幻想フラグ 1-1
せめて二週間に一回は更新したいという気持ち(遺言)
「にゃはろー、少年」
「……?」
結局。足が攣ったのならば無理はさせられないので、聖との特訓は早々に切り上げた。
言うてまだ初日だしな。慌てる必要もない。寧ろ、変に続けた事で事故が起きる可能性もあるし、それだけは避けるべきなので、妥当な判断だろう。素人目? 馬鹿野郎。素人だからこそ慎重なんだよ。
何より、部活動そっちのけの水泳部員達に囲まれている聖をその輪の中に割り込んでまで救出する勇気が俺にはない。ただでさえアウェーなんだから、余裕の尻込みである。
つーか、仮に介入出来たとしても、それはそれで要らぬ巻き添えを喰らいそうなんよな。誤魔化しの設定をそれほど練ってない事もあって、根掘り葉掘り聞かれるとあっさりとボロを出しかねないし、ここは戦略的撤退一択だ。
……うん。見捨ててすまん、聖。俺達のせいで自分の練習が出来なかった水夏もすまん。クレームは無茶振りの原因である会長に入れてくれ。
「およ? 無視は傷付くんですけどぉー? 」
そんな訳で、後のことは水夏に任せて──押し付けたとも言う──そっとプールから立ち去り、更衣室で制服に着替え、まだ時間が掛かりそうな聖を待つべきか、それともトークアプリでフォローだけ入れてサクッと帰るべきかを考えながら廊下を歩く事暫く。聞いた事のある声がした。
……いやはや、まさかね?
「少年ー? そこ行く目付きの悪い君だよ、君ぃ」
あ、俺ですわ、これ。まあ、他に廊下を歩いている人物は居ないし、俺に呼びかけているんだろうなと思ってはいたけど。
ただ、少年という響きがあまりにも前世持ちの俺から乖離しすぎていて実感が全くなかった。転生前は青年期なんて余裕で通り越してたからな。
そもそも、この世界の登場人物は18歳以上という抗えぬエロゲ設定があるので、少年と呼ばれる様な謂れはない。ないのだが、こればかりは放置し続けた所で諦めてくれなさそうだ。……腹を括るか。
「どちらかと言うと青年では?」
仕方なしに振り返るといつぞやの清掃員の人が居た。確か麗 綾さんだったかな。
「お姉さんからしたら少年も青年も一緒だよ」
ほんまか?
前者はおねショタになる可能性があるけど、後者は普通の恋愛にしかならなくないか? よく知らんけど。
「……どうしてここに?」
前に見掛けたのは駅だったので、学園に居る理由が分からない。
夏休みであっても正門には警備員が常駐しているし、流石に不法侵入ではないと思うが。
「前任者が腰をやったから、その人の代理であたしが派遣されたの」
「あー……」
そう言えば、会長がそんな事を言っていたような。
確か、専属の清掃員がぎっくり腰だとか。え? 今、その人の代わりって言った?
「それで、下見ついでに学園を散策してたら少年を見掛けたので」
なるほど。だから私服なのか。
パッと見だと清楚なお姉さんなので、エレちゃん先生より先生に見える。これは夏休み明けにはすぐ美人な人が居ると噂になっちゃうかも。
「──あわよくば食ってしまおうかと」
「さようなら」
前言撤回。とんだ肉食獣だったわ。
誰だよ。猛獣を檻から解き放ったの。飼育員はちゃんと面倒を見ていてくれよ。
「あー、嘘嘘! ジョーク、ジョークだから!」
必死に呼び止める声が聞こえるけど、言うて前科があるからなあ。信用ならん。
「ほんと、ほんとだって! 今日は色々な施設や設備を見なきゃいけないからそんな時間ないし!」
逆に言えば時間があれば襲われるかもしれないのか。
極力、この人は避けよう。そうしよう。
「ちょ、せめて足を止めない!? 言い訳くらい聞いて貰っていいかな!?」
「だが、断る」
そうと決まれば、肉食獣のテリトリーから一刻も早く出なければ。すまん、聖。どうしようか悩んでいたけど、やっぱり先に帰らせて貰うわ。
申し訳ないとは思っているが、水夏が居るから最低限のフォローはされるだろうし、許して欲しい。お詫びは後日ちゃんとするから。
「なんでェ……!? あたし、何かした!?」
それは是非とも自身の胸に聞いて欲しい物だ 。
◆
「こんにちは、先輩」
今日はもう誰にも会わないと思っていた時期が俺にもありました。
「……奇遇だな、無花果さん」
後はもう帰るだけとか、なんてイージーウィンな一日なんでしょうとルンルン気分で学園最寄りの駅から電車に乗ったんだが、なんか車内に見た事のある瞳をした女の子が居たんだ。相変わらず綺麗な色彩だなと惚けていたら、ばっちり目が合って今に至る。
こんな中途半端な時間に知り合いが乗車してるとか思わんやん……。そろそろおやつの時間だぞ。Youは何しにこの電車に?
