第5話 薬屋ジョーカー
中に入ると、そこは薄暗いがらくたの巣窟だった。
古い医療器具に、奇妙に曲がりに曲がった注射器の針。薬屋にあるはずのものとは程遠い錆びた騎士の甲冑に、何が入っているか分からない大きな古い壺。
天井からは鯨の髭がつる下がり、部屋の奥にはかろうじて分かる実験台と、大量の厚い本で埋まった客人用のソファーが目に見える。
「本当に不気味だな」
まるで小さな骨董屋のような店内は、足の踏み場もない。
「それは私にとって最高の褒め言葉だねェ。クスクスクス」
ジョーカーは椅子を二つと木製のテーブルを持ってくると、焼きたてのパンケーキと淹れたての紅茶をその上に置いた。
シュガーパウダーが振りかけられたパンケーキには、バナナやイチゴ、ブルーベリーがトッピングされ、さらにその上にはミントがのっている。
その横には生クリームが入った小さなクリーマーが置かれ、甘い香りを漂よわせていた。
「これ、ジョーカーが作ったの!? おいしそう!」
目を輝かせて尋ねれば、ジョーカーは嬉しそうに言った。
「そうだよ。私はこう見えてもお菓子作りが好きだからねェ。でも今日は隠し味を入れたんだ」
そう言うと、「クスクスクス」と笑う。その言葉を耳にしながら、「いただきまーす!」とぱくりと一口食べる。
口の中で甘いパンケーキの味と苺やバナナ、そして生クリームが調和された絶妙な味が広がった。
「おいしい……!」
嬉々とした表情を見せる私を横目に、
「……一応聞いておくが、これには何が入ってるんだ」
ウィルは若干怖ばった表情でジョーカーに尋ねた。
「体に悪いものは入っていないよ」
「その〝隠し味〟とかいうやつだ」
「知りたいかい? クスクスクス」
ジョーカーは愉快に笑う。
「もう、そんなこと言ってないで食べればいいじゃない」
(こんなおいしいものに変なものが入っているとは思えないもの……!)
ぱくぱくと最後の一口まで口に運んでいく私にジョーカーは言ったのだ。
「すり潰したミミズの粉末に子牛のよだれ、子羊の肝臓に、犬の耳糞を入れたかねェ」
店内が一瞬、静まり返った。
私は口に含んでいたパンケーキを戻しそうになるのを堪えて、一気に紅茶で流し込む。
(ミミズの粉末に犬の耳糞とかほとんど凶器じゃない…!)
逆にこの味のどこにその不気味な味を隠し切れたのが不思議なくらいだ。
ふうと一気に紅茶で流し込んだ私をウィルは哀れみの目で見据えた。
「おやおやおや、ただの隠し味って訳でもないんだよ」
ジョーカは黒い革の手袋をはめた手でチッチッチッチと人差し指を横に振る。
「この隠し味にはこの薬屋特製の特別な魔法をかけていてねェ。君たちにきっと役に立つと思うんだよ」
そう言ってジョーカーは、ウィルのパンケーキを指差した。
ウィルのパンケーキはショコラ生地にマスカルポーネクリームが添えられ、クリーマーにはハチミツが入っている。
ほんのりほろ苦いエスプレッソが香るそのパンケーキはとても美味しそうに見える。
しかし、隠し味を聞いてからというもの、食べたいとは思わない。
「ウィルくん、このパンケーキの隠し味には君の持っている魔力を最大限に引き上げる魔法をかけてある。食べないわけにはいかないだろう」
そうジョーカーが言うと、食べないつもりでいたウィルの瞳の色が変わる。
「君には、一刻も早く、魔力を上げなければいけない理由があるだろうからねェ」
呟くように言ったジョーカーに、ウィルが驚きの声を上げる。
「なぜ、それを――」
「私に君たちのことなんてお見通しだよ。クスクスクス」
その言葉に私は疑問の念を抱いた。
(なんのことだろう……?)
