同級生フラグ 2
「ぜぇ……はぁ……ぜぇっ……ごほっ!」
「だ、大丈夫……?」
ああ。愛園さんが露骨に引いてる。
でも、違うんだよ。俺の体力がない訳じゃないんだ。水夏のパワーがおかしいんだ。
たかだかトラック半周の二人三脚で、(身体は)男子学生の俺がここまで精根尽き果てる筈がないだろう? ……本当にないからね?
「もうっ! 大袈裟だよ、ルミ君!」
でも、さすがの俺でもこれに反論する元気はないんだわ。どこが大袈裟だよ。最初から合わせるの放棄して、着いていけない俺を完全に引き摺ってたじゃねえか。二人三脚ってなんだっけ?
はー。地面が冷たくて気持ちいいなあ。もうこのまま地を這う虫になりたい。
「でもまあ、アンタのお陰で改善点は見えたわ」
「それ……はっ、よか……げほっ、ごふっ、った……」
そう言って貰えると犠牲になった甲斐があったというものだ。
大の字に寝転びながら無理矢理言葉を絞り出す俺に、一瞬だけ憐憫の視線を向けた愛園さんだが、ゆっくり立ち上がると水夏に向き直った。
「杏樹」
「?」
「苗字で呼ばれるの好きじゃないの。あーしも水夏って呼ぶから、名前で呼んで」
「そうなんだ。分かったよ、杏樹ちゃん」
不思議そうな顔をしていた水夏だが、続く愛園さんの言葉に頷くと朗らかに微笑んだ。
「ちゃん付けって柄じゃ……まあ、良いケドさ」
その笑顔を正面から受け止めて照れたのか、そっぽを向きつつ人差し指で自身の髪をクルクルと巻く愛園さん。
なるほど。これがギャップ。素直に可愛い。
「勿論、アンタも含まれるからね」
「なんで?」
女子二人のやり取りを心穏やかに眺めていたらいきなり飛び火した。
びっくりして疲弊していた気分が飛んでいったよ。
「同じクラス委員なんだし、余所余所しいのも変でしょ?」
「いやそれは必要十分条件を満たしては──」
「杏樹」
「おっと、ゴリ押ししてきたぞ?」
どうしてこうも俺の言葉は無視されるのか。不思議。これでも主人公なんだけど。
好みの異性のタイプに俺の話をちゃんと最後まで聞いてくれる人ってのを追加しとこう。
「ダメだよ、杏樹ちゃん」
すかさず水夏のインターセプト。
さすが幼馴染み。まさしく以心伝心だな。
「呼んでもらいたいなら先に名前を呼ばないと」
「水夏?」
「そうだよね、ルミ君?」
「全然違うよ?」
どこが以心伝心だよ。
一ミリもこちらの事を汲んで貰えてねえよ。
「ふーん、そっか……」
口調はあくまでも平坦。なのに、明後日の方向を見る愛園さん。
よく見るとほんのりと頬が染まっている。
およ? 意外な反応だな。見た目や雰囲気的にスクールカースト一軍だろうし、異性の名前を呼ぶ事に慣れてそうなんだけど。
「杏樹ちゃん?」
「っ、や、やるわよっ! やってやれば良いんでしょ!」
そんな意気込むような物でもないと思うんだけど。
でもさ。これはねえ?
今までは好感度の関係でグイグイ来る子ばっかだったから、こんな恋する乙女みたいな佇まいは逆に新鮮だわ。
よりにもよってギャル属性の子に振らんでもと思わない事もないが、実は初心でした設定が多いのも現状よな。
うん。どこからともなく「引き出しが少なくて悪かったの」って神様の声が聞こえて来そうだ。
「えっ、と……」
横になったままでは失礼だろうと、とりあえず上半身起こした俺ではあるが、愛園さんは未だこちらを向くこともなくモゴモゴと口を動かすだけでアクションらしいアクションもない。
ううむ。俺はどうしたら良いんだ。何がどう作用するか分からないから、こちらから歩み寄るのは避けたいんよな。
何より、知り合ったばかりの愛園さんを名前で呼ぶのは童貞的にハードルが高い。ほら。俺って根がシャイだから。
「あー、焦れったいなあ。よしっ。ルミ君、立って?」
「うん?」
「杏樹ちゃんはちょっと下がって」
「え、なに?」
言われるがままに立ち上がるとふわりとした香りが鼻腔を擽る。出処を探ると視界を桃色が占めた。
前のクラス委員集会の時にも思ったけど、香水かアロマかつけてるっぽいよね、この子。結構好きな匂いなんだよな。ギャルなだけあって、センスが良い。
「は? ち、ちょっと近いんだけど!?」
水夏に追い立てられ、俺と肩同士がぶつかるくらいまで近づいた愛園さんが、それに気づいて露骨に狼狽える。
