風花フラグ 4-5
難産だった
「はい。正真正銘、俺の勝ち」
脳を揺らされて崩れ落ちる阿久野君の肘窩を力の入らない足で抑えながら銃を奪い取り、それを額に押し付けつつの勝利宣言。二丁持ちとか裸でなければ様になっていただろうに。それだけが残念でならない。
というか、今の俺達の絵面、相当ヤバそうだな。あまり考えないようにしよう。
「な、何が勝ちだ……卑怯者め……!」
お。結構、全力で殴ったんだけど普通に意識があるのな。
もしかして、この世界の人間って耐久値が高い? 阿久野君の兄も銃で撃たれたという割に、命に別状はないみたいだし。
これは拳でいかなくて正解だったかもな。顎というのは人体では硬い方に属するから、非力な俺では拳を傷めるかなと思って拳銃で殴ったんだけど、素手だと倒せたか怪しかったパターンだわ。念には念というか、使えるものは使う精神で良かった。
あ、良い子の皆は真似しないでね。脳震盪は重大な障害を起こす可能性があるから、遊び半分でも知り合いとかにやっちゃダメだぞ。
「俺は股間の武器で戦うことを否定したつもりはなかったけどな。これでも、早撃ちには自信があるんだ」
そ、そそそ早漏ちゃうわ。
「ふざ……ふざけるなッ!」
「こっちは真剣なんだけどな」
「黙れ……! そっちがその気なら、こちらも手段は──ふごっ!?」
「はい、ストップ」
突き付けていた銃を永遠に閉じない口の中へ捩じ込む。
絵面が悪化して、精液塗れの男の口に黒光りした太い物を入れているって状況になっちゃった。笑うわ、こんなの。
「阿久野君が何を言おうが、誰がどう見たって俺の勝ちでしょ。確かに銃を使った早撃ち勝負って話だったけど、別に銃以外を使っちゃいけないなんて話でもなかったし」
まあ、屁理屈ではあるけれど。ふはは、勝てば官軍なのだよ。
某海賊漫画でも正義が勝つんじゃなくて、勝った方が正義って言ってたしな。
「だから、余計な真似はしない方が良いよ。さすがの君も自分の命は大事でしょ?」
「ふごっ! ふごぉっ!」
誤射が怖いから引鉄に指をかけてはいないが、この銃自体は阿久野君が使っていた物だ。
そして、先程発砲もしている。ほんのりと熱を持ったそれを視界不良の中で口内にぶち込まれて気が気でないのか、阿久野君は必死にこくこくと頷きを返してきた。
生殺与奪権、ゲットだぜ!
「じゃあ、風花ちゃんを解放するのと、そこで倒れている阿久野兄の止血も頼むよ」
「ひ、必要ないでござるよ……」
周囲の男達が全員動くと風花ちゃんを人質に取られる可能性がある為、二人くらい適当に選んで指示を出していたら、阿久野兄がよろよろと立ち上がった。
肩を庇う姿が痛ましいが、どうやら本当に大丈夫らしい。
「海鷹殿、差し出がましいお願いではあるのだが、風花たんを自由にする役目は拙者に任せて貰いたい」
「風花ちゃん次第かな。俺は君がどんな人なのか、全く知らないし」
阿久野君に撃たれていたみたいだから、彼とは敵対関係にはあるのは分かるけど、敵の敵が味方とも限らないからね。
「風花たん……いや、文野風花さん。厚顔無恥なのは理解していますが、今だけで構わないので私を信じて貰えないでしょうか」
「……分かりました」
絞り出すかの様な風花ちゃんの声。彼女にしては珍しく感情を隠し切れていないのが見て取れた。
何やら浅からぬ因縁があるみたいだ。
「では、失礼します」
阿久野兄は元々が風花ちゃんのすぐ傍で倒れていた。だから、彼はのそのそと彼女の後ろに回ると椅子と手を繋ぐ様に縛る拘束具を引きちぎる。
そして、その足で風花ちゃんの前に回ると大きな身体を精一杯丸めて、土下座をかました。
「大変……大変申し訳ありませんでした! 弟の言葉を鵜呑みにし、一人勝手に舞い上がり、貴女様とその周囲の方々に多大な迷惑と恐怖をお与えしてしまった事、慚愧に堪えません」
「い、いえ……」
まさかのガチ謝罪である。
風花ちゃんも驚きすぎて、言葉に詰まっている。
「この償いは私に出来る事であればなんでも致します。二度と姿を見せるなと言われれば従いましょう。これ以上、貴女様の日常を決して脅かさないと誓います」
額を地面に擦り付け、阿久野兄は怒涛の勢いで言葉を重ねる。
あー、なるほど。あの夜に見た風花ちゃんの夢って、こいつから逃げていたのか。
……ん? 弟の言葉を鵜呑みにして?
