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聖フラグ 2-1


「手を離したらダメだからね! 絶対だよ!」


「はいはい」


 小テストを気合と根性で作成し、エレちゃん先生の自宅に拉致される事を回避した翌日。

 受ける必要のない補習を惰性でこなした後、聖との水泳特訓の時間を迎えた。


「フリじゃないからね! 幾らボクの性癖がアレでも、やっていい事と悪いことがあるんだから!」


 プールに入るまでは良かったものの、俺の両手を痛いほどに握り締めるだけで、中々動き出そうとしない聖。

 ちょっと離れた所で女子水泳部の連中が興味深そうにこちらを見ているので、性癖とかあまり大きな声で言わないで貰っていいですか?

 あ、説明役を頼んだ水夏が苦笑いしている。どうやら、聖の発言が聞こえたらしい。お耳汚し失礼。


「それで? いつ始めたらいいんだ?」


「そっ、それは……ボクの心の準備が出来るまで?」


 いつだよ。

 埒があかんわ。


「このまま棒立ちのままだと特訓になんねえだろ。腹をくくれ」


 そろそろ俺も、水泳部の好奇の目に耐えられなくなってきたから。

 ちゃんとした言い訳を用意しているとは言え、男一人という状況がアウェーすぎる。寧ろ、その言い訳のせいで凄い見られているのかもしれないけど。流石に遠戚の従姉妹説は無理があったか……?


「あ、あのさ……」


 そんな事を考えていると聖がおずおずと切り出してくる。


「ん?」


「言って欲しいセリフがあるんだ」


「なんて?」


「だから、言って欲しいセリフが」


「なんで?」


 脈絡はどうした? 前後の繋がりは大切だよ?


「ほ、ほら! 頑張る人へ発破をかけるとかあるじゃん? それだよっ」


 どれだよ。

 心()しおかしなテンションになってないか?


「言ってくれたらボクも覚悟を決めるからさ。ここは騙されたと思って……どうかな?」


 うーん。

 いやまあ、いつまでもプールで手を繋いでいる訳にもいかないし、聖の望みを叶える事自体は構わないんだが。


「とりあえず、セリフの内容を聞いてからだな」


「えっと、まずは高圧的な感じで……」


「まずは……?」


 おい。何個言わせる気だ?


「折角の機会だからね」


「騙されたか?」


 確かに一つとは言ってなかったけども。

 けど、あれもこれもと片手離して指折り数えるのはおかしいだろ。何種類あるんだよ。強欲過ぎるだろ。


「大丈夫。演技力には目を瞑るから」


「頼み込む立場のくせに、よく上から目線で語れるよな」


「でも、できるだけ感情は込めて欲しいかな。棒読みは萎えるんだ」


「我儘かな?」


「いきなりの事だから難しいかもしれない。だけど、ルミナなら出来ると信じているよ」


「おかしいな。同じ言語なのに通じている気がしないぞ?」


 相変わらず、生き生きしているのなんなの?

 男装という秘密を知るまでの付かず離れずだった距離感が最早懐かしいんだが。

 もしかして、鬱憤が溜まっている……ってやつなのかな?

 そうであるならば、性を偽っていない今ばかりは好きに振る舞わせるのも、しょうがないなあ……いいよ。という許容の気持ちにならんでもない。

 ここは大人である俺が譲歩するのも吝かではない。


「恥ずかしいなら耳打ちする感じでも構わないけど。あ、そのついでに噛んだりしてくれると悦ばしいね」


 前言撤回。付け上がるから一度足りとも好きにさせたらいけねえわ、こいつ。

 というか、何言ってんの? え? 噛まれて嬉しいの? ちょっと僕にはよく分からない世界ですね……。


「なるべく聖のお眼鏡に適うよう努力はするけど、出来れば簡単なセリフで頼むわ」


 触らぬ神に祟りなし。下手にツッコミを入れると予期せぬSMプレイに巻き込まれそうだし、賢明な俺は華麗にスルーするぜ!

 至ってノーマルな俺に聖が求める程の物を提供出来るとは思えないし、正しくファインプレーだと言わせてもらいたい。


「えー。三分くらいの物とかあるんだけど」


「常識を男装と一緒に置いてきたのかな?」


 覚えられる訳がねえだろ。


「んもう。要求が多いなあ」


「はっ倒すぞ」


「愛のある暴力なら歓迎だね」


「無敵じゃん」


 暖簾に腕押し感が凄い。

 なんというか、会長を前にした時と似たような気分になるな。ボケの温度的な意味で。あの人もなんか知らんけど、色々と無敵だからなあ。

 俺が心から嫌がってないのをちゃんと理解して、おちょくってくるんだ。


「ルミナ」


 離れていた手が再度繋がる。

 ここだけ見たら恋人みたいだぁ……。


「……今、他の女の人の事を考えたでしょ?」


「ひぇっ……!」


 その瞳が光をなくしていなければ。

 ええ……。こんなエスパー染みた芸当も出来るの、この子。俺が分かりやすいだけなのもあると思うけど、そんな簡単にハイライトを消すのはやめたまえ。心臓に悪い。

 貴重なツッコミ枠だった聖は心の癒しだったんだけどなあ。

 ……ま、まあ? 夏休みが終われば男装に戻るだろうし? ここを乗り切れば聖との関係性も元通り……とまではいかなくても、多少は落ち着いた物になるだろ。要はそれまでの我慢だな。


