1.未知との遭遇(3) <完>
舞台は彩玉県緒宮市にある、OMIYAスタジアムへと移る。
時刻は十八時。約三万㎡の広大な敷地の中を一台のライトバンが突っ切り、グラウンド入り口のすぐ脇で停まった。スライドドアの向こうから現れたのは、四人の男女である。ちきゅう……地球防衛軍の尼崎 一郎と井伏 勇富永 ミチル、そして普通の会社員、久保谷 遊笑だ。
「あの……」
外に出る直前に遊笑がおどおどと話しかけると、隣にいたミチルはそっと微笑んだ。
「大丈夫よ、遊笑さん。私たちがついているわ。 だから、ちょっと怖いかもしれないけど、騒いではダメよ」
「え……」
「侵略者の神経を逆なでしないために、ね?」
「は、はい」
ミチルはにっこり笑うと、動きづらそうなタイトスカートを鮮やかに操り、先行する男たちの後を追った。
「………………」
窓に張り付き、ちきゅうぼうえいぐん……の勇ましい後ろ姿をしばらく見詰めてから、仕方なく遊笑は外へと足を踏み出した。心臓が激しく鳴っている。本番はまだこれからなのにと呆れつつ、深呼吸を繰り返した。
OMIYAスタジアムは、遊笑もよく知る競技場だ。遊笑は彩玉出身だったし、ここは緒宮市を本拠地とするサッカーチームのホームスタジアムだから、何度か応援に駆けつけたことがあるのだ。そのときは当然ながらこうこうとライトで照らされていたグラウンドが、今照明は一切点いておらず、真っ暗である。辺りはしんと静まり返っており、人っ子一人いない。尼崎が手を回したのだろうか。だとしたら、彼らはただ妄想に取り憑かれただけのおかしい人たち、というわけではなさそうだ。
少し先で待っていてくれた三人と合流し、彼らの後ろをついて行く。イサムと尼崎が照らす大きな懐中電灯の明かりを頼りに、エントランスを進み、無人の客席を通り、そしてグラウンドに降りた。
一般市民である遊笑が、こんなところへ入れる機会は、そうそうないだろう。靴底に触れる芝生の感触が新鮮で少し浮かれていると、前を行くイサムが何ごとか叫び、空を指した。皆が一斉に天を仰ぐ。
夜空に瞬く星の一つが流れたかと思うと、こちらに向かって落ちてくる。まん丸で銀色の、地球防衛軍とやらの部屋で見た映像に映っていたのと同じ――確かあれを、尼崎は「簡易宇宙船」と言ったか。その球体を実際に目で見た瞬間、遊笑の体はぼうっと痺れた。首の後ろがぞくぞくする。
恐怖――なんだろうか。
危険慣れしていない遊笑には、この感覚が何か分からない。ただ、胸が張り裂けそうなくらい、痛かった。
悲しいようで、嬉しい。あの球体の中身を見たい、見たくない。
会いたい、会いたくない。
相反する想いが頭の中でぶつかり合って、脳を揺らす。目の前がくらくらした。
唐突に、昨日見た夢を思い出す。
運命の恋人と結ばれた。彼の腕に抱かれて、愛を囁かれる。口づけられて、幸せな――。
天上で炎のように眩く光る玉は、ぐんぐんと真っ直ぐ、まるでこちらに吸い寄せられているように近付いてきた。早いことは早いが、「落ちて」いるのではなく、明らかに「降りて」くる。球体の内部で、何らかのコントロールをしているのだろう。遊笑は自分たちに向かってくるそれを、凝視した。
表面はつるつると滑らかで、金属のような光沢がある。角一つなく、本当にまん丸だ。何かに似ているとしばし考え、思い至った。そうだ、パチンコ玉に似ているのだ。本当にこんなものが、銀河を渡ってきたのだろうか。
宇宙といえば、生命維持に必要な空気も圧力もない空間のはず。小学校の理科の時間でそう習ったが、真実は奇なりと言うし、実際はもっと簡単に行き来できて、だからあんな頼りなさそうな乗り物でも、無事に航行できるのだろうか。