「阿久野君、一つ聞きたいんだけど」
「ふごごっ!? おご、あが……ぁ……」
「ああ。これじゃあ、話せないか。まあ、兄の方に聞けば良いか」
間違えて銃を更に押し込んじゃったわ。口の端から涎が溢れてるし、かなり息苦しそうだけど、悪いことをしたからにはお仕置はちゃんとしないとね。
無花果さんを傷つけて、風花ちゃんを恐怖させた報いがこれなら優しい物でしょ。
「阿久野兄」
話しかけると兄は土下座したまま顔だけこちらに向けた。
「なんでしょう、海鷹殿」
「弟からの洗脳は完全に解けたのか?」
「はい。目の前でネタバレされた挙句、陥穽にまで掛けられたので。最早、肉親に対する情すらありません」
「じゃあ、こいつは兎も角、兄の方は風花ちゃんへの想いや未練も断ち切れると」
足下で藻掻く阿久野君を指差しながら問う。
ふ。そう簡単には動けまいて。腕を抑えられているし、呼吸もままならないのだから。
「断ち切るも何も、元より借り物の想いだったので、もう空っぽですよ。寧ろ、私が仕出かした事の重さで今すぐ地中に埋まりたい気分ですね」
なんだこいつ、話してみると意外とおもしれーな。
一応は大企業のご子息なだけあって、ちゃんとした言葉遣いだとまともには見える。
どんな感じでストーカーをしていたのかは知らないが、今の阿久野兄は信じても良い気がする。
まあ、あくまでも決めるのは風花ちゃんだけど。
「風花ちゃんはどうしたいんだ?」
「……金輪際、アタシに関わらないでください」
妥当な落とし所だと思う。風花ちゃんとしては阿久野重工に求める物は何もないだろうし。
「私の背負う罪過がそれしきの事で精算出来るとは思えませんが、文野風花さんが望むのであれば其のように」
不承不承といった感じではあるが、阿久野兄が誠意を込めて、もう一度額を地面に擦り付ける。
うんうん。なんか知らんけど、それっぽく解決出来たな。出来たか? ……出来たよな!
後は阿久野君だけなのだが、さてさてどうしたものかな。俺の言うことを素直に聞くとは思えん。
「サツが来たぞォ!」
とか考えていたら、倉庫の入口の扉が勢いよく開け放たれて、キャップを目深に被った少年らしき見た目の人物が慌ただしく闖入してきた。
「ま、マジかよ!」
「やべえ!」
国家権力の登場で俄に騒がしくなる男達。非合法な物だらけだからね、この倉庫。そこに居るって事は重要参考人としてしょっぴかれるのが目に見えているし。
……俺としては見張りが居た事にちょっとびっくりなんだけどな。
いや、用心深い阿久野君の事だから、見張りの一人や二人は立てていると思っていたんだけど、俺があんな派手な登場をしたのに外は何の反応もしなかったから、てっきり居ないものだと。
というか、声色を変えているけど、どこかで聞いた声だな。『ダメ絶対音感』持ちを舐めるなよ。
「大将、すぐに逃げましょう。皆さんも、う──私と一緒に!」
そのまま俺と阿久野君の傍まで駆け寄ってきた少年が、俺だけに見える様に唇の前で人差し指を立てる。
どうやら、事後処理を引き受けてくれるらしい。なんなら、俺が手を出さなかった場合でも、このイベントを解決してくれたのでは?