「……待てよ?」


 ふと気付いたんだが、既に男装という秘密を知ってしまった俺に対して、聖が遠慮するなんて事、有り得るのか?

 逆にグイグイと来ないか? 外面だけ見たら同性ではあるんだし、それを盾に良からぬ事が色々と出来ないか?

 何より、他のヒロイン達への牽制にもなるし。


(これは……詰んでね?)


 幾ら俺に対して好意的とは言え、ヒロインがあまりにも非常識だと色々と萎えてしまうし、現実的ではない。

 そんな俺の嗜好を加味しているのか、衆人環視の許で形振り構わず迫る様な真似をしてくる子は現時点で居なかった。……その分、二人きりとか少人数の場合は(たが)があっさりと外れたりするが、今は置いておこう。


 彼女達にも当然羞恥があるだろうし、勿論、俺だって人並みにはある。

 世のバカップルくらいお互いしか目に入らないというレベルでなければ、人前でイチャつくというのは案外に難易度が高い気がする。そもそも、俺自身が、前世のせいで恋に恋するお年頃ではないからなあ……。

 ごほん。話を戻すが、聖の男装はその『衆人環視の許で迫る』という点では、打って付けのカモフラージュであり、元々の親交もある為、邪険にもしずらい。


「ルミナ?」


 ううむ。とても困ったなあ。

 朝は相変わらず風花ちゃんに襲撃されて──誘惑自体は少し控えめになったが未だ続いて──いるから、学園はなんだかんだ安穏の場ではあったんだが、夏休み明けからはそうでもなくなるのか。

 いや。聖がいきなり積極性を見せたらクラスメイトも不審に思うだろうし……思うよな? 夏休みに何があったんだろうって気になるよな? 気になるって言え!


「ふぅ〜っ」


「うひゃあっ!」


 思考の海に沈んでいると耳にゾワゾワとした感覚がぁっ!

 俺の素っ頓狂な声に反応して、漸く重い腰をあげた水泳部の皆さんが再びこちらに注目している。おう。見せもんじゃねえぞ。恥ずかしいから見てくれるな。


「あんまり気を抜いているとキスしちゃうよ?」


 めっちゃ見られているんですけど。TPOを弁えたりとかなさらない?


「どうせ、従姉妹設定のボクは夏休み限りだからね。泡沫の夢ってやつを楽しまないと」


「振り回される俺の事も考慮して?」


「そこはまあ、ボクの秘密を知っちゃったからという事で一つ」


「そんなご無体な」


 好きで暴いた訳じゃなく、完全な不可抗力なのに。これも主人公体質ってやつが悪いんだ。そうに違いない。

 はぁ。俺か望んだ世界だから仕方ないっちゃ仕方ないんだが、何をどうやってもイベントの発生が止められないなあ。仮に補習にならなかったら、それはそれで違うヒロインのイベントが起きていただろうし。平穏が遠い。


「ふふっ。こんな気分なんだ」


「……聖?」


 打ちひしがれていると聖が楽しげに笑う。そういえば、こいつのこんな笑顔を見たのは初めてだな。男装していた時は、もう少し陰のある感じに笑っていた気がする。

 それが薄幸の美青年感があって、女子からは人気あったし、男子の一部からも「聖、いいよな」「……いい」みたいな事を言われていた。業が深い。


「んー、なんでもないよ。じゃ、そろそろ真面目に特訓するから、指導の方を宜しくね?」


「んえ? あ、ああ。勿論」


 あれ? セリフは言わなくて良いのか? 覚悟を決める為に必要とか言ってたのに、いつの間に肝を据えたんだ?

 まあ、こちらの手間が省けるなら全然いいや。何を言わされるのかは分からず終いだったが、恐らく棒読みも棒読みを披露したと思うし、それに聖が満足するとは思えない。プールの中で何度もリテイクする図太さは流石の俺も持ち合わせていない。最悪、『自己陶酔』という秘技があるけど、それで失敗したら目も当てられないんだよな。

 兎にも角にも、このまま特訓イベントもすんなりといけばいいのだが。


「厳しくしてくれていいからね? 言葉責めとかボクならドンと来いだから」


「その覚悟は別に要らないんだよなあ……」


 やっぱり、前途多難かもしれない。

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