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聖フラグ 1-6(otherview)


「ひ、酷い目に遭った……」


 水夏さんの魔の手から掃除道具を片付けるという名目で逃れた後、きちんと有言実行を果たして用具入れからの戻り途中、プールサイドに設置されたベンチへと腰掛けて深々と息を吐く。


「災難だったな」


 そこに掛けられる声と同時、誰かが隣に腰を下ろす気配。と言っても、ルミナと会長と水夏さんは未だに三人でわいのわいのとやっているし、誰であるかは明確なんだけど。

 疲労──主に精神的な──によってついつい地面へ向けていた顔を隣に移せば、案の定桐原先輩の姿が視界に映った。


「そう言うのなら助けてくれても良かったのではないですか?」


「本気で嫌がっている様であれば介入したさ。だが、楽しかったんだろう?」


「服を剥ぎ取られそうになっているんですけど?」


 もしかして、桐原先輩の目は節穴なんだろうか。

 幾らMよりの性的嗜好を持っているとは言え、あの状況で悦楽に浸る程の豪胆さをボクは持ち合わせていないんだけども。


「秘密を知られる前ならば、服に触れさせる事すらしなかったと思うが?」


「うぐぅ……」


 痛いところを。

 ボクは他者との不用意な接触を避ける為、常に近場に居る人間の一挙手一投足に目を光らせている。

 それを男装という事がバレたからとおざなりにしたのは事実だった。水夏さんからのアクションなんてないだろうと油断していたのもあるけどね。


「とは言え、ボクの秘密を本人に黙って勝手に教えるのはどうかと思います」


 厳密に言えば教えた訳じゃないってのはルミナ達の様子から窺える。でも、わざわざ鉢合わせになるように仕組んでいる時点で意図的だと思う。


「アイツらなら変に遠慮もしないし、大切な友人であるが故に口外もしない」


「だから、問題ないとでも?」


 別にルミナ達を信用していない訳ではない。先輩の言う通り、二人はきっとボクの秘密を漏らさないだろう。

 長い付き合いではないが、その限りある時間の中で深く関わってきたつもりだし、彼らの人となりは(おおよ)そ理解している。

 けれど、他でもない会長とその会長の行動を最終的には容認したと思われる先輩への信用は失墜した。それも急落に等しい度合いで。


「二人の前だから表に出してないだけで、ボクは怒っているんですよ?」


 ざわめく感情を押し殺しながら言う。

 何の目的があるのかは知らないが、バラした理由如何(いかん)によっては金輪際関わる事を止めようと。それくらい今回の事は致命的だ。

 確かにメリットはある。仲のいい相手に隠し事を続けるのはボクの心労への負担が大きいし、解消出来るのであればしておくに越したことはない。

 それでも、これ自体はボクの都合でしかない上、我慢すればどうにでもなる話だ。秘密を知る者が増えれば増える程に肥大していくデメリットと釣り合いが全く取れていない。


御尤(ごもっとも)な不満ではあるが、邪重の考えている事は私にも分からん。どうもしてやれんな」


 そう言って肩を竦める先輩が話を打ち切る様に視線をボクから三人に移す。

 振り上げた腕が行き場を失った事で毒気を抜かれてしまい、数瞬の迷いの後で同じように視線を移動させた。


「うおぉぉぉっ!?」


 その先、野太い悲鳴と共に上がる盛大な水飛沫。どうもルミナがプールに落ちたらしい。

 ……大丈夫かな。プール清掃の為にやってきたと言っていたし、着替えを持ってきてなさそうなんだけど。


「ルミ君!」


「うふふ。楽しみましょう?」


 次いでそれを追うように飛び込み音が一つ。慌てて追いかけた様に見えたのに、水夏さんの水飛沫を一切立てないお手本のような飛び込みは流石水泳部と言わざるを得ない。正しく面目躍如。

