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恋を失敗し続ける女と、恋を追い続ける男(4)


「大丈夫?マツコに苛められてない?」


 ぎゅっと、抱きしめてくる青年の腕は華奢な見た目とは裏腹に、意外に逞しい。

 ほのかにシャツに染みついたフローラルな香りはきっと、仕事上よく使っているシャンプーやトリートメントの香料。リリーベースのそれは私の好きな匂いで、彼のわずかな汗のにおいが少し混じって、彼が男の人だって意識させられる。

 シャツ越しに触れる彼の胸から、彼の暴れ狂っている心臓の鼓動を感じる。

 どうしよう、なんか変に緊張してドキドキしてきた。

 あれ、そういえば…マツコって…誰のこと?


「誰がデラックスよ!バカ悠里ゆうり!あたしはショウコだって言ってるでしょ!」

「誰もデラックスとは言ってない。態度はデラックスだと思ってるけど」


 私が知っている声のトーンより一オクターブ低い剣呑な青年の言葉に、「この子、誰!?」って、真剣に思ってしまった。

 猫かぶりなの、青年!?


「あんた、あたしを誰だと思ってるの!?」

「…母さん、うるさい」

「母さん言うなー!あたしが、老けるでしょ!ちゃんと、松子しょうこさんって呼びなさいっ!」

「マツコは面倒くさい…」

「うるさい!十年も初恋引きずって恋愛しないようなおバカのほうが、面倒くさいわよ!」

「なっ、なんでそれを!…れい先輩、喋ったな…やっぱり罰当てないと」


 コントみたいな親子の会話を聞いていたら、初恋云々の下りで佐内さない青年が露骨に動揺して彼の腕の力が緩んだ。

 母親の事を名前で呼んでるんだ…でも、呼び方が間違ってるみたいだけど…

 佐内青年は本当に奥手というか恋愛下手だったんだ~とか、色々と思っていたら、突然、大きな力で佐内青年の細い腕から引き離された。その代わりに、がっちりした腕にまとわりつかれた。


「君が、まどかに付きまとってた佐内悠里?俺の大事な女にまだ何か用?」


 真幸を見上げれば、真幸さねゆきは私に目配せして何かを企んでいるかのように不敵に笑ってみせると、子供にするように私の頭を撫でた。


「…貴方、お姉さんの彼氏ですか?」


 警戒心を全身で表現する佐内青年に、真幸は笑うだけで明確な返答をしなかった。

 佐内青年と真幸の身長と体格差だと、子猫が毛を逆立てて大型犬に威嚇してるみたい。いや、佐内青年も小柄な方だけど、無駄に縦にも横にも体が大きい真幸が相手だと、誰でも小さく見えるし、真幸は相手にしたら圧迫感があるのよね。

 じっと真幸を見ていた佐内青年は、ため息とともに視線を逸らした。それは、真幸に怯んだというよりも、何かを諦めた感じ?

 それから私にじっと視線を向けてくる。


「…僕、お姉さんに彼氏がいても良かったんです。お姉さんは僕より年上で、相手にされないのは解ってたし…ただ、助けてくれたお礼がずっとしたかったんです」

「…だから、アイスの事なら」

「アイスの事じゃありません!…お姉さんは覚えてないかもしれないけど、ずっと前に、僕はお姉さんに助けてもらったんです」


 言われてみても、全然、人助けをした記憶がない。

 これだけ美青年なら、記憶に残っているはずなんだけど、これっぽっちも覚えがない。

 私の表情を見て、佐内青年は淋しそうに小さく笑う。私が覚えていないって、顔を見て悟ったみたいだった。


「ごめんね…覚えてないわ」

「良いんです。貞操奪われかけた情けない僕の姿なんて、記憶にないほうが」


 いや、そんな衝撃的な現場なら、なおさら忘れないんですけど。


「…人違い…とかじゃない?」

「僕がお姉さんを間違える訳ないじゃないですか。初恋の相手なのに」


 いやいや青年、初恋とか、過去の記憶って言うのは美化されるものだよ?

 それにね、年月がたてば多少なりとも老化もするわけよ。分かるわけないじゃないの。


「お姉さん、今、分かるわけないとか思ったでしょ?」

「君、エスパー!?」

「いや、お前すぐに顔に出るから」


 すかさず真幸が突っ込んできたと思ったら、佐内青年が間髪いれず頷いた。

 なに、このコンビネーション。


「お姉さんは、昔と全然変わってないです。それに、例えお姉さんが皺だらけのおばあさんになったって、太って全然違う容姿になっても、僕、お姉さんを見抜けると思います」


 うわぁ、何だろう熱烈な愛の告白を聞いたような気分だわ。思わず、頬が熱くなる。


「俺を前によく言えるな…」


 苦笑いする真幸に、佐内青年は首を竦めた。


「前は、お礼を言う前にお姉さんが消えちゃったので…だから、今度もお姉さんがお礼をする前に居なくなるんじゃないかって思ったら、居ても立っても居られなくて…すごく性急になってお姉さんを怒らせてしまって…済みませんでした」

「それで、円をカットに執拗に誘ったわけだ?」

「僕が出来ることって言ったら、それくらいなので…」


 真幸は私から腕を離して、私の頭を軽くはたく。


「いたっ!」

「お前、また人の話を聞かずに、勝手な思い込みで猪突猛進しただろ」


 呆れたように真幸は私の両頬を掴む。

 三十路越えた女に何してくれるのよ、マッチョな従兄め!