この感じだと警察の到着も本当か怪しい。一瞬、築山の要請した部隊が来たのかなと思ったけど、さすがに早すぎる。しかし、浮き足立った男達にそこまで気を回す余裕はないのか右往左往始めている。
ここまで計算づくなのかね。行き当たりばったりな俺とは大違いで、ちょっと凹んじゃう。
「おい、大将を離せ。痛い目を見たくなければな」
「俺がドMなら悦ぶ所だな……あ、嘘です。どうぞどうぞ」
なんとなく場を和ませようとした俺に冷たい視線が突き刺さる。
おかしい。帽子で見えない筈なのに、ちゃんと圧があったよ。
後、見えなくてもチラチラと股間を気にしているのが分かっちゃうな。うーん、お年頃。
「大将、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。迷惑を掛ける」
「いえ。先導します。走るので、手を離さないでくださいね」
精液を拭き取れば視界に関しては解決するのに、頑として何も渡さない少年。
阿久野君の視力が回復すると都合が悪いんだろうね。例えば、二人に実は面識がないとか。
結局、彼は阿久野君の手首を掴むと男達を引き連れて、倉庫の中から出ていく。残されたのは、俺と風花ちゃんと阿久野兄。
静けさを取り戻した空間の中で、次に動き出したのは風花ちゃんだった。
「ルミお兄ぃぃぃ──」
「ん?」
「ちゃあぁぁぁぁんっっっ!」
「んんっ!? んぐはぁっ!」
正しく電光石火。
気づいた時には目前に迫るツインテール。勿論、なんの気構えもしていなかった上に射精後の気怠さを覚えている下半身では耐える事なんて不可能で。
風花ちゃんに飛び掛られるまま、地面に背中を強かに打った。今日一で痛い。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんっ!」
そして、まるで大型犬が戯れるが如く、俺の上に馬乗りになった風花ちゃんがそのまま全身をぶつけてくる。
あー、やっぱり好感度が完全にぶっちしてしまいましたね。誰か助けろください。
「ふむ。拙者もお邪魔のようですし、ここいらで退散致そう」
待って欲しい。阿久野兄が居なくなったら、誰が暴走状態の風花ちゃんを止めるんだ。
なんとかして引き止めなければ。とりあえず、気になっていた事を聞こう。
「身体は平気なのか?」
「海鷹殿は優しいでござるな。こんな拙者を未だに気遣ってくれるなんて。なに、これくらいなら唾をつけて肉を食べて沢山寝たら治るでござる」
モンスターかな? いや、俺が気にしすぎない様に巫山戯ているだけか。そうだよね? そうだと言って。
俺の疑問を他所に阿久野兄はしっかりとした動作で立ち上がる。
「では、拙者はこれにて。約定通り、もう文野風花さんの前には現れませんので。それと海鷹殿。先手の一撃、実に爽快でした。機会があれば、催眠音声のお勧めをご教授願いたいものですな」
そうして彼は、俺達に微笑ましげな視線を向けた後、どこか吹っ切れたかの様な表情を浮かべて、緩慢とした歩みで倉庫から出て行く。
点々とした血の跡が生々しくて、ちゃんと止血して体力が回復し切るまでジッとしてろと言いたかったのだが。
「ぇぐ、んぐっ、お"に"ぃぢゃあ"あ"ん……よがっだ、よがっだよぉ……うわあぁぁぁんっ!」
「うぇっ!? ど、どどどどうした風花ちゃん!?」
俺に抱き着く風花ちゃんが肩を震わすのと感情の決壊は同時。
思わずそちらに意識を割かれている間に阿久野兄の姿は影も形もなくなっていた。
「しんじゃう"っで……アダジのぜいで、おにぃ、ぢゃんがぁ……!」
あー、なるほど。
確かに、傍から見たら勝負を受けたのは無謀に見えるよなあ。
無花果さんの為に自己犠牲を選ぶ風花ちゃんの事だ。俺にも同じように傷ついて欲しくはなかったのだろう。
「勝算はあったし、仮に負けてても死ぬ事はなかったと思うけどね」
「わがんな"いも"ん"っ!」
おっと、幼児退行。見た目がロリだから、完全にマッチしている。
しかし、泣いている女の子ってどうしたらいいんだ。ゼロは何も答えてくれない。
「じゃあ、約束しよう」
「やぐぞく……?」
安心させる様に風花ちゃんの頭に手を置くと、彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向けた。
「おう、約束だ。内容としては風花ちゃんを置いて居なくならないって所かな」
「ぐすっ、ほんとうに……?」
揺れる瞳から覗く不安。それを取り除いてあげようと俺は笑いかけてやる。
「本当だとも。なんだったら、指切りもしようか?」
「……指切りより、こっちが良い」
「こっちって──!?」
何? という言葉は風花ちゃんによって塞がれる。物理的に。
「んんっ……ちゅ、んむ……」
ゑ? 今、何をされていますか?
固まった頭で理解出来るのは、俺の両頬に添えられた風花ちゃんの小さな手と唇に何度も降り注ぐ柔らかい感触くらいなもので。
おいおいおいおい。これはマウストゥマウスってやつですか。
「好き……ルミお兄ちゃん、大好きぃ……んちゅ、ちゅる……」
涙のせいだろうか。少しばかり塩っけを感じるキスに露骨に戸惑う。そういえば、この世界に来て色々とあったけど、キス自体は初めてだ。
……あれだな。陳腐な表現で申し訳ないのだが、キスって気持ちいいものなんだな。知らなかった。
けど、今の風花ちゃんに邪な想いを抱くのは流石に違うだろう。鎮まりたまえ、男神よ。まだお前の出番じゃねえ、座ってろ。
(そういや、ここからどうやって学校に戻ろう)
かと言って、縋る様にキスの雨を降らす風花ちゃんを引き剥がす事も出来ず、俺は関係の無い事を考えて意識を無理矢理逸らすのであった。