 一方、会長はあくまでもマイペースに。プールサイドに腰を下ろし、爪先からゆっくりと身体を慣らすように入水していく。


「さて。私は監視員の役割を続けるから姫川もあれに混じってくるといい」


「嫌味ですか?」


 泳げないことへの当てつけにしか聞こえないし、そもそも今は水着を着ていない。

 寧ろ、ボクを監視員とする方が先輩も泳げるし、会長もそう考えてこうなる様に仕向けたんじゃないかな。


「そんなつもりは毛頭ないんだがな。万が一の事を考えるなら泳げる人間をここに配置すべきだろう?」


「それは確かにそうですけど……」


「安心しろ。このプールは姫川の身長であればギリギリ足が着く深さだ。冷静さを失わなければ溺れないさ」


 現にボクと殆ど背丈が変わらないルミナが水面から顔を出し、髪から顔に零れる水滴を払う様に頭を振っている。


「何するんですか、会長!」


「手が滑りまして」


「明らかに突き落としましたよね!? しかも全力で!」


「どうやら私の愛が強すぎたようですね」


「愛という言葉で誤魔化すには無理があるわ!」


「ところで、服を着たままプールに入るなんてどういう了見をしているんですか? 衛生面に配慮して下さい」


「アンタのせいだろおぉぉぉっ!」


「る、ルミ君、落ち着いて。誰も水泳帽をしてないし、衛生的には皆変わらないから!」


「そういう問題でもなあぁぁぁいっ!」


 凄いな。たった数十秒で場が混沌になってしまった。

 というか、普段は楚々として隙が見当たらない会長もルミナに対しては砕けた態度になるんだ。ふーん?

 ルミナもルミナで諦めたように上を脱いでるし。なんか二人の間にボクの知らない繋がりが見えて嫌だな。


「それで、どうする? ここで指を咥えたまま眺めているか?」


 そんな仄暗い嫉妬心に苛まれていると言うのに、ここでこの煽りはぐうの音も出ない程に畜生じゃない?

 ただの脳筋だと思っていたけど、こんな芸当も出来たのかと驚嘆する。鬼桐原の異名を持つだけはあるし、会長の右腕という実績も伊達ではないらしい。


「そう言う先輩こそ混ざりたそうですけど」


「それこそ要らぬお節介だな。後輩が気にする事じゃない」


 混ざりたい事への否定はしないんだ。

 まあでも、会長がこの事を計算に入れてない筈がないし、途中で交代でもするのかな。


「それに、邪重の考えを知りたいのであれば直接聞いた方が良いと私は思うぞ。納得いくかどうかは別としても、な」


 一理ある。

 ボクの求める回答を持ち合わせていない先輩と顔を突合せていた所で、得られる物はないに等しい。

 ならば、先輩の言う通り会長を直接問い質す方が建設的だ。

 何より、気兼ねなくルミナと遊べる機会を逸したくは無い。異性バレしちゃったから、勢い余ってあんな事やこんな事が起こるかもしれないし!

 となると、直ぐさま行動に移した方が良さそうだ。


「着替えてきます!」


「ああ。存分に水遊びを楽しんでくれ」


 まるで内心を見透かされた様な言葉。けれど、浮かれた気分はその程度の冷や水で沈む程、柔なものではなかった。



「何故、男装をバラしたのか、ですか」


 水着に着替えてプールに戻ると会長がプールの側壁に背を預けて一息ついていた。そのタイミングの良さに感謝しつつ、彼女の近くで腰を下ろし、膝下を水に浸しながら疑問を叩きつける。

