エクレールフラグ 2-6
「す、すみマセん、海鷹クン」
「いえいえ。これくらいなら全然全然」
返事をしつつもパソコンのキーボードを叩く手はそう簡単に動かない。
衣装を破壊したお詫びとして、先生の業務を手伝うと申し出たまでは良かったんだが、まさか明日の小テストで使う問題を作る羽目になるとはね。俺も補習を受けている側なんだけど、ほんまにええんか。
いやまあ、最初は縫製を手伝うつもりではあったんよ。衣装をダメにした責任は俺にあるわけだし。だが、家庭科の授業でしか裁縫の経験がない俺に、三人が作る物と見劣りしない程のハイクオリティな物を生み出す技術は残念ながら存在しない。それでも、初心者の俺でも何か出来る事があるかもしれないと一縷の望みを賭けて手伝わせてくれと頼み込んだ。
そして、今の実力を見る為にと三人が見ている前で簡単な課題をこなしたのだが、
「使い物にならないわね」
「やる気があるなら、イベント後に教えますよ?」
俺のぎこちない手縫いの動きを見た雨コンビの言葉がこれである。
ふっ。分かっていたさ。自分の不器用さくらい。分かっていたとも……! 泣いてなんかないんだからね!
「つまるところ、現状ではどう足掻いても何の手助けにならないと」
「ど、ドンマイデスよ、海鷹クン!」
イベント後というのはそういう事だろう。
時間にどれ程の猶予があるのかは分からないが、少なくとも成長が期待出来ない人間に手間暇をかける余裕はあるまい。
要は悲しいくらいに無力である。得手不得手があるとは言え、こうも役立たずの烙印を押されると流石に惨めな気持ちになってしまうね。エレちゃん先生の慰めが身に染みるぜ……。
「はあ……。こればかりはどうしようもないから手伝いは諦めるとして、だ。俺だけ何もしないのもちょっと」
突然のお呼ばれだったから何も持ってきてないんだよなあ。
かと言って、本来の目的であった衣装作りの見学のみで過ごすのもね。ずっと近くで作業を見られるとか気が散るだろうし。
「別に気にしないけど」
「と言うより、やる事が細々としてるので、集中しちゃうと他の事に気が回らないのが正解ですね」
そうでもないらしい。気構えがプロのそれじゃん。本当に後輩か? 君らも転生者だったりしない?
「……うーん。それでも、手持ち無沙汰なのは変わらんのがなあ。何か雑用とかない?」
「急に言われましても」
「それなら、先生の作業でも手伝えば良いんじゃない?」
「Que?」
「エレちゃん先生の?」
槍玉に挙げられたエレちゃん先生と二人で首を捻る。
手伝うも何も戦力外通告してきたのは雨コンビじゃないか。一体、何を言っているんだ。
「先生の作業と言っても衣装作りの方じゃなくて、教職の方よ。ほら、補習用の小テスト作成が面倒臭いって言ってたじゃない」
「あー、言ってた言ってた! うん。確かに名案かもね。先生の負担も軽くなって、こっちに集中出来るだろうし」
教師が生徒に愚痴を聞かせるのってどうなん? 仲良しの一言で片付けていいのか?
「それだと俺が明日の補習用の小テストを作る事になるんだが」
「問題の流出はともかク」
それは横に置いといて本当に大丈夫なやつですか?
「コチラの都合で海鷹クンを振り回す訳にハ……」
流石のエレちゃん先生もこれには難色を示している。だが、折角提案して貰った手前、無下に断るのも心情的にやりにくそうだ。
……ふむ。ここは先輩としてビシッと言い聞かせるしかないか。
「あのな、二人とも──」
「どうせ暇でしょ?」
「お詫びがしたいんですよね?」
「はい……」
後輩に言論封殺される図がこちらです。おかしいな。前世を含めたら俺の方が遥かに年上なんだけど? どうして手玉に取られているんですかね? 人生経験の差ですか?
