愛してる。けど恋じゃない
あい【愛】そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。大事なものとして慕う心。
こい【恋】対象にどうしようもないほど引きつけられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持。
――国語辞典参照
相澤 歩には愛する人がいる。それは同級生の相田 勇馬。幼稚園で出会い小中高と同じ学校に進んだ二人は、家が同じ町内なこともあって幼馴染みだ。性格はまるで違うが、趣味は似ていて馬が合った。13年間付き合ってきた親友を、歩は心底愛している。そう。
彼が、ハーレム野郎であっても。
相田 勇馬は、所謂主人公気質な男だ。誰かが困っていれば手を差し伸べ、誰にでも優しく明るい。そんな男なので、厄介事を片付ける度に当事者の少女が恋に落ちた。いや、日常の些細なやり取りの中ですら、彼に恋する少女は後を断たない。結果、高校一年になると、その中でも特に自己主張の激しい少女たちによってハーレムが出来上がった。
彼女らは周囲の迷惑など省みない。勇馬の言葉すら聞き入れず暴走するため、すこぶる評判が悪かった。当然、勇馬と一緒にいる歩は煽りを食らう。常に邪魔者扱いされ、誹謗中傷は当たり前。勇馬が口を出しても馬耳東風で、収まる気配もない。珍しく勇馬がいない場所で出会えば、それはそれは素晴らしく扱き下ろされた。
端から見れば、良いことなど何も無いだろう。それでも歩は勇馬の側にいるし、離れようとも思わない。何故なら、歩は勇馬を愛しているから。故に、彼が歩に側にいて欲しいと思っているのに離れようなどと、考える筈がなかった。
しかしどんなに愛していても、この感情は恋とは違う。だから、歩は困ってしまった。勇馬の望みは出来る限り叶えたいが、こればかりは叶えられそうにない。歩は内心で、大いにため息を吐いた。どうしてこうなった、と。
「俺、お前のことが好きなんだ。友情じゃなくて、恋愛感情として」
そう歩に告げたのは、親友の相田 勇馬だ。いつになく真剣なその表情は冗談を言っているようには見えない。13年間見てきた親友の顔を見つめ返して、歩はどう答えるべきかと頭を悩ませる。
勇馬のことは愛している。だから望まれればキスもその先も出来るだろう。しかしそこに恋愛感情は欠片も無いのだ。勇馬がそんなものを望むとは思えない。心が伴わなければ無意味だ。そしてそれを歩は叶えられない。
いっそ身体だけでもってタイプなら、どうにか叶えられたんだけどなぁ。嘘吐いても、勇馬が相手じゃすぐバレるよね。本当に、何でそんなとこだけ鋭いんだろ。
結局どうにもならないと結論を出して、歩は正直に答えることにした。沈黙を続ける歩に、勇馬も予想はついているのだろう。真剣な面持ちながら、その表情はどこか浮かない。
「僕、勇馬のこと愛してるよ。でも恋じゃない。愛してるから、勇馬が望むならキスだってその先だって出来る。でも恋じゃないから、同じ気持ちは返せない。勇馬はどうしたい? 身体だけでもって言うんなら、付き合えるけど」
歩の告白に、勇馬が目を見開く。予想の斜め上を行く回答に、思考が付いてこないのだろう。恐らく勇馬は、男同士なのに気持ち悪い、等の一般的な返答を予想していた筈だ。まさか、愛してるけど恋じゃないだの、身体だけで良いならだのと言われるとは考えもしなかったろう。たっぷり十秒は固まった勇馬が、ようやく口を開く。
「キス、してみてもいいか」
「いいよ」
あっさり許可した歩に、勇馬は生唾を飲んだ。歩の両肩に手が置かれ、勇馬の顔が近付く。ある程度近付いたところで、歩は目を閉じて勇馬を待った。こう言う時は目を閉じるのがマナーだと、何処かで見たことがある。
