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1.未知との遭遇(1)

 巨大なスクリーンを見上げて、一同は息を飲んだ。一見すると、真っ黒に塗り込められた壁に銀の粒が撒かれたようなそれは、人工衛星より送られてくる、宇宙空間の映像だった。一般人があまり日常的に見るようなものではなかったが、これを日々監視するのが、この部屋に集う人々の仕事だった。

 周囲のざわめきは大きくなり、そして憚るように小さくなった。見慣れているはずの画像に、しかし今日は、いつもとは違う何かが映り込んでいるのが、この騒ぎの発端だった。

 瞬く星々の間を、針の先ほどの小さな何かが、物凄い勢いで進んでいく。その「何か」の進行方向の先には、皆の暮らす星、地球があった。


 「遂に、遂に――か」

 劇場のように配置された席の、一番高い場所に、その男はいた。恐怖に引きつる周りの人々とは異なり、老いた彼の顔は興奮に彩られており、しかも微笑を湛えていた。




 人間ヨ、心シロ。

 約束ヲ違エタナラバ、滅ボシテクレヨウゾ。


 何故ナラ、汝ラハ――。




 男の傍らに控えていた女が、小さくため息をついた。

 「怖いかね?ミチルくん」

 美しく、賢そうな顔を曇らせて、女は遠慮がちに頷いた。

 「申し訳ありません。尼崎あまがさき長官のお力を、疑っているわけではないのですが……」

「いや、いいんだ。人類の未来を賭けた作戦だからね。分かるとも」

 男にも――尼崎にも、女の――ミチルの不安は、とてもよく理解できた。

 文字どおり、「迫り来る恐怖」。スクリーンに映し出された、今も休むことなく進み続けている小さな塊は、まさしく恐怖そのものである。

 尼崎は、歳若い部下を安心させるように、微笑んでみせた。彼の目尻に刻まれた深い皺と、口元に蓄えた白い髭は、相手をほっとさせる温かみがあった。

 「だが我々だって、『彼』の襲来を、ぼんやりと待っていたわけではない。長い時間を――そうだ、もうニ十年以上もかけて、ここまで準備したんだ。悪い結果になるわけがないさ」

 リーダーたる者に必要な資質のひとつは、「成功を信じられること」。己の判断、部下の力量。そして、その先に明るい未来がある、と。その点においても、尼崎は優秀なリーダーだった。

 「長官……」

 ミチルは唇を噛み締め、頷いた。

 自分たちの作戦が失敗に終われば、その先には死が待っている。そしてそれは、彼らだけの終焉を意味するものではない。もっと広い意味の――。

 ――でも、きっと大丈夫よ。あの子なら……。

 そう自分に言い聞かせながら、ミチルは手に持った小さな布袋をいじった。ピンクのハート柄のそれは、ついさっき縫い終えたばかりだったが、知的な雰囲気のミチルにはどうにもそぐわない。もっとも人の趣味は自由だが……。

 ミチルは布袋を優しく撫でてから、仕立ての良いジャケットのポケットにしまうと、腕時計を仰いだ。

 「長官。イサムくんが目的地に着く時間です」

 尼崎は頷くと、指を顔の前で組んだ。地球に近付いてくる「何か」から目を逸らさず、宣言する。


 「――プロジェクト『ML』の幕開けだ」









 昨日は、素敵な夢を見た。

 運命の恋人と、結ばれるのだ。

 海の見えるホテルの、ふかふかのベッドの上で、彼は囁いた。

 「愛している、遊笑。私にはお前しかいない」

 ――そして訪れる、めくるめく快感。


 友達に話したら、欲求不満だと笑われるに違いない。

 でもすごく幸せで、思わず泣いちゃった。


 だから今日は、きっといいことがあるって思ってた。








 久保谷くぼたに 遊笑ゆえは、淹れたてのお茶を見て、微笑んだ。

 「茶柱……」

 そのつぶやきを聞いて、中年の男が書き物をしていた手を止め、顔を上げた。

 「はは。遊笑ちゃんがお茶を淹れてくれると、よく茶柱が立つなあ」

 「そうですか?」

 「そうですよう。ねえ、部長?」

 「うん、そうですね。きっと遊笑ちゃんが、心をこめて淹れてくれるからだね」

 「え……そ、そんな。あ、お、お茶どうぞ……!」

 遊笑の、盆を握る手に力が入る。

 ――落ち着いて、落ち着いて……!

