愛するより愛される方が幸せって言うけれど…(1)
Round5 愛するより愛される方が幸せって言うけれど…
「ぶはははははっ!死ぬ!息、でき…んっ…俺、マジ…で…死…ぬっ!!」
三十七歳の大男は、少し早めに営業を終えたカフェの床に転がって笑い時に寸前の状況に陥っていた。
私は彼の間近で屈み込みながら、それを遠い目をして見ていた。頭にはフェイスタオルをターバン巻にしたまま。
「サネ、そんな死に方したら葬式に出ないわよー」
「ってか…まどか…頭、と…れ」
必死で笑いをこらえながら上半身を起こした従兄は、私頭を指差した。私はタオルを外し、まだ湿りを残す長い髪を適当に手で梳く。
髪を切りに行ったはずなのに、美容室のイケメン店長は息子大好きな魔王だし、わんこだと思ってた佐内青年はアブノーマルで、初めての美容室で私は変態みたいな発言されて、猛ダッシュで逃げてしまった。
シャンプー直後に、しかもコートもお財布も置き去りでね…。
で、逃げ帰った先は、笑われるって分かっていたけど、従兄の久保真幸の所だった。
事情を聴いた真幸が期待を裏切らない大爆笑をしてくれたおかげで、こっちは逆に冷静になれるんだけど。
「…やっぱ私、男運ないわ。壊滅的…しかも財布とコートも忘れてきちゃうし…最悪」
恋愛対象だけじゃなくて、もう知り合う男全般が駄目なのかもしれない。
それだけ佐内父子は、衝撃的すぎたわ。
恋愛する以前に、健全な交友関係を男性に対して築ける自信すらなくなってしまった。
「悪い、それに関しては俺もフォローの言葉がうかばねぇわ」
しこたま笑い続けて満足したのか、普通に戻った真幸があっさりとそう言う。
何時もなんとなく巧い言葉で慰めてくれる真幸でさえ、私にかける言葉がないってわかったら余計に凹むわ、自分。
膝に額くっつけて丸まっていじけていたら、真幸のグローブみたいにごつくて大きな手が私の頭を撫でてきた。
「後でお前の荷物を取りに行ってやるし、今晩、ヤケ酒するなら付き合うぞ?」
「ありがと…」
「ま、色恋になる前で良かったな?」
「……」
「まさか、さっきの今で惚れたのか?あんな出来事で?お前、どんな神経してんだ!?」
微妙な沈黙の後、真幸が私の頭から手を放して声を上げる。
私がそっと顔を上げれば、すぐそばに驚いた顔をした真幸が見える。「ありえねぇだろ、お前」って、真幸の表情がモノを言ってる。
うん。わたしだって、あんなことがあって佐内青年に惚れるほど脳内が恋愛ボケしてるわけじゃない。
「そんな訳ないでしょ……ただちょっと、もやってした」
「もやってなんだよ、もやって」
「佐内青年って、ちょっとズレてる感じのおバカで、一生懸命で、笑顔が可愛いから好きだったのよね。観賞用って言うか…恋愛とは全然違う気持ちだったはずなんだけど…」
「だけど?」
恋愛するときは自分が一目惚れをするのが常だったし、相手はどちらかというとイケメンタイプじゃない。私は手フェチで、ゴツゴツと節くれだった細めの指をした手に、いつも悩殺されるから、顔は二の次なんだよね。
しかも年上ばっかりで、年下なんて興味も全然なかった。それを思うと、佐内青年はかなり年下で、イケメンで、指はすらっと細くて範疇外。私は彼に一目惚れなんて全くしていないわけよ。
佐内青年と一緒にいて、予想外の行動にハラハラドキドキさせられて心臓に悪い思いはしたけど、それは恋愛からくる『好きで好きで胸が締め付けられて、幸せだけど切なく苦しい』感覚とは全然違うもの。
何より、少し前に公然羞恥プレイみたいな事をされて嫌な思いもしたけど、不思議と佐内青年の事は嫌いになっていない。腹の底が読めない魔王キャラの佐内父は、出来れば金輪際お会いしたくないんだけどね。
美容室で見た人を寄せ付けない冷たさを持った感じの彼じゃなくて、おバカな感じで人懐っこく笑って話してくれる彼でいて欲しいし、そんな彼を見ていたいって思う。
