表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

工場

ファッションビルの灯りを背にして、歩きはじめる。


二十分ほどで、街の顔は変わった。


最初に現れるのは、静まり返ったオフィスビル群だった。

昼間の気配を失い、ガラスの壁は灰色の空をぼんやり映している。

人影は少なく、足音だけが通りに響く。


さらに歩く。


やがて、建物の形が変わった。

背の高いビルの代わりに、低く横に広がる建物。

鉄の門、錆びたフェンス、太い配管。


工場が並ぶ地域に入っていた。


空気が少し重い。

遠くで機械の低い音が鳴っている。


街は、もう完全に別の表情をしていた。


「どこまで行かれるんですか?」

と俺は尋ねた。


「ちょっと待ってな」

と本郷所長はスマホを取り出し、どこかへ電話をしだす。

「工場の近くに来てるんやけど、今日はどこにおる?」

誰かと話している。

「わかった。じゃあこっちまで来て」

と言った。


「誰か来られるんですか?」

と俺は尋ねた。


「相沢っていうな。ここら一帯を見てる奴や」

と本郷所長は答えた。


ここら一帯を見てる奴ってどういう意味だろう。

俺は考えていた。


3分ほど経つと、

スキンヘッドで、強面の男が一人近づいてきた。

こっちに手を振っている。

あれが、相沢という人か?


「おぉ。すまん、すまん」

と本郷所長は手を振る。


「こいつは神原。うちで面倒みるからよろしくな」

と本郷所長は言った。


決まっているように言われることに多少躊躇したが、

もうあらがうのをやめた。


「神原です。よろしくお願いします」

と俺は頭を下げた。


「なにこの子、可愛いじゃない。よろしくね。相沢よ」

と相沢はウインクをした。


キャラにギャップがあり過ぎる。


「それで、今日は何の仕事をしてた?」

と本郷所長は尋ねた。


「今日は、印刷所のところの霊が、締め切りが怖いって暴れてたから、さとしてきたの」

と相沢は答えた。


「あぁあいつな。ひさしぶりだな。1年くらい大人しかったのに」

と本郷所長は顎をかいた。


「そうなのよ。

たまたま、持ち込んだ同人サークルのメンバーと霊が相性が悪かったんでしょうね」

と相沢は言った。


「そうか……それで、その同人サークルのメンバーには、何もなかったのか?」

と本郷所長は尋ねた。


「そのメンバーの子。結構トラブルメーカーらしくって、色々憑いてたんだけど、まぁ特に問題なかったわ」

と相沢は答えた。


(ぴゅーバタン)

相沢の来た方角から大きな音がした。


「おい相沢。あれ……」

と本郷所長は尋ねた。


「またあの子だわ。ちょっとゴネだした。私、見に行ってくるわ」

と相沢は来た方向に戻っていく。


午後六時半。

工場街の奥まった通りに、ひときわ小さな建物があった。


薄汚れた印刷所。

外壁はくすみ、看板の文字もところどころ色が抜けている。


工場の巨大な建物に挟まれて、

そこだけが取り残されたように建っていた。


入口の脇に、手書きの板が立てかけてある。


――「同人誌歓迎」


その文字は、なぜか勘亭流だった。

芝居の看板のように太く、妙に力の入った筆致。


古びた建物の前で、

その言葉だけが、妙に浮いて見えた。


「俺らも行こう」

と本郷所長は言った。


「はい」

と俺はうなづいた。


(ぴゅーバタン)

