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1.未知との遭遇(2)




 長い廊下を進む磨き上げられた靴が、規則的な音を刻む。

 そのリズムがいつもより幾分か速いのを、美貌の部下ミチルは聞き逃さなかった。

 いつも冷静な尼崎が、興奮している。その気持ちは、ミチルにもよく分かった。長い時間をかけて準備してきた計画の、要となる人物が、今、自分たちと同じ敷地内にいるのだ。気持ちが昂って、当然だろう。

 程なく、目的の場所に着く。自動ドアが静かに開くと、けたたましい怒声が出迎えてくれた。


 「早く帰してください!私なんか誘拐したって、身代金なんて取れないんだから!」

 「だ、だから、誘拐なんかじゃなくて……!お、落ち着けって!」

 「何なんですか、ここ!」

 恐慌状態というのか、遊笑は顔を紅潮させ、男に喰ってかかっている。目の前のこの男こそ、自分をここに連れてきた張本人らしいのだ。意識を取り戻したところで、見張っていた彼にそう説明されて、遊笑はブチ切れてしまった。遊笑はどちらかというとおとなしいほうなのだが、追い込まれると、このように激しい性格へ豹変するきらいがある。

 「とにかく、落ち着け!久保谷 遊笑さん!」

 男は、とりあえず落ち着かせようと、近付いたが――。

 「なんであなたが、私の名前、知ってんですか!!!!!」

 恐怖の限界を越えたのだろう、遊笑の細い足はひらりと舞い、男の延髄に容赦のない一撃を叩き込んだ。

 ちなみに彼女に格闘術の経験はない。つまり、人は追い詰められると、とんでもない力を発揮するのだという、良い見本だろう。

 「ぐあ!」

 「あら」

 「ほおー」

 男は床に膝をつき、それを見ていた尼崎とミチルは、パチパチと手を叩いた。

 「うーん、元気なお嬢さんだ。素晴らしい!我々の計画のヒロインに、ぴったりじゃないか」

 「本当ですこと」

 尼崎があご髭を撫でると、ミチルも大きく頷いた。蹴りを食らった男は首の後ろをさすり、チッと舌打ちした。

 新たな登場人物に気付いた遊笑は、尼崎を睨みつけた。

 「――おじいさん!見たところ、あなたがボスですね!?」

 何の罪もない、自分のような娘をさらうような犯罪組織では、きっと今も年功序列の傾向が強いに違いない。少なくとも、二時間ドラマに出てくるヤクザで、一番偉いのは、いつだってよぼよぼの年寄りだった。