それはそれとして、悲しきかな、これで三対一。裏切り者の謗りを受けようとも民主主義の先兵となったからには役目は果たすべきだ。
故に、生徒に業務を押し付ける訳にはいかないと渋るエレちゃん先生を説得すること暫く。なんとか首を縦に振らせる事に成功した。
そんな訳で俺に課せられた小テスト作り。当初はこんなの余裕だろと思っていたのだが、これが中々どうして難しい。
やること自体は単純明快。先ずは問題と答えを用意して、それと類似しつつも正答ではない物を並べ、時に引っ掛け問題も混じえるだけ。
だが、補習でやった範囲内での出題と言えど、やろうと思えば幾らでもアレンジが出来るし、先に答えを知っているせいで、設問難易度の丁度いい塩梅が中々に見極められなくて存外に苦戦している。正しく言うは易し行うは難しだな。
「ここはこうした方が良いデスよ?」
そんな俺を見兼ねたのか、エレちゃん先生がちょくちょく様子を見に来てはアドバイスをくれる。
気持ちは有り難いんだが、その度に彼女の手が止まっているから、俺が代わりにテストを作っている意味がねえ……。後、何故か今回は背後に居る時間が長いな。これはこれでプレッシャーになるわ。
「えーと、先生? こっちは俺に任せて欲しいんですけど」
「デスが……」
というかね、雨コンビがガンガンにミシンを作動させているせいで、エレちゃん先生の声が少し聞き取り辛いんよな。
本人もそれを理解しているのか、きちんと対策を用意していた。俺の背中に密着するという形で。
……パーソナルスペースがバグっていらっしゃる? この人はなんだ? 俺の彼女か?
「あの……もう少し離れて頂けると」
「何故デスか?」
逆に言わなきゃダメですか?
ついさっき手中にあった膨らみが背中に当たっているんですよ?
「あ、暑いので……」
でも、チキンハートだから指摘して良いのか分からない。俺の勘違いの可能性もあるし、何より天然だからなあ、エレちゃん先生。ここは夏特有の言い訳を使わせて貰おうか。
まったく、これはこれで胸のドキドキが止まりやしないぜ。
「ふふっ。当てているんデスよ」
おう、当然のように言葉の裏を読むなや。
これだから国語教師はさぁ! というか、やっぱりわざとじゃねえか! 健全な(諸説あり)青少年を弄って楽しいのかよぉ!
「爛れているわね」
そんな俺達を見て、集中力が削がれたのか、手を止めた村雨さんがポツリと呟く。その通りすぎて何も言えねえ。
「やっぱり外国人というステータスが先輩の何かに響いたんですか?」
時雨さんまで作業を中断して何を言っているんだ。
別に外国人じゃなくても、こんなボディタッチを越えたボディコミュニケーションを取られたら好きになるに決まってんだろ。童貞舐めんな。美人局には気をつけような!
「海鷹クン? 手が止まっていマスが、大丈夫デスか? やはリ、残りはワタシが」
「誰のせいだと思っているんですかねえ!」
いかん。このままでは折角の役目が奪取されてしまう。それは、あまりにも本末転倒。
だが、無理矢理突き放すとエレちゃん先生が怪我をするかもしれないし、別室に行くとしても人のパソコンを勝手に持ち出すのも宜しくない。そもそも、この感じなら離れようとしても着いてくるだろ、先生。
「それで? どこまで進ん……うわ、まだ設問3って、遅すぎ!?」
「これは……先生の家にお泊まりコース?」
「ワタシは全然構いマセんよ? もう秘密もバレちゃってマスし」
なんか回り込んできたと思ったら好き勝手言うじゃん。作業はもう良いのか?
後、泊まり込みは俺が構います。いや、なんでだよ。教師が異を唱えんかい。大人だろ。
と言うか、幾ら不慣れで進みが遅くても部活が終わるまでには完成するわ。ちょっとコツは掴めてきたしな。
「でも、もう夕方よ?」
「……は?」
何を馬鹿な事を。幾らなんでも騙されないぞ……って、本当じゃん!
俺がテストを作り始めてから、体感で30分くらいしか経ってないんだが!?
「色々あって今日は作業開始が遅れたのもありますけど」
「うふふ。海鷹クンも集中したラ周りが見えなクなるタイプみたいデスね?」
え……?
確かに、たかだか小テストと言えど奥が深いなと思いはしていたけど、そんな没頭する程に問題作成してました?
それで未だ設問三つって、そりゃエレちゃん先生も心配するわな。
「一つ聞きたいんだけど、これって先輩が一から考えたの?」
「そうだが?」
パソコンに映る問題を指差し尋ねてくる村雨さん。
何を当たり前の事を言っているんだろう。
「こ、これは……凄い!」
「そ、そうか?」
そこまで言われると照れるぜ。
「問題文の内容が1ミリも分かりません!」
「勉強しろ」
「そもそもの話、これは小テストなんだから、問題は教科書や参考書のパクリで良くない?」
「あ」
言われてみればExactly。
別にオリジナルである必要性は何処にもないじゃん。盲点過ぎて完全に見落としていた。
という事はなんだ。俺のやっていた事は徒労だった……?