歩には勇馬が何を思ってこんな提案をしたかは解らないが、拒む理由はない。むしろこれで勇馬が何かに踏ん切りをつけられるなら、喜んで協力しよう。歩にとって、男同士なんて些細な事だ。相手が勇馬なら、それだけで全てを許せる。
勇馬の吐息を今までに無いくらい近くに感じたと思ったら、唇に柔らかいものが触れた。数秒ほどそのままで、最後にチロ、と上唇を舐めて勇馬は離れる。これで、勇馬には何か解ったのだろうか。
「あのさ、歩。俺、やっぱり歩のこと諦められそうにない。だから歩の心と身体、俺にくれよ。恋じゃなくても、俺のこと愛してるんだろ?」
目を開けた歩の視界に映る勇馬は、いつもの彼だった。自信に満ち溢れ、光輝いてるかのような笑顔だ。そんな勇馬に、歩も嬉しくなって笑みを浮かべる。
「うん。勇馬がそれで良いなら、僕は構わないよ」
頷く歩に、勇馬がはにかんだ。そっと抱き寄せられて、歩は勇馬の背中に腕を回す。勇馬の顔は見えないが、幾分か早い鼓動が伝わってきた。
「なぁ、俺のこと愛してるって具体的にどんな感じ?」
「具体的に? そうだねぇ、勇馬が愛しくて堪らなくて、望むことなら何でも叶えたいって思ってる。勇馬が幸せなら他の事なんてどうでも良いよ」
歩は勇馬の幸せを、何よりも望んでいる。そうでなければ、とっくに勇馬から離れていただろう。けれど勇馬が愛しかったから、彼が独りぼっちにならないよう側に残った。ハーレムのせいで、勇馬は少々クラスから浮いている。歩以外に勇馬と親しく付き合う男子はいない。
いい加減、あいつら潰そうか。勇馬が好きなのが僕なら、僕を嫌ってるあいつらは邪魔だ。好きな人を貶されて勇馬が気にしない訳も無いし。うん、潰そう。
内心そんな物騒な事を考えているとは露知らず、勇馬は歩の言葉に腕の力を強める。触れ合う耳が熱を持っていると歩にも解った。
「何か、下手な告白よりよっぽど恥ずかしいな。俺はそこまでお前に思ってもらえて幸せなんだけど、歩はさっきキスされて、嫌じゃ無かったか? 俺も男だし、その、そう言うこともしたいって思うんだけどさ」
「全然嫌じゃ無かったよ。それに、勇馬がしたいならそれ以上もしたらいい」
「うーん。無理矢理したい訳じゃないんだけど。歩は、俺とそう言うことしたいと思わないんだよな?」
「そりゃ、まあ。軽いキスならしても良いかなとは思うけど、自分からしたいとは思わないな。それより、こうして抱き締めてる方が僕には合ってるみたい」
少しだけ勇馬は沈黙する。悪いとは思うが、歩は正直に答えるより他に無いのでどうしようもなかった。
「歩ってさ、俺のこと好きだよな?」
「うん、好きだよ」
何かを確かめるような勇馬の口振りに、歩は首を傾げる。何故わざわざ解りきった事を聞くのだろうか。
「俺に恋愛感情で好きだって言われて、どう思った?」
「ええと、困ったけど。それがどうかしたの?」
何をしたいのか解らず困惑するが、勇馬は歩の質問には答えない。
「困ったって、何でだ」
「だって、勇馬と同じ気持ち、返してあげられないから」
「それが無かったら?」
聞かれて、答えに詰まる。勇馬の望みに応えたいと思っていたから困った。歩にとっては極自然な思考だが、それが無ければどうなのか。考えたことも無かったが、聞かれた以上は考えなければならない。
勇馬の望みを叶えたいって言うのは、僕にとっての大前提。だからそれ抜きに考えろって言われても上手く想像出来ない。そもそもさっき困ったのは、勇馬の望みを叶えられないと思ったから。でも実際には、勇馬はそれでも構わないって言った。ってことは、今もし勇馬に好きって言われても困らないな。僕はどう思うだろう?