 「ほう、分かるかね。――いかにも。私は、ここの代表者だよ」

 見事推理は当たったらしいが、尼崎はニコニコと笑っている。そうしていると、彼は人の良いおじいちゃんにしか見えなくて、遊笑は戸惑った。

 「この男の人にも言ったんですけど、私なんか誘拐したって、身代金は取れませんよ?社長の息子の氷室部長なら、ともかく……」

 そこまで言ってから、遊笑はハッと表情をこわばらせた。

 「部長と友野さんはどうしました!?」

 その問いに答えたのは、遊笑に蹴られた男だ。

 「あんた以外は、残してきた。もちろん、危害も加えていない。あと、今回使ったガスは副作用のない、一番いいやつだから、体のことも心配しないでいい」

 立ち上がると、男はぶつぶつと文句を言うように説明した。

 「今頃彼らは、今回の件について、然るべきルートから説明を受けているはずだ」

 「……?」

 開き直っているのか何なのか、彼らからはちっとも犯罪を犯したという罪悪感も気負いも、感じなかった。

 目が覚めたら、全く知らない場所にいた。だから、さらわれたのだと、遊笑は思った。

 でも、何のために?一番最初に頭に浮かんだのは、やはり金銭のことだった。

 「まさか、私の貯金が目当てなんですか?」

 「ふむ。いくらぐらい貯まっているのかね?」

 「……百万円」

 もじもじと言いづらそうに答えた遊笑は、なぜか謝り、言い訳を始めた。

 「す、すみません。実家暮らしだし、本当はもっと貯まってないといけないんですけど……。つい無駄遣いしちゃって」

 「いやいや、若い頃は貯めこまず、自分に投資したほうがいいさ」

 「そうよ、遊笑さん。日本の経済を回すつもりで、ショッピングを楽しめばいいのよ」

 フォローを始める同僚の後ろで、遊笑をさらった男が吐き捨てる。

 「そんなはした金じゃ、あんたを連れてくんのにかかった費用すら賄えねーよ。輸送費だろ、ガス代だろ……」

 「イサムくん。女の子相手なのだから、もう少しやわらかくお話しましょうね」

 「へいへい」

 ミチルがやんわりとたしなめると、男は両手を軽く上げた。

 「ともかく、君が一生懸命貯めたお金を、私たちは奪ったりはしないよ。安心なさい」

 「じゃあ……。一体何が目的なんですか?」

 目の前の紳士は優しそうだし、何となく信用できるような気がする。遊絵は握り締めた拳を下ろし、おずおずと尋ねた。

 「そうだね……。まずは、手荒な招待になってしまったことを、謝らないといけないね。――時間がなかったんだ。思ったより、『彼』の移動が早かった」

 ――「彼」?

 老人の言葉に耳を傾けながら、遊笑は周囲を見渡した。

 室内は広く、ベッドや机、椅子など、必要最低限な家具は揃っていたが、生活の匂いが感じられなかった。壁も床もつるつるとしたプラスチックのような素材でできており、全てがぼんやりと輝いている。単なる民家とも思えないし、普通の会社とも思えない。

 ここに今いる人たちだって、一般人ではないだろう。

 イサムという男は背が高く、たくましい体つきをしており、自分をさらってきた手際から言っても素人ではなさそうだ。

 尼崎が「ミチルくん」と呼ぶ女性は、眼鏡の似合う理知的な顔だちの、大変な美人だった。細い体をスーツに包み、長い髪をきっちりと結い上げた彼女は、ともかくモデルか女優のように格好良い。遊笑のイメージする、デキる女そのものだ。

 そして尼崎は、ダブルのスーツに制帽といういでたちで、どこかの船の船長さんかと思ったが、そうではないらしい。肩と袖には複数の金線が光っているが、あれは階級章というやつだろうか。だがパッと見では、小柄な老人としか思えない。

