修行
なんとなくの流れで、俺は本郷所長のもとで働くことになった。
ただ1か月は修行期間ということで、時給は最低時給だそうだ。
「相沢さんは、たしか2000円からと言ってましたよね」
と俺は尋ねた。
「相沢はな、初めから体力があったし、般若心経はあげられた。
お前はどうや」
と本郷所長は言った。
俺はスポーツも苦手だし、父方の実家が寺なのに、お経すら唱えたことがなかった。
「体力もないし、お経もあげられません。」
と俺は答えた。
「えっそうなの。般若心経は誰でもあげられると思ってた」
と相沢は目をぱちくりさせた。
「だからな。1か月は修行期間ということで、時給は最低時給からや」
と本郷所長は言った。
「体力ってどれくらいいるんですか?」
と俺は尋ねた。
「そうやね。相沢で今スクワット何回やってる?」
と本郷所長は言った。
「最近は100回くらいしかしてないわ」
と相沢は答えた。
「まぁ100回やってたら十分やな」
と本郷所長は言った。
「スクワット100回もやっているんですか?」
と俺は言った。
「がんばっていたときは300回くらいはしていたわね」
と相沢は遠くを見た。
「俺もや。でも300回とかやると、退屈なんだよな」
と本郷所長は笑った。
「そうそう。途中で回数がバグってくるし、ちょっと頭がアホになるわね」
と相沢は言った。
「まぁそういうわけで、とりあえず50回できるようにしろ」
と本郷所長は俺の肩を叩いた。
「いや。体力なんて別にいらないんじゃないですか?」
と俺は尋ねた。
「素人ね」
と相沢は笑った。
「素人だな」
と本郷所長は笑った。
「ちょっと、ちゃんと教えてくださいよ」
と俺は言った。
「あのね。霊に関わる人は、体力がないと、もっていかれるのよ。
わかるでしょ」
と相沢は真顔で言った。
「いやぁ、こいつは体力があったことがないから、わからんかもしれんで」
と本郷所長は頭をかいた。
「そうです。ずっと運動が苦手だったし、体力もないです」
と俺は膨れた。
体力がないというのは、ずっとコンプレックスだった。
「まぁ体力がないのは、コンプレックスになるからな。
あんまり刺激したくはないけども。
元気な時は、気持ちも安定するけど、
風邪ひいた時は、ネガティブになるやろ」
と本郷所長は言った。
「それはわかります」
と俺は答えた。
「それと同じや。体力があれば、ネガティブになりにくい。つまり霊にも負けにくい」
と本郷所長は言った。
「じゃあ、俺は体力がないから、霊につけこまれていた、みたいな感じですか」
と俺は尋ねた。
「あなたの場合、それだけじゃないわね」
と相沢は俺の背後をジロジロ見る。
背筋がぞっとする。
いったい俺に何があるというのだ。
「まぁでもな。体力がないのが、つけこまれる原因の一つではあるわ。
だからスクワットや」
と本郷所長は肩を叩いた。
「体力つけるのなら、腕立て伏せとか、腹筋とか、いろいろあるでしょ。
なんでスクワットなんですか?」
と俺は尋ねた。
「あんな。筋肉の60%は脚とかお尻に集中してるねん。つまりな、スクワットがもっとも効率よく筋肉量を増やすことができる。そして脚やお尻の筋肉がつくと、全身の筋肉がつきやすくなる。つまりや。体力をつけようと思ったら、スクワット一択やねん」
と本郷所長は言った。
なるほど、合理的に考えられているわけか。
「じゃあ、腕立て伏せとか、腹筋とかはしなくて良いんですか?」
と俺は尋ねた。
「趣味ならしたらいいけど、私たちの仕事的には、スクワットだけで十分だわね」
と相沢はあごをかいた。
「お前な。頑張り過ぎて、折れるタイプやろ」
と本郷所長はじっと俺の目を見た。
見透かされてる。
そう感じた。
「そうですよ。悪いですか?」
と俺は尋ねた。
「別に悪くはないけど、もったいないよって思うだけや」
と本郷所長は言った。
「でも、じゃあどうやればいいんですか?」
と俺は尋ねた。
「神原。お前、シャーペンの芯出すとき、何回ノックする?」
と本郷所長は尋ねた。
「3回くらいですけど」
と俺は答えた。
「折れるわね」
と相沢はため息をついた。
「あのな。シャーペンの芯は1㎜程度で十分やねん。
だからノックは一回や。ほらシャーペンあるから、書いてみ」
と本郷所長はシャーペンを俺に渡した。
ノックを1回だけし、実際に書いてみる。
「たしかに書けます」
と俺は答えた。
驚いた。これまで3回くらいノックするのが当たり前だと思っていた。
「3回のノックやとな。芯が折れやすくなるねん。でも1回やと折れにくい。
これはやる気も同じや」
と本郷所長は言った。
ノックが3回だと折れやすい。
やる気も同じ……、
どういうことだ。
「言っている意味がわかりません」
と俺は答えた。
「うんうん、私もわからない」
と相沢はうなづいた。
「えっ、マジで。ものすごい良い例えやと思ったんやけどな。
やる気も、シャーペンの芯も、一度に出し過ぎると、折れやすい。
でも少しずつ、やる気を出すと、長く続けられる。
そういうことや」
と本郷所長は答えた。
「わかりました。じゃあ、やる気は出し過ぎないように、ちょっとずつ出します」
と俺は言った。
「他に質問はあるか?」
と本郷所長は尋ねた。
「具体的に修行って何をするんですか?」
と俺は言った。
「そうやな。まずは相沢について回って、仕事を覚えるやろ。
あとは毎日スクワットと、1日10回の般若心経やな。
それだけや」
と本郷所長は答えた。
「それだけですか。ずいぶんシンプルなんですね」
と俺は言った。
「そやな。ミニマムやろ。般若心経とスクワットは基礎ベースみたいなもので、あとは業務を覚えていったら良いってことやわ」
と本郷所長は笑った。
「あの……、霊から身を守る方法とか、そういうのは?」
と俺は尋ねた。
「体力ね」
と相沢は笑った。
「そうやな。体力やな」
と本郷所長は同意した。
「なんか、特別な結界とか、そういうのないんですか?」
と俺は尋ねた。
「あのね。本郷ちゃんが、そんな危険な職場にあんたみたいな子を派遣するわけないでしょ」
と相沢は言った。
「そうや。安全性が確認されている職場だけやから、結界なんか別にいらんで」
と本郷所長は笑った。




