風花フラグ 3-4
「以上をもちまして全学年の100メートル走が終了しました。次は一年生による棒引きです。それと男子障害物競走に出場する選手達は準備をお願いします」
体育祭の進行を勤める放送部員の案内を聞いて、俺はゆっくりと立ち上がる。
そして、グラウンドの片隅ではあるが、我ら二年四組が与えられていたブース──日陰を作る為にタープと呼ばれる屋根が設置され、ブルーシートが敷かれたエリア──から指定された場所へ向かう。
「ルミ君、頑張ってね」
「くれぐれも怪我はしないように」
「くくっ。かましてこい、ルミナ」
その際、いつもの三人から三者三様の激励を貰った。
ううむ。適当にやってもバレないからと選んだ競技ではあるんだが、これはそれなりにやった方が良いんだろうか。
……まあ、ビリを回避するくらいでいいか。そもそもが運動得意でもないし、こういった行事の時だけ張り切ると逆に大惨事になりやすい。障害物競走なんて、それの筆頭だろうしね。
後、隼の意味深な笑いが気になる。こいつ、今日の体育祭が始まるまでになんか色々と手回しをしてたっぽいんだよなあ。
「……考えても仕方ないか」
ただ、隼の悪巧みは今に始まった話でもないし、俺に何も言ってこなかったという事はその内容は俺の助力を必要としていないか、こちらを巻き込む様な物のどちらかで。
なんの情報も手掛かりもない状況で奴の思考など読める訳もなく。
そう独りごちると選手入場ゲート……と言っても安っぽいポールが二本並んで立っているだけだが、そこの手前へ辿り着く。
「先輩、宜しくお願いします」
すると俺に声を掛けて来た子が一人。ええと、確か……。
「阿久野君……だっけ?」
「はい。覚えて頂いて光栄です。お互い頑張りましょう」
「これはこれはご丁寧に」
イケメンが柔和な表情で手を差し出してきたので、俺も恭しく片手を伸ばして迎え入れた。
挨拶や握手は大事。古事記にもそう書いてある。
「二組が強い! 強いぞォ! 一人で三人相手を引きずっている! お前こそ三国一の英雄だァッ!」
そこに響く実況の声に俺と阿久野君は手を離し、グラウンドの方に視線を移した。
「今年の一年二組はパワーファイターが多いみたいですね。棒引きは過半数の棒を自陣に持ち帰れば勝ちなので、お互いに何本かは諦めて最後の一本を全力で取り合う形になる事が多いのですが」
「ところが捨て駒と思われた一人相手に足元を掬われる! とんだ伏兵! 孔明の罠! これは二組の完全な作戦勝ちという事ですか!?」
「そうですね。一人相手だから三人で勝てるだろうという慢心を逆手に取った素晴らしいパフォーマンスです」
「三人に勝てる訳ないだろ! 馬鹿野郎、俺は勝つぞ! で、実際に勝っちゃった訳ですね!?」
「ええ。しかも、一回戦は普通にやってからのこれですからね。これは相手の四組も堪らないでしょう」
「おおっと! ここで決着! 一度傾いた流れをそのまま制し、勝者は一年二組となりました! お互いの健闘に皆様、拍手をお願いします!」
放送部員として数少ない晴れ舞台だからか実況ははちゃめちゃに張り切っているし、何故か解説も用意している。
彼女達の声量はマイクによる増幅もあって中々の物ではあるが、滑舌の良さや抑える所は抑えている為に五月蝿くて聞き苦しい程でもなく、さすが放送部員と言わざるを得ない。
「四組も中々の熱量でしたが、一歩及びませんでしたね」
「けれど、見応えのある対戦でした。あれ程の頑張りを見せてくれるのであれば、応援している彼女達も嬉しいでしょう」
解説に促されるように視線を動かすと、一息ついているのか水分補給をしている風花ちゃん達が見えた。
「四組だけで構成された応援団ですか。聞いた時は耳を疑いましたよ」
「ええ、それは私もです。応援係という役職は確かにあるのですが、これは正直な所、競技に参加する気はないが何かはしておきたいという人達向けのものですからね」