うーん、この楽勝ムードに容赦なく冷や水を浴びせられる様な感覚。油断も隙もないな、この世界は。
「学園に用事ですか?」
「まー、そんなところだ」
制服を着ているからこその質問だろう。対する無花果さんは、よく分からないフォントの英文字が入ったシャツの上から薄手のカーディガンを羽織り、下はデニムのショートパンツという出で立ちだった。
陰の者と見せかけて、陽キャみたいな格好するんだね、君。生脚が眩しいぜ!
「……! ち、ちが……! これはふぅちゃんが勝手にコーディネートしただけで、普段はもっと大人しいというかダサい服装なんスよ!」
俺の視線を辿り、自身の身体を見下ろす無花果さん。
あ、一瞬で赤くなった。と思ったら矢継ぎ早に捲し立てるじゃん。一応、声量自体はそれ程でもないけど、車内での迷惑行為になるかもだから自重しようね。
「や、やっぱり似合って……ませんよね」
勢いに呆気にとられたせいで、上手く反応出来なかっただけなんだが、それを勘違いしたのか無花果さんのテンションが露骨に下がる。BAD COMMUNICATIONです。
ここで俺の取れる選択肢としては褒めるか誤魔化すかの二択なんだろうけど……どうしたものかな。空気が気まずいのと人として褒めてあげたさはあるが、無花果さんの好感度を上げすぎてこれからの事に弊害が出ても困る。
風花ちゃんの友人枠だからヒロインじゃないと思っていたのだが、麗さんや雨コンビの事を考えるに、別にヒロインじゃなくても一定の好感度や何かしらの条件に引っかかれば、普通にヤれるっぽい。
貞操観念が緩いのか、俺にチート補正が乗っているのか。恐らく後者かな。主人公降りたいですぅ。
「新鮮味があってちゃんと似合っているよ。勿論、風花ちゃんのコーディネートが良いのもあるけど、元より素材が良いし、納得の仕上がりだわ」
となると、無花果さんが積極的に行動を起こさないのは、未だに条件をクリアしてないからだと推測出来る。謎の所信表明はあったけど、何らアクションを起こしてきてない時点で、ここで褒めても問題ないと俺は思うね!
どうよこの推理。名探偵も斯くやであろうさ。
「ぅ……あぅ……あ、あざっす……」
蚊の鳴くような声で礼を言われた。明後日の方を向いているのはご愛嬌かな。耳まで赤いし。
我ながら女の子を褒めるのが上手くなったものだ。周りが女子ばかりと言えど、順調に染まっていってますね、これは。良いのか悪いのかはさておくとして。
ただまあ……そうかぁ。
(ふぅちゃん、か)
俺にしても過去の事から思い入れのある呼称。
恐らく風花ちゃんから名前で呼んでとラブコールされた結果なんだろうけど、『文野さん』からよくぞ一足飛びに駆け抜けたものだ。それくらい風花ちゃん的にも無花果さんは特別な相手という事かね。
その事に一抹の寂しさを感じない事もないが、かけがえの無い友人をよく見つけたなという嬉しさの方が勝つな。兄目線。
「で、今はその風花ちゃんに会いに行く最中って所か?」
「そうッスね。まあ、会うのは夜からなんですけど」
「夜から……?」
はて。時間的に余裕がありすぎるんだが?
10分前行動ってレベルじゃねーぞ。
「折角なので、適当にブラついてみようかなと。諸経費をふぅちゃんに叩きつけて良いという許可も得たので」
「大盤振る舞いじゃん」
「元々は通話で済ますつもりだったんスけどね。直接顔を付き合わせてやった方が良いと言われたんで仕方なく」
「ほう……?」
どんな要件なら神絵師に御足労願える事が出来るんだろう。
そんな疑問がそのまま俺の顔に出たのか、苦笑を浮かべた無花果さんが周りを軽く見渡した後、耳を寄せろと言わんばかりに小さく手招きする。
ふむ。ここは素直に従っておこう。
「新衣装の話ッス」
「あー……」
確かにそれは大っぴらには言えんわな。
……あれ? これは俺が聞いても大丈夫な奴なんですかね。風花ちゃんがフローラである事を知っているから教えてくれたのかな。
「そうしたら、なんか勝手にコラボ配信の予定組まれているし」
「マジだ……!」
アプリを開くとフローラがいつの間にか配信予定の枠を立てている。ミツバチさんであるこの俺が推し(ライバー)と推し(絵師)の配信を見逃していた……?