 ぎくしゃくと、最近はロボットのほうがずっと滑らかなのではないかと思わせるような動きで、遊笑は部長の机に湯呑みを置いた。部長の氷室は「ありがとう」と朗らかに微笑みながら、ゆっくりとお茶を飲んだ。

 「うん、美味しい。遊笑ちゃんが淹れてくれるお茶は、いつも美味いよ」

 「あ、ありがとうございます……!氷室部長」

 湯呑みを片手に笑っている氷室は、部長といいながらもまだ三十前の青年だ。ヒムロ工務店、経理部長。その名が示すとおり、彼はこの工務店の社長令息、跡取り息子なのである。

 ヒムロ工務店は、従業員数約二百名、代々地域密着型でやってきた、地元では比較的大きな工務店だ。

 そして久保谷 遊笑は、高校卒業後ヒムロ工務店に就職した、今年勤続三年目になる事務員である。

 「本当に、遊笑ちゃんには、いつもよく働いてもらってるね。ありがとう」

 「え、あ、そ、そ、そんな……」

 一定周期で不景気がやってくる、こんな時代だからこそ、社長の息子という一見安楽な立場であっても、ぼんやりしているわけにはいかないのだろう。この氷室という男は、なかなかの努力家であった。仕事もできるし、部下の人望も厚い。ついでに言うと、なかなかのイケメンである。

 そんな彼に、褒められるとは思わなかった。突然の嬉しい事態に、遊絵は舞い上がった。

 ――やっぱりあの夢は、吉夢ってやつだったのかな。

 わくわくと胸をはずませながら、遊笑はお茶を載せていたお盆を抱えるようにして、氷室に話しかけた。

 「今度、お茶うけにクッキーでも焼いてきましょうか?私、お菓子作るのが趣味なんです」

 「それはいいね。楽しみにしてるよ」

 遊笑は氷室に淡い恋心を抱いていて、氷室のほうも遊笑を憎からず思っている。二人はそんなくすぐったい関係だった。

 彼らのやり取りを見ていた事務員の友野とものは、若い人たちはいいねえ、と目を細め、話のきっかけを作ったお茶を啜った。


 とある秋の、うららかな午後。

 ――しかし、遊笑の悲劇は、ここから始まる。


 道路に面した入り口が、突然勢い良く開け放れた。

 「!?」

 誰が、なんで、そんな乱暴に……。不思議に思う前に、視界が真っ白に染まった。

 ――煙!?

 遊笑は、真っ先に火事だと思った。だが焦げ臭くもなく、もちろん熱くもない。急いで鼻と口を押さえたが、あっという間に煙は、室内に充満してしまった。

 「うっ……!」

 「何だ、これ……!」

 この時間、部屋にいたのは、遊笑と氷室、そして友野の三人だけだった。男たちは苦しそうに咳き込むと、床にしゃがみこんだ。

 「空気を入れ替えないと……!」

 遊笑はなんとか窓に向かおうとしたが、急に体が重たくなり、動けなくなった。

 ――どうしたら、いいんだろう――?

 パニックになりながら、床に崩れ落ちると、煙を割って人影が現れた。

 「誰……?」

 声を出せたかは分からない。周囲から聞こえていた咳と唸り声も途絶えた。同僚たちは気を失ったようだ。遊笑の瞼も、異様に重たかった。

 ――眠い。

 何が起こっているのか、さっぱり分からない。

 ――やっぱり、物騒な世の中なんだなあ……。

 遊笑は考えることを放棄し、大雑把に結論づけた。

 突然現れた人影は、頭から顔を覆うマスクを付けており、随分背が高かった。がっちりとたくましい体型からして、男性だろう。男はマスクをわずかにずらすと、携帯電話を口元に当て、短く喋った。

 「作戦は成功。これより、目標を持ち帰ります」

 持ち帰る、とは。

 ――現金なんて置いてないし、うちの会社に、何か金目のものってあったかな……?

 まあ、命さえ助かればいいや。

 その「目標」とやらを持って、さっさと帰ってくれればいい。

 遊笑は暢気にそんなことを思いながら、意識を手放した。



つづく



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