「競技への強制参加がないのは自由な校風を売りにしている我が校の強みなので、お子さんの進学先を悩んでいる保護者の方々は是非ともうちの学園を宜しくお願いしますっ!」
そんな実況の言葉に保護者達が集まる見物エリアがドッと湧く。
これ、アドリブか? それなら凄い適応力だな。
「話を戻しますが、実際の応援団を見てどう思いましたか?」
「はっきりと言いましょう。滅茶苦茶に羨ましいです!」
「彼ら彼女らを纏めるのは、あの文野風花ですからね。彼女がチア衣装でポンポンを振る度に選手たちのボルテージも上がりますよね」
「実際、先程の100メートル走でも四組の生徒は好成績を残しています。いつも以上の力を発揮していると見て良いかと」
「これは来年から各クラスで応援合戦が始まるかもしれません! 残念ながら私達は卒業するから見れないんですけど! いや、OGとしてならワンチャン……?」
「えー、実況席。仕事をしてください。障害物競走の準備が整いましたので」
進行の子が溜め息混じりにツッコミを入れるのと同時、俺たちの入場アナウンスが響く。
入り口で待機していた先生の指示に従ってグラウンドに入ると、そのまま競技に参加する選手全員がスタート地点に進む。
「今回の障害物競走ですが、なんと男子と女子で障害物が変化しているらしいです」
「ほうほう。だから、男子障害物競走という名前なんですね? ところで、参加者全員が一斉に走るみたいですが、これは……?」
「うちの学園は男女比率が女子に偏っているので、男子だけでやるとなるとどうしても人数が集められなくて、全学年巻き込んでクラス対抗っぽくしてみました」
じゃあ、分けるなよ。
「ルミお兄ちゃあぁぁんっ! 頑張ってえぇぇぇっ!」
なんて心の中で突っ込んでいると風花ちゃんの声が響く。
俺の横で阿久野君が小さく笑った。
「おっと、今から始まる障害物競走ですが第一走者に例の彼が居るみたいです」
「ああ。二年四組所属の筆頭問題児ですか」
なにその不名誉すぎる称号は。というか、三年にも俺の事知れ渡ってんの? 去年、そんなに目立ったの?
おい、周りの奴らは俺を見るな。何も知らない保護者の視線も向いちゃうだろ。
「彼と風紀委員のバトルは最早風物詩ですからね。今年度はまだ一度も見掛けてないので、一年生には何がなんやらって感じだと思いますが」
「去年もこの時期は大人しかったので、色々と計画を練っている段階なのかもしれません。今後の動向に注目です」
やめろやめろ。憶測で語るな。
世間様から俺への好感度が落ちちゃうだろ。落とすならヒロインの好感度を落としてくれよ。死活問題なんだから。
「さてさて、場も温まってきたところで、そろそろスタートとなります」
「途中でリタイアせずに全障害を走破して欲しいところですね」
「フレー! フレー! お兄ちゃん!」
え? 体育祭の競技にリタイアとかあるの? おかしくない?
気にはなったが、色々と突っ込むには時既に遅しっぽい。俺は諦念の溜め息を吐きつつ、周囲に倣ってスタートに備えるよう緩く構える。風花ちゃんの熱の篭った応援のせいか、他の選手達から刺す様な視線を感じた。
ううむ。針の筵。まあ、彼女と一緒に登校してた甲斐もあって慣れたと言えば慣れはしたけどね。だから、うん。至って普段通りだ。
「位置について、よーい……」
スターターが空砲を蒼穹に打ち上げると同時、大地を力強く蹴った。
「さあ、一斉にスタートを切った選手達。ほぼ横並びで第一の関門に辿り着きます!」
走り出して10メートル程のところで、横長の机とそれを挟んで立つ黒子が居た。人数は四人なので、一人で一クラス担当しているのだろう。
……なんで? そんな疑問を抱えつつ、俺と阿久野君に三年の先輩は一人の黒子の前に立った。
「第一の関門はズバリ『勇気』! 走者たちの資質が問われます!」
いきなり精神面から入るじゃん。障害物競走ってこんなのだったっけ?