遊笑の疑問をよそに、球体はいよいよ地上に降り立とうとしていた。だが、完全には速度を殺せなかったようだ。
「あら」
「これはいかん」
「下手くそだなー。 ブレーキはもっと早目にかけないと……」
地球防衛軍が危機感なく見守る中、球体は地面に激突した。
巨大な衝突音と共に、大地が揺れる。
「きゃあ!」
突風のような衝撃波に晒され、遊笑は悲鳴を上げた。
落ち着いてから前を向けば、球体は地面にめり込み、その周辺の大地は大きく抉られていた。煙と砂埃がもうもうと舞い散る中、鎮座している巨大な玉は、間近で見てみると、直径三mほどの大きさだった。表面は多少泥で汚れているものの、凹みなどは確認できない。どれほど頑丈なのか。
――でも、すごい勢いで突っ込んできたし、あれじゃ中にいた人、死んじゃったんじゃないかなあ。
侵略者、激突死。そうなれば、遊笑の救世主としての役目も、あっさりと終わるのだが……。
しかしそれでは、侵略者とやらが可哀相だ。何しに来たのだという話にもなる。
地球防衛軍の面々も侵略者の安否が心配なのか、手にした懐中電灯で、できたばかりのクレーターを探るように照らした。
しばらくして、ピシピシ、ミリミリと、何かが軋む物音がグラウンドに響いた。見れば、球体にヒビが入り、それが徐々に広がっていく。まるで卵が孵化するかのようだ。一同は何もできず、固唾を飲んで、目の前の光景を見守った。
――何が出てくるのか。
五分が経ち、十分が経った。
中の人はどうやら内側で悪戦苦闘しているらしい。崩落した一部分から人間と寸分違わぬ手が現れて、必死に周りを壊そうとしている。だが、球体はやはり度を越して頑丈なのか、無慈悲にゆらゆら揺れているだけだ。
「……イサムくん、手伝って差し上げなさい」
「はい。 ったく、世話かかんなあ……」
見かねた尼崎が指示を出し、イサムは中の人を手伝って、球体の外殻を崩し始めた。
更に数十分が経過し、ようやく球体は解体された。あらわになった内部には物らしいものは何もなく、ただ一人の男がぽつんと立っている――らしかった。曖昧なのは、どうにも見づらいからだ。明かりが懐中電灯だけと頼りないのもともかく、球体の周囲は特に暗く、夜闇に溶けてしまっている。
見えるようで、見えない。なんとも静かな侵略者の登場に、遊笑は気が抜けてしまった。
「んー……もうちょっと、こう……」
どうせならもっと派手に現れて欲しかったのにと、がっかりした矢先のことだ。
すぐ側で、誰かに囁かれた。
(疲れた……)
「!」
遊笑は咄嗟に辺りを見回したが、尼崎たちと球体の中にいた人物の他は、やはり誰もいない。ならば声の主は、球体の中の人物となるが、彼との距離は十mは離れている。だが声は、すぐ間近で聞こえたのだ。
遊笑が戸惑っているうちに、尼崎は球体の中の人物へと近付いた。
「挨拶をするというのも、間が抜けていますね……」
尼崎は緊張しているのか、喋り方も動きも少々ぎこちなかった。再び、あの声が聞こえた。
(出迎えご苦労、とでも言っておくか)
「!?」
二度目にして気付いた。あの声は、耳から入ってくるのではない。頭の中に直接響くのだ。
皆の様子を伺うと、尼崎とミチルは苦笑しているし、イサムは不思議そうにさかんに頭を振っている。どうやら全員「聞こえて」いるようだ。あれは間違いなく球体の中の人物が発した言葉で、この場にいる人々の頭に直接伝わっているらしい。
――わー、これがテレパシーってやつかあ!
