エクレールフラグ 2-3
「さあ! 着きマシたよ!」
リノリウムの廊下を今にも弾みそうな足取りで先導するエレちゃん先生が、家庭科室の扉の前で立ち止まる。
うーん。機嫌が良いからか普段よりも良く言えば幼く、悪く言えば子供っぽく見えちゃうな。大人と相対している気が全くしない。
なんなら、前世の分を考えると圧倒的に俺の方が大人であると言える。言えるよな?
だからまあ、子供の戯れと思えば、コンビニへの道中も家庭科室までの道のりも、ずっと手を繋がれている事へ何も思うことはない。……本当にないよ? 寧ろ、色々と経験した俺が今更の手繋ぎくらいで何を思うことがあろうか。
でも、流石にそろそろ離して欲しいかな? 周りの目とかあるからね? 我ら教師と生徒ゾ?
「ようこソ、我が総合芸術部へ!」
そんな願いが届いたのか、エレちゃん先生が家庭科室の扉を開く際に漸く手が離れた。
ふぅ。これで俺の鼓動も落ち着いてくれよう。安心安心……。
「……なんて?」
「何がデス?」
「なんか聞き慣れない部活名が聞こえて」
「総合芸術部デスよ?」
なにそれ。
芸術に総合なんて修飾詞が付くことなんてある?
家庭科室だし、衣装作りって事だから、てっきり裁縫部とか手芸部辺りだと思っていたのだが。
とりあえず、分かる事と言えば、
「何の同好会や部活がくっついてこうなりました?」
日本伝統部の例もあるし、総合芸術部も間違いなく部活キメラの一種という事くらいか。
自分が撒いた種とは言え、せめて面影の一つや二つは残しておいて欲しい。合体前の部活がなんも分からん。
「手芸部と」
「美術部と写真部に」
「筋肉……マッスル同好会ですよ、先輩」
家庭科室に足を踏み入れた俺の問いかけに答えた声は三つ。
一つは言わずもがなエレちゃん先生ではあるが、後の二つも聞き覚えがある声だった。
「久しぶりだな、雨コンビ」
えーっと、確か名前は時雨蘭と村雨叶だったかな。うん。よく思い出した、俺。偉いぞ。
室内には他の人影はなく、彼女達は悠々自適に持参してきたらしき弁当箱をテーブルの上に広げている。どう見ても昼食の真っ最中ですね、はい。
「知りたかった事を教えてあげたのに、大層なご挨拶ね」
「私達の事を認知してくれているだけ有り難い話だよ」
「連絡先を交換したから、認知はされてて当たり前なんだけど?」
「叶ちゃんは純粋だねえ」
「どういう意味!?」
わぁ。これがコンビと言われる所以ですか。気持ちいいテンポで言葉の応酬が行われるじゃん。
後、時雨さんの言わんとしている事は分からんでもない。関わりの薄い後輩なんて連絡先を知っていた所でって話だよな。一応の繋がりがあるだけで、ほぼ見ず知らずの他人と変わらんもん。
もっとも、雨コンビとは共に風花ちゃんの誘拐事件を乗り越えたという繋がりがあるので、存在を失念する事はないのだが。
え? それならどうして名前を思い出す必要があったのかって? はっはっはっ、勘のいいヤツは嫌いだぞ?
「海鷹クン、海鷹クン」
「はい?」
「ワタシ達も食事にしまショウ」
「マイペース!」
いつの間にかエレちゃん先生が雨コンビの対面に座っていらっしゃる。
それで、その隣にある丸椅子の座席部分をぽんぽんする仕草はなんだ? 可愛いの権化か?