「汝が勇者ならば、この逸品を手に取られよ」
うわ、喋った。
で、なんか袋渡されたんだけど、なんだこれ。
どうやら、この場で中身を検めなければいけないらしい。たまたま俺が受け取ったので、そのまま手を突っ込んで中にある物を取り出し、ついでになんとなくで天高く掲げた。
「「…………」」
阿久野君と先輩が何の反応もしなかったので、不思議に思いながら俺も視線を上げると、視界にスケスケの黒いブラジャーが映った。
「五月晴れ 風間に揺れる 黒下着」
俺氏、心の一句。
「その堂々たる振る舞い、正しく勇者に相応しい。次に進むが良い。ちなみに、その下着を落失させると失格になるから気をつけるように」
詠んでたら黒子がクールに去っていく。
重大なルール説明と共に。
「や、やりましたね、海鷹先輩!」
「…………」
「何か?」
「こういうのは年少者の役目では?」
「いえいえ、僕なんかとてもとても。どうぞ海鷹先輩がお持ちください」
「あぁ!? 先輩の頼みが聞けねえっつうのかよ!」
「とりあえず、先に進もっか」
ブラジャーの所有権を巡って争っていると先輩がサクッと走り出す。
それっぽく誘導してたけど、飛び火が嫌で逃げたな、この人。
ところで、ブラ片手に走るの保護者達に見られてるんだけど、大丈夫? クレーム来ない? PTA激怒不可避じゃない?
「他が戸惑って動きが鈍い中、一抜けの四組チーム、早くも次なる障害物へ挑戦だァ! 第二の関門はハードル走です!」
二つ目で真面目にやるなら最初からやらんかい。
なんて思ったのも束の間、俺たちの前にぽつんと一つ寂しく置かれたハードルが現れる。
「ただし、ただのハードル走と侮るなかれ! 我が校が誇る機械工学部渾身の作品をご覧あれ!」
実況の言葉と同時、突然ハードルに機械で出来た手足が生えて自立する。
「えぇ……?」
「問われる資質は『機転』! 元来のハードルと同じく飛び越える事が出来たクラスが次に進む事が出来ます」
「動かないように抑えつけたら良いのかな。よし、ここは年長者の意地を見せよう」
そう言うと先輩が先行する。
そして、手足を得て荒ぶるハードルをなんとか上から抑えようとした瞬間、
「ぐはぁ!」
思いっきり殴り飛ばされていた。
「先輩ィ!」
「待ってください、海鷹先輩!」
思わず駆け寄ろうとした俺を阿久野君が止める。
なんでだ。早く助けてあげないと。今だってほら、水を得た魚のようにハードルが先輩をボコボコにしている。
すごい。一方的だ。プロレスでこんな事されたら観客キレちゃうよ。うーん。ロボットだから感情なんて存在しないのか、淡々といたぶっているな。
「こちらに意識が割かれていない今がチャンスですよ!」
「血も涙もねえ!」
ロボット以上の冷血漢が居るんだが。
けど、先輩を見捨てるなんてそんな……。
「何をしている、海鷹……!」
逡巡していると血を吐く様に先輩が言う。ダメージが膝に来ているのか、彼は震える足で立ち上がりながらハードルにしがみつく。
「先輩!」
「俺たちは……っ! 何のために、この競技に参加している……!」
なし崩し、ですかねえ。
「勝つためだろ! そして、ここが正念場だ!」
違うと思う。
「いけ、海鷹! 俺の屍を越えてゆけぇっ!」
「せ、先輩ぃぃぃっ!」
そんなこんなで先輩を犠牲にしてハードルを飛び越え、無事第二の障害物も乗り越える。
しかし、変に小芝居を挟んだのと俺たちがロボットハードルのネタバレをした為、情報を得た後続が難なくクリアしたせいで、第三の関門に至る頃には殆ど横並びに戻っていて。
「へへっ、お先ぃ!」
そして、ただ走るだけなら俺より速い子なんて幾らでも居る。
そうやって颯爽と俺たちの横を抜けていった他クラスの生徒ではあったが、
「撃ち方用意……ってぇーっ!!!」
「ぶわばばばばあびゃあぁぁぁっ!!??」
突然の放水によって勢いよく吹き飛ばされていく。
その発生源を見ると巨大なホースをこちらに向ける桐原先輩が居た。