「パッと見だけど、問題としての完成度が高すぎて、これを補習で使い捨てるのが勿体ないわ」
「叶ちゃんが言うなら、相当出来が良いんだね。私には分からないけど。分からないけど!」
「当てつけはやめて、蘭」
いやまあ、後輩なのに理解している村雨さんがおかしいだけで、時雨さんの方が正常だよ、多分。
折角作った問題だから、意図を汲み取る努力を少しはして欲しいけども。
「先生も村雨さんと同じ感想ですか?」
「そうデスね。アドバイスしてた手前、心苦シいんデスけど……」
聞いてみたものの、歯切れ悪く言い淀む時点で察したわ。
「で、デスが、最終問題に一つ残すくらイなら全然大丈夫なのデ!」
他の問題を切り捨てる時点で、なんのフォローにもなってねえ。
はぁ。まあ、パクリで良いならそんな時間も掛からんだろうし、さっさとやるとするかね。元より、参考書はすぐ横に開きっぱで置いてあるし。
「ココアでも飲む、先輩?」
「アイスクリームもありますよ、先輩」
「疲れたらいつでモ言ってくだサイね?」
「自分の作業はどうしたァ!」
なにゆえの至れり尽くせりだよ!
「もうキリのいい所まで終わったわよ」
「ですです!」
「なん……だと……!?」
「別に続きをしても良いけど、それよりも先輩を見ていた方が面白そうだし」
「分かる」
動物園の珍獣みたいな扱いをされていますが。年上の威厳はどこ? ここ?
それにしても、だ。てっきり、俺とエレちゃん先生のやり取りのせいで作業を中断したと思っていたのだが、ちゃんと進める所までは進めていたらしい。二人とも優秀じゃん。
だが、そうであるならば、ずっと俺の背中に張り付いている彼女が離れる素振りを見せないのはどういう事だ。
「ワタシも今日やるべき事は終わってマスよ?」
「またまたぁ」
俺の進捗を確認する為、何度も手を止めていたのに作業が終わっているとか信じられん。さすがに騙されんぞ。
「先輩の言いたいことも分かるけど、事実よ」
「今日は一段と凄かったよね」
「……マジ?」
俺も知らん間にテスト作りに熱中していたらしいから、エレちゃん先生の何がどう凄かったのかは分からないのだが、こんな事に雨コンビが嘘を吐く事もないだろう。
それでも、何かの物証を見ない事にはポンコツお姉さんの先入観が拭えはしないんよなあ。
「ワタシの成果? これデスね」
「フローラの衣装が完全復元されている……!」
出てきちゃったわ、どうしようも無い程の証拠品。
こうなると俺だけ本当に何もしてない事になってしまう。こいつはマズイぜ。
それこそ、エレちゃん先生宅に連行される可能性まで出てきた。もう同衾イベントは結構なんですけど。
……あれ? よくよく考えたらエレちゃん先生、今日の作業してなくない? 衣装の補修は俺が破損させた事によって起きた作業だから、本来は別の予定があった筈なんだが。
「だかラ、残りはワタシがやりマスよ」
じゃあ、なんだ。
この事ある毎に変わろうとしてくるのは俺に負い目がないようにと気を遣っている可能性が出て来たな。もしくは、俺の気付かぬうちに今日の分の作業も終わらせているかだけど、それだと成果物を一緒に見せない意味が分からない。
「海鷹クン?」
もしかして、俺が衣装を破壊するのを見越していた? これは流石に考えすぎか? 先生達に何一つメリットがないもんな。
うーん。分からん。考えが纏まらなさすぎてテスト作り所ではないかもしれない。
それに本音を言うなら、こう言うのは手慣れている人に任せるのが安牌ではある。
それでも、
「部活が終わるまでには完成させるんで、最後までやらせて貰って良いですか?」
ここで投げ出したらカッコ悪すぎるだろ。
一度言ったからにはやり遂げる気概くらいは見せないと。
「……分かりマシた。では、お任せしマスね?」
数秒の奇妙な空白の後、そっと背中にあった心地よい重みが消える。横目で確認するとどうやら衣装を片付けに行ったらしい。ずっと張り付かれていたから、ほんのちょっと物寂しい。 これが調教ってやつですか。
「ふーん? まあ、頑張りなさい」
「漢気ですね、先輩!」
俺の意志を尊重したのか、軽い声掛けを残して二人も定位置へと戻っていく。ココアやらアイスやら言ってたけど、冷蔵庫に向かわなかったのは俺に遠慮したのかな。優しい子達だ。
「さて、集中集中」
ま、いつまでも三人の動向を窺っていても仕方ないし、答えの出ない思考に意識を割いている場合でもない。ほぼ最初からやり直しに近いし、気合い入れてやりますかね。