恋を失敗し続ける女と、恋を追い続ける男(1)
Round3 恋を失敗し続ける女と、恋を追い続ける男
今日の私は、すこぶる機嫌が悪い。
原因は、目の前で大爆笑している男、久保真幸の所為だ。この男は三十七歳、私の母方の従兄弟。そして、私のアルバイト先の一つである喫茶店の店主でもある。
事あるごとに、人の恋愛を笑うのが趣味な嫌味なバツイチ男。百八十㎝を超える長身の上、元アメフト選手で引退した今も、体に肉の鎧を纏ったガチムチ体型で、見るからに暑苦しい。
その体を机に突っ伏して、真幸は腹を抱えて大爆笑している。幸い、ランチの時間も過ぎて客足もまばらな時間だから良いようなものの、それでも店内にいる常連の男性客が二人、怪訝そうな顔をして私たちのほうを見ている。
「サネ、うざい」
テーブルの下で、私は従兄弟の向う脛を思いっきり蹴り飛ばす。
「ってぇ!」
笑い声は止まったけど、蹴られた足を真幸が反射的に勢いよく持ち上げたせいで、机がガンという激しい音を立てて一瞬浮いて揺れた。
衝撃で、卓上のグラスの水が盛大に零れた。
「あぁ、もう…」
近くにあったダスターで零れた水を拭きとりながら、苦痛に身悶えている大男を冷めた目で見下す。真幸は涙目で私を見上げる。
「しっかし、まぁ、お前も男運がねぇなぁ。浮気男の次は、ストーカー野郎か」
人の恋愛を根掘り葉掘り聞いて笑いのネタにするのが趣味な男は、たった今も私が佐内悠里のことを話せば、お約束の『笑いのツボにはまる』状況になっていた。
人のこと言えないくらい、異性運がないくせに。
「奥さんに浮気されて逃げられたサネだけには言われたくないわ、サネだけには」
「人の古傷えぐるなって」
「現在進行形の傷を抉るほうが酷いわよ」
「ははは、わりぃ。けど、お前もその思い込んだら即行動の性格、どうにかしねえと定職にもつけねえぞ」
全然悪いとも思っていない軽い謝罪をした真幸は姿勢を戻して、グラスの水を一気に飲み干す。
「今更、直しようがないでしょ」
「だよな。それに、異性運がねぇのは遺伝だ。しゃあねぇよ。俺たちの親も、爺さんたちもまともに添い遂げた奴なんてほぼ、いねぇし。まともな恋愛も結婚も、諦めたほうが良いって」
そうなのよね。うちの母親側の家系は異性運が壊滅的なのよ。
異性を見る目がなくて、変な異性を引き寄せる。良い人を引き当ててもその相手は早死にしちゃうのよ。
ちなみに私の父親は普段は気の小さな存在感の薄い人なんだけど、酒癖が悪くて、お酒が入ると暴力をふるうの。それが嫌になって私は家を飛び出して、家にも帰らず学校にも行かずに荒れた生活をしていたのよ。
それを更生させてくれたのが、真幸と真幸のお父さん。
未だに離婚もせず暮らしている実家の両親とは疎遠だけど、伯父さん家族とはよく交流しているのもあって、真幸は兄さん的な存在。
高校に行かせてくれたのも伯父さんだし、高校生の時も此処でバイトをさせてもらったし、会社勤めしているときも、休日はここで恩返しの意味も込めて働いていたんだよね。
あ、元々、この喫茶店は伯父さんが若い頃に始めて、何年か前に真幸に代替わりしているの。コックとして働いていた真幸に代わってから、食事中心のカフェに改装したんだけど…どうしても子供の頃の癖で、喫茶店って言ってしまうのよね。
私が職なしになった時も、「真幸だけに店を任せるのも心配だから、また働きにおいでよ~」って、軽いノリで伯父さんは私を呼んでくれた。
そんな伯父さんは良縁に恵まれたけど、その奥さんを十三年前に乳がんで亡くしている。
素敵な家族で、真幸が羨ましいとどこかで思ってた。私が理想とする家族像は、ずっと伯父さんの家族だから。
「それれとも、お前もフツーに恋愛結婚を夢見るクチか?」
「別に最初から結婚に希望なんて持ってないわよ。でも、周りがみんな結婚して、独身の子が減る度に変な焦りが出るのよ。このまま本当に独身で良いのかって」
結婚に夢も希望がなくても、取り残されていく焦燥感はある。
二十代半ばから、みんなどんどん結婚して子供が生まれてお母さんになって。
でも、私は彼氏ともうまくいかない、結婚も出来ない。
自分が手に入れられないものを持って、幸せそうにしてる友達が羨ましいと思うようになる自分がいる。
暴力を振るわない優しいお父さんがいて、痣や傷だらけでも泣き顔でもないお母さんがいて、子どもが無邪気に幸せそうに笑う家庭。
子供の自分が憧れたものを持っている人を見て、切ない気持ちにもなる。
同時に、自分の両親の様な結婚生活を知っているから、恋愛していてもどこか深い一歩を踏み出せずに及び腰になる。
だけど、このまま恋愛にすら苦労をして一人で生きて、淋しくないのって聞かれたら…淋しいって答えるわ。
二十代の頃はまだそれでも、強気でいけた。自分は若くて、気力だけで乗り切れることもたくさんあったから。
でも、三十歳を迎える少し前から、不安になった。
会社は毎年、新しい子が入ってくる。一年、また一年と、自分の後ろから突き上げてくるように若い子が台頭してくる。
自分が年を重ねるにつれて肌の張りを失いたるんでいく皮膚に刻まれ始める細かい皺を鏡で見て、老いを感じ始めて美容液に拘り始める。
気持ちは若いままでいても、若い事の会話にギャップを感じ、注意をすればお局の小言と言われて煙たがられる。
挙句に、結婚も出来ない、女としても賞味期限切れだと揶揄する、セクハラ上司の言葉に毎日、傷ついて。
派遣社員でいることに人生の先行きに不安を感じて正社員になってみたものの、結局、色々あってバイト生活になって更に先行き不透明。自分の気の短さが招いたこととはいえ、さらに自分を追い込んでしまった。
気付けば、今まであったものはすり抜けて、あるものにしがみ付こうと必死で、ぽっかり胸に穴が開いている。満たされない気持ちが抉るようにその心の穴を通り抜けて穴を更にこじ開ける。孤独と老いていく不安と焦燥で心はどんどん弱くなる。
強気でなんていられなくて、誰かに支えてもらいたいって思うことだってある。甘えれば楽かもしれない。でも、甘え方が分からない。誰にも寄りかからずに、自分で立って生きる事だけを考えて行動して生きてきた。
二十歳そこそこの若い娘ならともかく、これまで可愛げもなく生きてきた三十女が、どう甘えたらいいの?
普通に考えて、気持ち悪いでしょ?そう思ったら、身動きが取れなくなるのよ。