで味があるのかもしれない。ざっと見たところ、隅々まで掃除も行き届いているし、嫌な感じはしなかった。

 ――だけど何だろう。この薄暗さは。

 活気というものがなく、寂しい。宿泊客が自分たち以外にいないというのもあるかもしれないが、覇気がないというか。

 繁盛していないのだろうか。余計なお世話だが、経営は大丈夫なのだろうか。従業員が良い人なだけに、心配になってしまう。

 宿の男性はにこにこと笑いながら、遊笑と、お面をいじっているプルートを交互に見比べた。

 「新婚旅行なんですってね?」

 「しんこん……!?」

 「ご予約いただいた際に、そうお聞きしましたよ」

 遊笑は慌てて否定しようとしたが、じゃあ、今のこの状況を何と説明したらいいのか。

 侵略者と救世主の闘いだなんて言っても、到底信じてもらえないだろう。言い淀む遊笑を、照れているのだと勘違いした男は、特に気にした様子もなくお喋りを続けた。

 「自分の新婚時代を思い出しましたよ。 ワタシらは結婚して、今年で三十五年目になります。 ――連れ合いが生きていればですが」

 「え……?」

 「女房は、昨年亡くなりましてね。 癌でした」

 そうつぶやくと、男は眼鏡を外し、つぶらな黒い瞳に浮かんだ涙を、目頭を押させるようにして拭った。

 「あなた方が、とても幸せそうで。 そしたら何だか、あいつのことを思い出してしまってね。 この旅館は、あいつと二人で切り盛りしてたんですよ」

 「…………」

 「子供も独立して、これからってときに倒れて……あっという間でした。

 ワタシにとって、あいつは空気みたいな存在だった。 あいつの大切さに気付いたのは、あいつが死んでからで。

 ――後悔ばっかりです。なんでもっと、優しくしてやらんかったのかな、と」

 ――ああ、どうして、この旅館がこんなに暗いのか。

 遊笑は分かるような気がした。

 「情けないことに、仕事にも今ひとつ身が入らなくてね。 あいつが死んでから、もう一年も経つのに……」

 宿というのは、安らぎの空間だろう。だが宿主の男は、自分の孤独が大き過ぎて、他人の平穏を祈るどころではなくなっている。仕事に身が入らないのは当然だろう。

 この宿の有様は、主の心情そのものなのだ。

 遊笑は男を慰めてやりたかったが、初対面の彼にどういった言葉をかけていいのか分からなかった。ちらりとプルートの様子を伺うと、彼は表情を変えることなく、俯く宿主をじっと見詰めている。

 ――何を考えているんだろう。

 遊笑には、プルートの気持ちを伺い知ることができなかった。

 「あの……」

 「ああ、すみません。 変なことを言って」

 宿主はズボンのポケットから手ぬぐいを取り出し、ごしごしと顔を拭ってから、メガネをかけた。

 「お互いを大切にね。 後悔のないように」

 無理に笑う彼の、鼻が赤く染まっているのが痛々しく見えた。

 この男は遊笑たちを通して、幸せだった若い頃の自分たち夫婦を見ているのだろう。

 ――これはますます、逃げられない雰囲気だ。

 遊笑の背中を、嫌な汗がつたっていった。

 ――まあ、いざとなったら、窓から逃げ出そう。

 そう覚悟を決めていたから、いざ部屋に着いてみて、遊笑はがくりと膝を折った。

 案内された部屋の一つしかない大窓の向こうは、崖になっていたのだ。

 地球防衛軍とやらは、知っていてこの部屋を指定したのだろうか。だとしたら、これは仕組まれた罠なのか。救世主と祭り上げた遊笑の、逃亡を阻むための――。


 ――自分はやはり生贄なのか。


 「……遊笑」

 「!」

 いつの間にか、プルートがすぐ後ろに立っていた。宿主の男性は、新婚さんだという遊笑たちの作られた設定に空気を読んだのか、さっさと引き返してしまった。

 今まさに遊笑とプルートは、部屋に二人っきりである。

 明るいところで改めて見るプルートは、やはり美しかった。彼は何の素材でできているのか分からない、長袖の黒いTシャツと、同じく黒のパンツを着ていた。確かサボサンダルのような形だった靴も、黒だった。真っ暗な宇宙から、そのまま抜け出してきたような格好である。