「何するのよ、サネ」


 真幸の両手をはたき落して、私は摘ままれて少しだけ痛む頬を撫でる。


「ちゃんと相手の話を聞いてやらないから、話がこじれたんだろ。お前の誤解のせいで」


 言われれば確かにその通りよ。

 相手にちゃんと理由を確認しなかったし、途中で面倒くさくなって勝手に自己完結しちゃって、キレたし…。


「ごめん」


 真幸は何を思ったのか、私の肩を掴んでぐるりと私の体を佐内青年のほうに向けた。


「な、何?」

「謝る相手が違うだろ。それとも、俺が一緒に謝ってやらないと謝れないのか?」

「こ、子ども扱いしないでよね!謝れるわよ!」


 真幸を睨みつけながら、肩にある彼の腕を振り払って、佐内青年に向き直る。

 佐内青年は、ちょっと驚いたような顔をして私たちのやり取りを見ていた。


「…ごめんなさい。君の話をちゃんと聞けばよかったのに」

「僕も…言葉が足りなくて…誤解されても仕方なかったんです。だから、気にしないでください」


 いい子だわ。佐内青年。君ならこんな年上に拘らなくても、可愛い彼女がすぐに見つかるよ。


「誤解も解けたことだし、お礼のカットもちゃんとしてもらえよ?」

「は?」

「カットしたら、相手もお礼したって胸のつっかえが取れて、お前に変な執着しなくなるだろ?」


 大きな体を屈めて、私にそっと相手に聞えない声で耳打ちしてきた真幸を見返した。

 真幸はにやっと笑う。


「…お前、人の好意を素直に受け取れないほど、ババアになったのか?」

「もう!ババアとか言わないでよね!地味にムカつくからっ!」

 

 けど真幸の言う事には一理ある。確かにお礼したら、佐内青年も気持ち的に満足して私になんて見向きもしなくなるだろうし。

 …あれ、なんでだろう。ちょっとさみしい気持ちになってきた。


「ってわけで、近いうちにこいつ、お前の所に連れて行くから。あんまり執拗に追い回すのはやめてやってくれよ?」


 保護者面してそんなことを言った真幸に、佐内青年は唇の端を歪めた。

 それはとても可愛らしいのに、凶悪さを滲ませた危険な微笑み。

 なんだかわからないけど、真幸と佐内青年の視線の間で火花が散ってる!


「どうせなら、お姉さんの気が変わらないうちに、今から行きましょう。良いですよね、お姉さん?」

「え、あぁ、うん…」


 変な気迫に押されて言葉を返せば、佐内青年は私の手を取り真幸を見上げる。


「まさか、止めませんよね?」


 笑っていた真幸の口角がわずかに引き攣った。

 流石に真幸も、佐内青年の私以上の猪突猛進ゴーイングマイウェイな行動に、言葉がないみたい。

 佐内青年に握られていた私の手が、少しだけ強く握られた。

 何かと思って青年を見上げれば、彼は嬉しそうに笑っている。

 眩しいぐらい良い笑顔で、思わず目が眩みそう。

 やっぱり、佐内母の言う『無表情な悠里』と、私の知る『佐内悠里』は別人…だよ…ね?

 自信なくなってきた…。


「心配しないで。僕がお姉さんをもっと綺麗にしてみせるから」


 私が不安を感じていたと思っていたのか、佐内青年は、優しく諭すようにそう告げた。

 彼に浮かんだ蕩けそうな優しい微笑みは破壊力絶大で、私の心臓が爆ぜそうなくらいうるさい。


「あ、うん…その…ヨロシク……それから…」

「それから?」


 首を傾げて訪ねてくる佐内青年が、なんだか全然違う男の人みたいで、ドキドキが止まらない。それがちょっと癪に障る。


「誰が手をつないで良いって言ったのっ!」


 照れ隠しにちょっと怒ったように、手を持ち上げてぶんぶん振って見せれば、佐内青年はしばらく固まった後、完熟トマトも裸足で逃げ出す赤面ぶりで、あわてて手を離した。


「ご、ごめんなさいーっ!」


 途端に、私の知っている素直な純情君に戻った佐内青年は、今度は顔を青くしてそう叫んだ。

 うん。佐内青年はこうでなくちゃね。




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