1 揺れる雑音
意外と見当たらないジャンルだから自分で書きました。
自分に全く才能がないとは思わないし、他人よりも恵まれている環境であることは否定しない。
ただその才能に満足しているか、そして自分の人生を賭けるほどのものであるかは、それとは全く別なのだ。
世の中は上を見れば見るほど、いくらでも上はいる。
そしてそのずっと上に立つ姿を一度でも、本気で目指してしまったこと。
人生の初期にそのレベルの音楽が身近にあったことは、その後の運命を呪縛したものであると思う。
タイマーセットしたスマートフォンから、クオリティの低いパイプオルガンの音が流れる。
顔の下が固いのを感じて、昨日も床に寝落ちしたことに気づく。
またコンペに落選した衝動のままに、新たな曲の作成にかかっていた。
当然作られたものは、クオリティもお察しのものである。
廃棄予定フォルダに突っ込んで、新しい一日を始める。
感情のままに作られたものが傑作になるという、そんなドラマチックな展開はありえない。
睡眠時間はおよそ四時間半であっただろうか。
防音室からアコースティックギターを片手に、キッチンへと向かう。
冷蔵庫からトマトジュースを引っ張り出し、コップに注いで流し込む。
最低限のエネルギー補給は完了した。
まだ紫色の街は、東京の中ではあるが喧騒が少し遠い。
重たい足運びで、川原にまで足を運ぶ。
その場に座り込むと多摩川を眺めながら、ギターの弦を爪弾き始めた。
赤ん坊が生まれてくるのは、明け方が多いと聞いた気がする。
この朝になりきれていない時間帯に、生まれるものが他にあるのか。
大気の中にある、まだ形になっていない音楽。
それを探りつつ、コード進行からメロディーラインを紡いでいく。
それは途中から、どこかで聞いたものに変わっていってしまった。
「駄目か……」
都合よくインスピレーションなど湧いてこない。
何を作ろうとしても、継ぎ接ぎの歪なものになっていく。
才能がない、と言ってしまうべきであろうか。
音楽の才能は多分に感覚的で計測出来ないものであると思う。
頭で考えすぎている自分に、それが欠けていると思えなくもない。
そしてあっさりと諦めてしまうには、もう自分は音楽に魅了されすぎている。
「くそ……」
ギターを担いで家に戻る。
その背中を、朝焼けの太陽が照らしていた。
まだ何者にもなっていない、渡辺俊という、青年の背中を。
東京明和音楽大学。
都心のビルを一つ丸ごとキャンパスとした、一般に大学と言われて思い浮かべるのとは、違う形の大学であろう。
もちろん旧来のように歌唱や演奏の技術も学ぶが、音楽をして食べていくのではなく、音楽に関わって食べていく将来を見越したカリキュラムがある。
そのため入試も筆記試験のみであり、実技がない学科がある。
もっとも音楽知識に関しては、当たり前のように求められる。
力を入れているのは現代音楽の中でもポップスの類であり、マーケティング論やゲーム音楽などのプログラミングの授業もある。
さらにはデザインまで講義があるので、その卒業生には音楽業界ではなく、大手広告代理店や、音楽事務所でもマネージャーなどに就職する者も少なくない。
音楽大学と言ってはいるが、実際にはそれに付随する映像やフォトまでもが習得できる。
食っていける人間を輩出するというのがモットー。
ある意味ではとても、良心的な大学だと言えよう。
それでも音楽で食っていくことが、才能と執念が表現する創作の世界で、良心などあまり意味がないとも思えるが。
学科や専攻は様々な分野に分かれているが、俊が所属しているのは現代音楽作曲科。
ちなみにこの学科は入試に実技も必要であった。
講義の受講中にはノートPCを使い、カバー曲のアレンジをずっと続けている。
試験にさえパスすれば、授業中は何をしていてもいい。
そういった環境においては、能動的に動く者が、どんどんとスキルを増やしていく。
講義の課題は最初の10分で終わらせ、残りは自分の作曲に時間をかける。
さて、次は講義もないので約束を果たす時間だ。
そう思って席を立ったところへ、背後から声をかけられた。
「おっす俊、頼んでたのいいか?」
俊の悪友である朝倉が、いつも通りの腑抜けた顔で笑っていた。
俊は用意していたメモリを渡す。
「これも配信自体はしてるから、他に流すなよ」
「サンキュ。それともう一つ頼みがあるんだけど、今日の夜空いてね?」
「空いてないが空けることは出来る」
それを空いている、というのではなかろうか。
「うちのベースが季節外れの風邪引いて、ヘルプに入ってほしいんだよ」
「いいけど、曲は?」
「オリジナルから『スイートリトルペイン』に『グリード』で、あとカバー曲で『千本桜』だけど、出来るよな?」
「ベースなら問題ない」