 「触らないで!」

 肩に置かれた手の大きさが怖くて、遊笑は思い切りそれを払った。

 部屋は二室に分かれている。逃げるように、次の間に続く襖を開けると――。

 大きな布団に、枕が二つ。

 「!!!!!!!!!!」

 ――ここはダメだ。しかし追いついたプルートの腕が、後ろから絡みついてくる。

 「ちょっと、やめて!離れてよ!」

 抱きすくめられて、ぞわぞわと背筋が痺れていく。

 「くっつかないと、愛し合えない……」

 「愛って、愛って……!」

 「愛してる、遊笑」

 ここに来る前にも、彼はそんなことを言っていたけれど。

 「宇宙人が――侵略者が、愛なんて分かるわけ!?」

 「分かる」

プルートがあまりにもきっぱりと断言するので、遊笑は思わず彼を振り返った。

 しかし、そこにいたのは、恐ろしい顔をした鬼だった。般若、である。

 遊笑の頭の中は、真っ白になった。

 「私は、遊笑を、愛している」

 「あほかーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 遊笑は渾身のボディブローを、侵略者にお見舞いした。

 「どこの世界に、般若面被った男に告白されて、納得する女がいんのよ!? 猟奇過ぎて、怖いっつーの!」


 「小道具で、場を和ませようと思ったのだが」

 先ほどもらった般若面を手に、プルートは涼しい顔でつぶやいた。遊笑の攻撃によるダメージは、ちっともなさそうだ。むしろ遊笑のほうこそ、硬い腹筋に当たったせいで、手が痛かった。それでも彼女は気丈に叫んだ。

 「般若のお面はパーティーグッズじゃない!」

 「だが、可愛いらしいじゃないか」

 「………………………………どこが」

 「それに今はハロウィンの季節だと……」

 「ハロウィンの仮装に般若のお面なんてかぶったら、子供が泣くわ!」

 プルートは腕を組み、首を傾げた。

 「難しいな、お前たちの文化は」

 遊笑にしてみれば、あの恐ろしい形相の面を可愛いと言うこの宇宙人のほうが、よっぽど難しい感性をしているように思えるが。プルートは続けて嘆いた。

 「特に、『言葉』が難しい」

 ――そう言えば。

 プルートの日本語は、出会った当初に比べて格段に上達している。発音も語彙の豊富さも申し分ない。会話していても、全く違和感を感じないほどだ。

 「もうあの変なの……頭に直接聞こえてくるアレ、使わないの? あっちのほうが楽そうだけど」

 その問いに答えるように、頭の中に声が響いた。

 (これのことか?)

 「――うん」

 (私が使うこの「声」は、お前たちの脳の、お前たちがまだ使っていない器官を無理矢理こじ開けて、『聞かせて』いる)

 「使っていない器官?」

 「お前たちは自身の脳を、まだ十分に使いこなせていない」

 例の声を止めて、今度は普通に喉を使い、プルートは話しかけてきた。

 「もう少ししたら、お前たちもあの『声』を使えるようになるだろう」

 「もう少しって、どれくらい?」

 「あとニ千年くらいあとか」

 「……もう少し、ねえ」

 スケールが違うというか、気の長い話だ。さすが宇宙人というべきか。

 「今はやめておいたほうがいい。 まだ成熟していないのに、長時間あの会話を聴き続けると、脳を損なう恐れがある」

 「こわいなあ、もう」

 ――でも、私の体のことを、心配してくれてるの?

 侵略者というこの男の気遣いが、遊笑にとっては意外だった。

 それと同時に、次々と疑問が湧いてくる。

 「言葉、どうやって勉強したの? 最初は片言だったし、話せなかったのよね?」

 「お前の脳を走査した」

 「走査……?」

 「触れるだけで読み取れる。 感情も、記憶も。 お前自身の持つ、全てを」

 なるほど。先ほど「ハロウィン」なんて、突拍子もないことを言い出したのも、遊笑の記憶を探って得た知識だったのか。

 だが、それはつまり――。遊笑はいきり立った。

 「それって『のぞき』じゃない!」

 特に、記憶を見られたなんて、恥ずかし過ぎる。自身の体を抱き締めるようにして遊笑が抗議するが、プルートは反省の色も見せず、しれっと答えた。

 「遊笑は、あのメガネの女より、知識量が少ないな。 もっと勉強したほうがいい」

 メガネの女とはミチルのことか。ここへ来るための地図のやり取りをしていたから、そのときにでも彼女に触れたのだろう。

 「バカで悪かったわね! じゃあ、ミチルさんと、ここに来れば良かったんじゃないの!?」

 そうだ。どうして、自分が救世主なんだろう。

 そういう重要な役割は、確かにミチルのような、頭が良くて、美しい女性が選ばれるべきだ。

 間違っても、自分みたいな平凡な女がこなせる役どころではない。

 やっかみというよりは、純粋な疑問だった。

 ――どうして、自分なのか?

 だが恋に狂った侵略者は、遊笑の問いに答えることはなかった。

 「妬くな、遊笑。 確か『馬鹿な子ほど、可愛い』と、言うんだろう? なるほど、そのとおりだ。 私はお前が可愛くて仕方がない……」

 聞き分けのない恋人を宥めるかのような口調で、プルートは遊笑に近付いた。



つづく


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