「先生、またおにぎりだけ?」
「あれ? でも、今日は量がいつもより多いですね」
促されるまま椅子へ腰掛けている間にエレちゃん先生が購入物を袋から取り出していく。
それを見て雨コンビがそれぞれの反応を示す。
「海鷹クンの分もありマスから」
「え?」
「……ヒモ?」
「俺だって傷つくんだよ?」
知ってたけど村雨さんって俺に辛辣だよね。俺が一体何をしたって言うんだ。……してたか? してたね。
おかしいな。風花ちゃんの件で俺の評価はうなぎ登りだと思っていたんだが。
「叶ちゃんは心を許すと無遠慮になりますから」
「ちょっ、蘭!? 何言ってんの!?」
心の中でさめざめと涙を流していると時雨さんが楽しそうに告げる。
ほーん? 俺的には初対面の時とあんまり距離感変わってない気がするんだけども。
まあ、伊達にコンビと呼ばれている訳でもなし、ここは相方の意見を尊重してみようかね。
「ち、違うからね! 私は先輩の事なんて全然なんとも思ってないんだから!」
村雨さんに視線を向けたらツンデレのテンプレみたいなセリフが飛んできた。
そういや、一癖二癖あるヒロインは多いけど、エロゲではありがちのツンデレは今のとこ全く居なかったな。これも、最初から好意的なヒロインばかりの弊害か。
だから、久々にこういうの聞いたわ。ちょっと血が滾る。
「なにニヤニヤしてんのよ!」
「どうどう。落ち着いて叶ちゃん」
「元はと言えば、アンタが変な事を言うからでしょうが!」
「え。でも、気になっているのは事実でしょ? トークアプリではあんなにも──むがっ!」
「蘭ってば、そんなに私のお弁当が食べたいなら早く言ってよね!」
「むがががががっ!」
凄い。村雨さんが目にも止まらぬ速さで時雨さんの口にご飯やらおかずやらを放り込み続けている。正に神業。咀嚼する暇は勿論のこと、口を閉じる暇すら与えない。
……とまあ、冷静に観察してみたのは良いものの。当然、村雨さんのお弁当は見る見るうちに減っていくんだが、果たして大丈夫なんだろうか。
家庭科室に居たって事はエレちゃん先生の秘密を知っているんだろうし、なんなら衣装作りの手伝いもしているかもしれない。
「先生、一つ聞きたいんですけど」
「なんデフか?」
あの。食べるか答えるかどっちかにしてくれません? おにぎり咥えた状態で喋らないでもろて。
や、食事中に質問しようとした俺が悪い可能性も否めないんだけど、目の前でこの雨コンビの応酬を見ときながら、よく平然と食事が出来るな。
「いつも何時まで、ここで作業しているんですか?」
「……んぐ。今は夏休み中なのデ、20時までやってマスね」
あー、普段は19時までとかだったか? 帰宅部だから分からん。
つーか、昼から夜までって凄いな。正念場に相応しく、マジで衣装作りに全力じゃん。となると、益々の話だが、
「村雨さんの食事量的に大丈夫なんですか?」
彼女の弁当はもう殆ど空っぽに近い。先に食事をしていた雨コンビではあるが、記憶が確かなら俺達の入室段階では半分以上は残っていた筈だが。
そもそもの話、弁当箱のサイズが、転生して若返ったせいで食べ盛りと化した俺からすると心許なく映る。
「こんなので八時までもつのか?」と疑問を覚える程なのに、その量を更に減らしたとなれば、余計なお世話かもだけど気になってしまう。
「心配要りマセんよ。足りないのナラ作れば良いんデス」
そういや家庭科室だったわ、ここ。
更に言うとエレちゃん先生という監督責任者の存在も大きい。生徒だけでは使用させて貰えなさそうなコンロや調理器具が要求次第でオールグリーンだ。
「という事は、エレちゃん先生が率先して料理を?」
「そう、デス……ね?」
おい。目を逸らすな。
そこで逃げるなら、どうして得意気に胸を張った。もしかして、料理が出来ない人ですか?
いやまあ、コンビニで楽しそうに自分の食べるおにぎりを選んでいた時点で、半ば察してはいたけどさ。
一応、教職が忙しすぎて自炊する時間がない可能性もまだあるんだが。浮いた時間も趣味に注ぎ込んでいるだろうし、料理に割ける余裕があるとは思えないからなあ。
「仕方ありマセんね。海鷹クンの要望とアレば、一肌脱ぎマシょう」
おにぎりを綺麗に平らげると徐に立ち上がるエレちゃん先生。
なんだ。やっぱり出来るのか。疑ってごめん。
「あー! お腹も全然余裕だし、デザートが食べたくなったから何か作ろうかなあ! 折角だし、先輩も一緒にどうですか!?」
何故か若干の棒読みと共にエレちゃん先生と同じように立ち上がる村雨さん。
昼食の量を考えると確かに不足しているかもしれないが、そんな対抗するみたいに。一体、どうしたと言うんだろうか。というか、弁当の中身がまだ残って……あ、俺の視線に気づいて蓋で隠したわ。
「Non。ここはワタシが」
「いえいえ! こういうのは後輩の役目なので! ね、蘭!」
「……!」
必死に言い募る村雨さんとその横で凄い勢いで首を縦に振る時雨さん。
とりあえず、時雨さんは詰め込まれた食べ物のせいでハムスターみたいに頬が膨れてるから、まずは早く嚥下した方が良いよ。
「そうデスか。では、お願いしマスね?」
「はい! ほ、ほら、先輩! リクエストでもなんでも聞いてあげるから早くこっちに来て!」
「お、おう」
ん? 今、なんでもって言いたいんだけど、村雨さんの鬼気迫る雰囲気のせいで、とてもじゃないが口に出せない。
なので、再度座るエレちゃん先生とは逆に困惑したまま立ち上がった俺は歩き出した村雨さんの背中を追っていく。
向かった先は家庭科室内にある業務用冷蔵庫の前。って、なんで業務用なんだよ。調理実習くらいでしか使われないんだから、普通のやつで良いだろ。お金掛ける場所、間違ってない?
