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綺麗な愛ではいられない(前篇)

 今回は円の従兄弟、久保真幸視点。

 円が足フェチの彼氏と別れた直後のお話です。


     ◆




 少女の成長は早い。

 妹の様に大事にしていた勝気で負けず嫌いな少女は、いつの間にか幼さを失い、嫋やかな女の姿に変わっていった。

 さなぎが蝶に変化するように、俺たちが与えた世界だけでは足りずに、自ら広い世界に足を踏み入れ、俺たちの力など無くても一人歩いて行く術を身に付けた。

 けれど中身は変わないどころか、勝気で負けん気の強い所は更に強くなり、これと決めたら、危険な事だろうが平気で足を突っ込む癖は変わらない。

 あいつが成人しようと、俺たち兄弟がハラハラするのは昔のまま。

 いや、見た目だけは女らしさを増したあいつの所為で、俺達の心労はむしろ増えた。

 あいつが惚れる男も、あいつの周囲に湧き出て近付く男も、同じ男の眼から見て、お世辞にも勧められるような奴らじゃない。

 従妹、御堂円みどうまどかの異性運の悪さは、最早、あいつの見る目が悪いという問題ではない。遺伝子レベルだ。どうあっても、駄目な男ばかりを寄せつけてしまう魅力と、成長しない異性を見る目は、久保家のお家芸の様なもの。

 俺や双子の兄貴の要も、異性に対する審美眼のなさでは円と良い勝負だ。

 俺は惚れたその勢い任せで結婚して失敗し、女性関係は一歩引いた付き合いになっていた。要は二十の頃に、特定の女との良好で親密な関係を早々に諦めて、三十七になった今も気ままな独身人生を送っている。

 だが円は三十を過ぎても、俺達の様に異性関係を達観して諦めると言うことはなかった。

 何度傷ついても、諦めない。少女趣味の夢を見ている訳でもない。


「お前、ほんと、男運ないな」

「っ、悪かったわね。惚れっぽい肉食女子で」


 むくれながら俺を見て、並々と入ったビール大ジョッキを豪快に煽るのは、御堂円。俺の従妹だが、円の家の家庭環境が微妙だった為に、円が十八になるまで俺の実家で一緒に暮らしていた。

 今はお互いに家を出て別々に暮らしているが、良くこうして酒を飲む。

 まあ、こうして居酒屋のカウンターで並びながら円と酒を呑むときは、彼氏の愚痴か男と別れた時ってのが決まりで、今回は後者だ。

 スーツ姿で、居酒屋のカウンターで並びながら、一気にビールを飲み干した円はダンッとジョッキをカウンターテーブルに置き、「おかわりっ!」と、店員に二杯目を注文する。


「おいおい、最初っから飛ばすな」

「うるさいっ!飲まずにいられる訳ないでしょ!」

「…女子高校生に負けたからか?」


 激昂していた円が、一瞬にして大人しくなる。

 今回の円の彼氏は、円より二つ年上のサラリーマンだったんだが、脚フェチ野郎で、フェチが過ぎて女子高生に走って、相手の女を孕ませちまったらしい。

 で、円と別れる気配のない彼氏に業を煮やした女子高校生の方が、円に別れてくれと直談判に来て、キレた円がその彼氏を呼びだして事実確認した後に、その男を蹴り飛ばして引導渡して来たのがついさっきの出来事らしい。


「…あんなバカ男、性悪女にくれてやるわよ」

「あ、おい、それ俺の…」


 俺のロックグラスを横取りした円は、その中の焼酎のロックも一気に飲み干す。

 おいおい。そんなに酒も強くない癖に、空腹でそんなにいったら拙いだろ。

 けど、その言葉を俺は言えなかった。


「オニーサン!これも、もう一杯ちょうだい!」


 そう言って俯いた円の顔が、泣きそうだった。


「別に浮気なんてしても良かったのよ…でも、あいつはマナー違反だった。女子高生に二股かけて孕ませる様な真似して、妊娠の話されても、あいつ…私とは別れないって。女子高生に子供堕せって…」

「あの野郎、そんな事言ったのか?」

「女子高生にゴムなしで淫行するわ、『安全日だって嘘ついたのか!』って、女に責任擦り付けるわ、挙句に、そんな状況で『結婚したいのはお前だけだ。許してくれ』って、同じ口で、孕ませた女の子の前で言うのよ?」