思わず首を傾げる私をよそに、ウィルは意を決したように座り直すと、食べ始めた。
「……味は、悪くないな」
そう言いながら静かに食べるウィルを見ていると、ジョーカーが私の目の前に緑色の液体が入った小さな小瓶を置いた。
その液体はぶつぶつと泡を吹き出しながら、発光していて、なんだかとても体に悪そうに見える。思わず、ひっと悲鳴を上げそうになるのをすんでのところでこらえた。
「これが君たちのお目当てのものだろう? 傷薬だ」
恐る恐る手に取った小瓶に思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
(シャルルは毎回怪我をする度にこんなものを飲んでいるのね……)
こんな不気味な液体を飲んで、ころっと死なないのが不思議だ。その不気味な小瓶をシャルルに届けるまで目に触れないようにワンピースのポケットの奥に放り込んだ。
すると、
「そういえば君たち、今大陸中で囁かれてる黒い噂を知っているかい?」
とジョーカーが思い出したように口を開いた。
「黒い、噂……?」
ウィルが怪訝そうに眉をひそめる。
「黒い噂といっても、怪奇事件なんだけどねェ。何でも月のない晩に決まって何人も若い女性が殺されるっていう連続殺人事件さ」
そのジョーカーの言葉に、
「え……!? そんなに怖い事件が起きてるの……⁉︎」
と驚きを隠せない。そんな恐ろしい事件が起きているなんて、これっぽっちも知らなかった。思わず背筋を震わせる私の横で、
「……ああ、確か今、黒騎士もシャルル兄さんも手を焼いてるあの事件か」
ウィルが険しい顔で呟くように言った。
「え、ウィル。知ってるの?」
「知ってるも何も、ここ最近、毎晩シャルル兄さんが騒いでるからな」
そう言って、なんだか疲れた表情でため息交じりに言った。
(黒騎士もシャルルも手を焼いてるっていうことは、相当大変な事件ってこと……?)
「ほんと、女性しか狙わないってのが悪趣味だよな」
ウィルがそう言って、厳しい顔つきで紅茶の入った陶器のカップを口に運ぶ。すると、
「でも、それが怪奇事件って言われるのは恐ろしい理由があるんだよ」
ジョーカーは空になったウィルのカップに新しい紅茶を注ぎながら、付け加えるように言った。
「恐ろしい理由、だと……?」
ウィルが訝しげな視線を送る。
「実はねェ」
ジョーカーは、「クスクスクス」と不敵に笑いながら、壁に立てかけてあった古い人体模型を抱きかかえると、人差し指で人体模型のちょうど胸あたりを指差した。
「心臓が、ないんだよ。どの遺体にも」
「心臓がない……⁉︎」
ジョーカーの言葉に素っ頓狂な声を上げる。
「ああ、綺麗に切り取られている。それも鋭利な刃物なんかじゃなくて」
ジョーカーはそう言いながら、骨の中に片手を突っ込むと、搔き回すような仕草をして見せた。
「―― まるで、手でえぐるように」
不気味に笑いながら真似て見せるジョーカーはそれなりに迫力があった。ゾクッと体が震える。
(……まるで、本当に魂を狩る死神みたい)
怪奇事件とは別の意味で、背筋を凍らせる私の隣で、
「……それは初耳だった。時の城お抱えの薬屋だけはあるな。兄さんに伝えておこう」
ウィルはそう言って何かを考えるように眉をひそませた。その言葉に、「そう言ってもらえて嬉しいよ」と微かに笑うと、
「じゃァ、血生臭い話はここまでにして。スペシャルターイム」
そう言って、ジョーカーは店の隅にあった棚の中からアップルグリーンの四角い缶を取り出した。その缶にはピンクの小さな小花がふんだんに描かれており、ラメが付いているのかキラキラしている。そんな可愛らしい缶を持つジョーカーの姿になんだか凄まじい違和感を感じた。
「……それ、なんだ?」
ウィルも不思議そうな表情でその缶を捉える。ジョーカーは、「クスクスクス。なんでしょうねェ」ともったいぶった様子でテーブルの上に缶を置くと、ぱかっと開けてみせた。
「わぁ……!」
その途端、店の中に香ばしい香りが漂う。アップルグリーンの缶の中には、まるで宝石のような上品でキラキラしたお菓子がぎっしりと詰まっていた。
「美味しそう……!」
「これはねェ、さっきバザールで買ってきたんだよ。数量限定って言うから、ついつい並んでしまってね。せっかくだから、一緒に食べよう」