SFっぽくなってきたとはしゃぐ遊笑の前で、尼崎と男の会話は続いた。
(暗号を解読できたことは、褒めてやろう。 だが、貴様らは約束を果たさなかった)
「お、お待ちください! もう少し時間を、ご猶予を……!」
(……お前たちが飛ばした星を見付けてから、私はずっとお前たちの暮らしを見ていた。
例えいくばくかの時を与えても、克服できるとは思えない。 それくらい、お前たちの世界は歪んでいる……)
「衛星から侵入したのですか! そのような形跡は一切発見できなかったのに、さすがですな……!」
頭の中に直接届く声は憎たらしいほど居丈高だったが、最後だけは少し悲しそうだった。
(また、か)
男は両腕を広げた。指先から光が迸り、火花のように周囲に散る。
「お、お待ちください! 我々もあなた様からのメッセージを読み取ったのち、ただ無為に時間を過ごしていたわけではありません。 あなたのなさったことは、無駄ではない。 私たちは、その証をお見せすることができる!」
(証だと? この後に及んで、何の悪あがきか……)
「あなたがあの娘を見て、何も思わなければ、私たちもあきらめましょう」
男は蛇のように光が絡む手を、尼崎へと向けた。
「尼崎さん、危ない……!」
遊笑は思わず声を張り上げた。男が何をしようとしているのかは分からなかったが、危険が迫っているのは確かだ。
禍々しい白い光が自らに伸びる直前、尼崎は後ろを振り返り、大声で叫んだ。
「――さあ、奇跡の娘よ!その姿を、このお方にお見せするのだ!」
尼崎が言い終わるのと同時に、イサムが遊笑に懐中電灯を向けた。
「眩し!」
遊笑は咄嗟に手で顔を隠した。だがすぐに我に返ると、照らされた明かりに目を凝らしながら、尼崎を探した。
尼崎は――立っていた。だが、こちらを真剣な眼差しで見詰めている、彼のすぐ隣は――。
「え……」
尼崎の下に向けた懐中電灯が照らす地面、その色が周りと違う。青々とした芝生が広がる中、彼の隣の一角だけが茶色に変色していた。枯れているのだ。そこは、球体から現れた男が尼崎に向けて放った、だが直前に外した光が当たった場所だった。
――これが「彼」の力なのか。
一瞬で、植物を枯らす力。あれを人間に使ったら、どうなるのか。
恐怖におののいた次の瞬間、遊笑は真横に人の気配を感じた。まずいと思う間もなく、顎を掴まれ、強引に上を向かされる。
「えっ!?」
見たこともない美しい男に、見下されていた。
浅黒い肌。長めの黒髪。
そして、また黒。いいや、藍色だ。闇よりもほんのわずか明るい、上品な――それが、「彼」の瞳の色だった。
「な、なに……!? 誰!?」
「な、まえ、は?」
人形のように整った顔だちの男は、イントネーションのおかしな質問を口にした。
なに?
だれ?
――知らない人のはずなのに、誰かに似ている。
遊笑は、朦朧となりながら、彼の問いに答えた。
「遊笑、です……」
「ゆ、え……」
男は遊笑の名を唇で刻むと、満足そうに微笑んだ。その優しそうな笑顔に、遊笑の心も蕩けそうになる。だが――。
(私の名はプルート)
遊笑の脳内を、またあの声がノックする。つまり今遊笑を抱いている男は、球体の中にいた人物であり、つまり侵略者であって――。
きけんじんぶつ。そう認識すると同時に、男の顔が近付いてくる。
「ちょ、ちょっと……!」
抵抗も虚しく、二人の唇はあっさりと重なった。
「う、うううううーーーーー!」
遊笑はじたばたと暴れたが、男の力は強く、しかも口づけは執拗だった。太い舌が唇を割り、ぞろりと口の中に潜り込んでくる。
「やぁ……っ!」
(柔らかく、甘い……。私の、遊笑)
――こういうとき、口を使わないで喋れるって便利だなあ。
男の腕から逃れようと必死になりながらも、遊笑はそんなことを考えていた。
「マー!ヴェ!ラス!!!! 素晴らしい! やはり、愛の勝利だ!」
「やりましたね、長官!」
白々しく拍手する尼崎とミチルに遅れて、イサムがぽつりとつぶやいた。
「うまくいくとは思わなかったけどな。色仕掛けで、阻止しようなんて」
――今、聞き捨てならないことを言われた気がする。
遊笑はなんとかプルートと名乗った男の口づけから逃れると、尼崎に向かって怒鳴った。
「何ですか、これは! この人、何なんですか!」
「だから、侵略者だよ」
「そして、あなたは救世主。 プルート様を食い止めることができるのは、世界であなただけなのです」
きっぱりと答えた尼崎とミチルは、夜目にも分かるくらい、満面の笑みを湛えていた。
「色仕掛けって、色仕掛けって……!」
そんな話、聞いていない。
「目でばーん!と、ぼーん!と戦うんじゃないの!?」
「だから……遊笑さんは、プルート様を目で殺してしまわれたでしょ?」
「古今東西、恋は目と目で語り合うところから始まるのだよ。 人と侵略者も同様だ」
「く……!!!!!!」
――ダメだ、こりゃ。
「ゆえ……」
今や、ただの恋する愚か者へと堕ちた侵略者の腕が、抱き締めようと絡んでくる。
「ぎゃああああ! ちょっと、何よ! 触んないでよ! 私、そういう女じゃないから! 変なとこ触……!
