火燐フラグ 4-3
と思っていた時期が僕にもありました。
「まさか断られるとはね」
制服に着替えながら呟く。
ううむ。これは正直想定外。ここに来て好感度が足りないとかなんだろうか。でも、イベントの進行が止まるのであれば、俺としても好都合じゃないか?
「うん。一緒に帰れないなら仕方ないよな。いやー、残念だなー。先輩の変調の原因が何なのか知りたかったなー」
そうと決まれば家に帰ろう。
俺は脱いだ体操服を袋に詰め込み、見た目の割にそこそこの容量があるスクールバッグに捩じ込んだ。ちょっとパンパンになったけど、これくらいでダメになるほど柔じゃないんだよな。
そして、それを肩にかけて更衣室を後にする。勿論、最後の一人なので施錠も忘れずに。
「よし」
後は鍵を返すだけだな。保管場所である職員室に持って行くのも良いが、何故かまだ武道場が明るいので、そこに居るであろう先輩に渡す方が距離的にも色々と楽な気がする。
ぶっちゃけ、俺ってあまり教師からの評判が宜しくないから近寄りたくないんよね。俺ほど授業態度が良好な生徒はそう居ないというのに。とても不可解だ。
「せんぱ──」
まあ、そういう理由もあって、俺は先輩に鍵を渡そうと武道場を覗き込み、咄嗟に口を噤んだ。
「ふっ! ふっ!」
そこには正確に力強く竹刀を振る先輩の姿があって。
皆を帰らせたのに自分は残って素振りとは。自宅でも出来るとは言ったのは先輩なのに、そうまでして部活熱心なのか。さすが部長。
「……いや」
違うな。
他の部員は知らないが、少なくとも先輩は自宅だと鍛錬をする余裕がないんだ。
何故なら幼い妹達の面倒を見なければいけないから。実際、朱音ちゃん達と居る時の先輩が、彼女達を放置してまで竹刀を握る所は見たことがない。
(だからって、こんな隙間時間でやらなくても)
いくら先輩と言えど学生の身分である限り、学園が定めた下校時刻には従わなければならない筈である。
風紀委員長としての実績や剣道部の強さ的に多少のお目こぼしはあるかもしれないが、それでも猶予が数分くらい延びるだけ。
そんな余裕のない状況ではあるが、先輩は深く集中しているのか、武道場の入口で立ち尽くす俺には一瞥もくれる事なく素振りを繰り返す。
(これは邪魔出来んよなあ)
そもそもが俺との会話に付き合ってくれていたから時間がなくなった感あるし。
こんなにも真剣な先輩に、わざわざ鍵を渡す為だけに声を掛けて素振りを中断させるのも忍びない。
うーん。こうなると何処かに居るであろう顧問に渡すしかないか。誰が顧問なのかすら知らないけど。部活の間も居なかったし。
「え? 剣道部の顧問は他部活も掛け持ちしてるので、部の指針や運営は基本的に火燐任せですよ」
「こっちの世界でも教師の人手不足問題が深刻すぎる!」
武道場から離れ、校舎に繋がる渡り廊下を歩きつつ会長に電話を掛けたらワンコールもしない間に応対されてちょっとびっくりした。
「こっちの世界?」
「あ、いや、なんでもないです。なら、男子更衣室の鍵は職員室に持っていくしかない感じですか?」
「火燐に渡さなかったんですか?」
「ちょっと先輩の邪魔をするには申し訳なさが……」
ちなみに剣道部に突撃するという話は会長にも伝えている。というか、推奨してきたのはこの人である。
「なるほど。だから、顧問を探していたんですね。それ程までに職員室が苦手ですか」
「寧ろ、好きな奴のが少ないと思いますけど」
「ですが、ふふっ、残念な事に鍵の管理は職員室でしていますので」
「残念と思っているのなら含み笑いするのやめてもらっていいですか?」
「そんな事より何か収穫は得られましたか?」
「何の成果もなかったですね」
人の気配が露骨に減った校舎内。薄暗くなり始めた屋外と違い、電灯の灯りがリノリウムの床に反射し明るい廊下は見渡す限り人影はなくて。
それとなんだかんだ会長との通話に意識を割きすぎていたからだろう。その不意打ちは完全に意表を突かれた。
「Je dois nettoyer bientôt」
「え?」
歩いていた横で突然すぐ傍にあった家庭科室の扉が開く。その音に釣られてそちらに視線を向けた俺は思わず足を止めた。止めてしまった。
そして、唯一の出入口付近で固まってしまった俺と廊下に人が居ると思っていなかったであろう人物が真正面から衝突する。
「──うわぁ!?」
「Oups!?」
衝撃が軽かったのは相手が俺よりも小柄だったからか。が、そうなるとその人物は当然ぶつかった反動で尻餅をつく。
その拍子に抱えていた物が盛大に至る所へ散らばった。なんなら顔面にぶちまけられたから目の前が瞬間的に真っ暗になったよ。
なんだこれ。材質的には布だが……?
