氷の王子と魔王が棲むレイチェルで(前篇)
Round4 氷の王子と魔王が棲むレイチェルで
どうしてこんなことになったのか…
ただ今絶賛後悔中の御堂円、どっぷり厄年に浸る三十二歳。
私が今いるのは、近所の最寄り駅近くにある美容室『レイチェル』。店内は木目調の調度品と観葉植物が置かれたナチュラル感が溢れて、ほんわかしている。
入り口のウェルカムボードには、可愛い羊の絵が書いてある。地元では有名な美容室で、佐内悠里青年の勤務先でもあるのだけど…。
私、一人で待合の席で座っているだけなのに、何故だか店内の人たちの視線が痛くてしょうがないの。それもお客さんだけじゃなくて、店員さんもチラチラ覗き見る感じで、落ち着かない。
その大半は好奇に満ちているんだけど、女性客からはなんだか敵意のような刺々しい感情が含まれたものがひしひし伝わってくる。
「見世物じゃねぇよ!」
って、昔の癖で言いそうになっちゃった自分、まだまだ大人としての精進が足りないのかなぁ…。
一応、よそ様のお店だし、此処に私を連れてきた佐内青年の手前、お品の悪いことはやめようって、ぐっと我慢する。いや、必然的に我慢させられる状況が近くにある。
私を連れてきた当の本人は、私を放置して何をしているのかというと、少し離れた所で、店長さんに叱られていた。
この店長さん、顔立ちが佐内青年に良く似ている。百八十近い長身で、全体的に佐内青年をワイルドにした感じのイケメン。たぶん四十歳代で、佐内青年の縁者と思われ、さぞオモテになるでしょうって感じ。
だけどこの人、にこにこ笑いながら、柔らかい物腰で佐内青年を叱っているのに、黒いオーラを垂れ流しで、見えない獣に食い殺されそうな危機感がビシビシくる。
この人、めっちゃ怖い!
しかも、微かに漏れ聞こえるお説教が、理詰めで相手をやり込める私の苦手な感じで、変な汗が出てくるし。
絶対、口で勝てない!敵にまわしちゃだめだ。
そう即座に頭が働いて、余計な事を言わずに、ひたすら黙ってこの時間が終わるのを座って待っている。
この年になって、なんでこんな我慢大会の様な荒行をする羽目に…。
深いため息をついてふと視線を自分の膝元に向けて「あっ…」っと、声を漏らしてしまった。
目の前に広がるのは、紺色のソムリエエプロンに、黒の膝上スカート。淡い桜色のワイシャツ。
佐内青年に急かされて、真幸に渡されたコートを羽織るだけで、制服姿のまま此処に来ちゃった。
かろうじてお財布は真幸がコートのポケットに入れてくれたけど…店の制服は、店を一歩出たら浮くし、そりゃあちら見されるわよね。
佐内青年と店長さんとの話も長そうだし、お店も混んでて待ち時間も長いだろうから、今日はやっぱり帰って、日を改めよう…。
「御堂様?」
普段使わない頭をフルスロットルで回転させて結論付けた途端、頭上から低音の優しげな美声が聞こえて顔を上げた。
其処にはライトブラウンの髪をした年上の佐内青年…じゃなかった、店長さんが目の前に立っている。
…って、近っ!
なにこの、目の前が壁みたいな近さは。相手に身長がある分、見上げる自分の首の角度が鈍角すぎて辛い。一歩間違ったら、捻挫しそうだわ。
その隣をみれば、佐内青年がちょっとふてくされた顔をして立っている。
間近で並べて見ると、余計に二人が似ているのが分かる。
「悠里と松子が、貴女にご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした」
「あ、いえ…」
立ち上がりたかったんだけど、ほぼ目前に店長さんがいるので、座ったままでそう言葉を返す。この間近に迫ってくる空気が読めない距離感のとれなさは、佐内青年に酷似している。
この二人、絶対に親子だわ。
顔だけじゃ確信が持てなかったけど、今ので確信する。
「…もしかして、店長さんは佐内君のお父様?」
「ええ。佐内二朗と言います」
「道理でそっくりだと思いました」
「顔ですか?良く言われます」
「いえ、顔じゃなくて距離感が」
「距離感?」
不思議そうな顔をした店長さんは首を傾げる。
佐内青年もそうだけど、さすが彼の父親。見事なまでの無自覚だわ。
絶対、この空気の読めない距離感で勘違いした女子がたくさんいるんだろうなぁ…。容姿が良いから余計に。
「近すぎて立ち上がれません」
「あぁ!それは大変失礼しました」
オーバーリアクション気味に動揺したように、店長さんは後ずさりながら謝罪する。
注意したときの慌て方から表情まで同じなんて…佐内青年、中身は父親のコピー!?
そう思うと、何だかおかしくて頬が緩む。
「店長、いつまで他のお客様をお待たせるつもりです?さっさと戻って仕事してください」
目の前の空間が空いて、ようやく立ち上がれた私は、横から投げかけられた丁寧なのに冷たい物言いに、思わず佐内青年を見てしまった。
無表情に父親である店長さんを見ている佐内青年は、私が知っている彼とは全然違う。
硬質で冷たい雰囲気の彼に、店長さんは首を竦めて苦微笑を浮かべる。
「今日は一階を空けるのは難しいから、君はとりあえず二階を準備してきてきなさい。その間に、わたしが御堂様にシャンプーをさせていただくから」
「それも、僕がやりますよ」
「お客様をお待たせしない。それがうちのモットーですよ」
「…準備が出来次第、御堂様をお迎えにあがります」
「そうしなさい」
お仕事モードで会話する親子の間に、見事なまでの上下関係が見てとれて私は感心してしまう。同じ親子でも、真幸なんて、仕事で叔父さんを敬う素振りすら皆無だし…。
偉いよ、佐内青年。君の爪の垢を煎じて、真幸に飲ませてあげたいわ。ホントに。
その佐内青年は軽く店長さんに頭を下げた後、私を見て小さく笑うとサロンの奥にある扉の方へ歩いて行った。
ただ、私に向ける表情は優しいものなのに、店長さんに向ける表情は終始、無いに等しい。その違和感が拭えなくて、遠ざかっていく佐内青年の後ろ姿を目で追ってしまう。
もしかして突然、私を連れてきたことで、咎められて不機嫌なのかな。
完全予約制だとこの前、佐内青年からもらった広告にも書いてあったから、二階を用意しろって言うってことは色々支障が出てるのかも。
それだったらちょっと嫌かも。
ご指摘いただいた箇所を訂正いたしました。
謙譲語とか尊敬語とか…未だに苦手でよく分からないんですよね…精進せねば。