「はぁ……なんとかなった……。今日はあっさり引き下がってくれた辺り、衣装作りがあるから怪我が出来ないと考えたんでしょうね」
そんな明らかにゴツい冷蔵庫の前で、安堵からか胸を撫で下ろす村雨さん。
……思わず漏れた独り言って感じなんだけど、果たして俺が聞いても良かった内容なんだろうか。まあ、呼びつけたのは村雨さんだし、そこまで配慮しなくてもいいか。
「なあ。先生って」
「概ね先輩の想像通りよ。あの人の作る料理は食べられた物じゃないわ。正しく食材の無駄ね、無駄」
おおう。ズバッといくじゃん。にべもない。
というか、ここまで言われる程の料理の腕前ってなんだ。逆に気になるわ。
「ちなみに、これが先生の作ったハンバーグね」
「……スライムか何か?」
俺の様子から何かを感じ取ったのか、村雨さんがスマホの画面を見せてくる。
そこに映っていたのは、どう見ても青いゲル状の何かとしか言い表せない物。
RPGでこんな感じの敵、見た事あるな。それも国民的ゲームの序盤に出てくる雑魚ではなく、状態異常を駆使してくるそこそこの難敵で。
え。待って? これがハンバーグって言った? 何の肉を使ったらこうなる? ちゃんと食用の認可が出てるやつ?
いや! 見た目がモザイク処理必要なくらい酷いだけで、味はしっかりしているかもしれない……!
「ちゃんと味も酷かったわよ」
「八方塞がり!」
味の批評が出来るって事は食べたんだ。これを。凄いな。勇者じゃん。
「だから、先生がキッチンに立とうとしたら、アンタも全力で止めなさいよ。死にたくなければ」
死の危険がこんな所に。月に射精二回以外で死ぬ要素あったんだ。
「美味しくないと正直に告げるのも一つの手段では?」
残酷かもしれないが、現実を教えなければ改善する物も一向に変化しない。
「最初の時点でそれが出来ていたら良かったんだけど」
冷蔵庫を開き、中から卵を始めとしたお菓子作りに必要な物をテキパキと取り出しつつ、村雨さんは溜め息を吐く。
「先輩達が気を遣っちゃったのよ。折角、こんなよく分からない部活の顧問になってくれたのに、こんな事で臍を曲げられたら困るって」
部活併合の良くない部分が出てます!
誰だよ! これを提案したの! 俺だったわ!
後、エレちゃん先生はそこまで器量が狭くないと思うぞ。
「その人達の身体に異常は」
「今のとこは数時間気を失うくらいで済んでるくらいね」
それは大事では?
「しかも、被害者は気を失うくらい美味しかったって言うから手が付けられないのよ」
「うわあ」
被害者が加害者を庇うやつね。
ストックホルム症候群だっけ。厳密には違うか。
「それが続いた結果、謎に自信満々な上、完全な善意で時たま料理という名の汚物を振る舞ってくる様になってしまって」
天災かな?
「まあ、何故かエレちゃん先生が作る物はどんな食材を使っても低カロリー高タンパクになるから、マッスル同好会の連中が渋々処理してくれるけど、今日は居ないから本当にヤバかったわ」
そんな瀬戸際だったんだ。後、先生は魔法使いか何かだったりする? どう調理したらそんな事になるんだ?
つーか、開幕から色々あったせいでマッスル同好会がそもそも何なのか聞きそびれてたわ。同好の士で集って何するんだよ。
「どうも、余計な事を言ったみたいで」
「知らなかったみたいだし、今回は大目に見てあげる。次はないわよ」
俺の命がですか? 相変わらず、俺に対して当たりが強い子だ。
だがまあ、エレちゃん先生の料理は気になるけど、死に目に遭ってまで食べたくはないし、ここは大人しく忠告に従っておこう。
「それで」
「ん?」
「リクエストある? と言っても、パンケーキに乗せるトッピングくらいしか聞いてあげられないけど」
前言撤回。
口調のせいで誤解されがちな優しい子だわ、この子。




