エクレールフラグ 2-2
「正直に言ってくだサイ。海鷹クン、期末テストで態と手を抜きマシたね?」
話があると一人残された教室。閉じられた窓から夏日の陽光が容赦なく降り注ぐ明るい室内ではあるが、空調が効いているのもあって過ごしやすい気温である。
それなのに、じんわりとした汗をかいてしまうのは、俺が危機感を覚えているからだろうか。
「な、何を根拠に……?」
俺と向かい合う様に、机を挟んで対面に座ったエレちゃん先生。普段は穏和で朗らかなそんな彼女から、致命的な指摘をされるとは露とも思っていなかったので、モロに動揺が口に出た。
これではまるで、探偵の推理に追い詰められる犯人だ。こんな状況になって初めて彼らの心情を理解した。凄く居た堪れない。
「確信を得たノハ今日の様子から、デスかね。海鷹クン、補習を受けル様な生徒は今日の小テストで満点は取れない物なんデスよ」
「…………」
しまったあぁぁぁっ!
つい全問解けるからってやっちゃったけど、言われてみれば確かにそうじゃん!
道理で俺が採点のために答案を渡した隣の子──名前を知らないので恐らく他クラスの女子──も胡散臭そうな目をしていた訳だよ!
その子からしたら、補習なのに小テストで満点取る程度には予習復習に本気出してる奇特な奴にしか見えんもんな! 『今更、全力出しても手遅れじゃない?』って思っちゃうよな! 分かるよ!
「それに、中間テストでは好成績デシたので。こんな風に成績が急激に下落すル事は有り得ないカナと思いマス」
生徒をよく見ていらっしゃる。先生の鑑じゃん。
確かに成績を見せた時の秀秋さんと心春さんも珍しい事があるもんだと驚いていたけれど。でも、それが補習に参加する為だと気づかれることは当然なかった。
寧ろ、たまにはこういう時もあるから次で挽回しようと励まされて心が痛かったよ。騙してごめんなさい。
「以上の事カラ、海鷹クンは故意に点数を調整しタのではないカト」
完全にバレテーラ。普段のほんわかした様子からは考えられない察しの良さじゃん。
正直、エレちゃん先生の事を舐めていた節はある。まだまだ新任の扱いだし、日本文化にも不慣れだろうからと。しかし、それが一体どうしてこんな展開を生み出しているのか。
これは俺の中で評価の修正が必要だな。
「デモ、貴方は理由もなシにそんナ事をすル人ではありマセん」
おいおい。そんな所まで勘づいたのか。
不味いな。ヒロインとの交流を避ける為に補習になったという事までは流石の先生でも分からないだろうが、この状態のエレちゃん先生に疑念を持たれるのはとても宜しくない。明確な弱味である事に変わりは無いのだから。
そもそも、テスト前にエレちゃん先生のヒロイン疑惑が判明した時点で、悲しきかな俺の目論見は半ば破綻している。
「そこデ、何故なのカと理由を考えマシた」
それでも、俺が補習を取ったのは、夏休みの学園で複数のイベントが乱立する事はないと思ったからで。
うん。今にして思えば、どうしてそんな結論に至ったのか果てしなく謎ではあるんだけど。
ほら、自分が思いついた解法って無駄に自信で満ち溢れるじゃん? 例え間違えていようと答え合わせの時まで気づかないじゃん? つまりはそういう事だよ。あの時はこれが一番の上策だと思ったんだ。
ところがどっこい。会長が夏休みなのに居るのは百歩譲るとしても、そこから転じて聖とのイベントが起きるなんて想像出来んって。ほんと次から次へと……犬も歩けば棒に当たるじゃないんだぞ。
今のこの状況も、俺の詰めの甘さが招いた事とは言え、主人公体質が確実に影響してんだろ。泣けるぜ。
「そんナに……」
「……っ」
だから、ここで何を言われるのか見当がつかず、俺は余裕のなさから息を呑む。
それでいて彼女の放つ一言一句を逃がすまいと集中力を高めていく。もう油断も慢心もしないと心に決めて。
「──そんナにも家に居辛いんデスか!?」