「良かった。なら打ち上げはこっちもちで」
「箱は?」
「CLIP」
「またあそこか」
「対バンが集まりやすいからな」
「だけどあそこ、集め方無茶苦茶だろ」
「贅沢は言ってらんないの」
俊は一通りの文句は言ったが、それでも要求を拒否はしない。
「リハは?」
「CLIPでは出来ないから、大学のスタジオ四時から借りてる」
「じゃあ俺はベースだけ持っていけばいいんだよな?」
「大学には一応あるけど、それ持っていくわけにはいかないしな」
「スケジュールがタイトだな」
交渉はまとまった。
俊は次の講義へ移動しようとしたが、朝倉のバンドのメンバーが変わっていることに気づく。
「ボーカルは?」
「ちょっとあってな。この子が新ボーカル」
「よろしくね」
「ああ」
朝倉のバンドは、よく男女関係でメンバーの入れ替えが多い。
そのあたりがなければレコード会社からも、もうちょっと信頼はされるのかもしれないが。
「じゃあ四時に」
そう言って立ち去る俊を見送ってから、新ボーカルの女子が朝倉に尋ねる。
「渡辺先輩って作曲科なのにベースも弾けるの?」
「ベースも弾けるっていうか、色々出来るんだよ、あいつは。本職はピアノらしいけど、ギターも俺より少し下手な程度には上手い」
「作曲科なのに?」
「作曲科なのに」
作曲科の場合、入試の実技にピアノが含まれる。
今時ピアノが弾けなくても、作曲をしている人間は多い。
だがそこはさすがに音大と言うか、クラシック方面の学科には、ピアノの素養が必要とされるのだ。
現代音楽に舵を取っていながら、思い切れていない内容であろう。基礎だから、とも言える。
「ピアノが弾けてギターも弾けてベースもか。器用だね。他には?」
「あとドラムに、ロックじゃないけどヴァイオリンも弾けるんだよな」
「ええ~、すごい音楽一家っぽい」
「まあ家のことはあんまり話さないけど、かなり金持ちっぽいことは確かだな」
そんなことは言いつつも、芸術系の大学に進んでいる時点で、この場の人間は実家が太いことは間違いない。
「ボンボンでとっつきにくいけど、なんだかんだいいやつではあるよ」
それがまさにボンボンである朝倉の、渡辺俊という同級生に対する見方であった。
朝倉の組んでいるバンドは、基本的にスタンダードな構成のバンドである。
ギター、ベース、ドラムにボーカル。
以前にはギターボーカルがいたのだが、これがバンド内の人間関係で離脱した。
もったいないことだな、と俊は思った。
かつては自分も所属していて、作曲に専念したいから、と正式なメンバーからは外れたのだが、今もそれなりに良好な関係は保っている。
俊は客観的に物事を見れるか、というとあまり自信はない。
だが音の絶対的な価値は分かると信じている。
朝倉たちのバンドは、特にギターの朝倉の存在感があるため、インディーズレーベルからの声がかかったこともある。
ただそこでも人間関係が問題だったり、朝倉の女性関係が問題で、チャンスを逃している。
朝倉は色々と問題があるが、分かりやすい天才タイプのミュージシャンだ。
あれについていけば、デビューまではおそらく出来たのかもしれない。
彼のフォローをし続けるのにさすがに疲れたのと、デビューするだけが俊の目的ではなかったのが、袂を分かった理由だ。
インディーズでも立派なレーベルは多く、むしろ今は音楽性を追及するなら、そちらの方がいいというものまである。
俊の目指すところはそこではないが、音楽で食っていくためにはレーベルに所属するというのは、人脈を広げる上で悪いことではない。
むしろ単純に売れるのではなく、人脈形成こそが重要とさえ考えることもある。
だからヘルプにも入るのだ。
このバンドの華は、朝倉と新しいボーカル。
それを確認すれば、あとは本番を待つだけだ。
「渡辺先輩、簡単に合わせてきますよね」
ボーカルである清香が、誉めるような口調でそう言ってくる。
「自分で作った曲を、弾けないわけないだろ」
あれ? という顔を清香はして、朝倉の方を見る。
「あ~、俺の課題曲、俊に頼んでやってもらってんだ」
「……それじゃ作曲能力つかないじゃないですか」
「でも俊の方にもメリットはあるんだ」
「ネットでも発表して少しは配信が伸びて金になってるからな」
「え、Yourtubeとかですか?」
「まあそれもある。カタカナでサーフェスって名前」
ほうほう、と目の前で検索を開始する清香。
容赦のないことだ、と俊は思うが別に構わない。
「あ、登録者3000人もいるんですね。ひょっとしてそれなりにお金になってません?」
「まあ少しは」
ボカロに歌わせて、多ければ10万回以上も聴かれている。
おかげで収益化はしているのだが、それだけで食っていくほどではない。
音楽で食っていくというのは、昔に比べれば随分と、その手段が増えたと言われる。
