火燐アフター 1(otherview)
「俺と契約しませんか、先輩」
初対面だと言うのに、こいつは何を言っているんだろうと戸惑ったのを覚えている。しかも、立場が同じならこの大胆不敵な態度もまだ理解出来るのだが、説教する側とされる側であれば尚更である。
だが、今でも鮮明に思い出す。この生徒指導室での会話があったからこそ、今の私はここに存る。それ程までに決して色褪せる事のない大切な想い出。
「契約……?」
「はい。先輩って、現在進行形で肩身が狭い思いをしていますよね」
「っ……」
図星を突かれて言葉に詰まる。
入学して幾許も経たないうちに、邪重から提案されるがまま風紀委員に入ったものの、そこは既に形骸化していて最早、風紀を乱す者を取り締まる場所ではなく、他の生徒より優秀だったり、立ち回りが上手な者が教師陣から更なる内申点を得る為だけに所属する委員会になっていた。
その中で真面目に風紀を正す活動をしている私は明らかな異端者で。当時の風紀委員長を含んだ上級生の大半に疎まれる事になり、委員会に所属して早々に孤立した。
邪重に頼られた事で有頂天になって、新入生だからと遮二無二張り切った結果がこれである。まさか風紀委員長から直々に「余計な事をするな」と釘を刺されるとは思わなかった。
それでも、風紀委員を辞めなかったのは、元来の負けず嫌い気質もあるが、その状態で居るのが『自然』だと感じたからで。
なんと言うか風紀委員でない私は私じゃないというか。言語化が難しいが、世界が私に風紀委員であれとそう望んでいる気がした。
それから一年。会う度に風紀委員入りを勧めた事を謝る邪重の心配を振り払うように孤軍奮闘していたら、最上級生が卒業した。
尤も、とある妨害もあって私の風紀委員としての成果は微々たるもので、更に代替わりで新しく風紀委員入りしたメンバーも先輩達と主義主張が同じと来れば、果たして念願叶ったと言えるのか疑問が残るのだが。
結局の所、入部したての段階で主将まで登り詰めた剣道部とは違い、風紀委員で私のやり方が認められる事はなくて。腕っ節で解決出来ない事へはとことん不器用であるという現実を叩きつけられ途方に暮れた。
特に、まっさらな価値観を持つであろう新入生達には期待していたので、そうでないと知った時の落胆も一入だった。危うい所で踏ん張っていた心が軋んでしまった。最悪、私も長い物には巻かれろ精神で行くべきなのかと何度も自問自答を繰り返した。
そして、その悩みを抱えたまま、一学期を終える終業式を迎え、そこで事件が起きた。
「な、ならばお前は……その契約の話をする為に、わざと私に捕まったと言うのか」
「まあ、捕まるも何も現場で待っていただけなんですけどね」
そうだ。こいつは私が体育館の音響やスクリーン等の操作をする機械室に踏み込んだ時、たった一人で残っていた。
まるで、自分が全てやったと言わんばかりの態度で。
「……私がいの一番に飛び込んでくると確信していたのか?」
「俺には強い味方が居るので。先輩はそいつらのせいで去年苦労したみたいですけど」
「新聞部か……」
思わず顔を顰める。
新聞部。表向きはその名の通り、定期的に学校新聞を出すだけの部活で、その内容は今月のオススメ学食メニューの宣伝だったり、学園が飼っているペットが出産したとかほのぼのとした物が多く、しかも無料で購読出来るのもあって、そこそこの人気がある。
しかしてその実態は、独自の広大な情報網を駆使して顧客の求める情報を集約し、何かしらの対価をもって秘密裏に受け渡す集団である。
私が学園の見回りをする時だけ、やたらと生徒の姿を見かける事が減るのは、どうやらコイツらが情報を流しているからと知ったのは一年の秋も終わりそうな頃合だった。道理で活動初期に下級生に因縁をつけている輩を検挙して以来、空振り続ける訳だと。
それを教えてくれた人もおそらく新聞部に関わりがあったのだろう。このまま何も知らないのは可哀想だからと憐れまれてしまった。つくづく道化である。
しかも、何が厄介なのかと言うと新聞部に与えられている部室には、新聞を作るための機器しかなく、彼らがどうやって情報を掻き集めているのかという物的証拠が全く見つからない事である。
部員数も邪重から聞いて把握しているのだが、学園全ての情報を賄うには明らかに人数がおかしい。あまりにも謎が多すぎる部活故にあの邪重ですら傍観に徹している。
そんな新聞部が目の前の人物──私を先輩と言っているからには新入生なんだろう──に手を貸した。その事に私は若干の興味を覚えた。
「契約と言うのは?」
「俺はこれから今日みたいな事を沢山やります。その度に先輩が……先輩だけが俺を捕まえてください」
「……言っている意味がよく分からない」
「そうですね。端的に言うと俺が風紀乱しの筆頭者になるので、正義の風紀委員としてその敏腕を存分に振るってください」
端的に言われてもよく分からなかった。
「それでお前に何のメリットがある?」
「……ところで先輩。先輩は今日の出し物、観客としてどうでした?」
私の質問に答える事なく、後輩は小さな笑みを浮かべながら聞いてくる。
コイツの言う出し物とは、学長の長い長い挨拶中、その背後で徐にスクリーンを下ろし、学生達が何事かと気づいた辺りで館内の灯りを落とし、そのスクリーンにてたった今挨拶をしている学長そっくりの3Dモデルが何処からか掛かってきた曲と共にスタイリッシュな踊りを見せるというもの。