彼が笑っていられるにはどうしたら良いんだろうって、今はそればっかり考えちゃうの。
「なんかね、彼の性格がクセになるっていうか、噛めば噛むほど味が出るというか…」
「スルメかよ」
真幸が苦笑いをする。
「つまり、あの坊主の事を知るうちに気付いたら好きだったってことだろ?」
「…そうみたい。私、惚れっぽいのかな」
「いつも猪突猛進のお前にしてはずいぶん鈍い反応だな…おい円、お前以上のイノシシがいるぞ」
視線を入り口に向けた真幸につられて、振り返るようにそこを見ると佐内青年がいた。大きなバックを肩から下げ、手には私のコートを持っている彼は、引き攣った笑いを浮かべていた。遠くから見ても、黒い空気を垂れ流しなのが分かる。
「な、なんで居るのっ!?」
この雰囲気、まるで佐内父のようで怖い!思わず、真幸の背後に隠れて相手を窺う。
「マジでストーカーなんじゃね?」
真幸がサラッと怖いことを言うのを耳にしながら、目が合った瞬間、佐内青年は扉を開けて足早に私の傍まで歩み寄ると、体を屈めて私に顔を寄せる。
目が据わってる!据わってるよ、佐内青年!そして、体が小刻みに震えてますよ!そんなに怒りを我慢してる訳!?
「どうして髪を乾かしていないんですか!」
「え!?」
てっきり逃げたことを怒られるのかと思ったら、髪を乾かしていないことを怒られた!
「髪を洗いざらしのままにしたら、風邪ひくじゃないですか!癖だってつくし、髪が痛むんですよ!」
「あ、そ、そうだね…でもそれどころじゃ…」
ピクリと佐内青年の右の眉尻が吊り上る。
怒りが二十%は上がったよ、この人。髪の事になると人格変わるの!?
「それどころじゃ…なんです?」
「な、何でもないです!ごめんなさい!ここに、ドライヤーないんですっ!」
肩に下げていた大きな黒のバックから、ドライヤーを取り出した佐内青年は、私の腕をつかんで立ち上がらせる。
ってか、何でドライヤーなんて持ち歩いてるの!?
「僕の目の前で髪のお手入れを怠るなんて…そんな暴挙、許しませんからね?僕に任せてくれますよね?」
標的を捕えた捕獲者みたいな目で微笑まれても、困りますっ!
しかも聞いている割に、佐内青年は強制的な威圧を含んで拒絶を許さない雰囲気で、私は壊れた振り子人形みたいに頷くしかない。
表情が見える分だけ苦手な佐内父の時よりも更に、凶悪度が高い!
救いを求めるように真幸を見たけど、真幸はまた笑いのツボにはまってるし。おさまったと思ったら、「何なら、カットもすれば?此処、好きに使って良いから」とか言って、自分はさっさとキッチンに行って片付け始めちゃうし。
「こ、この裏切り者ーっ!」
普通、助けるでしょ、この状況!放置とかどう言う事っ!?
思わずキッチンに向かって叫べば、真幸の笑い声しか返ってこない。
「お姉さん…覚悟は良いですか?」
佐内青年が、まるで断頭台に案内するかのような雰囲気で、凄艶に笑った。
その表情が店長魔王に重なって、血の気が引いた。確かに二人は親子だけどね、まるでコピーみたいに中身がそっくり!
あの可愛い佐内青年はどこに行ったのよー。
「さ、佐内君!?き、君、キャラ違う…」
「気のせいですよ?」
いやいやいや、全然気のせいじゃないからーっ!その背後の黒い雰囲気が、私の毛穴を恐怖で広げまくりなんですってば!!
魔王ジュニアは、私の濡れた髪を一房手に取り、その髪に軽く口づけた。
「悪いようにはしませんよ…僕に身をゆだねてくれるならね…」
まるで悪役だから、その台詞!しかも、仕草が様になってるし、エロティックなんですけど!逃げたい。猛烈に逃げたいよっ!
「…何年、貴女を探したと思ってるんですか?逃がしませんよ?」
ひぃぃぃっ!心、読まれた!しかもそれ、君の心の声じゃないの!?
真幸はあてにならないし、佐内青年は魔王化して私には退路がない!
純真な佐内青年、今すぐ帰ってきてぇー!