印刷所では、アルミ製の扉が開いたり閉まったりしている。

その傍らには黒い影があった。


どうもその影が、

それが扉を操作しているようだ。


「ちょっと……どうしたの?急に不安になった?」

と相沢は黒い影に向かって語りかけている。


どう見ても奇妙な光景だが、

印刷所のスタッフは誰一人特に気にもしていないようだ。


一人霊に語りかける相沢と、印刷所のスタッフのコントラストが、不可思議に感じた。


「皆さんにはこの現象が視えていないのですか?」

と俺は尋ねた。


「いや見えてるし、気付いているよ」

と本郷所長は答えた。


「ではなんで平然としているのですか?」

と俺は尋ねた。


「例えば、スーパーで、ある店員がクレーム対応をしているとする。

ほかのスタッフはそれを気にしてチラチラ見たりするか?」

と本郷所長は尋ねた。


「いえ、しません」

と俺は言った。


「それと同じよ。私たちは霊専門のクレーム対応部署みたいなものよ」

と相沢は笑った。


「もう治まったのか?」

と本郷所長は尋ねた。


「おはぎで手を打ったわ」

と相沢は答えた。


「じゃあ、いつものように領収書を頼むぞ」

と本郷所長は言った。


相沢はうなづく。


「おはぎってなんですか?」

と俺は尋ねた。


「あぁ、この霊はね。おはぎが好きなのよ」

と相沢は答えた。


「交渉はいるけどな。だいたい霊の好きなものをやると、治まるんだわ」

と本郷所長は言った。


「交渉って霊と話すんですか?」

と俺は尋ねた。


「話すって言い方は、少し伝わりにくいわね。実際、会話はしないから」

と相沢は腕を組む。


「どういうんだろう。話さなくても、目と目で伝わる愛みたいなのがあるだろ」

と本郷所長は答えた。


「そうね。私達みたいに」

と相沢は本郷所長の肩に頭を傾ける。


本郷所長は笑っている。

本気なのか、冗談なのか、まるでわからない。


「テレパシーとか、感覚的にわかるってことですか?」

と俺は尋ねた。


「そうね。感覚的にわかるってことよね」

と相沢はうなづいている。


「あとは場数で、答え合わせだよな」

と本郷所長は答えた。


「じゃあ、読み違いとかも、あるんですか?」

と俺は尋ねた。


「そうよ。初めて受け持つところはね」

と相沢は言った。


「この初めのすれ違いを調整するのが、うちらの業界で、クラッチをあわせるって言うねん」

と本郷所長は答えた。


「クラッチをあわせるですか……」

と俺は呟いた。


「そうよ」

と相沢は言った。


「こういう仕事を君にもやってもらうんや」

と本郷所長は俺の肩を叩く。


「しかし経験ないし、そもそも大学生ですよ。フルで勤務とかできませんし」

と俺は言った。


「受け持ちの場所が少なければ、特にやることのない仕事よ」

と相沢は答えた。


「そうやな。相沢も巡回しながら、落語のテープとか聞いてるもんな」

と本郷所長は言った。


「もう、いじわる。だって暇ですもん。落語のテープくらい聴くわ」

と相沢は本郷所長をつついた。


「あの、時給とかおいくらくらいなんでしょうか?」

と俺は尋ねた。


「相沢で今いくらやった?」

と本郷所長は言った。


「2,000円からスタートして、今で4,300円」

と相沢は答えた。


「そんなに貰えるんですか?」

と俺は尋ねた。


「受け持つところが増えたら、もっと増えるで」

と本郷所長は笑った。


俺は計算する。

時給4000円として、一日8時間労働、週休2日で年に768万。

4500円なら、一日8時間労働、週休1日で年に1036万。


「時給4500円で、一日8時間労働、週休1日で年に1036万になりますね」

と俺は興奮して言った。


二人は笑い出す。

何がおかしいんだ?


「まぁ計算は間違ってない。たしかにそうや。でもな、案外ハードやねん」

と本郷所長は笑った。


そりゃそうか。

ほんの数時間前まで、霊のせいで、地獄にいるように感じていたのに。

それで稼げると知ったことで、こんなにも浮かれてしまっている。

浅はかだったかもしれない。


「考えが甘かったかもしれません」

と俺はうつむいた。


「やっぱりあなた可愛いわね。少し甘いかもしれないけど、そのスイートさは大事になさい」

と相沢は笑った。


「要は効率化が上手くいけばいいだけやからな。

うちとしては、問題を起こさなければ、年収1000万でも2000万でも稼げるポテンシャルはある。

まぁ励めよ」

と本郷所長は笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