……傷つくなあ、この反応。
「あっ! べ、別に嫌とかそんなんじゃなくて、単に驚いただけというか、その……」
「これでよし、っと!」
無意識に眼を伏せたからか、慌てたように言い募る愛園さん。
だが、それも脳天気な声に遮られては二人して水夏に視線を向けて。
「またかよ!?」
「あーしもやるなんて言ってないんだけど!?」
知らぬ間に仲良く足首を縛られていた事にツッコミを入れる。
「おー。走る前から息ピッタリだ」
「待て待て。もう改善点は見つかったんだろ?」
「そうよ。これはあーしと水夏の問題で……」
「ふっふっふっー。あたしは全部お見通しなんだよ、杏樹ちゃん」
その水夏の言葉に愛園さんの肩が少しだけ跳ねた。
「な、なにが」
「まあまあ。案ずるより産むが易しって言うしね。ルミ君と走ってみたら、違う景色が見えるかもしれないよ?」
まるで後ろめたい事があるかの様に声を震わせる愛園さん。
水夏はそんな彼女の背後に回ると、その背中に片手を添えた。
「……水夏はそれでいいの?」
「いいもなにも、杏樹ちゃんの気持ちは杏樹ちゃんだけのものだから。口を挟む気はないかな」
「そう……」
「だから、ほらっ。素直になっちゃえ!」
そう言って、その背を軽く押し出す水夏。
「きゃっ!」
つんのめりかける愛園さんだったが、水夏のやろうとしている事を予測していた俺が、咄嗟に彼女の腰に手を回して事なきを得た。
一緒に転ぶなんて事になったら確実にラッキースケベな未来が見えてたんだよな。
「あ、ありがとう。る、るっ、ルミナ……」
「お、おう」
ただ、これもこれで抱き締める様な形になって、愛園さんの身体の感触がダイレクトに伝わってくるから辛い。体操服って生地が薄くないか? 気の所為?
その上、意を決した彼女の名前呼びもあって、アドレナリンが無限湧きしている。
「あ、アンタの名前……長いから。良いわよね、この呼び方で」
「ま、まあ? ご自由に?」
「じゃ、じゃあ、次は……ルミナの番よ」
「な、何がでございましょう」
あの。俺の体操服の胸元辺りを掴んで、潤んだ瞳で訴えかけるのはやめて下さい。
水夏も真っ赤な顔で見ているだけじゃなくて助け舟をだな。違うぞ? 親指を立てるな。どういう意味だよ。
「だからっ、あーしの事も名前で……それとも、嫌?」
「嫌という訳では」
「じゃあ、呼んでみてよ。お願い」
おうふ。ギャルの懇願とか初体験すぎて。
頑張って抑えてるけど、このままだと下半身に血が集まるのが止められなくなる。
「よ、呼ぶから離れてくれると助かるんだけど……」
「……っ! そ、そうね。いつまでもこうしてる場合じゃないし」
傍からだと抱き合っている様にしか見えないからな。
と言っても、足首が紐で繋がっているから完全に身を離す事は出来ないんだが。
「あー……」
そうして身体を離したものの、期待が込められた視線にたまらず逃げ出したくなる。
こんな風に改められるとプレッシャーががが。ううむ。仲を深める気がないなら誤魔化す一択なんだろうけど……呼ぶと言ってしまった手前、これはもう詰みの状態では?
(そう。こうなった以上は名前を呼ぶしかないんだ。だから、呼ぶ。呼ぶぞ。尻込みするな、海鷹夜景。こう言うのは躊躇う程に呼び難くなる)
脳内で自分を鼓舞しつつ、俺は覚悟を決めて息を大きく吸う。
そして、その勢いのまま、
「あ、あんチュッ!」
盛大に噛んだ。
やっべ。やっちまった!
「…………」
「…………」
およ? 二人のリアクションがないな?
もしかして、なかった事に出来る?
「杏樹」
咄嗟に言い直す。気持ち低音で。
「…………」
「あれ? 杏樹? おーい、杏樹さん?」
「ぷっ……!」
何度も呼びかけると固まっていた愛園さん──杏樹が突然吹き出す。
「あはっ、あはははは! 無理無理、無理だって! 言い繕うには劇的に噛みすぎだからっ!」
どうやら俺の失態はなかった事に出来なかったらしい。
でもまあ、声を上げて笑う杏樹なんて珍しい物が見れたから、この羞恥は甘んじて受け入れようか。
余談だが、水夏と杏樹の二人三脚は最初とは見違える程に速くなった。一体二人の間で何があったのか、俺にはさっぱり分からない。というか、果たして俺は必要だったんだろうか。