 「あなたがたは、何者なのですか?それに、ここは?」

 「うん、まずは自己紹介をしよう。私は尼崎 一郎。地球防衛軍 極東支部の長官だ」

 ちきゅう、ぼうえいぐん。

 遊笑は気が遠くなった。

 なんかこう、変な宗教団体か、もしくはお笑い集団か。

 ――もしかしたら、風俗店の名前かもしれない。

 マニアな方々に大人気。地球を守るために戦う美しい女性隊員と、イメージプレイ。

 ちらりとミチルに目をやると、彼女は上品に微笑み返してくれた。遊笑は、下品な想像をした自分が、恥ずかしくなった。

 しかしあまりに突飛過ぎて、信じろというほうが無理な話ではないか。

 「長官。確かにリミットは近付いていますが、お茶を飲むくらいの時間はございますわ」

 遊笑の混乱を感じ取ったのか、ミチルがそう提案すると、尼崎はこくりと頷いた。









 ミチルが用意してくれた温かい紅茶と甘いチョコレートは、遊笑のささくれだった心を幾分かほぐしてくれた。 「飯屋?」

 「メシアですわ、遊笑さん」

 「救世主のことだよ」

 こともなげに訂正されて、遊笑は頭が痛くなってきた。

 またまた怪しい単語が出てきた……。

 地球防衛軍。

 救世主。

 「SFみたいですねえ」

 無理して笑うと、イサムがぶっきらぼうに答えた。

 「残念ながら、フィクションじゃないけどな。バカバカしい話だけど、あんたにとっては紛れもない現実。しかも、厳しい現実だ。お嬢さん」

 「え?」

 「――そのメシアってのは、あんたのことだよ」

 「…………………………………………………………」

 遊笑は絶句した。全く意味が分からない。

 遊笑はイサムの険しい瞳を探り、次にミチルの聡明そうな瞳を見詰め、最後に尼崎の穏やかな瞳に縋った。

 「難しく考えなくていいんだよ。君は、世界中から、たった一人選ばれた救世主。この世を救う女神様だ」

 「この世を救う?」

 尼崎が合図をすると、ミチルが手元のリモコンを操作した。すると、壁や床の灯りが消え、天井が星空を写し出した。ちょっとしたプラネタリウムのようだ。

 星々が光る。その間を、とてつもない速さで移動していく物体があった。

 「流れ星?」

 しかしよく見ると、それは何かの人工物のようだ。

 「銀色の……金属?まん丸ですね。何ですか?」

 「言うなれば、簡易宇宙船――だね」

 「へえ……宇宙船……」

 ついにカメラは球体を追いきれず、後ろに回った。そのせいではからずも、球体が目指しているだろう場所を映し出すことになった。銀色に輝く球体の進路の先には、見慣れた惑星があった。

 「地球……?」

 「そう、地球だ。この乗り物は、我々の暮らす地球に向かっているんだよ」

 最後に日付が出た。「到着予定日:ニ○十三年十月十八日」。そこで映像は終わり、室内は再び明るくなった。

 「さっきの、今日の日付ですよね?」

 「そのとおり。この乗り物が地球にたどり着くのは、本日夕刻だ」

 「へえ~。ところで、あの丸いのの中には、何が入っているんですか?」

 その質問に、今まで和やかだった尼崎たちの表情は、一転した。

 「――遊笑くん」

 「は、はい」

 真剣な目で遊笑を見詰め、尼崎は続けた。

 「あれには、地球生物を滅ぼさんとする侵略者が、乗っているのだ」

 「え」

 遊笑は、昔見たことのある、SFホラー映画を思い出した。ぐちょぐちょのねちょねちょの、エイリアンだとか、物体Xだとか、そういった気色の悪い生き物が、あの玉の中に入っているのだろうか。

 そして、どうして、自分はここに連れて来られたのか。救世主とは。――嫌な予感がした。

 「あの侵略者と戦えるのは、君しかいないのだ!」

 ――ああ、やっぱり、そうなるのかー……。

 遊笑はイサムの険しい瞳を探り、次にミチルの聡明そうな瞳を見詰め、最後に尼崎の穏やかな瞳に縋った。

 一同は皆押し黙り、ただただひたすら遊笑の顔を見詰めている。

 「我々が本日の悲劇を予見したのは、今からニ十年以上も前のこと。それから我々は、ありとあらゆる手段を用い、ずっと探し続けてきたのだ。侵略者に対抗できうる、唯一の救世主を!」