本業を持ちながらもネット配信などで、副収入を得ている人間など昔はいなかっただろう。
かつてはライブが音楽の最先端のシーンであった。
バンドブームというのは定期的にあって、そこからスターは生まれていったものだ。
今もそのルートがないわけではないが、かつては露出する機会のなかった才能が、ひょっこりと出てくる環境になっているのも確かだ。
音楽業界というのは、単純に曲を作って歌詞をつけて、演奏して歌うだけではない。
その周辺の環境を整えることも、立派なマネジメントの仕事となっている。
だが俊は、音楽を作って届けることを、自分自身がやりたいのだと考えている。
単純な技術で業界に入りたいわけではない。
目指すのは、もっと先にある景色だ。
しかしそこを目指せるのは、それこそ本当に才能に恵まれた一握りの人間であるのだろう。
「千本桜もかなりアレンジしてあるのに、すぐに合わせてきたし」
「それも実はあいつの編曲だったりする」
「……朝倉さん、何をしてるんですか?」
「リーダー」
そうあっけらかんと言ってしまうところが、朝倉の美点かもしれない。
間違いなくカリスマはあるのだ。
渋谷にあるライブハウスCLIPは、かなり嫌味を込めてこう呼ばれている。
節操のない場所であると。
だいたいライブハウスにはその店独特の色があり、拠点としているバンドがあるものだ。
それでなくてもバンドの系統が決まっている店はあり、普通ならロック系だの、または初心者から脱した程度のバンドだの、そういうのが出るところもある。
対してCLIPは無節操に時間を埋めるので、おかしな組み合わせになったりする。
「ポップスにロックはともかく、ジャズにアイドルか……」
どういう客層を考えているんだ? と俊は不思議に思うし、これで集客するのはそれなりに難しい。
ライブハウスのオーナーは、道楽でこれをやっているのだというのは、本当のことなのだろう。
「で、アイドルがトリなのか?」
「あっちはライブの後、イベントまでするからな」
「アイドルね……」
クソのようなものだな、と思ってはいたが言わない俊である。
俊の価値観的に、アイドルソングには音楽的な芸術性は一切感じない。
もちろん音楽の裾野を広げていくという意味で、歌いやすい歌があるというのは許容する。
音楽のマーケットを広げること自体は重要だからだ。
だがもし自分の作った曲が、アイドルに歌われるとしたら。
適当に作った曲であっても、クレジットに名前が載るのは嫌である。
アイドルに誰が歌っても素晴らしい曲を提供するというのは、罪であるとすら俊は思っている。
音楽というのは純粋にそれだけのもので価値を示すべきで、60年代から70年代にかけてあったような、欧米での過激なライブパフォーマンスすら、俊は嫌悪感を抱いている。
実際にあれは、若者には支持されたかもしれないが、それはあくまで時代の世相があったからこそ。
今の音楽のパフォーマンスというのは、ライブが絶対なわけではない。
朝倉はパフォーマンスにわざとらしさはあるが、やはり華のある演奏はする男だ。
もっとちゃんとしたバンドを組むべきだろうなと思うが、自分がそれに正式に参加したいとは思わない。
大学のスタジオから一度家に戻って、自前のベースを用意し渋谷に向かう。
CLIPは小さな箱であるが、意外と歴史だけはある。
日本バンドブームの折に、パンクロックの伝説的なドラマーであったという店主がいて、面白いと思ったミュージシャンなら誰でも何でもやらせる。
また時にはバンドによるセッションもしたりするらしいが、三味線をロックバンドにぶち込んだという話もあった。
意外なほどに受けていたと言うか、三味線を使ったロックはそこまでおかしいものでもない。
この小さな箱から、大成功したミュージシャンもそれなりにいる。
趣味でやっているこのライブハウスは、まさに玉石混淆。
今日のライブの中にも、高校生のバンドまであったりするという。
だが大々的に告知しているのは、朝倉のバンドとアイドルユニットの二つである。
「メイプルカラーって、ギター素材から考えたのかな?」
俊の問いにも朝倉のバンドメンバーは、答えを持たない。そもそもアイドルには興味がない。
ナチュラルにアイドルを下に見ていて、それは全員に共通の認識である。
そしてそれは俊も同じことである。
アイドルの歌は音楽ではなく、アイドルの一部と考えている。
あれは音楽が付随したものであって、音楽そのものではないのだ。
ただそういった偏見と、客観的な評価は別である。
「ルックスとイメージマーケティングはいい感じかな」
ポスターには五人の美少女が微笑んでいる。
ただ一人だけ、ちょっとサイズが上に違うのがいるが。
「アイドルって小さいイメージがあるけどな」