「げぇっ、風紀委員長!?」
その存在を知覚するや否や足を止める生徒たち。
当たり前だ。この学園に居て、彼女の恐さを知らぬ物は居ない。全員が全員、死地へ臨む兵士みたいな顔つきになっている。
「第三の関門は水害です! 消防団協賛のもと、安全安心の出力に抑えた鉄砲水を乗り越えてください!」
「たまにはぶっかけられる気持ちを味わえ、男共! 毎回毎回顔やら胸やらにかけやがって。後処理がめんどくせえんだよ!」
何やら不満が溜まっているみたいで、解説席から凄まじい怒りを感じる。
「あー、目に入ると失明の恐れがありますし、髪につくとすぐ落とさないと大変な事になりますからね」
「熱で固まるから迅速に対処しなきゃいけないのに、何が掃除してだ! こちとらてめぇに会うために髪やら何やらに気を遣ってんだよ! 分かれや! ぶち殺すぞ!」
「えー、そんな訳で第三の障害も頑張ってください」
ヒートアップしすぎる解説を宥める事を諦めたのか、実況が匙を投げた。気持ちは分かるが、仕事をして欲しい。
ただまあ、障害物を攻略しなきゃ始まらないのも確かで、傍に居る阿久野君と視線を交わす。
どうも、考える事は一緒みたいでお互いに小さく笑った。
「覚悟は良いか?」
「勿論」
「じゃあ、1、2の3で」
「了解です」
「1、2の──」
「「3!」」
合図と同時に二人して駆け出す。
視線を前に向け、すぐさまトップスピードまで持っていく。
幾ら先輩でも動いている的に命中させるなんて至難の業……なんて甘い考えは端から捨てる。さっき平然と当ててたしな。
「ってぇっ!」
だから、水流が寸分違わずに俺を狙撃したとて不思議ではなく。だからこそ、対策も生きる。
「海鷹先輩は僕が守る……!」
阿久野君が水禍に身を投げ打つ。
不意打ちならともかく、全力で身構えていたのならば人の身体はそうすぐには吹き飛ばない。
もっとも、大自然の前では無力なのは確かなので、いずれ塵芥のように流されてしまうのだが、彼が稼いだ僅かな時間で俺は先輩の攻撃範囲から逃れられる。
なぜなら、まだ後ろに選手が控えているから。先輩も俺ばかり攻撃する訳にもいかないのよね。
「抜けた抜けた! 海鷹選手、強い! 味方を犠牲にして他者の追随を許さない進撃だ! 最後のカーブを曲がって第四の関門に向かいます!」
「はいはい、真面目にやりますよ。怒らないでくださいよ、部長。……さて、最後の関門はパン食いならぬパンツ食いです。最初に得たブラと同じ種類のパンツを口だけで拾得してください。ただし、下着の種類が違ったり、取るのに成功しても落とした時点で失格です」
そうして直線に入った俺を迎えたのは、物干し竿から吊るされた色とりどりのパンツだった。
風で靡くのを風流だなあと現実逃避気味に眺める事、数秒。
最早、一刻も早く終わらせたくて、気を取り直した俺は全力で物干し竿の下に滑り込むと、スケスケの黒パンティ目掛けて跳躍する。
火事場の馬鹿力が働いたのか、一発でパンツの端を咥えてもぎ取る事が出来た。
(よしっ!)
念の為、パンツを咥えたまま走る。幸いな事に先輩の放水攻撃が完全な足止めになっているのか、後ろを脅かされることもなく悠々とゴールテープを切れた。虚しい勝利だ。
「ゴールぅっ! 一着は四組! 四組です!」
「こんなイロモノだらけの障害物相手によくぞ心を折られる事無く完走しましたね。素晴らしいです。さぞや印象深い勝利となった事でしょう」
「ははは」
解説の言葉に理解が及んで乾いた笑いが漏れる。
なるほどな。この舞台を作ったのはアイツか。そうかそうか。大方、俺が出場するからと狙い撃ちした訳か。
「ふふふ」
「ひぇ……」
俺の黒い笑みに一着を示す旗を持つ教師が露骨にビビる。
それに対して申し訳なさを感じるが、それ以上に隼へのヘイトが止まらない。確かに忘れられない思い出になったのはなったが、これからの夜道が月夜ばかりと思うなよ。