いきなりの事に大半の人物が何が起きているのか理解出来ず、呆然としたまま終わった一曲目。記憶に残ったのは映像の学長がキレッキレだった事くらいで。
「聖まあち学園の皆さん、こんにちは。いきなりの事で驚いたと思いますが、皆さんの貴重なお時間を頂いてでも同士を見つけたいと依頼者に訴えられたので、この場を勝手にお借りしました」
そこに体育館内に響く放送がかかれば、生徒たちは俄にざわめき出し、漸く全員の時間が動き出す。それでも、教師陣は未だに右往左往しているだけの人が多く、中には事態を収拾しようと動いてる者も居るみたいだが、この場に居る生徒の方も気にしなければいけないという事実が足を引っ張っている。
「さて、梅雨も過ぎ去り新入生は学園の空気にも慣れてきた頃でしょうか。かく言う自分も良い学園だなと日頃から感じ入るばかりです。特に部活面は素晴らしく、どこもかしこも華々しい物で溢れているし、同好会も倫理に逸脱しない範囲であれば活動を認められています」
暫く教師達を眺めていたが、誰も機械室に向かおうとしない事に私は小さく溜め息を吐いた。
「けど、この二つの間には徹底的な差があるんですよね。それは同好会は部活と違って紹介される機会が少なすぎて、物によっては誰の目にも留まらないという事と顧問が居ない事。そして、学園から支給される部費が一切ないという事です」
滔々と続く放送の内容に耳を傾けながら私は席を立つ。
座っていた場所が端っこだったので、そこまで目立たないと思っていたのだが、思っていたよりも視線を集めた。が、それらを無視して私は足早に機械室へと歩み出す。
その道中、こちらを見て楽しげに微笑む邪重と視線が合った。
「当然、学園とて慈善事業じゃない。数の多い同好会や活躍していない部活にお金を渡していては破産してしまう。なら、幾つかの同好会を纏めて一つの部活とするのはどうだろうかって思いまして。互いの技術を持ち寄れば何かしらの分野で活躍出来るのではないかなと」
足を止めずに知っていたのかと視線で問うと邪重は首を横に振る。
それだけ確認すると私は機械室へ繋がる通路がある扉に手を掛け、
「それが今お送りした映像研究会と日本舞踊同好会の合作なんですよね。それを念頭に入れた上で二曲目を楽しんでください」
動きを止めた。
日本舞踊? あの学長の激しい動きが盆踊りと同じ分類学にあると言うのか?
気になる。確かに言われてみれば掛かっている音楽は和テイストだし、となれば今もスクリーンで踊っている学長の動きにも日本舞踊らしさが取り入れられているのだろう。
全く想像が出来なくて、とても振り返りたい。私はそんな好奇心を無理矢理抑え込むと通路に出る。そして、機械室の中に入り、手持ち無沙汰感丸出しのまま椅子に座っていたコイツ──海鷹夜景と出会うのであった。
だからまあ、観客としての感想を求められるのであれば、
「二曲目は見てなかったから分からない」
「あちゃー。そう言えば二曲目を披露している時に捕まりましたもんね。一曲目は驚きが勝ちすぎて印象に残ってないでしょうし……良ければ、映像をお渡ししましょうか?」
ちょっと心が揺れる提案はやめて欲しい。
「必要ない。それで? 私の質問には答えてくれないのか?」
「俺にメリットがあるのか? って話ですよね。勿論、ありますよ。皆の記憶に俺という存在が強く遺るじゃないですか」
「は……?」
それだけ? それだけの為に今回みたいな事をやると言うのだろうか。
「困った人を見過ごせないのとどうせなら学園生活を楽しく過ごしたいって気持ちは勿論ありますよ。けど、根底としては覚えていて貰いたいという気持ちが強いですね。俺はここに居たんだぞって」
「……お前は」
口調自体はあっけらかんとしたものだが、どこか真剣味があるせいで、つい後ろ向きな考えがチラついた。
「ああいや、勘違いしないでください。別に死期を悟って一華咲かせてやろうみたいな物ではないんで。単に昔を振り返った時に面白いやつが居たなあって感じで、楽しい人生の添え物になれればなって」
「その為に人の悩みに手を差し伸べつつ、色々と巻き込むと?」
「折角なら面白おかしくした方が豊かな経験にもなるでしょう? おもしろきこともなきよをおもしろく、ですよ」
「私を抜擢したのは?」
「先輩が一番早く俺を捕まえたから。やー、良かったですよ。先輩が噂通り正義感に溢れた人で。教師にこんな事頼んだ所で到底許可される訳がないですから」
「私なら頷くと思ったのか?」
「俺の今の言葉だけでは無理でしょうね。でもですよ、先輩が俺の要求を呑むと、なんと新聞部がおまけでついてきます。頼れる友人が所属しているので」
効果は抜群だった。
煮え湯を飲まされ続けた新聞部が中立どころか味方になる。何より、剣道部ではなく風紀委員である私を指名しているのが琴線に触れた。
「……私の負けだな」
「いやまあ、俺も入れ知恵あっての事なので」
そう言って苦笑する海鷹が差し向かいに座る私に手を差し出す。
その手にこちらも手を重ね、軽く握った。
「これから宜しく頼む」
「はい。とりあえず、風紀委員内で先輩の立場を向上させる所から始めましょう。名付けてマッチポンプ作戦、Let's do it!」
こうして、風紀を取り締まる側と取り締まられる側で奇妙な同盟が締結。便利屋の如く依頼を受けては西へ東へと出没する海鷹を追い回すと何故か道すがら無頼漢ともよく出会い、それらを片端から締め上げていく事で先ずは下級生達から一目置かれるようになった。