そう言って、紅茶を入れ直すジョーカーに「え!? まさかその格好で並んだの⁉︎」と驚きを隠せない。
ウィルも私と同じことを思ったようで目を見開いている。そんな私たちをよそにジョーカーは、
「もちろん。買い出しのついでだったしねェ。クスクスクス」
と言って、紅茶を入れ直したカップを私の目の前に置いた。
(……さ、さすがジョーカー)
ジョーカーがお菓子屋さんの行列に並んでいるのを想像して、あまりの場違いさに吹き出しそうになった。
「そういえば、君たちは明日から王立魔法学校に通うんだろう?」
ジョーカーはかろうじて実験台だと分かる大量の本が置かれた机の角に座ると、クッキーを手に取った。
「ああ。俺とこいつは王家の者だからな」
「王家やその国の貴族たちは、別々に一貫教育を受けてからカーター王の魔法学校に入るんだったねェ。十八からご苦労なことだ」
クッキーを頬張りながら笑うジョーカーとウィルの会話に私は目を丸くした。
「えっ、明日から学校に通うの!?」
「おまえ、まさか知らなかったのか!? 今までさんざんバカ兄貴も通ってたじゃねぇか!」
ウィルが唖然とした表情で私を見る。
「だって、ノアに聞いても女の子と会話しに行くのとしか言わないし。シャルルはそんなの知らないっていうし。ルイはあそこは楽園だって言ってから、城に帰ってこないし。みんなどこに行ってるのか、分からなかったわ」
そう言った私に「そうだった……揃いも揃ってろくでもないやつばっかりだったな」とウィルは頭を抱えた。ノアやシャルルが学校に通ってるなんて、これっぽっちも知らなかった。
頭を抱えるウィルを横目に、
「王立魔法学校って、どんなところかな」
とクッキーを頬張りながら、王立魔法学校のイメージを頭に思い浮かべる。
「美味しいものがいっぱい食べれて遊べる楽しいところだったらいいんだけどなー」
「そんなわけあるか」
私の言葉にウィルは呆れたように息を吐くと、「おまえがすぐ悲鳴を上げそうなところだよ」と付け加えた。
そんな私たちの会話を紅茶を飲みながら聞いていたジョーカーは「クスクスクス」と笑うと、
「きっと最初の授業のメインは王国の歴史についてだろうねェ。――― 血染めの歴史、か」
と呟くように言った。
その意味深な言葉に、「何が言いたい?」とウィルが真意を問うように尋ねる。
「所詮権力のあるものが嘘で塗り固められた歴史を権力で正当化する。戯言だってことさ」
ジョーカーのその返答にウィルが眉をひそめたとき、再びカタカタカタと音が鳴った。
その音はジョーカーからしてくるようで、またあの骸骨が何かを知らせているんだと察した。
ジョーカーはローブの上から骸骨が入っているんだろう胸元の膨らみにそっと手を乗せると、
「おやおや。もう日が沈むようだよ。暗くならないうちにおかえり」
そう言って人差し指を扉へと抜けた。すると、扉が不気味な音を立ててひとりでに開いた。
(もう、夕方だったんだ……)
扉の隙間からは夕日の光が差し込み、薄暗かった店内を赤く染める。流れるように入ってきた冷たい風が私の頬を撫でた。
「ああ、そうするよ。これからジジィの頼まれごとがあるから。世話になったな」
ウィルはテーブルの上に傷薬分の硬貨を置くと、「ほら、行くぞ」と言って立ち上がった。私も残りの紅茶を飲み干すと、慌てて立ち上がる。
「じゃあな、ジョーカー。シャルル兄さんがまた怪我をするだろうから、近いうちに来るよ」
そう言って、ウィルは店の外へと出ていった。
その言葉に「まったくウィルくんのお兄さんは、傷を作るのが好きだねェ」と困ったように言葉を吐いた。
そんなジョーカーの言葉を耳にしながら、机の上に置かれたままのウィルのパンケーキのお皿に視線を落とす。
(そういえば、ウィルが魔力を今よりももっと引き上げなきゃいけない理由ってなんだろう)
そう疑問が上がるのと同時に、ふと思いついたことを口にする。
「ジョーカー。私の隠し味にかけた魔法って――」
その続きは言葉にならなかった。
ジョーカーが人差し指を私の唇に当てて、その続きを制したのだ。首を傾げる私にジョーカーは囁くように言う。
「君には少し強力な魔法を、ね」
その言葉には普段はあるはずのあの不気味な笑い声はなかった。妙にその言葉が胸に響いて、いつまでも心の奥底で燻っていた。