なんでだよ。
「全然違うが?」
「なんデ……なんデ相談しテくれなかったんデスか!」
「話を聞いて?」
「いいんデス。良いんデスよ、海鷹クン。ワタシの前で意地を張らなくテも」
「誰だよ、この人を先生の鑑と評した奴は」
俺だけど。
どうやら数分前の俺は雰囲気のせいで目が節穴だったらしい。いや、予想出来んだろ。こんなすぐポンコツに戻るなんてさ。
緩急がジェットコースターなんよ。緊張感を返せとまでは言わないけど、節度のある空気では居てくれ。
「Hum……。とりあえズ、一緒にお昼ご飯を食べマセんか? 心配しなくテも先生が奢ってあげマスよ」
「あ、もうその路線でいくんですね」
突っ込む気力が完全に削がれてしまった。もう好きにせい。
傍から見れば、家に居辛い生徒に寄り添う心優しい教師という一幕なのに、前提条件が間違っているせいで、なんかコメディなんだよな。
まあ、エレちゃん先生らしくて安心はするけど。
「海鷹クンさえ良ければ、午後も一緒に居テ構いマセんよ? ワタシの秘密を知られちゃってマスし」
おん? エレちゃん先生の秘密と言うとコスプレ関係か。
「あー、衣装作るんでしたっけ?」
「Oui。もしかしテ、興味ありマス!?」
うおッ。急に身を乗り出してくるな。
自分の顔面の良さを自覚してくれ。視界いっぱいに広がる美女の端正な顔立ちと仄かに香る女性特有の柔らかな芳香は心臓に悪いんだ。
それはそれとして、ここで頷くといつもの如く強制連行されるんだろうなあ。
だがしかし。だがしかし、だ。毎回抵抗しても結果が変わらないのであれば、足掻くだけ骨折り損な気もする。
同じ展開ばっかだとマンネリ感あるし、何よりこの人は平然と無限ループかましてくるからな。ゲーム要素をこんな所で出さなくていいから。
「どんな作業なのか気になるっちゃ気になりますね」
となると、端から諦めるのも時にはありではなかろうか。
何より、前世では全く縁のなかった世界だ。どういう流れであんな華美な衣装が出来上がるのか、興味が無いと言えば嘘になる。
それに、教師と生徒という立場上、そう簡単に白昼堂々エッチな雰囲気になる事もあるまいて。ないよな? 学園内だぞ?
「ではでは、是非とも見学しテいってくだサイ!」
何がそんなにも嬉しいのか。エレちゃん先生は顔を綻ばせると俺の手を掴む。
うーん。この男を勘違いさせそうな魔性の立ち回り。恐らく天然だろうけど、それ故にとてつもない攻撃力だ。
ふっ。だが、これまで様々な誘惑をされつつも、それに全く屈しなかった俺には通用せんな。出直してくるといい。
「……? どうして苦い顔をしテいるんデスか?」
「なんでも、ないです……!」
別に理性を保つ為に全力で抓った太ももが思っていた以上に痛いとかそういうんじゃないんだからね!
ちょっとだけ涙目になっていたかもしれないけど、違うんだからね!
「こうなると善は急げ、デスね!」
「ちょ!? 力つんよっ!」
午後が楽しみなのか、楽しげに笑うエレちゃん先生に引っ張られる様にして立ち上がる。
何故、この世界のヒロインは軒並み僕より膂力が上なんでしょうか? 男の立場 is どこ? 俺が非力なだけか? そんな馬鹿な。
「Hurry! Hurryデス!」
「そこはフランス語じゃないんかい!」
しかしまあ、秘密の共有者ってだけで大分距離感がかなり近づいている気がするな、これ。
極論ではあるけど、土下座して頼み込んだら、なんだかんだヤらせてくれそうな段階ではなかろうか。断られる所をあまり想像できない。死ぬから実行には移さないし、死ななくても実行に移す勇気はないんだが。
ちなみに昼ごはんは学園外にあるコンビニで買ったおにぎりだった。
まあ、奢って貰っている立場だからそれについて兎や角言う気はない。
ただ、おにぎりの入った袋を片手に学園へと蜻蛉帰りしている最中、ふとした疑問は湧く。エレちゃん先生って自炊出来るんかな……?