幻想フラグ 1-3
復活の呪文
「ハァ……ハァ……なあ、もう良いだろ?」
「だ、ダメッス……」
「フゥ……フゥ……なんでさ」
「だって、恥ずかしいじゃないですか」
とある本の前で押し問答する男女が二人。言わずもがな、俺と無花果さんである。
なんか傍から見たら如何わしい感じに聞こえるけど、俺の息が荒いのはまだ体力が回復しきってないだけなんだよな。か、勘違いしないでよね!
……この本屋があまり人の居ない店で良かったわ。下手をすると通報されていた気がする。
「ゼェ……ハァ……」
「あの、大丈夫ッスか?」
「も、問題ない……」
「そうは見えないんスけど」
なんとか足の速さは勝っていた為、無花果さんに本屋付近で追いつく事は出来たのだが……。俺が青息吐息の割に君は全然平気そうだね?
作家って体力がない物だと思っていたんだけど、あれかな。何かトレーニングでもしていらっしゃる? 修羅場を制するには何においても体力が大事とかいう教訓でもあるんだろうね、きっと。そうに違いない。
「無花果さんは」
ふぅ。やっと呼吸が纏まってきた。
「なんスか?」
「ジムとかに通ってたりするのかな?」
「行った事ないですけど……」
「じゃあ、家で身体を鍛えていたり」
「や。特に何もしてないッス。そんな暇あるなら手を動かしているので」
「ふむ」
という事はなんだ。
素の状態で、彼女は俺より体力があるとでも言うのか?
一瞬、俺が転生前のおっさんだった時の体力を引き継いでいるのかと思ったけど、体育祭の競技は普通にこなせたしなあ。
……そういや、パッと見は俺より細い水夏に引っ張られた際、ほぼ抵抗出来なかったっけ。
もしかして、この世界は女子に何かしらのバフでも掛かっていらっしゃる? 体力や腕力増強的な。そうでなければ、無花果さんに体力面で負けている事に納得が出来ないんだが。一応、我の身体能力は年齢的に全盛期ぞ?
「先輩?」
「よし。腕相撲しよう、無花果さん」
「なんで!?」
「俺が勝ったら、無花果さんの新刊を買わせて頂く」
お誂え向きに丁度いい台がそこにあるし。
ちなみにだが、最初にやっていた押し問答の中身がこれである。
いい加減、俺にも新刊を読ませて欲しいのでこの機会に直談判をしたのだが、全くもって暖簾に腕押し。のらりくらりと躱されている。これが即売会で培った技術というのか……!
「や、自分の見てないとこで買って貰うのは幾らでも大丈夫なんスけど、目の前で先輩にこれを買われるのは滅茶苦茶気になるというかなんというか……」
「俺だって……!」
「?」
「俺だって楽しみにしていたんだ! 先生のファンだから!」
「あのあの! 気持ちは嬉しいんスけど、公共の場なので!」
む。失敬。少し気が昂ってしまったようだ。だが、あれだけ読みたかったミリィ先生の新刊がそこにあるんだ。多少の無作法は許して欲しい。
「というか、律儀にあの約束守ってたんスね、先輩」
「当たり前だろう?」
「普通、あんな露骨なハブられ方したら、気になってこっそり読んだりしません? ふぅちゃんに頼んだら見せてくれるでしょうし」
「メスガキ煽りされたからムキになってしまってな」
「ええ……」
もっと言えば、俺が頼む前に先手を打つようにして煽ってきたんよな。相変わらずの観察眼と地頭の良さだわ。先に退路を塞ぐなんて、最早やっている事がエスパーと変わらない。まるで会長だな。
「無花果さんが勝ったら大抵の言うことは聞くから。だから、頼む!」
「ん?」
故に、ミリィ先生の作品を買うにはもう作者本人に直談判するしかない。
だからこそ、彼女を本屋に誘った訳だが、なんの作戦もない行き当たりばったりでは当然上手くいかない。結局、こうやって拝み倒すしかないのは、我ながらかなり不格好だな。とほほ。
「……良いでしょう」
「お?」
「受けて立つッスよ、腕相撲」
とか思っていたら、なんか通っちゃったわ。ほんまか。
言っちゃなんだが、無花果さんの細腕に負ける気は微塵もしないんよな。
例え、この世界の女子にバフが掛かるとしても、足の速さ自体は俺が勝っていたし、体格の差もあるから腕力もきっと勝っているだろう。
何より、こればかりは男の沽券にも関わる事だから、絶対に負ける訳にはいかんよなあ! 新刊も欲しいしな!
「本当に」
「うん?」
「自分が勝ったらなんでもしてくれるんですよね?」
「そこまでは言ってないよ?」
あれ? なんだろう。無花果さんから強者のオーラみたいなのが漏れ出ている気がする。
世界観違うくね? いつからバトル漫画の世界になった? というか、これはもしかしなくてもやらかしたか?