「後輩君!? どうしました!?」
「ちょっとした接触事故が起きまして。すみません、会長。一旦、切りますね」
「ちょっ、後輩く──」
俺の悲鳴染みた声に焦った様な会長の声が聞こえる。正直、結構な音量で叫んじゃったから会長の鼓膜が心配ではある。けれど、説明の手間を惜しんだ俺は通話を無理矢理終わらせてスマホをポケットに仕舞った。
ごめん、会長。後でちゃんとメッセージを送ってフォローしておくから許してくれ。そんな事より、衝突の直前に垣間見えた相手は確か……。
「大丈夫ですか、エレちゃん先生」
「み、海鷹クン……」
顔にかかった布をどけて視界を確保すると、やはりというかエレちゃん先生が床に座り込んでいて。
立ち上がらせるか、周りの物を回収するかで一瞬だけ悩むが、先生が教え子の手を借りるのは心情的に微妙かと考えて散らばった物を拾うことに。
「服……?」
そうして散乱している物に視線を向けた所で、その正体に気づく。俺が最初に手に持った物も服と言えば服に相違なかった。
ただ、一つだけ違和感があるとすれば、どれもこれもが実用性に欠ける雰囲気を感じる。平たく言えば、衣装全てがまるでファンタジー世界でお目にかかる様なデザインをしていた。
普段使いするにはあまりにも奇抜。辛うじて演劇部用の衣装にも見えないこともないが、見た感じどれも露出が多いんだよな。こんなの使ったら不健全な劇になるよ。
それと家庭科室から出てきた事を考えるに学園で衣装製作をしていたのかな? エレちゃん先生って裁縫部の顧問だったっけ?
「う、あう……」
「…………」
俺が服をマジマジと見つめてしまったからか、エレちゃん先生の顔が羞恥に染まる。
何かを言おうとして口を開くものの、動揺しすぎて言葉らしい言葉を発せない彼女の姿がとても居た堪れない。
明らかに先生の秘密の一端を知っちゃったよなあ、これ。今からでも見なかった事に出来ないかな? 出来ないか。
「あの、先生……」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「拾ったこれ、どうしたら良いですか?」
特大の爆弾。触れたら負けだと自分に言い聞かせて、集めた数着の衣服を先生に見せる。どうでもいいけど、こんなの最早下着じゃんみたいなのもあったわ。うん。どうでもいいけどね。
「あっ、そ、そうデスね! っ……!」
まだどこかぎこちなくも、気を取り直してなんとか立ち上がろうとしたのか、床に着いていた腕を動かしたエレちゃん先生の顔が歪む。
「大丈夫ですか?」
「Oui。平気デスよ、このくらい」
だが、大人としての意地か、俺が聞くとすぐに笑顔を浮かべて立ち上がり、持っていた衣服をさり気なく奪い去っていく。
まあ、触れて欲しくはない事だろうから触れないし、平気と言うのなら深入りもしないけども。これでも転生前はちゃんとした大人だからな、ちゃんと空気は読みますよ、ええ。
「大事になる前に患部を冷やして安静にしてください」
「海鷹クンこそ、下校時刻が過ぎる前に帰りまショウね?」
俺とて元よりそのつもりではあったのだが、まさかこんな所でこんなイベントが起きるなんて、想定出来る訳がないだろ。
いやでも、先生に会えたのは丁度いいな。ついでに鍵を渡してしまおう。これで職員室に行かなくて済むぞ。
「更衣室の鍵、デスか。分かりマシた。ワタシが責任を持っテ、お預かりしマス」
実際に頼むとすんなりと引き受けて貰った。やったぜ。
よし、これで後は帰るだけだな。エレちゃん先生との邂逅は兎も角、先輩との進展はなかったし、まだまだ平和な日々は続きそうで良かった良かった。