 SFというより、これではファンタジーである。

 「ちょ、ちょっと待ってください!」

 救世主だとか、自分がそんな崇高な存在だとは、とても思えない。遊笑は必死に反論した。


 久保谷 遊笑は、平凡なサラリーマンの家庭に生まれ育った。

 家族は、両親と妹が一人。性格は明るく、ちょっぴりドジっ子。

 最終学歴は地元の県立高校で、成績は中の上といったところ。

 趣味はお菓子作り。

 友達は多いほうだが、男性には奥手で……。


 「今まで付き合った男性の数は二人。いずれもキスどまり。今時の若いお嬢さんにしては、実に奥ゆかしい」

 「きゃああああああああああ!」

 いつの間にか、尼崎が怪しげなファイルを手に持ち、自分のプロフィールを読み上げている。遊笑は慌ててファイルを奪った。

 「なに、人のプライバシー、暴露してんですか!個人情報保護法は!?しかも私が奥手だとかそんな部分、侵略者がどうとかいう話題と全然関係ないでしょ!?」

 「いいや!その部分こそ、重要なのだ!遊笑くん!」

 「~~~~~私の男性経験が、ですか!?」

 怒りのあまり、遊笑はどうにかなってしまいそうだった。そんな彼女の肩を、ミチルはぽんぽんと優しく叩いた。

 「まあまあ、遊笑さん。つまり、あなたの清純さと潔癖さは、大切な要素のひとつなのです。救世主としての、ね」

 「……!」

 憧れそのものであるミチルにそう説かれてしまうと、何も反論できなくなってしまう。それに、少し嬉しかった。

 友人たちには散々馬鹿にされてきた、男性経験がない――つまり処女であるという事実。大きなコンプレックスであるそれを、美点として崇めてくれるなんて。

 「あのう……。例えば私がその、きゅ、救世主だとして……。私は一体、何をどうすればいいんですか?」

 ミチルと尼崎が目を合わせて頷き合う。

 ――落ちた。

 「何もしなくていいんだよ」

 「え?」

 「救世主っていうのは、そういうものなの。そうね……。目と目で戦うっていうか、『目で殺す』って感じかしら?」

 「目で殺す!!!!!!!」

 遊笑はミチルの説明に衝撃を受けた。

 しかし、再び思い出す。昔のその手の漫画は、確かにそんな感じで描かれていた。ある日、超常的な能力に目覚めたヒロインのたった一睨みで、敵の体がぼーんと粉々に砕け散るとか……。

 なるほど、「目で殺す」。よく分からないが、そういうものなのかもしれない。

 遊笑が変な納得をしかけたところで、ミチルは決定打を放った。

 「ね、遊笑さん。あなたはどんと構えていればいいのよ。何と言っても、あなたは選ばれた女性なのですから」

 「!!!!!!」

 ――選ばれた女性。

 なんて、気持ちのいい言葉なのだろう!

 「わ、分かりました……!私に何ができるか分からないけど、あなたがたにご協力します!」

 キャッチセールスの類には、百パーセント引っかかる女、遊笑。彼女がまんまと暗い罠にはまった瞬間であった……。


 「お、おい!あんた、いいのか!?いや、あんたを連れてきたのは俺だけど!そんなにあっさり納得しちまって!相手は恐ろしい侵略者なんだぞ!?」

 まさか、こんなにあっさり説得が成功するとは、思っていなかったのだろう。三人の話を黙って聞いていたイサムが、慌てて口を挟んだ。

 「…………」

 確かに、怖かったり痛かったするのは嫌だ。遊笑は尼崎に尋ねた。

 「あのう。私、戦いの果てに、死んじゃったりするんでしょうか?」

 「いいや、君は絶対に死んだりしない!君と侵略者の間には、大きな力の差があるからね。君なら、『彼』を難なくねじ伏せられる!」

 ――そんな力が自分にあったとは。どうせなら、受験や就活のときに、発動してくれれば良かったのに。

 遊笑は自らの眠れる能力に、少し腹を立てた。

 「じゃあ、ケガしちゃったりとか……?」

 「とても言いにくいのだが……。多少は痛い思いをするかもしれない……」

 尼崎は申し訳なさそうだったが、だがなんといっても「侵略者VS.救世主」なのだ。そんな大変な戦いに臨むとあっては、無傷のわけがないだろう。命の危険はないらしいし、ちょっとケガをするくらいなら、まあ許容範囲内である。

 「それくらいなら大丈夫です!世界が助かるなら……!」

 「ああ、遊笑くん!」

 「やはりあなたは、生まれながらの救世主ですわ!」

 三人はがっしりと抱き合い、感動の涙を流し合った。何だかもう、危機は去ったかのような勢いである。

 その輪に入ることなく、イサムはぽつりとつぶやいた。

「知らねーぞ。ある意味、あんたにとって、物凄くキッツイ計画なんだからな……」

 彼のその警告は、盛り上がった遊笑の耳には届かなかった。



つづく


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