「嬉しい、かな。ちょっとベクトルは違うけど、勇馬が僕を一番に思ってくれてるなら、うん、やっぱり嬉しい。大切な人に、大切に思われてるってことだから」
それに勇馬の幸せを望む歩としては、これは最良かもしれない。恋ではなくとも、勇馬を愛していることに変わりはない。感情のズレに勇馬が折り合いを付けられるなら、誰より幸せにする自信があった。
歩の答えに、勇馬が少しだけ沈黙する。また耳が熱くなっている。鼓動も早い。
「俺、歩に笑っていて欲しい。幸せにしたい」
「それは僕だって思ってるよ? 勇馬に笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい。勇馬が幸せになれるなら、何だってしたい」
「……歩。さっきから思ってることがあるんだけどさ」
「何?」
「お前のそれ、恋愛感情と何処が違うんだ?」
身体を離した勇馬が、眉を寄せて尋ねる。問われた歩は、きょとんと目を瞬かせた。
「色々違うと思うけど。キスもそれ以上もしたいと思わないし、勇馬に好きな人が出来たら全力で応援するし、勇馬が幸せならそれで良いよ」
「なら逆に言わせてもらうけど、俺だって歩がキスもそれ以上もしたいと思わないならしない。好きな人が出来たなら潔く身を引く。歩が幸せなら、何だって我慢出来る。なぁ、何処が違う?」
「え、えっと」
結果を見れば同じかもしれないが、過程が大分違う。しかし今の勇馬を上手く説得出来る気がせず言葉が出てこない。戸惑う歩に、畳み掛けるように勇馬が続ける。
「キスもそれ以上も、したいと思わないだけで、嫌じゃないんだよな?」
「うん」
問いに頷く。勇馬が相手なら、嫌だとは思わない。実際さっきのキスは歩も気持ち良いと思った。自分からまたしたいかと聞かれると微妙だが。されたら喜んで応える、と言った感じだ。
「俺が違う人好きになっても、寂しいとも思わないのか? 歩といる時間、きっと減るぞ?」
「それは、ちょっと寂しいかな。でも勇馬が幸せなら、口出すことでもないし」
それが勇馬の幸せに繋がるなら仕方ないと思う。歩の中で、自身の感情の優先度は低い。勇馬を中心としているのだから無理もないが。
「俺は歩が一番大事で、一緒にいられたら幸せだ。歩は今の状況、どう思う?」
「それは当然、幸せだよ。僕が幸せにしたい人が、僕のことが一番大事で、僕が一緒にいたら幸せだって、言ってくれるんだもの」
自身の存在そのものが幸福に繋がると言うのなら、歩にとってこれ以上の幸せはない。
「だよな。歩ってさ、やっぱり俺のこと恋愛感情込みで好きなんじゃないかな。ちょっと特殊だから解りにくいだけで」
「そうなの、かなぁ。自分ではよく解らないんだけど」
段々勇馬の言っていることが正しく思えてくる。他人の感情に聡い勇馬なので、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。それに、歩は少々自身の感情に鈍い所がある。歩が怒っていることに、本人より早く気が付く勇馬に言われ、すっかり自信が無くなった。これも一種の洗脳だろうか、と歩は思う。実害はないので構わないが。
「絶対そうだって。俺が歩の物になったら、嬉しくないか? ずっと歩と一緒にいて、歩のこと好きだって言うの」
「あー、嬉しい、かも」
「ほらやっぱり。ただでさえ歩って鈍いのに、愛情が特殊だから余計に解んなかったんだよ」
誘導されて、ようやくはっきりと自覚する。勇馬が自分だけを見て好きだと言ってくれたら、間違いなく嬉しい。どうやら本当に恋愛感情だったようだ。
「うん、そうみたい。でもやっぱり恋じゃないよね、これ。だって勇馬相手にドキドキしなんてしないし、ときめくとかあり得ない」