◆
「ぐぬぬぬぬぬ」
結果から言うと辛勝だった。思っていた三倍くらいは苦戦した。だがしかし、勝ちは勝ちである。
なので、賭けの対象であった戦利品を胸に帰途を歩んでいるのだが……。
「ぐぬぬぬぬぬ」
隣を歩く無花果さんがずっと唸っている件について。
ううむ。仕方ないな。
「勝負に乗ったのは無花果さんだろ?」
「それはそうッスけど、まさか笑わせに来るとは思わないじゃないッスか」
「……力みすぎたんだ」
「先輩は力を入れる度に変顔をするんですか?」
「…………」
痛いところを。
「いや、良いんスけどね。確かに負けは負けですから。でもなあ、先輩がそんな事をする人だとは思ってなかったなあ」
あ、これ負けを認めてないやつだな?
やれやれ。ここは年長者らしく、大人の対応ってのを見せてやるか。
「ふっ。良いかい、無花果さん」
「なんスか?」
「──勝てば官軍なのさ」
「大人気ない! 大人気ないッス、この先輩!」
「まだ学生だからな! 大人らしくなくて結構!」
前世は余裕で大人だったけど、今は横に置いておこう。ほら、精神は身体に引っ張られると言いますし?
「開き直った!? そこは普通なら殊勝な態度を取るべき所では!?」
「言わせて貰うが」
「この上で何を!?」
「欲しい物を我慢するのが大人というなら俺は子供のままでいい」
「名言っぽいけどただのワガママだ!」
それはそう。
まあでも、我を貫くに値する価値がある物だし、こういう時は下手に遠慮するとそのまま手が遠のくからな。はい。経験談です。鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだわ。
「素朴な疑問なんだが、ここまで求められると作者冥利に尽きたりするんじゃないのか?」
「や、確かに嬉しい事は嬉しいんスけど、さっきも言った通り目の前で買われるのは……ほら、その……」
「即売会では大勢の客相手に手渡しなのに?」
「実際に対面しながら売っているのはお姉ちゃんや売り子の方々なので」
「そう言えばそうだった」
俺が初めて会った時もダンボールハウスもどきの中から出てきたんだった。人と相対する暇があるなら、一枚でも多く描くタイプでしたね、貴女。
「じゃあ、目の前で作品を買ったのは俺が……」
「何を期待しているのかは知りませんが、初めてではないッス。昔は一人でやってたので」
「……チッ」
「舌打ち!?」
なんだ。俺が初めての人じゃないのか。
や、別に処女厨じゃないから良いけどね? ホントだよ? ホントだって。
「でも、久しぶりなのは間違いないので……しかも、それが先輩だし……」
ん? 途中で俯かれたから後半がよく聞き取れなかったな。
「なんて?」
「な、なんでもないッス! それより、早く行きましょう!」
「急いだところで風花ちゃんはまだ準備中なのでは?」
本屋からあっさりと離脱したから、まだ夕方にすらなってないし。これなら、風花ちゃんはまだ配信準備とやらにかかりきりじゃないだろうか。
俺も欲を言えば、もう少し他の同人誌を物色したさはあったのだが、流石に無花果さんの本を買ったすぐ後でそれをやるのは気持ち的に憚られた。
まあ、無花果さんは気にしないのかもしれないし、なんなら有名所の作品は網羅してそうだから話も弾みそうだけど、それでもね。年下の後輩に性癖を赤裸々に語れるほどの漢気は残念ながら持ち合わせてねえんだわ。
「早めに着いておくに越した事はないんで!」
ふむ。言っている事がさっきと違う気もするが、ゲストなら打ち合わせとかもあるか。
10分前行動と言うには些か行き過ぎているけど、良い心掛けだと思う。
「じゃあ、帰……ん?」
それに俺も俺で戦利品を早く読みたいし、無花果さんの言葉に否やはない。
だから、彼女に並ぶように足を進めようとして、その鼻先に何かが当たった。
「え、え……? 雨……?」
俺と同じように空を見上げる無花果さんが呟く。
そこには先程までの快晴が嘘のような曇天が広がっていて。
参ったな。降るなんて聞いてないから傘なんて持ってきてないぞ。小雨なら良いんだが。
「どうしましょう、先輩」
「このままもってくれると空に願いつつ、気持ち急ぎめで家に向かうしかないかな」
なんて願いも虚しく。スマホで確認した雨雲レーダーは数分後からの土砂降りをばっちり捕捉していた。夏の天気は変わりやすいとは言うものの、こんな急激な変化ってないだろ。
しかも、ご丁寧に明日の朝まで強い雨が続くって。これでは、雨足が落ち着くまで何処かに雨宿りする選択肢も取れやしないぜ。
「わ!? 明らかにもちそうにないですよ!?」
雨より先んじて轟く雷鳴に無花果さんが身を竦ませる。
ううむ。一人なら最悪びしょ濡れになっても着ているのが制服という事もあって構いやしないんだが、お洒落をした後輩の女の子を雨ざらしにするのは流石に抵抗があるな。
これで風邪なんか引かれると寝覚めも悪いし、仕方ない。ここは気合いを入れるか。
「走るぞ、無花果さん!」
「了解ッス」
……うん。今にして思えば、道中にコンビニがあるのだから、そこで傘を買えば良かった。全くもってその案が思い浮かばなかったわ。不思議だね。あれかな? 欲しかった同人誌を手に入れた事で、なんかテンションがハイになってたのかな?