あっ……!やだあああ!」
キスをねだる美しい顔を押さえながら、遊笑は泣きながら叫んだ。しかし、男の動きは止まらない。
そんな二人の仲睦まじい姿を懐中電灯で照らしながら、地球防衛軍の面々はうんうんと頷いた。
「思えば、この日のために、苦労に苦労を重ね、最高の生贄を探していたのだが……本当に良かった」
「イケニエ!?今、イケニエっつった!?」
半狂乱の遊笑を尻目に、事態はどんどん進んでいく。
「プルート様。 秋の夜は寒い。 こんなところで愛を確かめ合っていては、遊笑さんが風邪を引いてしまいます。 お部屋を用意してありますので、そちらで存分にどうぞ」
ミチルはいそいそと地図を取り出し、プルートに手渡した。プルートは黙ってそれを受け取ると、遊笑を一旦離し、地図を確認し始めた。その隙に、ミチルは遊笑に近寄った。
「ミチルさん……!」
逃がしてくれるのだろうか。淡い期待を抱く遊笑の耳元で、ミチルはこそこそと囁いた。
「遊笑さん。 プルート様から逃げるのは無理よ。 あなたも見たでしょう?あそこの芝生。
彼は、人間じゃないの。 そして、あなたに魅入られてしまった。 あの男は、あなたが逃げても逃げても、追って来るでしょう」
「ひぃ……!」
宇宙からやってきた侵略者が、ストーカー。そんなの怖すぎる。
「でも大丈夫」
ミチルはジャケットのポケットから、ピンク色の小さな布袋を取り出すと、遊笑の手に握らせた。
「これを持っていって。きっとあなたを守ってくれるから」
「み、ミチルさん」
ミチルの手を握り返そうとした瞬間、遊笑はプルートに引っ張られた。
「ゆえ。 行、こう」
片言の日本語でそう言うと、プルートは遊笑を軽々と横向きに抱え上げてしまった。いわゆるお姫様だっこだ。
「は、離して!」
ふわふわと宙に浮くような感覚。いや、ミチルたちの姿がどんどん遠くなっていくところを見ると、本当に宙に浮かんでいるらしい。
「!」
――飛んでる!?
「いやああああああ! 高いところ、嫌いなの!」
遊笑が思わずプルートにしがみつくと、彼は整った顔を緩めた。
「だい、じょうぶ。 ゆえ、しっかり、掴まって」
地上では、尼崎たちが手を振っている。それもすぐに見えなくなった。
眼下に広がる道路が糸のように細くなり、そこを走る車もミニカーのように小さくなっていく。
「もう、無理ぃ……」
目の前が真っ暗になり、遊笑は遂に気を失った。
くったりと動かなくなった彼女を、プルートは大切なもののように抱き締めた。小さな額に口づけると、体の奥底から、暖かな感情がこみ上げてくる。
――これが、幸せというやつなのか。
侵略者の脳内からは、地球生物を存亡させようなどという物騒な考えは、綺麗さっぱり消去されていた。
ひとまずは、地球防衛軍の勝利というところだろうか。
つづく