朝倉の呟きにも、俊は自分なりの答えをすぐに返せる。
「マーケティング的にイメージが違うのを揃えておくんだろ。グループなら一人にファンがついているなら、全体にファンが付いているのと同じだ。まあ数が多くなりすぎると、それはまた違うんだろうが」
アイドルには興味はないが、その売り出し方についてなら、饒舌になる俊である。
巨大アイドルグループがチャートを席巻した時代は終わった。
いまだにCDだけは売れるらしいが、それが音楽シーンを席巻しているとはとても言えない。
今はそれぞれ個性がある時代なのだが、それでもアイドルはアイドル、という限界はあるだろう。
どのみち今は関係のないことだ。
控え室をアイドルグループが使うため、俊たちは通路を使わされている。
別にそれでも構わない、と思えるのが俊であるが、朝倉は気分を害しているようであった。
(まあ客層は被ってないし、こっちはこっちでやるだけだ)
そしてステージの準備が終了し、ライブが始まる。
テクニカルなオリジナル二曲の後、紅白でも歌われたメジャーソングを多少ロック調にアレンジしたもの。
特にピアノ部分をギターアレンジしたソロは聞きごたえがある。
オーディエンスはそれなりに盛り上がったが、かなりの部分は客層が違う。
ドルオタというのを俊をはじめとするロックバンドなどは、アイドル以上に嫌悪したりすることがある。
単純に歌が下手であるのと、そのくせ同じ音楽分野の領域にあるため、リスナーの時間を食う。
実際は実力派のアイドル歌手もいるのだが、そういう売り方をすること自体を嫌う、主観的に音楽に真摯である人間は多い。
ただロックにしても、クラシックやジャズのジャンルからは、ただの騒音と思われたりもする。
ビートルズでさえ、騒がしい音楽だと嫌う人間はいるのだ。もっともイエスタデイだけは普通に受け入れられたりする。
ステージをしっかりと盛り上げて終わったが、後ろの壁で待機しているドルオタどもの熱意に水を差すことはなかったようだ。
前の客層が入れ替わり、ペンライトを持った男たちが前列にやってくる。
それを遠くから俊は眺める。
「こっち方面、興味なんてあったっけ?」
「興味はないが、どうせなら見ておきたい」
聞くではなく見るなのだな、と朝倉は苦笑する。
インディーズからそれなりに注目されている朝倉たちなどからしたら、アイドルにしても地下アイドルなどというのは、音楽シーンにさえ分類されないのだろう。
実際のところそのビジネスモデルは、音楽を売っているというものではないと思う。
キャラクターに付随して音楽があって、キャラが主役で音楽はあくまでも脇役。
物販などで儲けを出しているらしいが、こんな小さな箱でやっているのでは、果たして利益が出ているのか。
(まあ儲かるのは上だけだと思うが)
アイドルなどの寿命は短い。
その一瞬の輝きを消費される偶像たちが、機材を撤収させて広くなったステージに出てくる。
当たり前なのかもしれないが、一部を除いて他のメジャーアイドルグループのカバー曲ばかりである。
ダンスの構成もおそらく振り付けは元のグループのものではないのだろうか。
「昔の曲ばっかりなのかな?」
「まあ昔はこれが街中に流れてたしな」
「そういやそうか」
五人組の衣装はそれぞれの色に分かれているらしい。
三原色に緑と紫で、分かりやすいことは分かりやすい。
人気もはっきりとしていて、長身の紫色が一番人気はないらしい。
(そういやこの曲、一箇所だけハイトーンで難しいところがあったっけ)
裏声を使って、ようやく出している部分で、聞き苦しいことこの上なかった。
基本的には順番に、それぞれがソロのように前面に出て、他のメンバーでそれのコーラスを歌うようにしている。
しかしあの部分を割り当てられたメンバーは大変だろうな、と俊はのんびり考えていた。
紫のカラーのスカートを翻し、彼女はどこかぎこちなく前に出た。
瞬間、その体が一本の柱のようになったように見えた。
そしてマイクを通して出した、その歌声。
(クリアなハイトーン)
それはアイドルと言うよりは、もっと別の代物。
耳だけは肥えた俊をして、可能性を感じさせるものであった。
批評をやめて目を閉じ、アイドルの歌に聞き入る俊。
朝倉はそんな俊の姿を、何度か見たことがある。
「どうした?」
俊は両手を耳の横に当てて、音を細かく聞き取る態勢になった。
(イノセントとか言ったらいいのか? 簡単にハイトーンを出して、わずかに残るこれがキャラクターになるのか)
アイドルになど、俊は全く興味がない。
だがアイドルをやっている、歌の上手い人間に対しては、強い興味を持っていた。
三話までは一日に投下します。
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