いや待って。無花果さんの言葉的にこのコラボは事後承諾ってコト……!? それはなんというか……風花ちゃんに振り回されていますね。素直に親近感です。
つーか、気軽に重大告知なんて意味深な物をタイトルにつけるんじゃない。リスナーの情緒が大変な事になるでしょ!
「ちゃんと抗議はしたんスけどね。丸め込まれました」
「時には断る勇気も必要じゃないか?」
「逆に聞くんスけど、先輩はふぅちゃんに拝み倒されて断れるんですか?」
「出来ん事もない事もない」
「……どっち?」
「ふっ。俺を舐めないで貰いたいな」
「そんなつもりは微塵もなかったんスけど」
「巷では取り付く島もない男とよく言われたものだ」
「……そんな人が何故学園で何でも屋紛いの事を?」
「なんでだろうね?」
「いや、自分に聞かれても……」
まあ、想像はつくけど。
大方、ヒロインとの接点を作る為とかそんな感じでしょ。実際、何人かの先輩とはそれのお陰で交流がある。……もっとも、会長と桐原先輩のキャラが濃すぎるせいで、他の先輩達はあまり印象にないのだが。
それでも、女性というだけで油断出来ないのは先述の通りなので、あまり無警戒で居るのも宜しくないだろう。
世の中にはメインヒロインを食うサブヒロインとかも居るし、何よりこの世界で生きている人をただのモブだからと切り捨てる様な価値観は持ちたくないんよなあ。
「先輩? 着きましたよ?」
おっと。もうそんなに経っていたのか。距離的にそれ程の乗車時間ではないとは言え、やっぱり誰かと一緒だと一瞬だな。
勿論、無花果さんとのやり取りが楽しいのもあるだろうけど。
「あの、先輩」
「どうした?」
「今日はもうご予定とかない感じですか?」
人の流れに則って降車し、改札を抜けた辺りで無花果さんが俺の制服の裾を軽く引っ張ってきた。しかも、上目遣い付きで。なにその可愛い所作は。どこで習った?
「帰るだけだから暇と問われれば暇だな」
素直に答えてからミスに気付く。
これ無花果さんの誘いを断る事が難しくなる奴じゃん。
「もし良ければなんですけど、自分に付き合ってくれませんか? 一人で回るより二人の方が楽しいでしょうし、土地勘ある人が居てくれるとこちらとしても無駄に迷ったりしなくて助かりますし」
ほらね。ちょっと早口気味なのが気になるけど、予想の範疇である。
「風花ちゃんに来てもらうのは」
「ふぅちゃんは配信準備があるから無理ッスね」
「配信までまだ四時間くらいあるけど」
なんなら、無花果さんを誘った時から準備していたとしたら、もうとっくに終わってそうだけど。
「今日は他にも色々あるらしくて」
「それなら仕方ない……のか?」
腑に落ちなさはあるものの、俺はそちらの方面では完全に素人だ。口を挟みすぎるのも良くないだろう。
「もしも、お金の心配をしているのなら大丈夫ッス。ふぅちゃんに後で請求しますし、多少の度が過ぎたとしても自分が出します。こう見えてそこらの同学年の人より稼いでいるので、先輩に贅沢という物を教えてあげられますよ」
そこらの同学年どころか、きっと大人顔負けな額を稼いでいると思うんですが、それは。
そんな子が教える贅沢……私、気になります。金に糸目をつけないのであれば、買いたい物は沢山あるし、やりたい事も無限にあるんよなあ。
い、いかん。心が惹かれてしまっている。後輩に集るとか前世社会人の風上にも置けないんだが、大分乗り気になっちゃった。
「ちなみに無花果さんは何かやってみたい事とかあるのか?」
ただ、一方的に奢られるのも人としてどうかと思ったので、無花果さんの希望も聞いてみよう。
「え? 自分は先輩とデートが出来るならなんでも……」
「うん?」
「な、なんか美味しいクレープ屋さんが期間限定で出店しているらしいッスよ! 行ってみませんか?」
あれ。よく聞こえなかったから、聞き返したんだが、明らかに内容が違うよな?
うーん。まあ、良いか。普段は居候という立場から出費の嵩む買い食いとか全くしないし、ちょっとくらい楽しんでもバチは当たるまいで。