 何を聞かれるかなんて想定していたであろう会長は、こちらを見上げて(おとがい)に人差し指を沿わせた後、首を傾げた。

 たったそれだけの事なのに同世代と思えない程の色香を感じる。同性であるボクですら目を奪われる所作なのに、ルミナはよく平気だよね。水夏さんで耐性が出来ているのかな。


「……そうですね。後輩君が知っていると都合が良いから、と言ったらどうします?」


「はい?」


 何故、ルミナが事情を知ったら都合が良くなるのか。さっぱり分からない。

 その謎掛けめいた問いにボクは水面下にある足をゆらゆらと動かす。


「後輩君、ちょっと良いですか?」


「……なんですか」


 悩むボクを放置して、会長がルミナを呼んだ。

 突き落とされた事を根に持っているのか、露骨に警戒した表情を浮かべてはいるけど、ちゃんと近づいてくる辺り、ルミナも律儀だよね。


「私は当初、姫川さんの補習をスケジュール通りに行って下さいとエクレール先生に打診しましたよ」


「「えっ?」」


 思わずハモる。

 じゃあ、なんでこの状況が生まれているのだろうかと二人して見つめ合う。


「ですが、承諾はして貰えたもののエクレール先生の態度が芳しくなかったので。試しに今日の所はプール清掃が入るという理由で延期にしたのです」


 なるほど。エレちゃん先生の事を慮っての采配だったんだと納得しかけて、内心で首を捻る。

 あれ? でもこれはエレちゃん先生がプールに現れなかった理由であって、ボクの秘密をバラした事への言及は一切していないよね?


「するとどうでしょう。見るからにエクレール先生は活気を取り戻し、弾む足取りで家庭科室へと消えていきました」


「家庭科室……? あっ……」


 続く会長の言葉に心当たりでもあるのか、ルミナが声を漏らす。

 うん。ちょっと待って欲しい。まるでエレちゃん先生の内情を知っている様に聞こえるんだけど、いつの間に仲良くなったのかな?


「おや。後輩君は理由をご存知のようですね」


「え!? あ、いや! 補習の時に今年は忙しいんですって愚痴を聞かされただけです! 家庭科室で何をしているのかまでは知りません!」


「本当に知らないのかい?」


「ほ、本当だって! けど、エレちゃん先生にも予定の一つや二つはあるんじゃないかな!」


 思わず向けてしまったジト目に反応して、ルミナが慌ただしく手を振る。

 ううむ。限りなく怪しい。間違いなく黒だとボクの勘が告げている。後で(つまび)らかにしないと。


「やはりそうですか。まあ、午前の補習は勉学なので仕方ないにしても、午後の補習まで駆り出すのは、幾ら貴方達の担任と言えど心苦しく思っていた所存でして」


「そういう事ならボクは別に泳げないままで大丈夫ですし、エレちゃん先生にもそう伝えて頂ければ」


「いいえ。それでは私の沽券に関わります」


「なんのだよ」


「そこで私は考えました。この問題をマルっと解決出来るunbelievableな方法を」


 ルミナのツッコミを黙殺して話を続ける会長。


「どうせ補習があるから学園へやってくる後輩君に姫川さんの面倒を押し付けちゃえと。その際、男装している事がバレちゃいますけど、姫川さんはきっと喜ぶから問題ないと判断しました」


「皮算用が凄い。それに、泳ぎを教えろだなんていきなり言われても困ります。なあ、聖?」


「え? ルミナが手取り足取り教えてくれるの?」


 この言い方だともしかして二人きりだったりする? 良いの? 現世の徳を使い切ってない?


「あっれ? 全然困ってないな?」


「ええ。後輩君の指導はこう見えてかなりのスパルタです。姫川さんには辛い想いをさせるかもしれませんが……」


「おい。的確な釣り餌を撒くんじゃないよ」


「す、スパルタ……つまり、不出来だとお仕置されちゃうのかな。……ふへへ」


 そんなのって……そんなのって……!

 ちょっと興奮しちゃうかもしれない。


「勝手に秘密を暴露した事、許してくれますか?」


「仕方ないので買収されてあげますよ」


「水夏ぅー! 助けてくれ、水夏ー! 俺のキャパシティ超えちゃってるからぁっ!」


 ルミナの往生際の悪い叫びを背景にボクと会長はがっちりと握手を交わした。

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