 再び顔をあげて、俺を見た円は小さく笑った。泣きそうな顔のまま。

 いつにもまして重量級な修羅場だな、おい。


「そんな奴、警察…いや、直に要に突き出せ」

「…駄目だよ。それでなくても要は不良警官なんだから、そんなことで問題起こしたら懲戒免職になるかもしれないじゃない」


 確かに、要に突き出したら、合法ではなく非合法で野郎を社会的に抹消しそうだ。

 というか、やる。確実に。

 要の事が苦手で普段逃げ回る癖に、そうやって本人の知らない所で要を案じる可愛げのある円だから、要が溺愛しているんだが…何せその要の愛情表現が屈折し過ぎて、更に円が逃げる要因になっている事を、俺はあえて要に黙っている。


「それに、あの女子高校生、実際は妊娠してないと思うから」

「何だって?」

「女の感。相手の子、制服じゃなくて私服で人の会社まで乗り込んできたんだけど、踵の高い不安定なヒールの靴履いて、待合ロビーで煙草吸って、コーヒー飲んでたのよ?」


 いや、まず今日は平日だろ。学校どうした、女子高校生。

 しかも高校生が喫煙する事自体、違法だと思うぞ、俺は。けど、それの何が妊婦ではないという基準になるのか、俺には良く分からないんだが。


「それが、妊娠していない判断になるのか?」

「普通、妊娠してたら、ヒールの高い靴なんて転ぶと危ないから履かないし、煙草だって吸わない。コーヒーみたいなカフェインの多い物は飲まない。胎児に影響が出るから。本当に子供が出来て産む気があるなら、ネットでこの程度の知識は調べているはずだもの」

「お前は何で詳しいんだ?おまっ…だ、誰の子堕した!?」

「アホーっ!妊娠すらした事無いわよっ!友達が妊娠した時に、苦労話で聞いただけよ!」

「あぁ…」


 そうだな。円や俺の年齢になれば、ツレどころか自分が結婚して家庭を持っていても不思議じゃないんだよな。情報はそこかしこから飛び込んでくる…それにしたって、心臓に悪過ぎる。


「お前、分かっていてその嘘にノッたのか?」

「あいつ元から浮気症だったし、単に遊んで騙されてるだけだったら、赦そうかとも思ってたから。でも、あいつの本性見て、一気に冷めちゃった」


 店員が運んできた新しいビールジョッキを持った円は、そこでようやく不敵に笑った。


「それに…運が悪ければ一生、子孫繁栄望めない様にあいつの股間、蹴り飛ばしてやったから」


 酷く凶悪な微笑みを浮かべた円に、俺は思わず相手が受けたであろう衝撃を不意に想像して本能的に身が竦む。

 要の奴、ロクでもない事ばかり、円に仕込みやがって。円がどんどん、逞し過ぎる女になっていくじゃないか。

 こいつ、さっきの泣きそうな顔はどこ行った?って、傍目には思うかもしれないが、強がってるだけだ。長くこいつを見ていれば分かる。

 少しだけジョッキを持つ手が震えて、頬が僅かにひきつってる。

 俺はそれを気付かないふりをする。円は弱った自分を隠し通したいのだから。

 俺は新しく届いたロックグラスを持ち、円のジョッキグラスに軽くそれを当てる。


「ほら、奢ってやるから、思う存分呑め。呑んで呑んで、酔い潰れろ。さっぱり忘れて、また良い男探せ。お前ならすぐ男も見つかる」


 遺伝子レベルの異性運の悪さも、百%ではないから。ごく稀に、俺の親父みたいに結婚が上手くいく事例もある。円は、その微々たる可能性を持つ相手を探している。だから何度、最低な恋愛をしようが、男と別れようが、円は『諦める』とは言わない。

 恋愛の度、円が心に傷を負って悲しい顔するのは分かってる。駄目な男ばかりを選んでいく円の恋愛は、ことごとく巧くいかなない。いく訳がない。

 分かっていながら、俺は失恋したこいつの愚痴を聞く為に呑みに誘い、こうして新しい恋愛をするようにたきつける。こいつの恋愛を否定もしない。

 それが、毎回、円が俺に望む事だ。


「あーもう、その余裕な感じムカつくわぁ…でも、タダ酒ゴチでーす」


 既に酔いが回り始めている円は、ほんのり赤くなった顔でヘラっと笑ってジョッキを持ちあげると、今度は味わう様に呑む。

 そうして陽気に喋って、酔っぱらって最後にはフラフラになって寝落ちする。明日になれば、二日酔いで頭が痛いと唸りながら仕事に行って、根性で仕事を終えて泥の様に眠って頭の中から男への思いを消していく。

 そんな円を、俺はあと何度、傍で見れば良いのだろう。

 もう、俺は他の男に惚れて傷付く円を見たくない。

 なあ円。いい加減に、この役から降りても良いか?




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