「そこまで言い切られると何か逆に清々しいな。まぁいいや、歩は俺のことちゃんと好きみたいだし。これからも宜しく」
ニカッと笑った勇馬に、歩もにっこり微笑み返す。
「うん、宜しくね。僕は浮気とか気にしないから、その辺は心配しなくて良いよ」
「しないから。何で浮気するのが前提なんだよ」
そりゃだって、ハーレム出来ちゃうくらいにモテるのに押しに弱いし。ついうっかりで押し倒されたりしそうだからだよ。
心の中でこっそり思いつつも、勇馬の名誉のため口に出さない。代わりにもう一つの理由を挙げる。
「だって僕がしたいと思わないならしないんでしょう? この若さで禁欲とか、辛いと思うよ? それに無理な禁欲は身体に悪いらしいし」
「いや、確かに言ったけど、だからって浮気はないから」
「そう? 気にしなくて良いのに」
「歩はちょっと、気にしなさすぎだと思う。恋人に浮気を勧められるのって何か切ない」
ガックリ項垂れた勇馬に、失敗したなと思う。いくら勇馬も男とは言え、性格的に浮気は無いだろう。どうやって挽回しようかと考えて、歩は以前ドラマで見た手を使うことにした。
「ごめんね、勇馬。僕もね、積極的にしたいと思わないだけで、さっきのキスは気持ち良かったよ」
勇馬が徐に顔を上げる。驚いた表情の勇馬に、歩はもう一押しと、自身の容姿を最大限に活用して魅せた。恥じらうように斜め下に顔を伏せ、上目遣いで勇馬を見つめる。片手は所在無さげに膝を弄り、もう片手は緩く握って唇へ。そんじょそこらの女子より可愛い歩がそんなことしたら、惚れてる勇馬などイチコロだ。顔を赤らめる勇馬に、更に止めの一言。
「もう一回、して欲しいかも」
多分、女子が見ればかわい子ぶりっ子してんじゃないっ、と突っ込むだろう。しかしここにいるのは勇馬だけで、ついさっき念願叶って歩と恋人になったばかり。冷静な判断など下せる筈もなく、誘われるままふらふらと唇を重ねる。
啄むようなキスを繰り返し、そのままディープキスに移したくなるのをようやっとの思いで堪え顔を離した勇馬に、歩は花が綻ぶように笑った。
「ありがとう、やっぱり気持ち良い。ねぇ勇馬。浮気はしないって言うなら、我慢出来なくなったら教えてね。無理して欲しくはないから」
「あ、ああ。解った」
まさか今押し倒したいとも言えず、勇馬はぎこちなく頷く。歩も少々悪ノリした自覚があるので、突っ込むのは止めておいた。それに今押し倒されても困る。そろそろ母親が帰ってくる頃だ。勇馬に出すお菓子を買いに行ったのだから、確実に部屋に入ってくるだろう。赤の他人なら未だしも、流石に母親に見られたくはない。
「ゲームする?今日は一応その名目で来たんだし」
「あ、そうだな。うん、こないだ言ってた奴やろうぜ」
「オッケー。テーブル動かしておいて」
「解った」
歩がゲームの用意をする間に、勇馬にテーブルを端に避けてもらう。以前までの二人と同じように見えるが、その目は、雰囲気は、僅かに甘さを含んだものに変わっていた。
相澤 歩には愛する人がいる。それは同級生の相田 勇馬。幼馴染み兼親友だった青年は、この日を境に幼馴染み兼親友兼恋人になった。
初めまして、ラリクラリです。ぱっと思い浮かんだ設定で書いたものですが、折角なので登録&投稿してみました。拙い小説ですが、批評を頂けると嬉しいです。
地の文が定まらなかったり、終わり方が無理矢理だったりと中々突っ込み処も多いですが、楽しんでいただけましたら幸い。また名前を見掛けた際には宜しくお願い致します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。